お待たせしました!いよいよ“伝説の女ドラゴン”大島由加里さんの独占インタビューを前編&後編と2回に分けてお届けします。
このインタビューを収録する前日に開催された「第1回ジャパン・アクション・アワード」で“ベストアクション女優賞”と“特別アクション功労賞”を受賞したばかりの大島さんは、初対面である私の質問に対しても実に明朗かつパワフルに次々と答えて下さいました。それではシンシア・ラスターこと大島由加里が熱く語るその“女ドラゴン激闘録”をお読み下さい!!
ーまずお訊きしたいのが大島さんの“大島”の芸名の由来なんですが・・・
大島 はい、当時の私は福岡から上京して日体大の短大に通ってたんですが、スパゲティ屋さんでアルバイトをしてたんです。で、ある日バイトの休憩時間にお店のカウンターで私が「倉田アクションクラブ、香港で活躍中!」なんて記事が載ってる雑誌を「ジィーッ」と読んでたんですよ。もうその頃から香港アクションに凄く興味があったので。
ー大島さんは元彪の大ファンでいらしたんですよね?
大島 はい!(笑)。で、その時に私の後ろを通りかかった男性の方が「君はアクションに興味あるの?だったら僕は倉田保昭さん知ってるから良かったら電話してみようか?」って言って、その場で倉田さんに電話して下さったんですね。その電話して下さった方が大島さんという方だったんです。
当時代々木に倉田さんの道場がありまして、まずそこに行ってみたら?と大島さんに言われて代々木の道場に行ったら倉田さんがいらっしゃって、その時初めて倉田さんにお会いしました。
ただ最初は大島さんから「いきなり倉田さんに弟子入りするよりも、まず演技を勉強してみて、それからアクションへ進んでみてはどうですか?」とアドバイスを頂いて、倉田さんのお弟子さんが教えている「劇団あすなろ」のアクションクラスに入ったんです。そこで竜咲隼人さんにご指導頂きました。でもその後に別ルートでテレビでデビューするきっかけが出来たんです。
ーそれが特撮ドラマの『宇宙刑事ギャバン』(82)や『科学戦隊ダイナマン』(83)のスタント、そして『超電子バイオマン』(84)のファラキャット役ですね。
大島 そうです!その『バイオマン』でファラキャット役を頂いた時に芸名を本名の津村ゆかりから変えようと思ったんです。もうその頃からマスク被ってアクション・ポーズ決めててもそれをテレビで観てる母親にはバレバレだったし(笑)。で、もしあの喫茶店で大島さんが私の後ろを通らなかったらこのアクションの世界に入らなかったし、あの時固まっていてどうしてもそこから一歩踏み出せなかった私にアクションの世界の入り口を作って下さった方が大島さんだし、その大島さんの“大島”を名乗らせて頂ければ、もしかしたらまた大島さんにお会いできるんじゃないかと思って“大島ゆかり”を名乗らせて頂いたんです。
ーそれは素晴らしいエピソードですねー!
大島 その後にオーディションを受けて『冒険活劇/上海エクスプレス』(86)で香港映画デビューが決まって、初日の現場でロビーに下りたらそこに倉田さんがいらっしゃって、私が“大島”を名乗らせて頂いている経緯をお話したんですね。そうしたら倉田さんが「その大島は俺の弟子で、一番最初の倉田アクション・チームにいた男だよ!」と教えて頂きました。
ーええっー!それってビックリですね。では大島さんは倉田さんの孫弟子になるんですね?
大島 そうなりますよね!実は以前に福岡のテレビ局が大島さんを探してくれて、大島さんとコンタクトが取れたんです。ただ大島さんご自身は丁寧に出演をご辞退なさってお会い出来なかったんですけど。でも大島さんには私が今こうして頑張ってる、というメッセージだけは伝わったと思います。
ー『冒険活劇/上海エクスプレス』では、導演のサモ・ハンとはどんな話をされたんですか?
