徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

現世太極伝(第八話 細工)

2006-02-03 23:20:02 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 太極思想は現在でも東洋医学の考え方や易占い、或いは拳法、身近なところでは暦などに触れることによって垣間見ることができるが、よほど詳しく学んだ者でなければ容易には理解できないし解釈もできない。
西沢に関して言えば専門知識などまったく持ち得ないずぶの素人である。

 かつて興味本位にその手の本を読んだ覚えがあるとはいっても…そう言えばそんなことが書いてあったな…程度の知識しかないし、まして見た事も聞いた事もない意思を持つエナジーに至ってはほとんど雲を掴むようなものだった。

 何れにせよ…得体の知れないものを相手にこちらから仕掛けていくことは得策ではないからじっと相手の出方を待つしかない。
 夕紀という洗脳された少女が身近に存在するわりには、今のところ亮は何とか無事に過ごしていた。



 高木ノエルの忠告に従っているわけでもないが、亮はできるだけ夕紀から距離を置いていた。
あまり執拗に拘って直行に妙に誤解されても困るからだ。

 大学祭の準備が始まって出し物を考えたり小道具を作ったりする時に、夕紀がほとんどそれに参加しなくても文句すらつけようとはしなかった。

 『超常現象研究会』の出し物は心霊写真…と言えるのなら…の展示と、タロット占い、カードによる潜在能力の判定などでお茶を濁していた。
何しろ本物の超常現象を目の前で起こすなんてできようはずがないのだから…。

 大学祭当日…学生会主催の講演会のために西沢が相庭と…なぜか滝川を従えて構内に姿を現すとあたりはとんでもない騒ぎになった。

 あの写真集の影響でそれまでの西沢に興味がなかった者たちにまでファン層が広がり、バーチャル世界の住人をひと目見ようと集まってきたのだった。
勿論…講演会で脱ぐわけもなかったが…。

 メイクをしていない西沢は表情も穏やかで語り口も優しく、無遠慮な学生たちの質問にも丁寧に応対し好感度抜群だった。
 質問が例の写真集のことに及ぶと滝川にバトンタッチし、写真集のことは滝川が中心に講演を進めた。
 
 「まあ…通常は僕がモデルさんにああしろこうしろと注文をつけるわけですが…西沢先生の場合はほとんど勝手に動いてましたね…。
 その中に必ず…ほら…今だよ…シャッターチャンスだよって時があるので、その一瞬を逃がさないようにするのがめちゃ大変で…。
我儘なモデルさんでしょ…? 」

冗談めかして滝川が言えば西沢もそれに答えた。

 「だって滝川先生…好きなように遊んでろって言ったじゃないですか…。
動いてないと寒いですよ…あの格好だし…冷房がんがんですもん。 」

 撮影現場でのスナップ写真なども公開され、参加者は撮影の状況や写真集では見られない屈託ない西沢の素の笑顔を見た。
 
 概ね講演会は成功したと言わねばなるまい。講演会の後の大混乱を除けば…。
無事…正門までたどり着くまでにどれくらい時間を要したことか…。

 相庭が西沢のマンションまで滝川と西沢を送り届けた時には、ふたりとも人酔いで疲れきりぐったりとしていた。

 

 西沢が濃いめのコーヒーの入ったカップを差し出した。
ひと口飲んで滝川はふーっと大きく息をついた。  
 床のカーペットに直に座り込んでソファのシートを背もたれに、ふたり並んでしばらくぼーっとしていた。
 
 「気付いたか…? 」

構内にわけの分からないものの気配を感じた滝川が訊いた。

 「ああ…。 何か…いるな…。 」

それがなんであるのかは分からないが西沢も確かに何かを捉えていた。

 「あの大学だけだろうか…? 」

滝川は少し冷めかけたコーヒーを再び口にした。

 「いや…おそらく…ありとあらゆる場所に…。 」

 西沢はなぜかそう思った。
立ち向かおうとする相手の大きさをひしひしと感じた。

 「ひとりでは無理だぞ…紫苑。 」

 滝川が不安げに西沢を見た。
それは西沢にも分かりすぎるほど分かっていた。

 「亮のことは…僕個人の問題だから…。 」

 西沢は力なく微笑んだ。
各地に点在する特殊能力者たちが同族の若者を護るために動き出したと聞く。
 けれども亮には亮を護ってくれそうな組織はついていない。
西沢だけが亮を見ている…。

 「何とか…裁きの一族に渡りをつけてみる。
あの一族の宗主が口を利けばあらゆる一族から助力が受けられる。
絶対に早まった行動はするなよ…。 」

 裁きの一族…その存在は伝説でしかない…そう思っていた。
古い時代の話で西沢の家にも言い伝えや古文書は残っているがそれだけのこと…。
滝川の情報もそのことに関してだけはあてにはならなかった。

  

 打ち上げを終えて仲間と別れたのは9時をまわった頃だった。
地下鉄の入り口近くまで来てふと首に違和感を覚えチェーンに手を触れた瞬間、チェーンがするするっと首から抜け落ちた。
 
 まさか…と思った。
西沢の金のチェーンがまるで引きちぎられたように切れていた。
何かに引っ掛けてしまったのだろうか…?
 亮は不安に感じながらも、暗過ぎてそれほどしっかりと調べることもできずにポケットにしまいこんだ。

