『スズキさんの休息と遍歴 またはかくも誇らかなるドーシーボーの騎行』
(矢作 俊彦 新潮文庫)
ロードムービーが好きだから、ロードムービーのように、次々に耳目に入る人・物・事に所感を述べていくスタイルの小説はたいてい愉悦できる。「スズキさん」の所感に同感するか反発するかは別にして、車窓を流れる家や樹や草花や人や道や鳥や雲や雨や風やいろいろな看板が、前から向かって後方に過ぎ去っていくのを、ただ眺めているだけで心弾む。
「怒りのアフガンの胸は、日向のくさむらの匂いがした」
とか、
「つまり、キリスト教があったからマルクスが出てきたって部分は当然あるんだよ。王がいて長嶋がいたみたいにね」
「えっ、マルクスってキリストと同じチームだったの?」
「うん、そうじゃなく---うん、、村山でもあったわけだ」
といったダイアローグそのものが楽しい。
表4の紹介文
スズキさんは40歳で、広告会社の副社長。妻と一人息子と暮らす、いまでは立派な中年だ。そのスズキさんがはじめてとった有給休暇の朝に届いた一冊の古本『ドン・キホーテ。差出人として記されていたかつての同志の名前は、奇妙に甘く懐かしく、スズキさんを20年前への時間旅行にと駆り立てた・・・。全共闘世代の現在を描いて怒濤の賛否を巻き起こした超話題作、待望の文庫化!
たぶん、編集者が書いたこの紹介はよくできている。できすぎている気もする。「スズキさんは40歳で、」の「で、」の舌足らずに、大人になりきれない全共闘世代をよく表している。「はじめてとった有給休暇」が「休息」で、『ドン・キホーテ』のような「遍歴」をするのだなと、内容が予想できる。この通りの筋なのだが、この小説は筋を追うタイプのものではなく、前記のような、スズキさんとサンチョ・パンサ役の一人息子との「無駄話」を聴きながら、東京から北陸、北海道までのシトロエン2CVのドライブ旅を楽しむものだ。
楽しめない野暮な人は、「怒濤の賛否を巻き起こ」すしかない(ほんとうに、90年の発行時、「怒濤の賛否」が巻き起こったのだろうか。ちょっと信じられない。読んでいるだけで心地よい文章なのだが)。スズキさんは無粋な人だが、野暮ではない。ペコペコのシトロエン2CVのステアリングを握る、ドン・キホーテのごとき「弱り顔の騎士」である。ドン・キホーテは風車に突撃したが、スズキさんは耳目を過ぎる森羅万象に文句を付けるだけ。しかし、何かが息子にバトンタッチされる。それだけはかすかに信じられる。
『次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた』
(ヴィクター・ソーン 副島隆彦訳 徳間書店)
もう題名だけで、読んだ気になってしまった。あすから、「次の超大国は中国だとロックフェラーが決めたんだ。知ってた?」と吹聴して歩きそうだ。
『地球を斬る』(佐藤 優 角川学芸出版)
「大宅壮一ノンフィクション賞受賞後第一作」と帯にあり、
剥き出しの利害が衝突する世界を、日本を代表するインテリジェンス、佐藤優が読み解く! 日本国家と日本人は生き残れるのか。
と続く。フジサンケイ ビジネスアイのコラムをまとめたものだそうだ。まとめるにあたって、コラムを書いた時点の認識や予測を検証した小文が付き、キーワード解説もあって親切。
その解説中、<インテリジェンス(情報)>とあるが、インテリジェンスには情報機関の意味もある。したがって、帯の「日本を代表するインテリジェンス」とは、佐藤優を一人情報機関とでもいいたいのだろう。マスコミでも近づけない秘密情報や隠密工作を見聞してきた外務省きってのロシア通が、「情報機関」的な見方・読み方を伝授するというわけだ。読者のウケとしては、新手の落合信彦である。あちこちで、「佐藤優によればさ」と受け売りされているだろうな。落合信彦より、情報精度は高そうだが、落合信彦より、おもしろく読まそうという工夫は乏しい。商社がコンサルタントやシンクタンクから買う情報レポートのように、味気ない。
佐藤優としては、一般読者向けのルポやエッセイより、専門家相手の確度の高い情報レポートを上位とする世界に長くいたのだから、それは無い物ねだりというものだろう。しかし、佐藤にとって、<インテリジェンス>と「インテレクチャル」の関係はどうなっているのだろうと思う。同志社大学神学部に学ぶ一方、マルクス主義文献を読み漁り、ソ連の知識人たちと互角に議論してきたからといって、現代日本を代表する知識人の一人としてジャーナリズムが遇するのは、少し違うように思うのだ。
佐藤優なんてそれほどのもんじゃないよ、とケチをつけたいのではまったくない。それどころか、鈴木宗男事件に巻き込まれて逮捕拘留された際、ハンストまでした根性にはかねてから敬服している。「起訴休職中事務官」という際物とも思っていない。それでも、この人の書いたものを読むとき、情報も教養も豊かなようだが、何かが足りないような気がするのはなぜだろう。
佐藤は、ロシア通であると同様に、日本通として、日本の政治や外交について傾聴に値する知見や思考を披瀝しているように思える。そこに佐藤優という「情報の塊」はあるが、佐藤優個人はいるのか。そんな疑問が頭に浮かんでしまうのだ。知識人とはたんに知識を持ったり、使える人のことではないはず。知識とその人が分かち難く結びついて、その生き方を規定している人のことだろう。率直にいえば、佐藤優はやはり、「起訴休職事務官」に還元する職業人ではないか。
(敬称略)
(矢作 俊彦 新潮文庫)
ロードムービーが好きだから、ロードムービーのように、次々に耳目に入る人・物・事に所感を述べていくスタイルの小説はたいてい愉悦できる。「スズキさん」の所感に同感するか反発するかは別にして、車窓を流れる家や樹や草花や人や道や鳥や雲や雨や風やいろいろな看板が、前から向かって後方に過ぎ去っていくのを、ただ眺めているだけで心弾む。
「怒りのアフガンの胸は、日向のくさむらの匂いがした」
とか、
「つまり、キリスト教があったからマルクスが出てきたって部分は当然あるんだよ。王がいて長嶋がいたみたいにね」
「えっ、マルクスってキリストと同じチームだったの?」
「うん、そうじゃなく---うん、、村山でもあったわけだ」
といったダイアローグそのものが楽しい。
表4の紹介文
スズキさんは40歳で、広告会社の副社長。妻と一人息子と暮らす、いまでは立派な中年だ。そのスズキさんがはじめてとった有給休暇の朝に届いた一冊の古本『ドン・キホーテ。差出人として記されていたかつての同志の名前は、奇妙に甘く懐かしく、スズキさんを20年前への時間旅行にと駆り立てた・・・。全共闘世代の現在を描いて怒濤の賛否を巻き起こした超話題作、待望の文庫化!
