「やりたいこと」はいつでもやれるが「やらなければならないこと」は今やらねばということで喪失感など考える暇はない
現在70歳。60歳で退職してからあくせくあくせくしながら生きてきた。60歳から70歳までの10年間何をしてきたのか。
矢口誠(翻訳家)が俳優鈴木保奈美の「のんびりするよりは、やることが多いほうが張り切れる」のことばを挙げていた。矢口本人自身が会社を辞めてフリーになったときに、先輩からはとにかく忙しくしろとアドバイスされたという。暇にしていると気分が鬱積してしまうからという。
仕事を辞めたとたんに、老け込んでしまう人を私たちはよく見てきている。そして、そのやることで、矢口誠が大切なこととして指摘するのは、「やりたいこと」よりも「やらなければならないこと」だという。(「ことば巡礼」宮日新聞21年3月9日・矢口誠)
思うに、「やりたいこと」は、いつでもできるし、そのうち、その達成にいたっては、いつでもいいやということにもなりかねない。「やらなければならないこと」なら、今しなければならず、動き回らなければならないので、心も沈むなんてことを考えている暇などない。
まさに、私の60歳から70歳までの10年間は、やむにやまれず、そんな人生でした。やめる前に勤めていたところからは、仕事のあっせんをするようなことを言われていたが、実は、上司とそりが合わず、そんなのいらねえよと蹴ってしまったのである。資格(社労士等)を取っていたのでその組織の会の事務局長に採用されたが、使われる身であって、しかも目の不調(老人になるとこの病気はなりやすいらしい)で、1年ちょっとで退職。やはり使われる身は、年をとってからは難しいんだなと思ったこと、しきり。そこで当該資格を生かして、資格の学校の講師等をやったが、一生懸命やったわりには、実入りもなく、受講生にはあまり人気がなかったようだ。国県からの委託を受けた仕事もしたが、これはまあまあの受託額であったが、短期間で打ち切りとなった。そして、何よりも資格保持のためには、勉強し続けなければならず、必要あらばと関連の民間資格も取ったりして、仕事よりも勉強の方が多かったように思う。
以上10年間の間、60歳退職の時に、自分で人生は見つけると意気込んだ手前、ちょっとは「できました」という人生をあゆまなければならないという意地はあった。それゆえ、何かをやらなければという意思はあったのである。
最初に言った「やらなければならないこと」を常に頭に置き、この10年やってきたのである。その意味でいえば、この10年、やるべきことが毎日出てきて、喪失感も味わったこともなく、大した病気もしなくて、なんとなく、ほんわかと幸せを感じる人生になったのではないかと思う。その意味でいえば、60歳で辞めるときの上司が、あの人であったことに感謝をしなければいけないと考えるのである。
問題は、これからの10年の人生をどうするかであろう。資格は返上(!?)してしまったのだから・・・。
現在70歳。60歳で退職してからあくせくあくせくしながら生きてきた。60歳から70歳までの10年間何をしてきたのか。
矢口誠(翻訳家)が俳優鈴木保奈美の「のんびりするよりは、やることが多いほうが張り切れる」のことばを挙げていた。矢口本人自身が会社を辞めてフリーになったときに、先輩からはとにかく忙しくしろとアドバイスされたという。暇にしていると気分が鬱積してしまうからという。
仕事を辞めたとたんに、老け込んでしまう人を私たちはよく見てきている。そして、そのやることで、矢口誠が大切なこととして指摘するのは、「やりたいこと」よりも「やらなければならないこと」だという。(「ことば巡礼」宮日新聞21年3月9日・矢口誠)
思うに、「やりたいこと」は、いつでもできるし、そのうち、その達成にいたっては、いつでもいいやということにもなりかねない。「やらなければならないこと」なら、今しなければならず、動き回らなければならないので、心も沈むなんてことを考えている暇などない。
まさに、私の60歳から70歳までの10年間は、やむにやまれず、そんな人生でした。やめる前に勤めていたところからは、仕事のあっせんをするようなことを言われていたが、実は、上司とそりが合わず、そんなのいらねえよと蹴ってしまったのである。資格(社労士等)を取っていたのでその組織の会の事務局長に採用されたが、使われる身であって、しかも目の不調(老人になるとこの病気はなりやすいらしい)で、1年ちょっとで退職。やはり使われる身は、年をとってからは難しいんだなと思ったこと、しきり。そこで当該資格を生かして、資格の学校の講師等をやったが、一生懸命やったわりには、実入りもなく、受講生にはあまり人気がなかったようだ。国県からの委託を受けた仕事もしたが、これはまあまあの受託額であったが、短期間で打ち切りとなった。そして、何よりも資格保持のためには、勉強し続けなければならず、必要あらばと関連の民間資格も取ったりして、仕事よりも勉強の方が多かったように思う。
以上10年間の間、60歳退職の時に、自分で人生は見つけると意気込んだ手前、ちょっとは「できました」という人生をあゆまなければならないという意地はあった。それゆえ、何かをやらなければという意思はあったのである。
最初に言った「やらなければならないこと」を常に頭に置き、この10年やってきたのである。その意味でいえば、この10年、やるべきことが毎日出てきて、喪失感も味わったこともなく、大した病気もしなくて、なんとなく、ほんわかと幸せを感じる人生になったのではないかと思う。その意味でいえば、60歳で辞めるときの上司が、あの人であったことに感謝をしなければいけないと考えるのである。
問題は、これからの10年の人生をどうするかであろう。資格は返上(!?)してしまったのだから・・・。
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