コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

今週の105円本

2009-06-10 20:31:00 | ブックオフ本
スズキさんの休息と遍歴 またはかくも誇らかなるドーシーボーの騎行
(矢作 俊彦 新潮文庫)

ロードムービーが好きだから、ロードムービーのように、次々に耳目に入る人・物・事に所感を述べていくスタイルの小説はたいてい愉悦できる。「スズキさん」の所感に同感するか反発するかは別にして、車窓を流れる家や樹や草花や人や道や鳥や雲や雨や風やいろいろな看板が、前から向かって後方に過ぎ去っていくのを、ただ眺めているだけで心弾む。
「怒りのアフガンの胸は、日向のくさむらの匂いがした」
とか、
「つまり、キリスト教があったからマルクスが出てきたって部分は当然あるんだよ。王がいて長嶋がいたみたいにね」
「えっ、マルクスってキリストと同じチームだったの?」
「うん、そうじゃなく---うん、、村山でもあったわけだ」

といったダイアローグそのものが楽しい。

表4の紹介文
スズキさんは40歳で、広告会社の副社長。妻と一人息子と暮らす、いまでは立派な中年だ。そのスズキさんがはじめてとった有給休暇の朝に届いた一冊の古本『ドン・キホーテ。差出人として記されていたかつての同志の名前は、奇妙に甘く懐かしく、スズキさんを20年前への時間旅行にと駆り立てた・・・。全共闘世代の現在を描いて怒濤の賛否を巻き起こした超話題作、待望の文庫化!

たぶん、編集者が書いたこの紹介はよくできている。できすぎている気もする。「スズキさんは40歳で、」の「で、」の舌足らずに、大人になりきれない全共闘世代をよく表している。「はじめてとった有給休暇」が「休息」で、『ドン・キホーテ』のような「遍歴」をするのだなと、内容が予想できる。この通りの筋なのだが、この小説は筋を追うタイプのものではなく、前記のような、スズキさんとサンチョ・パンサ役の一人息子との「無駄話」を聴きながら、東京から北陸、北海道までのシトロエン2CVのドライブ旅を楽しむものだ。

楽しめない野暮な人は、「怒濤の賛否を巻き起こ」すしかない(ほんとうに、90年の発行時、「怒濤の賛否」が巻き起こったのだろうか。ちょっと信じられない。読んでいるだけで心地よい文章なのだが)。スズキさんは無粋な人だが、野暮ではない。ペコペコのシトロエン2CVのステアリングを握る、ドン・キホーテのごとき「弱り顔の騎士」である。ドン・キホーテは風車に突撃したが、スズキさんは耳目を過ぎる森羅万象に文句を付けるだけ。しかし、何かが息子にバトンタッチされる。それだけはかすかに信じられる。

『次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた』
(ヴィクター・ソーン 副島隆彦訳 徳間書店)

もう題名だけで、読んだ気になってしまった。あすから、「次の超大国は中国だとロックフェラーが決めたんだ。知ってた?」と吹聴して歩きそうだ。

『地球を斬る』(佐藤 優 角川学芸出版)

「大宅壮一ノンフィクション賞受賞後第一作」と帯にあり、

剥き出しの利害が衝突する世界を、日本を代表するインテリジェンス、佐藤優が読み解く! 日本国家と日本人は生き残れるのか。

と続く。フジサンケイ ビジネスアイのコラムをまとめたものだそうだ。まとめるにあたって、コラムを書いた時点の認識や予測を検証した小文が付き、キーワード解説もあって親切。

その解説中、<インテリジェンス(情報)>とあるが、インテリジェンスには情報機関の意味もある。したがって、帯の「日本を代表するインテリジェンス」とは、佐藤優を一人情報機関とでもいいたいのだろう。マスコミでも近づけない秘密情報や隠密工作を見聞してきた外務省きってのロシア通が、「情報機関」的な見方・読み方を伝授するというわけだ。読者のウケとしては、新手の落合信彦である。あちこちで、「佐藤優によればさ」と受け売りされているだろうな。落合信彦より、情報精度は高そうだが、落合信彦より、おもしろく読まそうという工夫は乏しい。商社がコンサルタントやシンクタンクから買う情報レポートのように、味気ない。

佐藤優としては、一般読者向けのルポやエッセイより、専門家相手の確度の高い情報レポートを上位とする世界に長くいたのだから、それは無い物ねだりというものだろう。しかし、佐藤にとって、<インテリジェンス>と「インテレクチャル」の関係はどうなっているのだろうと思う。同志社大学神学部に学ぶ一方、マルクス主義文献を読み漁り、ソ連の知識人たちと互角に議論してきたからといって、現代日本を代表する知識人の一人としてジャーナリズムが遇するのは、少し違うように思うのだ。

佐藤優なんてそれほどのもんじゃないよ、とケチをつけたいのではまったくない。それどころか、鈴木宗男事件に巻き込まれて逮捕拘留された際、ハンストまでした根性にはかねてから敬服している。「起訴休職中事務官」という際物とも思っていない。それでも、この人の書いたものを読むとき、情報も教養も豊かなようだが、何かが足りないような気がするのはなぜだろう。

