徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

現世太極伝(第十話 部屋という名の鳥籠)

2006-02-07 17:10:01 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 明け方近くふと目が覚めた。あたりの空気が妙にしんと静まり返っている。
何気なく窓の方を見たらカーテンの向う側は雪景色だった。
世界が薄ぼんやりと輝いて見える。

 亮は口の辺りまで布団に潜り込んだ。
階下でカーテンを閉める音がする。親父だ…。雪の様子を確かめたに違いない。
 日曜だというのに…お出かけですか? …というかお帰りですか…だな。
女のところへ帰るために車が出せるかどうかを確認したんだろう…。

 亮の首に高価なチェーンを見つけて以来、なぜか今までより家に帰ってくる回数が多くなった。
 息子が何者かに誑かされているのではないかと疑っているんだろう。
そうは言っても…月に一度が二度になった程度だが…。

 高価なチェーンといえば…修理の終わったチェーンも今つけているチェーンも両方貰ってしまった。
 さすがに悪くてこのチェーンは返すつもりだったのだが…あげるよ…の一言で済まされてしまった。

 西沢の恋人輝が彫金をやっている関係上、時々気に入ったアクセサリーを買うのでいくつも同じようなチェーンを持っているのだそうだ。
 押し売りしているわけじゃないのよ…この人結構シビアだから本当に気に入った物でないと買ってくれないの…輝がそう言って笑っていた。

 いい雰囲気だった…最初は驚いたけど…。
少なくともあの滝川よりは…許せる。
同じキスマークなら輝にお願いしたい…。

温かい寝床の中で亮は再び眠りに落ちていった。



 窓ガラスの向うに見えるいつもと違う世界を描いている。
夜中に降り出した雪…それを見たらなんだかわくわくして眠れなかった…。
こどもみたいだと自分でも笑えた…。

 おととい仕上げた注文のイラストは買い手に十分気に入って貰えたらしい。
相庭が大喜びで連絡してきた。
 それはよかったね…とまるで他人事のように答えた。
仕事だから…描きたいと思うテーマじゃなくても…描くしかないじゃない?

 勿論…どんな絵でも愛情を込めて描いてるよ…それは本当。
ただその絵に対する執着の度合いが違うだけ…手放したくない絵ではないだけのことなんだ…。
   
 あたりが明るくなってきた頃西沢は寝室に戻った。
ベッドの上に突っ伏すとすぐに睡魔が襲ってきた。
亮は…朝からバイトなんだろう…な…とふと思った。
 
 好き嫌い言ってないで仕事しなきゃね…。
僕がいなくなっても…あの家を出て自由に生きていかれるだけのものを…遺しておいてやりたい…。
 できることなら…このまま亮が自立するまで見守っていたいな…。
そうしたら僕も安心できる…。

 だけど…亮を狙っている組織は…敵は…人間ではない。
そんな連中を相手にして僕にいつまでも命があるとは思えない…。
僕が楯になり犠牲になっても、その先、亮が生き延びられるとは限らないけど…。
ない…けど…幸せになって…くれると…いいなぁ…。
・・・・・・。




 休暇が近付くにつれ…直行が落ち着かなくなってきた。
間もなくクリスマス…いつもの年なら夕紀と特別なデートの約束をする。
でも…今年は…。

 「暇さえあれば…あの男に会いに行ってる…。
僕のことなんかまるっきり眼中にない。
何が起こっているのか分からないから…手の打ちようもない。 」

 直行はそう嘆いた。
輝から直行が悩んでいると聞いた後、亮は思い切って自分が特殊能力者であることを直行に打ち明けた。

 直行はここにも悩める仲間がいたというので幾分ほっとしたようだった。

 「いっそ虎穴に入らずんば虎子を得ずっていうから相手の組織にコンタクトを取ってみようかとも思うんだ。 」

 亮はとんでもないと思った。
洗脳されたが最後どうなるかも分からないのに…。

 「それは止めた方がいいよ。 
夕紀を見ていて普通じゃないってのが分かるだろ?
…そうだ…ひょっとしたらノエルが何か知っているかもしれない。 
僕には訊くな…関わるな…って言ってたけどおまえには何か話すかも…。 」

 亮はあの不思議な少女…かどうかは分からないが…ノエルのことを思い出した。
直行を連れてノエルのいそうな講義室を捜した。

 二階の端の講義室なら…陽だまりがありそう…。
ノエルがなぜか好んで陽だまりの中に居ることに最近気付いた。

 人気のない講義室の陽だまりの中に…ノエルはいた。
起きているのか眠っているのか静かに座っていた。

 「ノエル…訊きたいんだ。 直行がもう限界で止められないんだ。
せめて何が起こっているのかだけでも聞かせてくれないか? 」

亮がそう話しかけると薄っすらと目を開いた。

 「関わるなと言ったはずだぞ…。 」

ノエルは穏やかに亮を窘めた。

 「お願いだよ…夕紀が何をさせられているのかだけでも教えてくれないか? 」

 直行が縋るようにノエルを見つめた。
ノエルは大きく溜息をついた。

 「忠告はしたぞ…。 何が起きても私を恨むな…。

 例えれば…これまで均等だったふたつの存在の片方がとんでもなく勢力を増し始めたために力のバランスが崩れてしまい、もう片方が躍起になって修正するための力集めをしているというところか…。

