江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

町(市)会議員・道会議員

2012年02月04日 | 歴史・文化

 戦後の町会議員選挙は、22年4月5日、町長選と同時に行われました。
それまでの町会議員は、戦時の特例で17年に当選した議員が任期延長で務めていたので、文字通り戦時色一掃、新生の町政を担う議員の選挙となりました。

 関心は非常に高く、定員30人に45人が立候補する激戦となりました。
次の26年4月選挙は定員30人に対し、35人の立候補と一転少数激戦となりました。
しかし、目立つのは、農村を地盤とする議員が3分の1余の12人も当選していることです。この傾向は、40年代前半まで続き、30年10人、34年12人、42年8人と推移しました。
それは、江別の地域構成のそのままの反映でもありました。

 なお、帝国憲法下の、戦前、戦中の議会議長は、町長が兼ねていましたが、新生町議会では議員の互選となり、民主的な議会の要として活躍することとなりました。

 一方、道議会議員選挙は、第1回統一地方選挙のしんがりとして22年4月30日実施されました。
 石狩支庁選挙区には、定員4人に対し8人が立起、うち江別からは大久保和男(民主党)と、北日本製紙労組の平野晃(日本社会党)の2人が出ましたが、ともに無念の涙をのみました。

註:江別市総務部「えべつ昭和史」190-191頁.
写真:はじめての民選町長古田島薫平氏(初代江別市長)
 同上書151頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする