
国道12号線の改良工事は、12号が当時の市民生活に重要な役割をおう生活幹線道路であったこともあり、市民の間にさまざまな波紋を呼びました。
これが集約的に表れたのが、昭和33年3月の議会に出された6本の陳情でした。
この陳情を大別すると、(1)鉄道立体交差計画に対する地権者(農民)の反対、(2)国道12号を西野幌で鉄道を立体交差せず、そのまま1番通りを大麻まで西進し、江別と札幌の境付近で鉄道を跨ぐよう求める大麻関係者住民、(3)計画どおりの早期完成を求める酪農学園関係者など、に分かれました。
これらの陳情につき、議会の国道改修特別委員会は、6本とも不採択としました。
理由は、『いずれの地区に施行されるとしても、それぞれ一長一短がある。しかも、本工事は、国の直轄事業でもあり、その決定については国の施策にまつことが適当と認める』という、いわば判断停止の苦しいものとなりました。
確かに、関係者の利害得失の軽重は図り難いとしても、江別の将来の街づくりの観点からの判断があってしかるべきであろう、と思わざるをえないところでした。
国道12号の改良舗装工事は、38年度をもって市域の全線を完了しました。
以降の課題は、拡張や歩道の設置などの第2次改良、あるいはバイパス問題へと移行することになりました。
註:江別市総務部「えべつ昭和史」243-244頁.
写真:昭和35年5月宮下通り
同上書242頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。
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