大島 実際に現場に行くまで映画のストーリーとか全く判らなかったんです。最初は剣道をやってくれと言われて日本から防具を持っていったんですけど、実は剣道ではなく剣術、つまり忍者役だったんですよ。サモ・ハンは例えば飛び降りのシーンがある場合、そこにちゃんと階段を置いてくれて「ここから飛んでもいいぞ。俺たちはそれを撮るから」と言って私に飛ぶ高さを選ばせてくれるんです。私はそれに対して「じゃあ3段目から飛びまーす」って。あとサモ・ハンは私が相手に蹴りを入れるシーンで、まず私に軽く蹴らせてみてから「もっと蹴って」、さらに「もっと蹴って!」、さらに「もっと蹴って!!」って。最後には私の蹴りで相手の人の奥歯が折れちゃいました。
ーうう~ん!それこそがサモ・ハンの“リアル・ヒッティング”なんですね!
大島 サモ・ハンは本当に徐々にですけど「もっと蹴れる?もっと蹴っていいぞ!」って私への要望が重くなるんです。だって私は初日のワンカット目のアクションでNGを50回出してるんですよ。
ー50回ですか!?
大島 それも一晩中同じテイクで(笑)。確か私が部屋の中で寝ていてパッと起きて相手を斬る!ってアクションだったんですけど、その頃はフィルム撮影なんで私がNG出す度に何度も何度もフィルム入れ換えて。周りにも何人も殺陣師がいて、その人たちが「はい、NG!」「はい、それもNG!」って(笑)。相手のスタントマンの人も私に何度も蹴られてパッド入れててもお腹とか腫れ上がってるし。ようやく1回だけ“KEEP”があったんで「もうこれで許してくれないかなぁ?」と思ったんですが「ちょっと脚の角度が違うから、もう1回!」って。
最後には照明さんまで「ちょっと違うんだよなぁ!」なんて言ってるし(笑)。でも51回目にとうとうOKを貰ったら、その場のスタッフ全員が拍手して下さって、ああ、これで私もやっと香港映画の洗礼を受けられたんだなぁ!と思いました。その後にその場にいらっしゃった倉田さんが「サモ・ハンたちは大島なら必ず出来ると思ったから何度NGを出しても最後までやらせてくれたんだよ。もし大島には無理だと思ったら彼らは殺陣を変えてるはずだろ?」と仰って下さったんで、これからも頑張るぞ!って。
ーこの『冒険活劇/上海エクスプレス』では倉田さん、大島さんともう1人、韓国から黄正利がトリオとして出演していましたね?
大島 はい。黄正利さん。この映画の時は黄正利さんも日本人の役だったので、もう皆で和気藹々とやってましたよ。あと倉田さんが私に「お前ね、この映画はお前以外は全員が有名な武打星ばかりなんだぞ。俺だって緊張してるんだから!」って(笑)。
ー私が初めて観た大島さんの香港映画が『天使行動』(87)でした。この映画の大島さんは悪役ながら本当に凄みがある役でしたね。
大島 『天使行動』は私にとって『冒険活劇/上海エクスプレス』、台湾で倉田さんと撮った『悪漢列伝』(86)の次に撮った3本目の映画なんですが、最初『天使行動』は西城秀樹さんが主演されるので、私はゲスト出演で撮影期間も1週間って聞いてたんです。役柄もボスのボディガードでもうすぐに殺されちゃう役のはずが、何時の間にか逆にボスを殺しちゃう悪い役になってて(笑)。この時も一応通訳の方がいらしたんですけど余り言ってる事が判らなくて、演技のやり方もこう「血、舐める」とか「ここ、笑う」とか(笑)。だったら私も3つのパターンの演技をやるので監督に選んで貰って下さい、と。で、実際にやってみたら監督が3つ目の一番激しいのがイイ!って(笑)。私もこの時の血を舐めるっていう演技がどうやればいいか判らなかったんで、もうこれ以上の演技は出来ません!って感じでやって見せたら、監督が「それがイイ!」ってなったんです。でもそもそも最初は1週間だけの撮影が最終的には3ヶ月になって、本当だったら私は黄正利さんと闘ってそこで殺されて終わり、の設定だったんですよ。
ーええっ?そうだったんですか!?この『天使行動』の時は黄正利はどんな感じでしたか?