たぶん、編集者が書いたこの紹介はよくできている。できすぎている気もする。「スズキさんは40歳で、」の「で、」の舌足らずに、大人になりきれない全共闘世代をよく表している。「はじめてとった有給休暇」が「休息」で、『ドン・キホーテ』のような「遍歴」をするのだなと、内容が予想できる。この通りの筋なのだが、この小説は筋を追うタイプのものではなく、前記のような、スズキさんとサンチョ・パンサ役の一人息子との「無駄話」を聴きながら、東京から北陸、北海道までのシトロエン2CVのドライブ旅を楽しむものだ。
楽しめない野暮な人は、「怒濤の賛否を巻き起こ」すしかない(ほんとうに、90年の発行時、「怒濤の賛否」が巻き起こったのだろうか。ちょっと信じられない。読んでいるだけで心地よい文章なのだが)。スズキさんは無粋な人だが、野暮ではない。ペコペコのシトロエン2CVのステアリングを握る、ドン・キホーテのごとき「弱り顔の騎士」である。ドン・キホーテは風車に突撃したが、スズキさんは耳目を過ぎる森羅万象に文句を付けるだけ。しかし、何かが息子にバトンタッチされる。それだけはかすかに信じられる。
『次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた』
(ヴィクター・ソーン 副島隆彦訳 徳間書店)
もう題名だけで、読んだ気になってしまった。あすから、「次の超大国は中国だとロックフェラーが決めたんだ。知ってた?」と吹聴して歩きそうだ。
『地球を斬る』(佐藤 優 角川学芸出版)
「大宅壮一ノンフィクション賞受賞後第一作」と帯にあり、
剥き出しの利害が衝突する世界を、日本を代表するインテリジェンス、佐藤優が読み解く! 日本国家と日本人は生き残れるのか。
と続く。フジサンケイ ビジネスアイのコラムをまとめたものだそうだ。まとめるにあたって、コラムを書いた時点の認識や予測を検証した小文が付き、キーワード解説もあって親切。
その解説中、<インテリジェンス(情報)>とあるが、インテリジェンスには情報機関の意味もある。したがって、帯の「日本を代表するインテリジェンス」とは、佐藤優を一人情報機関とでもいいたいのだろう。マスコミでも近づけない秘密情報や隠密工作を見聞してきた外務省きってのロシア通が、「情報機関」的な見方・読み方を伝授するというわけだ。読者のウケとしては、新手の落合信彦である。あちこちで、「佐藤優によればさ」と受け売りされているだろうな。落合信彦より、情報精度は高そうだが、落合信彦より、おもしろく読まそうという工夫は乏しい。商社がコンサルタントやシンクタンクから買う情報レポートのように、味気ない。
佐藤優としては、一般読者向けのルポやエッセイより、専門家相手の確度の高い情報レポートを上位とする世界に長くいたのだから、それは無い物ねだりというものだろう。しかし、佐藤にとって、<インテリジェンス>と「インテレクチャル」の関係はどうなっているのだろうと思う。同志社大学神学部に学ぶ一方、マルクス主義文献を読み漁り、ソ連の知識人たちと互角に議論してきたからといって、現代日本を代表する知識人の一人としてジャーナリズムが遇するのは、少し違うように思うのだ。
佐藤優なんてそれほどのもんじゃないよ、とケチをつけたいのではまったくない。それどころか、鈴木宗男事件に巻き込まれて逮捕拘留された際、ハンストまでした根性にはかねてから敬服している。「起訴休職中事務官」という際物とも思っていない。それでも、この人の書いたものを読むとき、情報も教養も豊かなようだが、何かが足りないような気がするのはなぜだろう。
佐藤は、ロシア通であると同様に、日本通として、日本の政治や外交について傾聴に値する知見や思考を披瀝しているように思える。そこに佐藤優という「情報の塊」はあるが、佐藤優個人はいるのか。そんな疑問が頭に浮かんでしまうのだ。知識人とはたんに知識を持ったり、使える人のことではないはず。知識とその人が分かち難く結びついて、その生き方を規定している人のことだろう。率直にいえば、佐藤優はやはり、「起訴休職事務官」に還元する職業人ではないか。
(敬称略)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます