江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

戦後の政党政治スタート

2012年02月02日 | 歴史・文化

 20年11月、日本社会党、日本自由党、日本共産党など33の政党が結成され、ここに戦後の政党政治がスタートしました。

 江別においては、24年末現在政党関係団体、江別町農民同盟や日本共産党江別細胞が届け出ました。

 江別町農民同盟は、22年6月結成の北海道農民同盟の下部組織です。
24年2月、西山らが中心となって組織され、事務所を江別農協内におきました。
同盟の綱領は、(1)農民の政治経済文化の向上、(2)農村民主化の実現、などです。
一言でいうと、階級性に偏らず、中農層を中心に、町ぐるみ、村ぐるみの全員参加方式により経済的要求を勝ち取ろう、そこが主眼でした。

 同盟運動の拠点は、十勝、上川、網走などです。
比較的運動の弱かった石狩管内で目立ったのは、広島、恵庭、手稲の3町村程度、製糖的には社会党寄りの組織でしたが、江別を含め組織の弱かった管内町村では、必ずしも一本化されたわけではありません。
 そのため、28年度の石狩地区農民同盟の運動方針では、(1)割当供米制度の廃止、(2)申告供米制度の実施、(3)農業金融制度の拡大、などとともに政党に対する中立性と農協との一体化を確認、やがて江別においては農協運動の中に吸収されていくことになりました。

 その後、33年11月には、自民党江別支部、同12月社会党江別支部の結成があり、さらに翌年の市長選挙を睨んだ中小企業政治連盟江別支部、江別市青年政治研究連盟の結成が続くなど、30年代に入って市内の政治団体の動きが活溌化していきました。

註:江別市総務部「えべつ昭和史」189-190頁.
写真:江別町役場職員組合結成(S22.10月)
 同上書188頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。

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