 夕紀はそれを集める仕事をさせられているんだ。
同じ能力者を探している。

 問題は両方の組織に下手に多くの力が集まると…今度は能力者同士の争いが起こる可能性があるということだ。
 つまり組織同士の力の潰しあいが始まるということ…。
これが起こると命の危険を伴う…。 夕紀も無事では済むまい…。 
あくまで…可能性だが…。 」

 ノエルは淡々と話した。
特殊能力者組織の勢力争い…? そんな話は聞いていない…と直行は思った。
 その程度の内容なら…もし実際にそんなことが起きていれば…宮原や島田の長老衆に分からないはずがない。 
 
 「それ…僕らに分かりやすく例えれば…ってことだよね? 
それなら…裏で糸を引いている組織は特殊能力者の集団とは限らないんだね…?
能力者を利用しているだけかも知れないんだ…。 」

 亮がそう訊くとノエルは眉を上げて頷いた。

 「ご名答…。 必要なのは能力者の生み出す力のみ…。 
まあ…本来なら…能力者でなくても構わないんだが…より大きな力を持つ者の方が目標達成まで短時間で済むというもの…。 」

 能力者の生み出す力…? なぜそんなものが必要なんだ…?
亮は怪訝そうな顔でノエルを見た。
 
 「それは話す必要はない…。 話しても理解できないだろう…。
気をつけるがいい。 おまえたちは一歩踏み出してしまったのだから…。
これ以上は絶対に首を突っ込むな。
 
最後の忠告だ…。 」

 ノエルはそう言うと再び瞑想を始めた。
陽だまりの中のノエルはまるで光と同化しているかのように静かで透明な存在に見えた。

 

 亮は後悔した…。
直行に早まったことをさせないためにノエルの話を聞かせたが、直行は余計に夕紀のことが心配になってしまったようだ。 
 取り敢えずノエルは可能性…と言っていたのだからそれに期待するしかない。
族人の上の立場の人たちが既に動いているのだから、くれぐれも短慮な行動はとるなとは言っておいたが…。
 
 12月の繁華街は人また人…。街中が音で沸き返り、色が溢れていた。
あれこれ考えながらぼんやりとショッピングモールを歩いた。

 不意に後ろから肩を叩かれた。
場合が場合なだけに飛び上がるほど驚いて振り返ると輝(ひかり)がいた。

 「亮くん…お買い物? 」

輝は可笑しそうに笑いながら訊いた。

 「西沢さんに何か…と思って…もうじきクリスマスだから。 
でも…西沢さんは何でも持ってるから…。 」

そうなんだ…と輝は頷いた。

 「亮くんがくれるものなら何でも喜ぶわよ。 きっと…。 
でも…持ってないものなら…旅行鞄が良いかもね…。 」

 うそ…旅行鞄?
持ってるでしょ…普通…。

 「私のアトリエ…すぐそこなの。 ちょっと寄り道してって…。 
おいしいお茶淹れてあげるわ。 」

 輝は亮の手を引いた。
亮は促されるままに輝の後について行った。



 輝のアトリエは小さいけれど木の香りのする温かくて感じのいいところだった。
バラの香りのするお茶とバター風味のクッキーで持て成してくれた。

 「あんなふうに自由気ままに生きてるように見えるけれどね…。
紫苑は籠の鳥よ…。 少しも自由なんてない…。

 両親に捨てられたその時から…紫苑は西沢家のペット…。

 みんなして猫可愛がりするだけで紫苑の本当の気持ちなんて分かろうともしない…。
あの部屋は紫苑を閉じ込めておくための鳥籠なの…。 」

 やるせない思いがその言葉に込められていた。
ティーカップから香りの湯気が立ち上るのを亮はぼんやりと見つめていた。

 「下衆な言い方をすれば紫苑は人並み以上に稼いでるわ…。
でも西沢家では紫苑の仕事をお嬢さまの…お坊ちゃまだけど…お稽古事くらいにしか思っていない。
国際的な賞を何度も受賞しているのに…よ。

 紫苑はいつまでも目の放せない小さなこどもでみんなで可愛がってあげなければいけない存在…そう考えているみたいね。
だから紫苑の独立を許さない…。目の届かないところには行かせない…。 」

 輝の唇から思わず溜息が漏れた。
私だったら我慢できないわ…。とでも言いたげに…。

 「中学生の頃から何度も家を飛び出した…。
ひとりで気ままな旅がしたかっただけなんだけれど…。
いつもあっという間に捕まって…伯父さまや伯母さまに優しく諭されるの…。

 紫苑…旅行に行きたいなら遠慮しないで言いなさい。
お養父さんやお養母さんが好きなところへ連れて行ってあげるからね。 
ちゃんと素敵なホテルや旅館の予約を取ってあげるから…。

 仕事の時にはちゃんと相庭がついているし…相庭は仲介人や代理人という名目で紫苑の傍に居るけど伯父さまがつけた監視役よ…ひとりでは何処にも行かせてもらえない…逃げ出したくもなるわよね。

 大学の時でさえ家族に内緒で北海道へ渡ったら…すでに向こうに案内人が待っていたなんてこともあったらしいわ。 」

 息が詰まるような生活してたんだ…西沢さん…。
好きなように生きてるんだとばかり思ってた。

 「何度も何度も逃げ出しては捕まって…とうとう諦めてしまった…。
だから…旅行鞄がないの…。

 西沢の家には育ててもらった恩があるから紫苑は何を言われてもどんな扱いを受けても黙っている…。
 みんなが紫苑を愛してくれているのは確かだし…親切でしてくれていることだから…気持ちの優しい紫苑はNOと言えないでいる。

