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明治元(1868)年3月25日、蝦夷地に関する岩倉具視の策問の中で、蝦夷地名称を改めることが記述されていました。
この蝦夷地名称を改めることは、古くから識者間で取り上げられいたのです。蝦夷地の改名は、単に名義的な問題ではなく、対露問題ならびに警備・行政・民政など一切を含む蝦夷地支配の現実的必要性から説かれていました。
また、地方行政組織が立てられていない蝦夷地では、変革過程で旧体制的意識を一掃する意味で必要であり、効果的なことだったのです。
明治2(1869)年8月15日に至り、「蝦夷地自今北海道ト被称、十一箇所二分割、国名群名等別紙之被仰出候事」(太政官公文録)と、布告されたのです。
11箇国とは、渡島(おしま)国・後志(しりへし)国・石狩(いしかり)国・天塩(てしお)国・北見(きたみ)国・胆振(いふり)国・日高(ひだか)国・十勝(とかち)国・釧路(くしろ)国・根室(ねむろ)国・千島(ちしま)国です。
★参照:当ブログ6月16日(月)「蝦夷地から北海道へ改称ー蝦夷地は皇国の北門ー」
註)北海道「新北海道史 第三巻通説二」参照。
写真:同上書「分領管轄図」128頁挿し絵図撮影掲載いたしております。
この蝦夷地名称を改めることは、古くから識者間で取り上げられいたのです。蝦夷地の改名は、単に名義的な問題ではなく、対露問題ならびに警備・行政・民政など一切を含む蝦夷地支配の現実的必要性から説かれていました。
また、地方行政組織が立てられていない蝦夷地では、変革過程で旧体制的意識を一掃する意味で必要であり、効果的なことだったのです。
明治2(1869)年8月15日に至り、「蝦夷地自今北海道ト被称、十一箇所二分割、国名群名等別紙之被仰出候事」(太政官公文録)と、布告されたのです。
11箇国とは、渡島(おしま)国・後志(しりへし)国・石狩(いしかり)国・天塩(てしお)国・北見(きたみ)国・胆振(いふり)国・日高(ひだか)国・十勝(とかち)国・釧路(くしろ)国・根室(ねむろ)国・千島(ちしま)国です。
★参照:当ブログ6月16日(月)「蝦夷地から北海道へ改称ー蝦夷地は皇国の北門ー」
註)北海道「新北海道史 第三巻通説二」参照。
写真:同上書「分領管轄図」128頁挿し絵図撮影掲載いたしております。
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