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江別創造舎

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石狩東部広域水道企業団設立

2009年10月17日 | 歴史・文化
 昭和49年3月、石狩東部広域水道企業団の設立認可が下りました。

 昭和48年度から第3期拡張事業が始まりました。
同事業は、昭和55年度を目標に計画給水人口を10万人としたものでした。
これにより、豊幌地区、江北地区での簡易水道及び王子製紙、酪農学園での専用水道区域を除く市内全域が給水区域となり、ここに無給水地区が解消される見通しとなりました。

 勿論10万人への安定的な給水計画の場合、これまでの千歳川からの取水だけでは充分ではなく、新たな水がめを確保しなければなりませんでした。そのため、千歳川水系の漁川(恵庭市)にダムを設け、そこを水源として江別、千歳、恵庭、広島の3市1町へ水道用水を供給する石狩東部広域水道構想が浮上しました。

 昭和49年3月、地方自治法に基づく一部事務組合石狩東部広域水道企業団の設立認可が下り、同年4月、10ヶ年計画、総事業費約60億の広域水道創設事業が着手されることになりました。
 
 漁川からの受水開始は、昭和56年4月、市内の対象地区は大麻団地と文京台地区の約8千世帯でした。
 同ダムの水の汚濁度は2度で、綺麗で美味しい水です。ここから、市内の取水系統が二分されたため、千歳川取水地区との対比において、美味しい水、美味しくない水論が取り交わされることになりました。

 石狩東部広域水道企業団については、下記をご覧ください。
http://www.ishito.jp/

註:江別市総務部「えべつ昭和史」338-339頁.
写真:2008年石狩東部広域水道企業団夕張川シューパロダム建設工事視察時に撮影

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