明治25(1892)年、この市街地に貸与に関して悶着が起こりました
大隊では浜端らに貸付の市街地を北海道庁に返地し、この返地に対して海江田、岩田、長、沢住、村岸、中島、桑原の屯田兵諸士官から貸下願書が提出されたのです。結果から言えば、先に貸付した商人たちを追い出し、野幌屯田の有力者に該地を貸与するという以外の何ものでもなかったのです。
激昂したのは浜端らでした。
大隊に抗議すると共に、道庁に対し嘆願書を提出しました。これが明治26年1月のことでした。これがその後どのような経過を辿り、どう決着をみたかは詳にならないが、その後の推移をみるに、結局は商店を中心とした街区形成が進みました。ここから、ことの顛末が推量されるでしょう。
なお、明治29(1896)年5月付の現・八丁目通西側にかかわる野幌兵村公有地財産取扱委員会と借主・岩田喜太郎との「土地貸借契約書」があります。これが江別市街を含め、屯田兵村番外地を貸与する時のひな形の一つであろうといわれています。
以下契約書略
註 :江別市総務部「新江別市史」198頁.
写真:旧野幌駅ホーム<2008年7月撮影>
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