大島 黄正利さんは中国語を話される方でしたね。確か黄正利さんは倉田さんとお話してる時は韓国語じゃなかったです。黄正利さんの蹴りって重いんですよ。私もこの映画の殺陣師の梁小熊も相手が黄正利さんみたいに達人の方だと闘っててもこうドンドン!とテンション上がるって言うか乗って来ちゃって。あと黄正利さんの蹴りってここを蹴って!と言われるとそこに正確に「ビシッ!」と来るんですよ。このちゃんと正確にコンタクト・ポイントに蹴りが来るって感じの人は黄正利さんと狄威さんでしたね。
ー西城秀樹さんとは現場でお会いになられたんですよね。
大島、はい、勿論現場ではお世話になりましたし、西城さんは当時から大スターなのにとてもフランクな方で本当に優しいお兄さんみたいな方でした。
ーそして映画のラストの大島さんと李賽鳳の決闘シーンは、女武打星同士の決闘シーンではトップクラスの激しさでしたね!
大島 あのムーンちゃん(大島さんは李賽鳳をそう呼びます♪)とのファイト・シーンはもう1週間ぐらい毎日撮ってて、確か私が1度日本に帰ったんですが、あのムーンちゃんとのファイト・シーンだけのためにもう1度香港に戻ったんです。私とムーンちゃんはもうひたすらガンガン!とやり合うだけで、2人も腕に出来た青痣が1個、2個とあったのが最後には全部の痣が繋がっちゃったんですよ!で、ある日ムーンちゃんが朝セットに来たら両腕とも包帯状態で「もう出来ませーん!」って(笑)。それでもその場で包帯取らされて撮影してましたけど(笑)。
ーああ~(苦笑)。あのファイト・シーンでは釘が刺さったままの板でガツンとか・・・!
大島 あーありましたねー!でもムーンちゃんは根性ありましたよ。彼女は元々は武道家じゃなくてアイドルだったんですが、ダンスをやってて回転とかのアクションが出来るのでアクションの世界に入って来たそうなんです。この『天使行動』の時はもう私とムーンちゃんのどちらも絶対撮影を休む事が出来ないし、毎日必ず現場に行ってひたすらムーンちゃんと闘ってました。ムーンちゃんとはこの『天使行動』で共演してからは、もう何処でも一緒に映画に出てたみたいな感じでしたね。
インタビューの後編では大島さんが語るあの『力王』や『92末路狂花』、そして『女ドラゴンと怒りの未亡人軍団』の秘話が続々登場します!お楽しみに!!
このインタビューを収録する前日に開催された「第1回ジャパン・アクション・アワード」で“ベストアクション女優賞”と“特別アクション功労賞”を受賞したばかりの大島さんは、初対面である私の質問に対しても実に明朗かつパワフルに次々と答えて下さいました。それではシンシア・ラスターこと大島由加里が熱く語るその“女ドラゴン激闘録”をお読み下さい!!
ーまずお訊きしたいのが大島さんの“大島”の芸名の由来なんですが・・・
大島 はい、当時の私は福岡から上京して日体大の短大に通ってたんですが、スパゲティ屋さんでアルバイトをしてたんです。で、ある日バイトの休憩時間にお店のカウンターで私が「倉田アクションクラブ、香港で活躍中!」なんて記事が載ってる雑誌を「ジィーッ」と読んでたんですよ。もうその頃から香港アクションに凄く興味があったので。
ー大島さんは元彪の大ファンでいらしたんですよね?
大島 はい!(笑)。で、その時に私の後ろを通りかかった男性の方が「君はアクションに興味あるの?だったら僕は倉田保昭さん知ってるから良かったら電話してみようか?」って言って、その場で倉田さんに電話して下さったんですね。その電話して下さった方が大島さんという方だったんです。
当時代々木に倉田さんの道場がありまして、まずそこに行ってみたら?と大島さんに言われて代々木の道場に行ったら倉田さんがいらっしゃって、その時初めて倉田さんにお会いしました。
ただ最初は大島さんから「いきなり倉田さんに弟子入りするよりも、まず演技を勉強してみて、それからアクションへ進んでみてはどうですか?」とアドバイスを頂いて、倉田さんのお弟子さんが教えている「劇団あすなろ」のアクションクラスに入ったんです。そこで竜咲隼人さんにご指導頂きました。でもその後に別ルートでテレビでデビューするきっかけが出来たんです。
ーそれが特撮ドラマの『宇宙刑事ギャバン』(82)や『科学戦隊ダイナマン』(83)のスタント、そして『超電子バイオマン』(84)のファラキャット役ですね。
大島 そうです!その『バイオマン』でファラキャット役を頂いた時に芸名を本名の津村ゆかりから変えようと思ったんです。もうその頃からマスク被ってアクション・ポーズ決めててもそれをテレビで観てる母親にはバレバレだったし(笑)。で、もしあの喫茶店で大島さんが私の後ろを通らなかったらこのアクションの世界に入らなかったし、あの時固まっていてどうしてもそこから一歩踏み出せなかった私にアクションの世界の入り口を作って下さった方が大島さんだし、その大島さんの“大島”を名乗らせて頂ければ、もしかしたらまた大島さんにお会いできるんじゃないかと思って“大島ゆかり”を名乗らせて頂いたんです。
ーそれは素晴らしいエピソードですねー!
