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喪失の国 日本

2008-10-06 00:06:25 | ブックオフ本
『喪失の国 日本-インド・エリートビジネスマンの「日本滞在記」』(M・K・シャルマ 山田和 訳 文春文庫 2004年刊)

1992年から1年8か月間の滞在記である。当たり前のようでいて、当たり前ではないのは、日本と比較として、インドについて書かれている。それも現代インドについて。91年に近代化に舵を切ったインド政府から派遣され、異文化理解のために訪日したためだが、インドの37歳のインテリが、カースト制や経済近代化について語るのをはじめて読んだ。

そうしたアジア人の眼にくわえ、イギリスの植民地だった歴史から、イギリスから学んだ「紳士(ジェントルマン)」の眼をもって日本を眺めてもいる。さらに、著者の受け入れ先となったシンクタンクの社員・佐藤氏による日本文化や会社についてのレクチャーが挿入されるため、日本人インテリとインド人インテリによる90年代の日本社会論にもなっている。

ただし、著者を日本に送り出したインドの上司に比べると、ほぼ同じ立場と年配らしい佐藤氏の日本論はかなり見劣りがする。著者の上司は、「日本はアメリカのディズニーランドになるかもしれないね。同時に日本はアメリカにおける経済的ヴェトナムになるかもしれないよ」といったそうだ。この上司・ヴィクラマディティヤ氏に著者・シャルマが心服しているのも肯ける。

「アメリカは軍事力を、ヴェトナムを軍事上の実験場にして確立し、いっぽう日本を後期資本主義の実験場にして、盤石(ナンバーワン)の地位を確立しようとしている」

不安顔の著者を茶目っ気たっぷりに笑いながら、さらにこう続けたそうだ。

「最も未熟な自己実現の方法は殺し合いだよ。賢い者は血を流さず政治、つまり交渉でそれを手に入れる。さらに賢い者は経済だけで手に入れる。そして最も賢い者は日々の労働の中にそれを見出して他に求めない。これは本来逆なってはならないものだ。
 ところが愚かで貪欲な人間は、平和を求めるがゆえに経済発展を望み、経済発展を望むがゆえに政治力を求め、政治力を求めるがゆえに軍事力を高める。その結果、幸福を得るために集められたはずの金は、再生産しない兵器の購入に消えてしまう。
 これはじつは政治家たちにとって旨味のある話でもあるのだ。何しろ、兵器というものは売り手と買い手が示し合わせて値段をつければいいからね。集めた金の再分配のシステムとしては、これほどつごうのいいものはない。
 いまの世界がこの無意味な「大口消費」を最終段階とする構造をもっている限り、幸福のための資金はいつまでも無限の闇に吸い取られていく。近視眼的に見れば平和を維持するために防衛戦の能力は必須だ。
 ところが不幸なことに、現代では核による先制攻撃能力の確保以外にそれはありえない。だがシャルマジー(シャルマさんという呼びかけ)、遠目に見れば、平和の手段が戦争であることは大矛盾だよ。そうだろう」

92年の日本に、いやそれ以前にも今日でも、こんなことを部下に語る上司はめったにいないだろう。その上司に見込まれたシャルマジーだから、インドとはまったく異なる日本の食習慣やビジネス観について、優れた洞察力を随所に示すだけでなく、三島由紀夫と『金閣寺』批判や極東軍事裁判におけるパル判事の論点の誤読など、日本の政治思想へ鋭い切り込みも見せる。こんな部下も日本にはめったにいない。

インドの近代化のために日本の経験を学ぼうと来日したシャルマジーにとって、今日の日本は明日のインドと考えるから、すべては他人事ではない。さまざまな日本についての見解と同量のインドへの見解が述べられ、一種のルポルタージュとして読める。また、シャルマジーは日本に来てはじめて女性に恋をし、デートをする。その瑞々しい心の動きは青春記でもある。

しかし、この本の白眉は、シャルマジーの帰国後にある。シャルマジーは現在どうしているか。政府や企業の幹部になって対日交渉に辣腕を振るっているのか。いないのである。そこがいい。

(敬称略していません)

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