
さてさて、今年も始まりました!“世紀の闘神”ブルース・リーこと李小龍の命日追悼特別企画です。
今年の追悼企画は私こと龍熱があの“天皇巨星”ジミー・ウォングこと王羽にインタビューした際、ジミーがリーさんこと李小龍について熱く語った思い出を完全再現したいと思います。
私もこれまで拙著「香港クンフー映画評論集/龍熱大全」をはじめ幾つもの媒体でジミーと邂逅を果たした際の思い出を語って来ましたが、今回は敢えてこれまで封印して来たジミーが語った数々の衝撃かつ強烈な“天皇巨星語録”もここに一挙公開したいと思います。
そう、伝説のドラゴンこと李小龍と唯一対等に位置する暗黒武打星にして“生きる伝説”ジミー・ウォングがブルース・リーを語る時、そこは威厳と戦慄を伴った巨星たちの世界となったのである!!
2003年11月。ジミー・ウォングが「東京国際ファンタスティック映画祭」での「ギロチン祭り」の特別ゲストで来日すると決まった時、私はキングレコードのYさんから当日新宿ミラノ座の舞台上に登壇し、ジミーとのトークセッションの進行役をやって欲しいと依頼されていました。
でも私はそのYさんの依頼を固辞しました。
何故なら私はその「ギロチン祭り」の翌日に某映画雑誌からの依頼でジミーとの2時間のインタビュー、さらに翌々日にはキングさんのジミー主演作品「片腕カンフー対空飛ぶギロチン」(75)など主要作品DVDの映像特典用のジミーとの4時間に及ぶタイマン・インタビューが控えていた事もあり、とても“天皇巨星”と3日連続の会見は無理だと判断したからです。
それもあって、「ギロチン祭り」当日の私は観客席から私の代理で進行役を務めた某宣伝マンとジミーのトークセッションを見守りながら、翌日の“天皇巨星”との第1戦に備えたのでした。
さて、某映画雑誌から依頼されたジミーとのインタビューでは一つ大きな課題がありました。それは当日私とインタビューに同席する編集者やライターも含めて、誰がブルース・リーについてジミーに訊くのか?でした。
何故ならジミーにとってリーさんは結果的にですが、自分を香港クンフー映画の帝王の座から蹴り落とした人物なわけで、オマケに羅維監督の日本ロケ作品「冷面虎」(73)ではリーさんが蹴った主役をジミーが無理矢理押し付けられる、という顛末もあったりで、これはどう見てもジミーがリーさんに対して良い印象を持っているわけがない、が私たちの共通した認識だったわけです。
ところが、明日にジミーとのインタビューを控えながら、誰もジミーにリーさんの質問をする人間がいないんですよ。
要するにリーさんの事を訊かれてジミーが怒り出したら嫌だとか何とかの理由で最後まで誰も質問を引き受けないので、結局私がジミーにリーさんの質問をする事になりました。
余談ですが、この時同席する某氏はジミーに渡す自分の名刺の住所を映画雑誌の編集部に変更した名刺を作っていました(オイオイ?)。
そしてインタビュー当日、遂に対面を果たした“天皇巨星”は予想よりも遥かに身長が大きく(175㎝以上はありました)、ジミーは悠然と私たちに歩み寄ると「はい、よろしく!はい、どうも!」と自分の名刺を1人1人に配り始めました。
私はちゃんと自宅の住所が入った名刺をジミーに渡し、その場でジミーから貰った名刺を見ると、そこには「王正權」とジミーの本名が記載されていました。
私はこの時ジミーから貰った名刺は今でも大切に持っています。
インタビューが始まり、各ライターや編集者がそれぞれ担当する質問をジミーに訊いていき、いよいよ私がジミーにリーさんについて訊く番がやって来ました。
勿論、当日のジミーとのインタビューで私が受け持った質問群は他にも邵氏公司時代の話題など色々あったのですが、結果としてはそれが幸いしました。
何故なら私はまずジミーの初監督作品である邵氏片「吼えろ、ドラゴン!起て、ジャガー!」(70)の質問をジミーに訊きながら、そのままさりげなく「そういえば、当時アメリカの映画館でジミーさんの「龍虎闘」を観た李小龍が香港に帰国を決意したんですよね?」と自然な形でジミーにリーさんの話題を振る事が出来たからです。
ジミーは私の“李小龍”との言葉に「ああ?李小龍?そうそう、李小龍は俺の「龍虎闘」が大ヒットしたおかげで香港に帰って来て映画を撮る事が出来たんだよ。うん!」と満足げに頷くと、さらにこう続けて語り始めました。
「李小龍とはお互いのカミさん同士が友達でな。ある時、俺が李小龍の家に遊びに行ったんだよ。カミさんたちが1階で話してる時、俺と李小龍は2階に上がって腕相撲をやったんだ。結果は3回とも李小龍がマケ!(負け。ここは何故か日本語)で、今度は李小龍が俺にキックミットを持たせて蹴るって言うんだな。その場で何発かアイツの蹴りを受けたけどかなりの衝撃だったよ」。
このジミーとリーさんの腕相撲のエピソードは完全に密室内で起きた事なので真実はジミーとリーさんの2人だけにしか分かりません。
それでも私はリーさんとジミーがこれほど親密な交流があった事が嬉しかったし、またそれをジミー本人から聞けた事に感激しました。
インタビューではジミーに「新座頭市・破れ!唐人剣」(70)で共演した勝新太郎との親交の詳細も訊いたりとそれなりに和やかな雰囲気で終わり、私と編集者たちは無事にインタビューが終わった事にホッとしながら会見場を後にしました。
しかし、私はインタビューの間、目の前のジミーが首から下げている見慣れないアクセサリーが何重にも重なったネックレスのような物が終始「ジャラ!ジャラ!」と音を発てているのが気になって仕方がなかったので、後にそれを配給元の関係者にそれとなく訊きました。
すると、関係者氏は私に向かって声を潜めて「いや、実はあれは台湾のヤ⚫ザが着けているお守りなんですよ!」と囁いたのでした。
その衝撃の事実を聞いた私が思わず「ええっ!」と絶句し、その場に立ち尽くしていると、その横を映画雑誌の編集者やライターたちが「いや~やっぱりジミーは凄い威圧感だったなぁ。あ、龍熱さんは明日もジミーとインタビューがあるんだよね。じゃあ頑張って!」と能天気に挨拶しながら立ち去っていったのでした。
既に日が暮れ、私はその場で呆然と立ち尽くしながらも、明日に迫った“暗黒武打星”ジミー・ウォングとの1対1のタイマンインタビューに挑む決死の覚悟を決めたのでした!以下、“天皇巨星”ジミー・ウォングがブルース・リーを語る時!②に続く!!
何故ならカモフラージュで言ったとしか
思えないから。
彼はマフィアであり恩人からの頼みであれば
義理を重んじためらいなく出来る筋ですよ!
おはようございます。信じたくなければ信じなくても結構です。ただ私はジミーから直接聞いた話を信じます。
あと貴方の言ってるためらいなくできるとか何とか、が何を意味してるのか不明。別に知りたくもないけど。