 自由なのは頭の中だけ…。 
だから…好きな本を読み…好きな絵を描き…自由にエッセイを書く…。
勿論身体も鍛えているわよ。
 要は遠出をしなければいいんだから…西沢家の目の届くところであれば何をしたって構わないんだし…。 

 でも…哀しい…他人から見ればこれ以上はないっていうくらいすごく恵まれた人生なのだけれど…紫苑自身も僕は幸せだと口癖のように言うのだけれど…。
鳥籠の中に居て…本当に幸せなのかしら…って時々思うわ…。 」

 きっと…輝はずっと紫苑のことを誰かに話したくてうずうずしていたんだろう。
信用できる相手でなければ他人の内情なんて話せないし、亮がうってつけの相手だったに違いない。
それまで黙っていた鬱憤を晴らすかのように思うさま喋り捲った。

 「御免ね…長話聞かせちゃった。 いま話したことは…少しは紫苑が口を滑らせたことだけど…ほとんどは私が読み取ったことなの…。

 紫苑は我慢強いから自分からは何も話さないわ…。
だから…あなたに話しちゃったこと…内緒よ…。 」

 少しだけしゃべりすぎたことを後悔しているようだった。
亮は輝お姉さまのお願いなら是非にもきいて差し上げようと思った…。
本気で…西沢のことを想ってくれているようだったから…。





次回へ














現世太極伝(第九話 紫苑の恋人)

2006-02-05 18:20:11 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 どうしてあんなことをしてしまったんだろう…。
直行はあの時と同じに心臓がどきどきしてくるのを覚えた。

 清水の提案でタロット占いを担当する時は魔女に扮することになっていたが、黒服は用意したものの直行は光り物を持っていなかったので、それらしく見せるために亮からチェーンを借りた。

 西沢の講演中でほとんどの客や学生は大講義室へ集まってしまっていたので、直行の待つ部室にはめったに訪問客が来なかった。

 これなら自分も見に行けばよかったな…などと思いながら首のチェーンに手をやり、普段あまり飾りを身につけない直行は重いチェーンが気になってはずした。

 その高価な金のチェーンは亮が知り合いに貰ったものだと言っていた。
五月病に罹っていた頃とは打って変わって、亮はこの頃楽しげで亮の体調を心配していた直行の方がずっと落ち込んでいる。

 こんなのプレゼントしてくれるような相手がいるんじゃ楽しいはずだよな…。
そう思うとやたら腹が立ってきた。
亮に対してというよりは…自分の置かれた状況に対して…。

 言い訳みたいだが…決してそうしたいと思ったわけじゃない。
だけど気がついたらチェーンを壊そうとしていた。
慌ててもとに戻そうとしたけど上手くいかなかった…。

 無理にいじれば余計に壊れそうで…そのまま返してしまった。
亮は気付いていなかったみたいだけど…。
謝ればいいことなんだけど…なんて説明したらいいのか…。

無意識に…なんて信じて貰えないだろうし…。

 「あれ…まだひとり…? 」

 講義を受け終えた亮がいつもと変わりない様子で部室に入ってきた。
首にチェーンが…。

 「そのチェーン…? 」

直行は思わず訊いた。亮の首には違うチェーンがかかっていた。

 「ああ…あれさぁ…どこかで引っ掛けたらしくって打ち上げの後で切れちゃったんだよね…。 
 くれた人に見せたら修理できるから大丈夫だって…これ代わりに貰ったんだ。」

何も気付いていないかのように亮は言った。
 
 「僕が…どこかで引っ掛けたのかな…? ごめんな…。 」

内心どきどきしながら直行はしらばくれて謝った。

 「謝ることないよ…。 僕が引っ掛けたのかも知れないしさ…。 」

そう言って亮は笑った。

 「ごめんな…。 」

直行はもう一度繰り返した。 



 まだ4時をまわったばかりだというのに外はまるで夜のよう…。
霧のように漂う小糠雨に傘を差しても役には立たない。

 亮は店頭の照明をいつもより早めにつけて夕方からの客に備えた。
店内を回って客がいい加減な場所に置いた本を元の場所へ戻し、文房具や雑貨コーナーの商品の乱れを直し、不足商品と在庫を調べた。

 ふと誰かが覗いたような気がして、自動ドアの外に目を向けると黒いコートを着た女の人が店から離れていくところだった。

 新刊案内のコーナーでも覗いていたのかな…と思いながら亮は仕事を続けた。
ドアが静かに開いて先ほどとは違う女性…少しぽっちゃり系の可愛い女の子が入ってきた。
 女の子は入り口付近においてある若い女性向けのファッション雑誌を手に取るとあれこれ棚の中を見ながらこちらに向かって近付いてきた。

