昭和26年4月、町長、町議会議員の任期満了に伴う戦後2回目の選挙が行われ、現職の古田島薫平が無投票で選ばれました。
その26年4月、江別町立病院が開設され、翌5月、江別保健所の庁舎が完成するなど、26年に入るとにわかに施設の整備が進むにつれ、町民の相互扶助の精神で行う国保事業の町営化が日程表にのぼりました。
27年1月の町議会は、「江別町国民健康保険条例」を可決、同年4月から国保事業を町営にて行うことになりました。
同時に、町立病院を国保直営病院としましたが、27年当時、石狩管内14町村のうち国保の直営診療施設を持つのは江別だけでした。
事業開始時の被保険者数は、13,984人(2,521世帯)で、町人口33,191人、5,859世帯の約42%となりました。
事業内容は、療養給付(5割)、出産給付(1件50円)で、うち療養給付は歯科補てつを除く、診療、薬剤、治療材料の支給、処置、入院、看護、患者の移送などの他、伝染病、寄生虫、その他疾病の予防など、幅広く町民の健康保持と増進にあたりました。
註:江別市総務部「えべつ昭和史」194-195頁.
写真:はじめての民選町長古田島薫平
同上書151頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。