
昭和41年4月、江別市広域商業診断勧告書が出されました。
同書は、北海道商工指導センターが担当、江別の商業の実態と問題点を把握し、将来の基本構想を策定しようというものでした。
年間7億円にのぼる購買力の札幌流出をいかに防ぐか、その対策を種々の観点から論じたものでした。その中で、流出防止策として、江別・野幌・大麻の三地区に商業核を配置するキー・テナント(核店舗)方式を提案しました。それは、従来の長さを誇る商店街から、質的充実した商店街への脱皮を図るものであり、個々の経営者の意識革命を促すものでもありました。
勧告を受けて、同年11月には、江別商店街連絡協議会が結成されました。
同会は、昭和51年3月、江別市商店会振興組合連合会(以下「市商連」という)に再編されるまで、江別の商店街を代表する組織として、商店街の活性化に取り組みました。またこの間、昭和43年3月、江別ではじめての商店街振興組合が本町通商店街で結成されました。
以降、中央通銀座商店街(昭和43年7月)、大麻中町商店街(昭和48年10月)、野幌商店街(昭和49年4月)と組合結成が続きました。
勧告の核心であるキー・テナントの配置についても様々な動きがありました。市内で初の共同店舗・元江別マートの完成(昭和43年)、また昭和48年には本町通に王子サービスセンター王子店が開店しました。これまで既存の商店街では、こうした大型店の開設に対し、反対運動が起こっていましたが、同センターは両手を拡げて迎え入れられました。
顧客の流れを引き寄せたい、そうした顧客誘導の磁場として期待されました。その他、昭和48年12月、大麻東町商業協同組合が東町ショッピングセンターを開設、ロードヒーティングやアーケードを設置しました。
(参考)当ブログ2009年7月25日(土)「江別の夏の風物詩花火大会の終焉」
註:江別市総務部「新江別市史」607-608頁.
写真:かわなか公園(江別市野幌)
同書は、北海道商工指導センターが担当、江別の商業の実態と問題点を把握し、将来の基本構想を策定しようというものでした。
年間7億円にのぼる購買力の札幌流出をいかに防ぐか、その対策を種々の観点から論じたものでした。その中で、流出防止策として、江別・野幌・大麻の三地区に商業核を配置するキー・テナント(核店舗)方式を提案しました。それは、従来の長さを誇る商店街から、質的充実した商店街への脱皮を図るものであり、個々の経営者の意識革命を促すものでもありました。
勧告を受けて、同年11月には、江別商店街連絡協議会が結成されました。
同会は、昭和51年3月、江別市商店会振興組合連合会(以下「市商連」という)に再編されるまで、江別の商店街を代表する組織として、商店街の活性化に取り組みました。またこの間、昭和43年3月、江別ではじめての商店街振興組合が本町通商店街で結成されました。
以降、中央通銀座商店街(昭和43年7月)、大麻中町商店街(昭和48年10月)、野幌商店街(昭和49年4月)と組合結成が続きました。
勧告の核心であるキー・テナントの配置についても様々な動きがありました。市内で初の共同店舗・元江別マートの完成(昭和43年)、また昭和48年には本町通に王子サービスセンター王子店が開店しました。これまで既存の商店街では、こうした大型店の開設に対し、反対運動が起こっていましたが、同センターは両手を拡げて迎え入れられました。
顧客の流れを引き寄せたい、そうした顧客誘導の磁場として期待されました。その他、昭和48年12月、大麻東町商業協同組合が東町ショッピングセンターを開設、ロードヒーティングやアーケードを設置しました。
(参考)当ブログ2009年7月25日(土)「江別の夏の風物詩花火大会の終焉」
註:江別市総務部「新江別市史」607-608頁.
写真:かわなか公園(江別市野幌)
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