 「あら…? 」

 女の子は亮の顔を見てにっこりと笑った。
なんだろう…? 亮は思わず頬に手をやった。何かついているのか…?と思った。

 「ここでバイトしてたんだぁ…? 」

えっ? 誰…? 亮は記憶の糸を辿った。

 「あ~! きみ…あの時の…? 」

 痴漢…と言いかけて口を押さえた。
そんなこと言ったら他の客に誤解されそうだ。

 「ほんとありがとう。 あいつ…しつこくて…困ってたの。 
でも…あれ以来近付いて来ない。 」

 女の子は可愛い顔いっぱいに笑みを浮かべ嬉しそうに言った。
亮はどう答えていいか分からなくてただ頷いた。

 「わたし千春…。 またね。 」

 千春は小さく手を振りながらレジの方へ歩いていった。
レジの音がして…ありがとうございました…という店長の声が聞こえた。 



 西沢に頼まれた買い物を済ませて、いつものように何気なく玄関の扉を開けた瞬間…はっきりそれと分かる嬌声が聞こえて亮は思わず立ち止まった。
黒いヒールの靴がきちんと揃えて脱がれてあった。

慌てて部屋を出ようとした亮の耳に西沢の声が聞こえた。

 「亮くん? 上がってきて…構わないから…。 」

 そう言われても…亮は玄関で身動きが取れなくなった。
しばらく動けないでいると西沢が顔を覗かせた。

 「どうしたの? そんなところで…立ち往生? 」

 西沢は笑った。
仕方なく亮は居間の方へ向かった。

 寝室を避けたつもりだったが、肩をはだけたブラウスから覗く黒のキャミソールがなんとも艶かしいお姉さまは予想に反して居間にいた。
 乱れたままの姿が妙に生々しくて亮はどぎまぎした。
お姉さまは亮を見ると艶然と微笑んだ。

 「シャワー浴びてくるから…ちょっと待ってて…。 輝(ひかり)行くぞ…。」

 西沢が手を伸ばすとお姉さまはぶら下がるようにして起き上がった。
待っててね~というようにお姉さまは亮に手を振った。

 ふたりがバスルームに引っ込んでしまうと亮はふうっと息をついた。
とんでもない時に来ちゃったな…。
そう呟きながら預かっていたお金の釣銭をテーブルの上に置いた。

 がっかりしたような哀しいような複雑な気持ちになった。
いつの間にか亮の中には理想の西沢像が出来上がっていて、それはまるでアニメのスーパーヒーローのごとく聖人のような存在に祀り上げられていた。
ところが現実の西沢はそれほど清浄無垢な人ではないようだ…。

 でも当然と言えば…当然だよね…。
まあ普通…あのように美しいお姉さまがOKサインを出してくれたなら…知らん顔して聖人ぶっているわけにはいかないやね。
 西沢さんもやっぱり男だってことなんだ…。
そう自分に言い聞かせはしたが…なかなか納得できなかった。

バスルームから出て来た西沢が、亮の何処となく不機嫌そうな顔を見て笑った。

 「幻滅しちゃった…? でも…仕方ないでしょ…生身なんだから…。 
僕は他人が作り上げたイメージのままでは生きていかれないし、そのイメージに合わせるつもりもないよ。 」

思ったよりこどもなんだ…と西沢は感じた。

 「作り物じゃないんだから食事もすれば…女も抱く…別に不思議じゃないだろ?
きみと同じだよ…。 」

 僕はまだ…と言いかけて止めた。こどもに思われるのも悔しいから…。

お姉さまが打って変わってしゃきっとして戻ってきた。

 「御免ね。 変なとこ見せちゃって…気分悪かったでしょ?。 
亮くんのチェーンの修理ができたんで届けに来ただけなんだけど…。
ついね…。 」

 あ…そういうお仕事なんだ…このお姉さま。

 「紫苑…夕食…なんか作ろうか? 亮くんお腹減ってるだろうし…。」

 輝お姉さまはにっこり笑いながら亮の顔を見た。
亮は思わず赤くなった。

 「いいよ…僕がやるから…輝…その間に例のこと亮くんに話してあげてよ。 」

 紫苑はおいてあった買い物袋を持ってキッチンに行きテーブルに中身を空けた。
例のこと…? 何だろう…? 亮は不安げに輝を見た。

 「私の名前は島田輝…。 あなたの友だちの島田直行とはそう遠くない親戚よ。
勿論…宮原夕紀とも同族。 あのふたりが許婚同士だってことは知ってるわね?」

 亮は驚いて言葉も出さずにただ頷いた。
直行の…親戚…。そんな偶然があるんだ…。

 「私たちの一族はみんながみんな能力者というわけじゃないの。
しかも…昔はお互いに行き来があったから何処何処の誰々は神憑りだなんて言ったものだけど、今ではそれさえ言われなくなってほとんどの家では自分たちがそういう家系だってことを忘れているわ。

 どちらかと言うとそういう子が家に居るということを秘密にさえしているの。
夕紀の家は主流に近いからそうでもないけど、直行の家はそういう力を信じてもいないわね。
 直行はまあまあの力の持ち主だけれど家族にも言えないでいる。
だからどちらかというと夕紀の家の方が直行にとっては気が楽なのよ。

 ところがその夕紀がなんだか妙な組織に関わるようになって、直行をその組織に引き込もうとしているみたいなの。

 直行としては逆に夕紀を取り戻そうと必死なわけだけど、夕紀は聞く耳を持たないし、少しでも能力を使えば力の程度がばれてすぐにでも組織に引き込まれることが分かっているし、親には相談できないし…でまったく動きがとれずにいるわけ。

