江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

千歳座

2008年09月24日 | 歴史・文化
 江別には、古くから千歳座と富士見座という二つの劇場がありました。

 千歳座(館)は、自宅兼用の小さな「寄せ場」の中から千歳座(館)という専用の劇場が誕生しました。
 明治30(1897)年頃始業したといわれる千歳座(五条五丁目)は、平成元(1989)年3月に90年の歴史に幕を閉じました。
 興行内容は、演劇が中心でしたが、その他浪速節、音曲、手踊、軽業などのほか、女力士などといったいわば「際物」的な見せ物も少なくなかったようです。
 
 活動写真(映画)が千歳座にかかるのは、大正初頭でした。
しかも、年に1、2回程度でした。これが映画産業の活況と共に上映回数も増えていきました。やがて、正月やお盆の楽しみは映画鑑賞となっていったのです。

「活動写真を観に行く。大入り満員で大混雑だ。入場券買うに弱った。ようやく入場したる時は嬉しかった」(『脇豊勝日記』)。

 街中に旗を立て、クラリネットを吹きながら客呼びの楽隊が行き来しました。クラリネットは風に乗り、夜なべ仕事に余念のない農民の耳にも届いていました。
 
 千歳座は、戦後の映画の全盛時代と共に、連日映画ファンで沸きに沸きました。
 2階の通路まで観客で溢れ、子どもは爪先立ちになって前の客の肩と肩の隙間から覗き見するしかありませんでした。
 エノケン、ロッパ、美空ひばり、原節子、市川右太衛門、阪東妻三郎など銀幕のスターの一挙一投足が疲れた心に滲みたのでした。

 町民一人当たり年間5回余り、小中学生は7回以上映画館に足を運んだことになります。今昔の感ひとしおですが、千歳座3代目館主樺沢吉栄氏によると、昭和25年9月上映の「人妻椿(松竹)」を江別祭りに上映したところ、朝から9回入れ替えで、一日4,400人が鑑賞したそうです。この数値は、後にも先にも最高の観客動員記録となったようです。

 当時は、小学生の団体の映画鑑賞もありました。
 先生が引率のもと校門から2列縦隊で千歳座を目指したのです。そこで、「若草物語」や「オズの魔法使い」など、西洋の夢物語に胸を踊らせていました。
 また、20年代後半には、夏の間、夜明けまでのオールナイト・シアターがあり、古い洋画などが上映されていました。
 料金は、4円99銭でした。この料金は、5円になると税金の関係がでてくるための半端料金といわれていました。

註:江別市総務部「えべつの昭和史」211-212頁参照。
  江別市「新江別市史」195-197頁参照。
写真:江別青年会議所「写真集えべつー風のまちの歴史」1982年,19頁「千歳座」撮影掲載いたしております。

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