 ふと目をあげると駅の入り口の前に先ほどまで居なかった男が立っている。
背後からはあの視線が向けられていた。

 亮は急ぎ駅を離れ、道を横切って大通りに出た。 
人波の中を歩いて次の駅へと向かった。
視線はどんどん近付いてくる。心臓がバクバク言っている。 

 次の駅…そこにはまたあの男が立っていた。
どうしよう…どうしよう…西沢さん…。

 駅の手前の小さな交差点で不躾な車がいきなり横付けた。
亮は驚いて思わず飛び退いた。

 「亮くん! 乗って! 早く! 」

 英武の顔が見えた。亮は慌てて車に飛び乗った。
こちらは車だというのに視線は相変わらず亮を追ってきた。

 「亮くん…チェーンは? 」

英武が訊いた。

 「切れちゃったんです。 引っ掛けた覚えはないんですけど…。 」

亮は困惑したように答えた。

 「ストラップあるでしょ。 あれをとにかく直に身につけて…。
腕時計でもベルトでもぶら下げちゃっていいから…。 」

 亮は急いで携帯からストラップをはずすとしっかりとベルト通しにつけた。
しばらくすると視線の気配は亮の行方を見失ったかのように消えていった。

 「相手に気がつかれていないうちならストラップでも十分誤魔化せたんだ。
きみの場合誰かに知られた後だったらしくて…。
 直に肌に触れるものの方が効果が高いんだよ。
帰ったらシオンがまた新しいのをくれるから…心配ない…。 」

 英武は亮を安心させるように言った。
西沢のマンションの灯かりが見えたとき、亮はやっとほっとした。



 「シオン! シオン! 」

 玄関の扉を開けるや否や英武は騒がしく声を掛けた。
寝室の方から飛び出てくる足音が聞こえた。

 「どうしたんだ? 大声出して…。 」

 西沢は英武のあとから入ってきた亮を見た。
亮は手にあのチェーンを持っていた。 
チェーンが…切れたのか…。

 「たまたま通りかかってラッキーだった。 シオンを呼ぶ声が聞こえたんだ。
亮くんに違いないと思ってね…。 
気付かなかった? チェーンが切れたの…? 」

奥の部屋から頭を掻きながら何事かと言うように滝川が姿を現した。

 「おや…英武。 久しぶり…。 元気してた…?」

 滝川は英武に向かって親しげに声を掛けた。
英武は眉を顰めた。

 「恭介…おまえまたシオンに悪さを仕掛けにきてるな…レオに言っとかなきゃ。
シオン…だめだよ…こいつに騙されちゃ…。
真面目そうに見えて内輪じゃ有名な女ったらしなんだからね。 」

 西沢は一瞬目を見張って噴き出した。
滝川が天を仰いだ。

 「はいはい…せいぜい気をつけましょう。 僕は女じゃないけどね。
恭介がその気にならんとも限らんし…。 
亮くん…おいで…御免な気付かなくて…。 怪我はない? 」

 亮は頷きながら切れたチェーンを渡した。
西沢は受け取って切れたところを確認した。

 「誰かに…貸した? ひとつだけ繋ぎ目が広げてある。 このチェーンは繋いでから潰してあるから繋ぎ目はよほどのことがなければ自然には広がらないんだ。」

 思い当たるのは…でもまさか…。

 「西沢さんの講演を聞いている間だけ…直行に貸しました。
タロット占いの魔女に扮してたんで光り物がいるって言うから…。
でも…直行はそんなことをするようなやつじゃないです…。 」

 直行は高校時代からの親友だ。
亮から借りたものをわざと壊すようなひどいことはしない。
亮はそう信じたかった。

 「そうだね…多分何かに引っ掛けたのに気付かなかったんだろう…。
なんだかあちらこちらにいろんなものが置いてあったからね。
だけど…御守りはずっと身につけていないと意味がないよ…。 」

 西沢はまた自分の首からチェーンをはずして亮の首につけた。
ふっと西沢のものではないコロンの香りがした。思わず滝川を見た。

 「…気になる? 滝川の香りがする…? 
さっき恭介がここにキスマークつけたからね。 香りが移ったんだろう。
 油断してると本当に悪さするんだよ…こいつは…。 それで英武が怒るわけ…。
僕もこいつにはイライラさせられる…。」

 西沢は自分の首を指差して呆れ顔でそう言った。
悪口を言われているのに滝川は一向に気にしていないようで泰然と笑みを浮かべている。

 「シオン…それじゃ僕は家へ戻るよ。 
何かあったら連絡して…くれぐれもこいつにだけは気を許すな。 」

 英武はにこやかに手を振っている滝川を睨みつけると、亮には優しくおやすみを言って帰って行った。

 「紫苑…早く寝ようよ…。 いい夢見ようぜ。 」

滝川がまた猫なで声を出した。
 
 「勝手に寝とけ! 」

 西沢がイライラした様子で怒鳴った。
つれないなぁ~と言いながら滝川は紫苑の寝室の方へ戻って行った。

どう…受け取っていいのか亮には状況がよく読めなかった。

 「西沢さん…滝川先生が好きなの? 」

当惑した顔で亮は訊ねた。 西沢はクスッと笑った。

 「僕が? そう見える? そうだね…嫌いではないかもね。
あいつが無遠慮に僕に触ったり、あの妙な口調で話をしなければね…。

 昔馴染みなんだよ…僕が伯母に女装させられてた頃からの…。
あいつの頭の中にはいまだに初恋の相手…女の子の僕がいるんだ…。
僕としては有り難くない記憶だけど…。 」

 ああ…伯母さんの趣味の犠牲者なんだ…と亮は納得した。
狙われて怖いめに遭った後だったが、滝川という奇妙な男の出現でさほど動揺せずに済んだ。

 ただ…チェーンが切れやすいように繋ぎ目に細工されていたという事実だけは心に引っ掛かった。
 直行でなければ…いったい誰が…どうやって細工を…?
亮の周りにいるのは友だちばかり…疑いたくはないが…。

 身近に敵がいる…今夜…初めてそれを実感した。
そのことが亮の心に重く圧し掛かった…。  





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