 あなたにそのことを言いたいんだけど…下手に話してあなたまで巻き添えを食わせるわけにはいかないと我慢してるわ。 」

 直行が…そんなことを…。
我慢しているのは自分の方だと思っていた…力のことを誰にも話せなくて…。
話してしまえばよかったんだろうか…。

 「僕は…直行に力を貸すべきなんだろうか…? 
直行が困っているなら…一緒に夕紀を取り戻すべきなんだろうか…? 」

亮は呟くように言った。

 「逆よ…。 力を使えばあなたも狙われる。 紫苑の努力の意味がなくなるわ。
あなたには…どちらかと言うと直行が動き出すのを止めて欲しいの。 

 島田も宮原も直行が動くことを望んでいないの。
恋人を想う直行の気持ちは分からないでもないけれど…これ以上若手を洗脳されては困るの。
 どの一族も同意見よ。 たとえ…兄弟姉妹であっても洗脳された者の言葉に耳を貸さないようにと通達が回ってるわ。 」

 直行を止める…難しいかもな…夕紀に惚れ込んでるから…。
亮は溜息をついた。
 
 キッチンからはいい匂いが漂ってくる。
西沢は結構料理が得意だ…。
現実と非現実の中を行き来しているような人…。

 ひとりで悩む直行のことを考えれば相談できる相手がひとりでも傍に居たことを感謝せざるを得ない。
 止められるか止められないかは分からないけれど…できるだけのことはしてみようと亮は思った…。
  



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現世太極伝(第八話 細工)

2006-02-03 23:20:02 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 太極思想は現在でも東洋医学の考え方や易占い、或いは拳法、身近なところでは暦などに触れることによって垣間見ることができるが、よほど詳しく学んだ者でなければ容易には理解できないし解釈もできない。
西沢に関して言えば専門知識などまったく持ち得ないずぶの素人である。

 かつて興味本位にその手の本を読んだ覚えがあるとはいっても…そう言えばそんなことが書いてあったな…程度の知識しかないし、まして見た事も聞いた事もない意思を持つエナジーに至ってはほとんど雲を掴むようなものだった。

 何れにせよ…得体の知れないものを相手にこちらから仕掛けていくことは得策ではないからじっと相手の出方を待つしかない。
 夕紀という洗脳された少女が身近に存在するわりには、今のところ亮は何とか無事に過ごしていた。



 高木ノエルの忠告に従っているわけでもないが、亮はできるだけ夕紀から距離を置いていた。
あまり執拗に拘って直行に妙に誤解されても困るからだ。

 大学祭の準備が始まって出し物を考えたり小道具を作ったりする時に、夕紀がほとんどそれに参加しなくても文句すらつけようとはしなかった。

 『超常現象研究会』の出し物は心霊写真…と言えるのなら…の展示と、タロット占い、カードによる潜在能力の判定などでお茶を濁していた。
何しろ本物の超常現象を目の前で起こすなんてできようはずがないのだから…。

 大学祭当日…学生会主催の講演会のために西沢が相庭と…なぜか滝川を従えて構内に姿を現すとあたりはとんでもない騒ぎになった。

 あの写真集の影響でそれまでの西沢に興味がなかった者たちにまでファン層が広がり、バーチャル世界の住人をひと目見ようと集まってきたのだった。
勿論…講演会で脱ぐわけもなかったが…。

 メイクをしていない西沢は表情も穏やかで語り口も優しく、無遠慮な学生たちの質問にも丁寧に応対し好感度抜群だった。
 質問が例の写真集のことに及ぶと滝川にバトンタッチし、写真集のことは滝川が中心に講演を進めた。
 
 「まあ…通常は僕がモデルさんにああしろこうしろと注文をつけるわけですが…西沢先生の場合はほとんど勝手に動いてましたね…。
 その中に必ず…ほら…今だよ…シャッターチャンスだよって時があるので、その一瞬を逃がさないようにするのがめちゃ大変で…。
我儘なモデルさんでしょ…? 」

冗談めかして滝川が言えば西沢もそれに答えた。

 「だって滝川先生…好きなように遊んでろって言ったじゃないですか…。
動いてないと寒いですよ…あの格好だし…冷房がんがんですもん。 」

 撮影現場でのスナップ写真なども公開され、参加者は撮影の状況や写真集では見られない屈託ない西沢の素の笑顔を見た。
 
 概ね講演会は成功したと言わねばなるまい。講演会の後の大混乱を除けば…。
無事…正門までたどり着くまでにどれくらい時間を要したことか…。

 相庭が西沢のマンションまで滝川と西沢を送り届けた時には、ふたりとも人酔いで疲れきりぐったりとしていた。

 

 西沢が濃いめのコーヒーの入ったカップを差し出した。
ひと口飲んで滝川はふーっと大きく息をついた。  
 床のカーペットに直に座り込んでソファのシートを背もたれに、ふたり並んでしばらくぼーっとしていた。
 
 「気付いたか…? 」

構内にわけの分からないものの気配を感じた滝川が訊いた。

 「ああ…。 何か…いるな…。 」

それがなんであるのかは分からないが西沢も確かに何かを捉えていた。

 「あの大学だけだろうか…? 」

滝川は少し冷めかけたコーヒーを再び口にした。

 「いや…おそらく…ありとあらゆる場所に…。 」

 西沢はなぜかそう思った。
立ち向かおうとする相手の大きさをひしひしと感じた。

 「ひとりでは無理だぞ…紫苑。 」

 滝川が不安げに西沢を見た。
それは西沢にも分かりすぎるほど分かっていた。

 「亮のことは…僕個人の問題だから…。 」

 西沢は力なく微笑んだ。
各地に点在する特殊能力者たちが同族の若者を護るために動き出したと聞く。
 けれども亮には亮を護ってくれそうな組織はついていない。
西沢だけが亮を見ている…。

