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歴史から学ぶ人間学ー伊達保子の場合

2021-07-29 21:14:51 | 日記
伊達保子は仙台藩主伊達家の娘として文政10年1827年に生まれました。伊達家仙台藩は62万石の大藩で江戸時代半ばであればなんら不自由なく暮らせたのですが、時は幕末ー徳川慶喜が鳥羽伏見の戦いで負けると徳川家は朝敵とされその影響は東北諸藩に及ぼし始めは中立の立場を取っていた仙台藩も奥羽列藩同盟をつくり新政府軍と対峙することになりました。新政府軍に降伏すると28万石に減封され藩士は食べることも難しくなり不毛の大地蝦夷地の開拓を決意します。伊達保子は分家の亘理伊達家に嫁ぎますが、亘理伊達家も蝦夷地を目指し伊達保子も自ら開拓に精を出し開拓の母と呼ばれるようになりました。北海道の伊達市は正に伊達保子との開拓の地です。なんら不自由なく育った姫様が時の流れの中で泥をかぶって開拓に精を出しました。自らを与えられた地に身を投じ全うするーこれが伊達保子の生き方です。
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