
1985年に越中詩郎が全日から新日に移籍する際、坂口征二から「後は俺が全部やっちゃるけん、心配するな。でも馬場さんに挨拶だけはして来い」と言われ、巡業で青森は八戸に来ていたジャイアント馬場たち全日一行が滞在しているホテルに向かった。
越中が重い気持ちでホテルのロビーに到着すると、そこでバッタリ天龍源一郎と顔を合わせる。
天龍「おお?越中、お前色々と大変みたいだな。今日はどうした?」
越中「坂口さんから社長(馬場)に挨拶だけはして来いって言われました」
天龍「そうか。よし、俺もお前と一緒に馬場さんの部屋に行ってやるよ」
越中「ええっ?いいんですか!?」
越中と天龍が馬場のホテルの部屋に入ると、馬場は越中たちに背を向ける形で椅子に座り、決して越中の顔を見ようとしなかった。
越中「社長、これからは新日でやっていこうと思ってます。これまで色々とお世話になりました!」
馬場「今日はこれからジャンボと天龍と試合会場に行く。お前も来い。今のジュニアのチャンピオンは小林(邦昭)だから、小林の試合でお前リングに上がって小林に挑戦するって言え!」
越中「ええっ!?いや・・・そ、それはちょっとできません!」
天龍「・・・・・」
馬場「何故だ?新日だろ?坂口だろ?全部俺がケツ拭いてやるから。黙って今日リングに上がって小林に挑戦するって言えばいいんだ!それだけだ!」
越中「・・・(絶句)」
天龍「・・・馬場さん、越中には勿体ないぐらい良い話だと思いますが、今の越中がそれやったらそれこそ終わりなんじゃないですか?トンでもない事になりますよ!これ越中の言ってる事が正しいですよ!」
馬場「・・・・・」
時間にして30分から40分、越中と天龍は馬場の部屋を出た。越中は天龍が馬場に懸命に訴えてくれたおかげでその日のリング上で小林邦昭に挑戦する、という馬場の驚愕のアングルを何とか断る事が出来た。
もし、越中が1人で馬場の部屋に行っていたら、この馬場のアングルを断る事が出来ずにリングに上がっていたかも知れないのだ。
もしそうなったら?そう、越中は既にこの八戸にも新日から出た経費で来ていたし、坂口からは来週から新日のリングに越中が上がる事が決定している事も伝えられていたのだ。
越中は改めて馬場の普段とは違う恐ろしい面を見た気がした。馬場は最初から最後まで越中に背を向け、1度も越中の顔を見ようとはしなかった。
越中が青ざめた顔でホテルを出ようとすると、天龍が玄関口まで追いかけて来た。
天龍「越中!お前、金はあるのか?」
越中「いや、そんな・・・大丈夫です!」
天龍「いいから、これ持ってけ!」
天龍はそう言うと自分の財布から分厚い札束を抜き取ると、それを荒々しく越中の背広に突っ込んだ。
天龍はしきりに恐縮する越中がタクシーに乗り込むと、そのまま黙って越中を見送ってくれた。タクシーの中で越中が恐る恐る背広から札束を取り出すと、それは驚くほどの金額だった。
越中はこの“風雲昇り龍”の男気に応えるためには、自分がこれから新日のマットで全日出身者として恥ずかしくない闘いをするしかないんだ、と固く心に誓うのだった。「やってやるって!」
サムライシローこと越中詩郎の新日参戦前夜の心温まるエピソードである。