コタツ評論

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いまはもう秋

2015-09-06 00:13:00 | ノンジャンル
やっとうんざりする8月を越しました。うんざりしたのは暑さばかりのことではありません。8月は戦争月間だからです。先の戦争で亡くなり、苦しみ、傷ついた人々について、メディアが大量報道するせいです。まるで誰もが戦争の犠牲者や被害者であったかのように。誰もが国のために尽くしながら、心中では戦争を厭わしく思い、平和を願っていたかのように。ほんとうだろうかと思います。

戦争で儲けた人や企業、小権力を握って威張っていた男や女が、たくさんいたはずです。日本人が日本人を痛めつけていた。一段も二段も見下していた朝鮮人や中国人をどう扱ったかなど、想像力すら必要がないと思えます。

最近は、生き証人のほとんどが死んで少なくなりましたが、かつてこういう話はいくらでも聴くことができました。

義理の祖父に、特攻隊「伏龍」について聞いてきた
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20150902/p1 
私が、酸素ボンベのせいで亡くなっているのではないかと気付くまで、7名ずつ、2回なくなっているんです。殉職者の数は正確には分かりません。私は35~40にんくらいと思うんですけど、人によっては100人以上とか毎日何十人も死んだって言いますね

戦争責任者の問題
http://www.aozora.gr.jp/cards/000231/files/43873_23111.html
少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。

秋刀魚の味

戦争に負けてよかったじゃないか
   


(敬称略)
コメント
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