大島 その後にオーディションを受けて『冒険活劇/上海エクスプレス』(86)で香港映画デビューが決まって、初日の現場でロビーに下りたらそこに倉田さんがいらっしゃって、私が“大島”を名乗らせて頂いている経緯をお話したんですね。そうしたら倉田さんが「その大島は俺の弟子で、一番最初の倉田アクション・チームにいた男だよ!」と教えて頂きました。
ーええっー!それってビックリですね。では大島さんは倉田さんの孫弟子になるんですね?
大島 そうなりますよね!実は以前に福岡のテレビ局が大島さんを探してくれて、大島さんとコンタクトが取れたんです。ただ大島さんご自身は丁寧に出演をご辞退なさってお会い出来なかったんですけど。でも大島さんには私が今こうして頑張ってる、というメッセージだけは伝わったと思います。
ー『冒険活劇/上海エクスプレス』では、導演のサモ・ハンとはどんな話をされたんですか?
大島 実際に現場に行くまで映画のストーリーとか全く判らなかったんです。最初は剣道をやってくれと言われて日本から防具を持っていったんですけど、実は剣道ではなく剣術、つまり忍者役だったんですよ。サモ・ハンは例えば飛び降りのシーンがある場合、そこにちゃんと階段を置いてくれて「ここから飛んでもいいぞ。俺たちはそれを撮るから」と言って私に飛ぶ高さを選ばせてくれるんです。私はそれに対して「じゃあ3段目から飛びまーす」って。あとサモ・ハンは私が相手に蹴りを入れるシーンで、まず私に軽く蹴らせてみてから「もっと蹴って」、さらに「もっと蹴って!」、さらに「もっと蹴って!!」って。最後には私の蹴りで相手の人の奥歯が折れちゃいました。
ーうう~ん!それこそがサモ・ハンの“リアル・ヒッティング”なんですね!
大島 サモ・ハンは本当に徐々にですけど「もっと蹴れる?もっと蹴っていいぞ!」って私への要望が重くなるんです。だって私は初日のワンカット目のアクションでNGを50回出してるんですよ。
ー50回ですか!?
大島 それも一晩中同じテイクで(笑)。確か私が部屋の中で寝ていてパッと起きて相手を斬る!ってアクションだったんですけど、その頃はフィルム撮影なんで私がNG出す度に何度も何度もフィルム入れ換えて。周りにも何人も殺陣師がいて、その人たちが「はい、NG!」「はい、それもNG!」って(笑)。相手のスタントマンの人も私に何度も蹴られてパッド入れててもお腹とか腫れ上がってるし。ようやく1回だけ“KEEP”があったんで「もうこれで許してくれないかなぁ?」と思ったんですが「ちょっと脚の角度が違うから、もう1回!」って。
最後には照明さんまで「ちょっと違うんだよなぁ!」なんて言ってるし(笑)。でも51回目にとうとうOKを貰ったら、その場のスタッフ全員が拍手して下さって、ああ、これで私もやっと香港映画の洗礼を受けられたんだなぁ!と思いました。その後にその場にいらっしゃった倉田さんが「サモ・ハンたちは大島なら必ず出来ると思ったから何度NGを出しても最後までやらせてくれたんだよ。もし大島には無理だと思ったら彼らは殺陣を変えてるはずだろ?」と仰って下さったんで、これからも頑張るぞ!って。
ーこの『冒険活劇/上海エクスプレス』では倉田さん、大島さんともう1人、韓国から黄正利がトリオとして出演していましたね?
