Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ドガ展

2010年09月24日 | 美術
 横浜美術館の「ドガ展」に行ってきた。あいにくの雨だったが、祝日の午後だけあって、かなりの盛況だった。

 この展覧会は、ドガの画業を俯瞰するという意味で、今年前半の「マネ展」(三菱一号館美術館)と並ぶ規模と内容だ。

 ドガというと踊り子が思い浮かぶが、あの踊り子とはなんなのか――たんに可愛い少女というだけなのか、それともなにか意味があるのか――。私にはそれを考えさせてくれる展覧会だった。

 よくいわれることだが、当時の踊り子は労働者階級出身の娘たちだった。踊り子は若いうちにパトロンを見つけて裕福な生活を送ることを目指した。親たちもそれを願っていた。今の感覚とはそうとうちがうのだ。

 ドガの描く踊り子は、ほとんど例外なく群像だ。その一人ひとりは無個性といってよい。私はこれを今回展示の肖像画との対比で思い知らされた。ドガは依頼されて肖像画を描いたことがなかったそうだ。身近にいて共感をおぼえる人たちだけを描いた。入念にデッサンや下絵を積み重ねて準備したそうだ。今回展示されている「エドモンド・モルビッリ夫妻」は、そのもっとも見事な成果だ。

 踊り子の場合はそうではなかった。稽古場などで何枚ものスケッチをして、アトリエに戻って再構成した。今回展示の名画「バレエの授業」も一種の虚構なのだ。

 今回、肖像画をみて、次に踊り子の絵をみたとき、私はドガの階級意識を感じた。ドガの視線は、オペラ座に通い、稽古場をのぞき、踊り子に目を走らせるブルジョワジーのものだ。一方、肖像画においては、同じ階級に属するもの同士の尊敬が感じられた。

 ドガというと、1894年に起きたドレフュス事件が思い出される。フランス軍の軍人であったユダヤ人のドレフュスにたいする冤罪事件だ。軍はドレフュスをスパイ容疑で有罪とした。証拠品の偽造・改ざんもした。今の日本で起きている事件はそのミニチュア版だ。

 軍にたいして公然と異を唱えたのがドガの友人で作家のゾラだった。フランスの世論は大きく二分された。ユダヤ人嫌いのドガは有罪を主張して、ゾラとたもとを分かった。

 もちろん、誤解されることはないと思うが、私はドガを貶しめているのではない。かりに時代的な偏見があったとするなら、それを承知したうえで高い画業に触れたいと思うだけだ。理想主義を排してリアリズムに徹したドガのこと、それはむしろ望むところだと思う。
(2010.9.23.横浜美術館)
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