江別地区商店街の衰退は、加速しました。
昭和57年頃から倒産、廃業が目立ちはじめ、61年に入ってからも酒店、カメラ店、用品店の店じまいが続きました。
加えて、同年11月、高砂駅の開業は、客離れを加速させるものと、危機感が募りました。
62年9月、本町通りの核施設として期待され、48年から営業をはじめた王子サービスセンター・王子店(7条7丁目)が休業に追い込まれました。
燃焼7億円(57年)が61年には3億6千万円に半減同店の総売り場面積の7割を占める直営部門の営業を廃止したため、残り3割のテナント部門の営業も極めて困難なものとなり、閉店は時間の問題となりました。
『ご承知のとおり、江別市街地の凋落ぶりは、近年特に著しく、他の地区の後塵を浴びています。
かつての繁華街であった中央通りは、いわゆるシャッター通りといわれ、最近では本町通りにも波及して閉店が相次いでいます。
(江別地区の)市街地人口は、年々減少し、商業者はあたかも魚のいないところで釣りをしているかのごとくだ。』
これは、62年9月会愛の議会一般質問におけるA議員の発言の一部です。
現実は、まさに文字通り、歯がボロボロと欠けていき、空き地やシャッターを降ろしたままの商店が目立ちました。
江別市街地近代化促進市民会議の原利之会長の言葉を借りると、蟻地獄だったのです
そのため、議会においても、江別地区商業近代化についての疑問の声が洩れ出すことになったのは、むしろ当然のことといえます。
(中略)
民間活力の投入による核づくり、まさしく核施設としての大型店の進出こそ、起死回生策として切望されていたのです。
しかし、平成2年4月、大型店の交渉相手であったダイエーの進出断念が確定しました。断念の理由は、経営戦略としてショッピングセンターとレジャーを合わせた大型店としたいのですが、必要な最低3万3千平方メートル程度の用地確保が困難というこでした。
特に同地区は地権者が多く、かつ地権者と建物所有者が別々のケースも少なくなく、結局、調整が暗礁に乗り上げたのでした。
ここに、江別商店街の近代化を目した再開発計画は、一頓挫し、再びしきり直しとなりました。
註:江別市総務部「えべつ昭和史」668-669頁.
写真:JR高砂駅(江別市内5番目の駅)
同上書662頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。
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