伊達保子は仙台藩主伊達家の娘として文政10年1827年に生まれました。伊達家仙台藩は62万石の大藩で江戸時代半ばであればなんら不自由なく暮らせたのですが、時は幕末ー徳川慶喜が鳥羽伏見の戦いで負けると徳川家は朝敵とされその影響は東北諸藩に及ぼし始めは中立の立場を取っていた仙台藩も奥羽列藩同盟をつくり新政府軍と対峙することになりました。新政府軍に降伏すると28万石に減封され藩士は食べることも難しくなり不毛の大地蝦夷地の開拓を決意します。伊達保子は分家の亘理伊達家に嫁ぎますが、亘理伊達家も蝦夷地を目指し伊達保子も自ら開拓に精を出し開拓の母と呼ばれるようになりました。北海道の伊達市は正に伊達保子との開拓の地です。なんら不自由なく育った姫様が時の流れの中で泥をかぶって開拓に精を出しました。自らを与えられた地に身を投じ全うするーこれが伊達保子の生き方です。
最新の画像[もっと見る]
- いろいろ考えさせられた夜でしたーナマケモノ俱楽部オンライン 5日前
- 人は力で動かすものではなく心で動かすものー「篤姫」に登場する勝海舟の言葉が心に響く 1週間前
- 勝海舟を想う心 1週間前
- 勝海舟生誕200年勝海舟の会10周年記念講演会(9月29日)に向けて 2週間前
- 薬害はなぜ繰り返されるのかー今年も薬害根絶デーがやってくる 2ヶ月前
- 渋沢栄一記念財団記念講演会ー新紙幣1万円札の顔 2ヶ月前
- 海の日に勝海舟フォーラム 2ヶ月前
- 久しぶりに赤坂界隈を歩いて変わったと感じるー勝海舟の面影はまだまだ 2ヶ月前
- 勝海舟の良さをいかに現代に伝えていくかー勝海舟の会 3ヶ月前
- 喪失・挫折・失敗からの人生ー勝海舟・榎本武揚・大鳥圭介の人生から振り返る 3ヶ月前
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます