江別創造舎

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野幌駅の開業

2019年03月22日 | 歴史・文化

 野幌市街地の形成も、野幌屯田兵村の番外地として画された駅前に、商店が開業するところから始まります。
 
 これより先、西番外地と呼ばれていた四番通方面に、明治18(1885)年、江別兵村と同様に屯田兵の日用品供給目的で兵村共同販売所(責任者・屯田兵予備少尉岩田喜太郎)が設置されました。
同20(1887)年には浜端宗三郎が日用品雑貨店を開き、前後して金兵衛酒屋、中川雑穀屋なども開業したと伝えられています。

 この頃、この西番外地は野幌兵村の文化の中心地として栄えました。
「七夕祭り、お盆などの行事には、国家安泰五穀豊穣と書かれた大灯籠を掲げ、お国振りを豊富な盆踊りが始まり、夜の更ける迄太鼓の音が響いて華やいだ夏の夜をみせていました」(広報えべつ・「文化財シリーズ」14)

 野幌駅が開業したのは、明治23(1890)年11月です。
江別駅の開業が同15(1882)年ですから、遅れること7年でした。
屯田兵村第二中隊本部(野幌)が、札幌の屯田本部との連絡上必要としたもので、当初は簡易停車場でした。初代駅長は、札幌から派遣された屯田兵石丸辰一郎でした。

 駅の開業契機に、野幌の市街地形成は西番外地から東番外地(駅前)へと大きく変わりました。
 理由は、江別駅前と同様で、屯田兵江別第三大隊では、野幌駅前を市街地(6,318坪)として発展させる意向を明確にしました。
具体的には間口5間、奥行25間を1戸分として区画し、保証金1円、借地料1坪3厘で貸付を行うというものでした。
 これに対し、すぐさま浜端宗三郎他10名から願い出があり、これが許可されました。浜端とは、雑貨店経営者です。つまり浜端は、駅から遠い西番外地から駅前番外地への移転を願い出していました。浜端以外の出願者の中にも、同じケースがあったと予測されます。
 この前後、商家として駅前にあったのは、浜端の他以下のとおりです。
金兵衛酒屋
中川雑穀屋
沖田与惣衛門の旅人宿屋
井上幸吉の菓子屋
長谷川綱吉の豆腐屋兼風呂屋、武沢金松の丸金旅館などでした。

 以降、前谷運送店、岩田、木村、坂本、大江、西沢など各商店が順次開業いたしました。




註:江別市総務部「新江別市史」197-198頁参照
写真:昭和61年12月JR野幌駅南口開業
 「えべつ昭和史」662頁掲載写真を複写し、当ブログおよび江別創造舎facebookに掲載いたしております。



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