 「何とか…裁きの一族に渡りをつけてみる。
あの一族の宗主が口を利けばあらゆる一族から助力が受けられる。
絶対に早まった行動はするなよ…。 」

 裁きの一族…その存在は伝説でしかない…そう思っていた。
古い時代の話で西沢の家にも言い伝えや古文書は残っているがそれだけのこと…。
滝川の情報もそのことに関してだけはあてにはならなかった。

  

 打ち上げを終えて仲間と別れたのは9時をまわった頃だった。
地下鉄の入り口近くまで来てふと首に違和感を覚えチェーンに手を触れた瞬間、チェーンがするするっと首から抜け落ちた。
 
 まさか…と思った。
西沢の金のチェーンがまるで引きちぎられたように切れていた。
何かに引っ掛けてしまったのだろうか…?
 亮は不安に感じながらも、暗過ぎてそれほどしっかりと調べることもできずにポケットにしまいこんだ。

 ふと目をあげると駅の入り口の前に先ほどまで居なかった男が立っている。
背後からはあの視線が向けられていた。

 亮は急ぎ駅を離れ、道を横切って大通りに出た。 
人波の中を歩いて次の駅へと向かった。
視線はどんどん近付いてくる。心臓がバクバク言っている。 

 次の駅…そこにはまたあの男が立っていた。
どうしよう…どうしよう…西沢さん…。

 駅の手前の小さな交差点で不躾な車がいきなり横付けた。
亮は驚いて思わず飛び退いた。

 「亮くん! 乗って! 早く! 」

 英武の顔が見えた。亮は慌てて車に飛び乗った。
こちらは車だというのに視線は相変わらず亮を追ってきた。

 「亮くん…チェーンは? 」

英武が訊いた。

 「切れちゃったんです。 引っ掛けた覚えはないんですけど…。 」

亮は困惑したように答えた。

 「ストラップあるでしょ。 あれをとにかく直に身につけて…。
腕時計でもベルトでもぶら下げちゃっていいから…。 」

 亮は急いで携帯からストラップをはずすとしっかりとベルト通しにつけた。
しばらくすると視線の気配は亮の行方を見失ったかのように消えていった。

 「相手に気がつかれていないうちならストラップでも十分誤魔化せたんだ。
きみの場合誰かに知られた後だったらしくて…。
 直に肌に触れるものの方が効果が高いんだよ。
帰ったらシオンがまた新しいのをくれるから…心配ない…。 」

 英武は亮を安心させるように言った。
西沢のマンションの灯かりが見えたとき、亮はやっとほっとした。



 「シオン! シオン! 」

 玄関の扉を開けるや否や英武は騒がしく声を掛けた。
寝室の方から飛び出てくる足音が聞こえた。

 「どうしたんだ? 大声出して…。 」

 西沢は英武のあとから入ってきた亮を見た。
亮は手にあのチェーンを持っていた。 
チェーンが…切れたのか…。

 「たまたま通りかかってラッキーだった。 シオンを呼ぶ声が聞こえたんだ。
亮くんに違いないと思ってね…。 
気付かなかった? チェーンが切れたの…? 」

奥の部屋から頭を掻きながら何事かと言うように滝川が姿を現した。

 「おや…英武。 久しぶり…。 元気してた…?」

 滝川は英武に向かって親しげに声を掛けた。
英武は眉を顰めた。

 「恭介…おまえまたシオンに悪さを仕掛けにきてるな…レオに言っとかなきゃ。
シオン…だめだよ…こいつに騙されちゃ…。
真面目そうに見えて内輪じゃ有名な女ったらしなんだからね。 」

 西沢は一瞬目を見張って噴き出した。
滝川が天を仰いだ。

 「はいはい…せいぜい気をつけましょう。 僕は女じゃないけどね。
恭介がその気にならんとも限らんし…。 
亮くん…おいで…御免な気付かなくて…。 怪我はない? 」

 亮は頷きながら切れたチェーンを渡した。
西沢は受け取って切れたところを確認した。

 「誰かに…貸した? ひとつだけ繋ぎ目が広げてある。 このチェーンは繋いでから潰してあるから繋ぎ目はよほどのことがなければ自然には広がらないんだ。」

 思い当たるのは…でもまさか…。

 「西沢さんの講演を聞いている間だけ…直行に貸しました。
タロット占いの魔女に扮してたんで光り物がいるって言うから…。
でも…直行はそんなことをするようなやつじゃないです…。 」

 直行は高校時代からの親友だ。
亮から借りたものをわざと壊すようなひどいことはしない。
亮はそう信じたかった。

 「そうだね…多分何かに引っ掛けたのに気付かなかったんだろう…。
なんだかあちらこちらにいろんなものが置いてあったからね。
だけど…御守りはずっと身につけていないと意味がないよ…。 」

 西沢はまた自分の首からチェーンをはずして亮の首につけた。
ふっと西沢のものではないコロンの香りがした。思わず滝川を見た。

 「…気になる? 滝川の香りがする…? 
さっき恭介がここにキスマークつけたからね。 香りが移ったんだろう。
 油断してると本当に悪さするんだよ…こいつは…。 それで英武が怒るわけ…。
僕もこいつにはイライラさせられる…。」