佐藤は、ロシア通であると同様に、日本通として、日本の政治や外交について傾聴に値する知見や思考を披瀝しているように思える。そこに佐藤優という「情報の塊」はあるが、佐藤優個人はいるのか。そんな疑問が頭に浮かんでしまうのだ。知識人とはたんに知識を持ったり、使える人のことではないはず。知識とその人が分かち難く結びついて、その生き方を規定している人のことだろう。率直にいえば、佐藤優はやはり、「起訴休職事務官」に還元する職業人ではないか。

(敬称略)


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アラバマの反逆者

2009-06-10 01:44:00 | ノンジャンル

CATVで放映されていた「ジョージ・ウォレス アラバマの反逆者」を観る。

ジョージ・C・ウォレスといえば、アラバマ州知事として、マーチン・ルーサー・キング牧師の公民権運動に反対し、人種分離政策を主張して公民権デモを弾圧した南部の人種差別主義者、というのが私の知識だった。それはおおむね間違っていなかったのだが、この4時間もの長尺TV映画は、それ以前のウォレスとその後ウォレスについても、事実に基づいて丹念に描いている。ほとんど知らないことばかりだった。

まず、ウォレスが大衆を信じ、大衆から支持された、有能な大衆政治家だったこと。全米からブーイングが起きた「悪役」にもかかわらず、4度も州知事に再選されている。さらに、アラバマ州知事から民主党大統領候補をめざすために、州知事の続投が禁止されていることから、いったん妻を身代わりに知事にしたこと。つまり、これを勘定に入れると、任期4年×5回=20年間、アラバマ州知事をつとめたことになる。

銃弾5発も撃ちこまれて暗殺されかけたが、下半身不随になりながらも知事に返り咲き、98年まで存命していたこと。後年、知事在職中に、かつての人種分離主義の主張や公民権運動の弾圧について、間違っていたと公式に認め、州立大学への入学を拒んだ二人の黒人学生をはじめ、黒人市民に謝罪し、赦しを求めたこと。アラバマ州モンゴメリーのキング牧師の黒人教会に立ち寄り、ミサ中の黒人信徒たちに、淡々と苦衷に満ちた謝罪スピーチをする場面が感動的だ。以上について、すべて知らなかった。

このTV映画は、ウォレスを人種差別主義者だと「差別」せず、一人のたぐいまれな闘志溢れる大衆政治家として認め、その政治人生に真摯な視線を注いでいる。アラバマ州の70%の人口を占める白人層を「多数派」として、州立大学への黒人の入学に反対する人種分離主義を掲げて、ウォレス知事はケネディ大統領の連邦政府と対立する。また、公民権運動への支持が高いハーバード大学での講演など、ウォレスを憎悪する聴衆の前にも出向き、石や卵をぶつけられても、堂々と自分の主張を述べる。

日本では、得票=支持を疑われることはないが、ウォレスには得票<支持のようだ。得票と支持は、同じようで同じではない。政治家が大衆の支持を取りつけるのは、何より演説の言葉であり、先頭に立つ行動力である。州立大学への黒人入学を阻止するために、ウォレスは大学の玄関前に仁王立ちする。州知事が最高司令官のはずの州兵は、入学を認めた連邦裁判所決定に従い、連邦政府の指揮下に入り、黒人学生を大学内に入れるために、警官隊だけを従えたウォレスに向かい合う。まぎれもなく国家権力への反逆である。

「保守反動タカ派」のレッテルのおかげで、人々の中に入り、人々の先頭に立つ、大衆政治家ウォレスは、扇動政治家の汚名を着せられた。しかし、この映画の意図するところは、ウォレスの汚名回復や再評価だけではないと思う。この映画がほんとうに再評価しようとしているのは、ウォレスに象徴されるような、大衆に根づいた民主政治ではないかと思う。つまり、1960年代と較べて、現在の政治は、そこから遠いという批判である。そして、ウォレスの時代と同じく、「多数派」が正義不正義に先んじる民主政治の原理的欠陥を指摘している。公民権運動に反対するウォレスを支持したアラバマ州の多数派、公民権運動を支持したケネディが背景とした多数派。多数決というなら、どちらも正しく、どちらも間違っている。

当然、この映画の背景は、911以降のアメリカ政治である。911以降、アメリカの世論が対テロ戦争一色になったことは記憶に新しい。また、イラク戦争をはじめとする対テロ戦争を指揮したのは、大衆から支持され選ばれた議員たちではなく、「ネオコン」と呼ばれるホワイトハウス官僚やスタッフたちだったことが明らかになっている。それを帝国主義以前と以降と言い換えることもできるだろう。あるいは、アメリカが挫折をへて内向きに入った表れとみることもできよう。いずれにしろ、これほど重層的なTV映画をつくることができるアメリカの底力に感心した。

ウォレスには、「二十日鼠と人間」のゲーリー・シニーズ、その妻には、「WANTED」のアンジェリ-ナ・ジョリー。ウォレスの黒人執事役に、クラレンス・ウィリアム三世(顔を見ると、よく出てくるあの人だ!とわかります。ガッツ石松の名前が、冷泉公彦みたいなものです)。監督は、お懐かしやジョン・フランケンハイマー。

(敬称略)
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