大島 はい。黄正利さん。この映画の時は黄正利さんも日本人の役だったので、もう皆で和気藹々とやってましたよ。あと倉田さんが私に「お前ね、この映画はお前以外は全員が有名な武打星ばかりなんだぞ。俺だって緊張してるんだから!」って(笑)。
ー私が初めて観た大島さんの香港映画が『天使行動』(87)でした。この映画の大島さんは悪役ながら本当に凄みがある役でしたね。
大島 『天使行動』は私にとって『冒険活劇/上海エクスプレス』、台湾で倉田さんと撮った『悪漢列伝』(86)の次に撮った3本目の映画なんですが、最初『天使行動』は西城秀樹さんが主演されるので、私はゲスト出演で撮影期間も1週間って聞いてたんです。役柄もボスのボディガードでもうすぐに殺されちゃう役のはずが、何時の間にか逆にボスを殺しちゃう悪い役になってて(笑)。この時も一応通訳の方がいらしたんですけど余り言ってる事が判らなくて、演技のやり方もこう「血、舐める」とか「ここ、笑う」とか(笑)。だったら私も3つのパターンの演技をやるので監督に選んで貰って下さい、と。で、実際にやってみたら監督が3つ目の一番激しいのがイイ!って(笑)。私もこの時の血を舐めるっていう演技がどうやればいいか判らなかったんで、もうこれ以上の演技は出来ません!って感じでやって見せたら、監督が「それがイイ!」ってなったんです。でもそもそも最初は1週間だけの撮影が最終的には3ヶ月になって、本当だったら私は黄正利さんと闘ってそこで殺されて終わり、の設定だったんですよ。
ーええっ?そうだったんですか!?この『天使行動』の時は黄正利はどんな感じでしたか?
大島 黄正利さんは中国語を話される方でしたね。確か黄正利さんは倉田さんとお話してる時は韓国語じゃなかったです。黄正利さんの蹴りって重いんですよ。私もこの映画の殺陣師の梁小熊も相手が黄正利さんみたいに達人の方だと闘っててもこうドンドン!とテンション上がるって言うか乗って来ちゃって。あと黄正利さんの蹴りってここを蹴って!と言われるとそこに正確に「ビシッ!」と来るんですよ。このちゃんと正確にコンタクト・ポイントに蹴りが来るって感じの人は黄正利さんと狄威さんでしたね。
ー西城秀樹さんとは現場でお会いになられたんですよね。
大島、はい、勿論現場ではお世話になりましたし、西城さんは当時から大スターなのにとてもフランクな方で本当に優しいお兄さんみたいな方でした。
ーそして映画のラストの大島さんと李賽鳳の決闘シーンは、女武打星同士の決闘シーンではトップクラスの激しさでしたね!
大島 あのムーンちゃん(大島さんは李賽鳳をそう呼びます♪)とのファイト・シーンはもう1週間ぐらい毎日撮ってて、確か私が1度日本に帰ったんですが、あのムーンちゃんとのファイト・シーンだけのためにもう1度香港に戻ったんです。私とムーンちゃんはもうひたすらガンガン!とやり合うだけで、2人も腕に出来た青痣が1個、2個とあったのが最後には全部の痣が繋がっちゃったんですよ!で、ある日ムーンちゃんが朝セットに来たら両腕とも包帯状態で「もう出来ませーん!」って(笑)。それでもその場で包帯取らされて撮影してましたけど(笑)。
ーああ~(苦笑)。あのファイト・シーンでは釘が刺さったままの板でガツンとか・・・!
大島 あーありましたねー!でもムーンちゃんは根性ありましたよ。彼女は元々は武道家じゃなくてアイドルだったんですが、ダンスをやってて回転とかのアクションが出来るのでアクションの世界に入って来たそうなんです。この『天使行動』の時はもう私とムーンちゃんのどちらも絶対撮影を休む事が出来ないし、毎日必ず現場に行ってひたすらムーンちゃんと闘ってました。ムーンちゃんとはこの『天使行動』で共演してからは、もう何処でも一緒に映画に出てたみたいな感じでしたね。
インタビューの後編では大島さんが語るあの『力王』や『92末路狂花』、そして『女ドラゴンと怒りの未亡人軍団』の秘話が続々登場します!お楽しみに!!
大島さんのインタビュー、早速の掲載ありがとうございます。
日本から香港と、当時のアクションの世界の最前線を駆け抜けてきた、そういった意味でも大島さんの体験は貴重かもしれません。
次は対談ですね~。
こんにちわ!
いや本当に今回は世界各国で活躍なさってきた大島さんのお話をジックリと訊けて感激でした。
対談、是非やってみたいですねー!