 西沢は自分の首を指差して呆れ顔でそう言った。
悪口を言われているのに滝川は一向に気にしていないようで泰然と笑みを浮かべている。

 「シオン…それじゃ僕は家へ戻るよ。 
何かあったら連絡して…くれぐれもこいつにだけは気を許すな。 」

 英武はにこやかに手を振っている滝川を睨みつけると、亮には優しくおやすみを言って帰って行った。

 「紫苑…早く寝ようよ…。 いい夢見ようぜ。 」

滝川がまた猫なで声を出した。
 
 「勝手に寝とけ! 」

 西沢がイライラした様子で怒鳴った。
つれないなぁ~と言いながら滝川は紫苑の寝室の方へ戻って行った。

どう…受け取っていいのか亮には状況がよく読めなかった。

 「西沢さん…滝川先生が好きなの? 」

当惑した顔で亮は訊ねた。 西沢はクスッと笑った。

 「僕が? そう見える? そうだね…嫌いではないかもね。
あいつが無遠慮に僕に触ったり、あの妙な口調で話をしなければね…。

 昔馴染みなんだよ…僕が伯母に女装させられてた頃からの…。
あいつの頭の中にはいまだに初恋の相手…女の子の僕がいるんだ…。
僕としては有り難くない記憶だけど…。 」

 ああ…伯母さんの趣味の犠牲者なんだ…と亮は納得した。
狙われて怖いめに遭った後だったが、滝川という奇妙な男の出現でさほど動揺せずに済んだ。

 ただ…チェーンが切れやすいように繋ぎ目に細工されていたという事実だけは心に引っ掛かった。
 直行でなければ…いったい誰が…どうやって細工を…?
亮の周りにいるのは友だちばかり…疑いたくはないが…。

 身近に敵がいる…今夜…初めてそれを実感した。
そのことが亮の心に重く圧し掛かった…。  





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現世太極伝(第七話 忠告)

2006-02-02 16:05:41 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 ソファの背もたれに身を預けながら西沢はじっと天井の方を睨みつけていた。
いろいろなことが頭に浮かんでは消え…浮かんでは消え…考えがまとまらない。
帰宅してからずっとあの写真の揺らぐ光のことを考えていた。

 宇宙がまだ混沌としていて天も地も無かった頃、渾然としたものがひとつに集まって太極(気)となった。
 太極が動くと陽となり天ができ…静まると陰となり地ができた。
陰と陽とは結合と分裂を繰り返して、金・水・木・火・土の五つの気…五行を生み出した。
 この五つの気が絡み合ってこの世のすべてを創り出した。
五つの気は互いに生み出す…相生する関係であり、また互いに剋し合う…相剋する関係でもある。
 金は水を…水は木を…木は火を…火は土を…土は金を生ずる関係にあり、金は木を…木は土を…土は水を…水は火を…火は金を剋す関係にある。

 太極思想とは…西沢が覚えている限りでは、そのような内容であったと思う。
だが…この中国の易経など古い文献に見られるような古代の思想がいったい今の時代にどう関わってくるというのだろう…。

 意思を持つエナジーが実際に存在するとして…それらはこの太極思想を以っていったい何をしようとしているのか?

 亮をやつらに近づけてはならない…絶対に…。
相手が人間じゃなければなおさら…この先どうなるか予想もつかないんだから…。

 西沢はふうっと大きくひとつ溜息をつくと立ち上がり、いつもと変わりない様子で仕事部屋に向かった。



 終了のベルが鳴って前期の試験がようやく終わった。
高得点の自信はないが…落第することは無いだろう…。
亮は直行と連れ立って学生食堂へ向かった。

 出入り口のところで夕紀とすれ違った。
夕紀は何事も無かったかのように笑って平然とふたりに手を振った。

 この間ふらっと帰ってきたんだ…と直行が呟いた。
何も変わったところはなくて、まるで旅行にでも行って戻ってきた感じ…。
でも…知らない男がついてた。

 直行は完全に諦めモードだった。
外を覗くと10歳は年上と思われるイケ面のお兄さんが来ていた。
 なんだよそれ…ひどくねぇ? 亮は憤慨した。
仮にも婚約者の前で別の男と…その神経がわかんねぇ。
 
 夕紀は何か男と親しげに話した後、男に手を振ってから何食わぬ顔で学食の方へと戻ってきた。 

 「おまえってさ…最低だな。 直行ほっといて別の男に乗り換えてさ。 
超美少女なんて言われて調子に乗ってんじゃないの? 」

 亮は思わず夕紀にきついことを言った。
夕紀は何言ってんのよ…とばかりにつんと顎を突き出して亮をにらみつけた。

 「下衆の勘ぐりだわよ。 あの人とはそんな関係じゃないわ。
万物創世に関しての崇高な理論を教えてもらってるの。 導師さまのひとりよ。
馬鹿なこと言ってないであなたも一緒に来て勉強しなさい。 」

 亮と直行は思わず顔を見合わせた。
夕紀は何かの新興宗教にかぶれたに違いない。これは大変だ…。

 ふたりが困惑している間に夕紀は仲の良い女友達を見つけて一緒に何処かへ行ってしまった。

 亮はふと…自分に向けられている視線を感じた。
あの視線かと思って一瞬ドキッとしたが、亮を見ていたのは高木ノエルだった。
ノエルは亮が気付いたのを知るとすぐに視線を逸らせ、講義室のある校舎の方へと出て行った。

