江別創造舎

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生協の進出と厚別副都心

2013年03月29日 | 歴史・文化

 50年9月、江別商工会議所は、小売・卸売・製造業などを対象にアンケート調査を実施しました。

 各業種とも48年の石油ショック以降の不況を反映し、前年同期比生産・売上共減少したのが全体の40%を占めるなど、下降の傾向をみせました。

 こうした中、51年5月、札幌市民生協が野幌の国道12号沿いに野幌店を、また前後して一番町の同国道沿いに江別店を開くことを明らかにしました。
 6月、商工会議所は、大型店の進出にあたり、地元小売業者の意向を関係機関に反映させる商業活動調整協議会(商調協)を発足させ、生協を含め今後進出が予測される大型店対策に乗り出すことになりました。

 また、8月、商工会議所と市商店街振興組合連合会は、札幌市民生協に対し、(1)会員対象の無料買い物バスは運行しない、(2)テナント入居は、地元店を優先させる、(3)開閉店時間は午前10時、午後6時とする、(4)休みは、週1回とする、(5)市内商店からの従業員の引き抜きはしない、(6)地元商店街の催しに参加する、(7)売り場面積は、地元商店への影響を考慮して自粛する、などを申し入れました。
そして、9月、生協側からほぼ申し入れに沿った回答を受けることになりました。

 生協進出に踵を接し浮上する、52年度スタートの札幌市厚別地区副都心商業センター計画は隣接する大麻(おおあさ)商店街を中心に深刻な危機感を募らせました。
大麻(おおあさ)商店会連合会は、50年11月、市に要望書を提出しました。
 これに対し、12月、商工会議所は、市内商店主を集め、札幌副都心開発公社から計画の説明を受けるなど、今後の対応策について検討を開始することになりました。

 昭和51年11月、生協江別店、野幌店が相次いでオープンしまいた。
生協のオープンは、市内の人の流れを大きく変えました。
その端的な例が、翌年夏の恒例の全市連合商店街大売り出しの中止です。
無論、長引く不況で消費が冷えきっていたこともありますが、同時に、生協の進出が影を落としていたことも否めない事実でした。
しかし、大型店の進出は、もはや時代の要請であり、一大潮流となって商業界に地殻変動をもたらさずには止みませんでした。

註:江別市総務部「えべつ昭和史」435-436頁.
写真:昭和51年進出した生協
 同上書436頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。


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