 食券の引き換えを直行に頼んでおいて亮は高木ノエルの後を追った。
ノエルが何か知っていそうな気がした。



 試験が終わった後の講義室は人気が無く、しんと静まり返っていた。
その中央あたりの陽だまりの中にノエルはいた。

 「きみ…何か知ってるの? 夕紀が何処に居たのか…何をしていたのか…? 」

 ノエルは瞑想中のようで静かに目を閉じていたが、亮に問いかけられて薄っすらと眼を開き穏やかな声で窘めた。

 「関わるな…。 関わればおまえも否応なしに巻き込まれる…。 」

 この声…女の子の声じゃない…。亮は驚いて訝しげにノエルを見た。
今まではっきりとノエルの声を聞いたことが無かった。
如来像のような優しい顔立ちから女の子だとばかり思っていた。

 「きみ…男…? 」

亮がそう訊ねるとノエルは気持ち微笑んだ。

 「関わるな…。 何も訊くな…。 何も考えず…何も知らず…おまえは楽しく学生生活を送っていればいい。
おまえを護るために必死になっている…あの男のためにも…。 」

 西沢さんのこと…?
まさか…ノエルが西沢さんを知っているはずがない…。
そりゃぁ有名人だけど…僕との関わりまで…分かるわけがない…。

 「…ほっとけないんだよ。 夕紀も直行も友だちだから…。 」

ノエルは少し表情を強張らせた。 

 「その首のチェーンに込められたあの男の気持ちを無にするのか…?
おまえを危険から遠ざけ…おまえの命を護るために…途切れることなく力を使い続けている…。
 それは魔法ではない。 呪詛でもない。
あの男が自分の体力を削り続けながらおまえをガードしているから、おまえは平穏に毎日を過ごせているのだ…。 」

 えっ…? どういうこと…? これは…これはただの御守じゃないの…?

 「おまえの存在は既に知られている…。 
これまでにもおまえに近付こうと試みた者がいたが…そのたびに…その首のチェーンとストラップが強力な障壁を張っておまえの存在を覆い隠した。

 あの男に…感謝するんだな…。 
これ以上鼻を突っ込むとあの男まで巻き込むぞ…。 」 
 
 そう言うとノエルは立ち上がり、振り返りもせずに講義室を出て行った。
陽だまりが揺れた。
ノエルが居なくなった陽だまりを亮はぼんやりと見つめていた。



 木戸の都合で閉店時間まで仕事をしていた亮は、西沢のところには寄らずに真っ直ぐに家へ戻った。
玄関先の門灯が珍しく光を放っていた。

 親父だ…と亮は溜息をついた。話すこともないから顔を合わせるのも億劫だ。
ただいま…と声だけかけて、そのまま二階の自分の部屋に引っ込むつもりだった。

 「亮…。 」

 父親の呼ぶ声が亮を追ってきた。
仕方なく階段のところに荷物を置いて居間へ向かった。

 居間のソファに腰を下ろして父は自分宛の書簡を調べていた。
ほとんどは何処かへ転送されていてめったに自宅へ届く書簡はなかったけれど…。

 「それ…おまえに…だそうだ…。 」

 父…有(たもつ)はキッチンのテーブルを顎で示した。
テーブルの上には海外旅行の土産と思しきチョコレートの箱やTシャツなどがいくつも置かれてあった。
 察するに何処かの誰かさんからの差し入れだ。
前にもそんなことがあった。

 「どうも…。 」

 貰って嬉しいわけもなく亮はお義理で礼を言った。
有はふと…亮の首のチェーンに眼をやった。

 「気障な格好をするようになったな…。 そんな派手なチェーンをつけて…。」

 カチンときた。何つけようと勝手だろ…。
何処かの誰かさんのお義理のTシャツなんかよりずっと心がこもってるんだから。

 「母さんに買ってもらったのか…? こどもが買えるような代物じゃないな。」

 こどもって…いくつだと思ってんだよ…ったく。
これでも少しは稼いでんだぜ…。

 「母さん…? ここ半年ほどお目にかかってないよ。
あんたも同じようなもんだけどね…。
 僕ことより…どこかに居る僕の弟くんのことでも心配したらいいのさ。
ミサ叔母さんが言ってたぜ…小さい男の子がいるんだって? 」

有は何を馬鹿なというような視線をチラッと亮に向けた。

 「弟…? ミサがそんなことを…? 困ったやつだ…。 」

 ふふんと鼻先で笑い飛ばして有は立ち上がった。
すれ違いざまに亮のチェーンに指をかけて持ち上げた。

 「本物だな…。 どうやって手に入れたのかは知らんが…。
ろくでもないやつに引っ掛けられないようによくよく注意することだな…。 」

 ろくでもないやつ…? 亮はカッとなった。
違う…西沢さんは…。

 「ろくでもない女に引っ掛けられてるあんたに言われたかないね。 」

 有の手が亮の頬を思いっきり張り飛ばした。
亮の唇から薄っすらと血が滲み出た。

 亮は父親に一瞥をくれるとものも言わずにそのまま家を飛び出した。
悔しくて涙がこぼれそうになるのをかろうじて堪えた。



 亮が唇の端から血を滴らせて飛び込んできたのを見て西沢は心底驚いた。
誰かに襲われたのかと勘違いするほどに…。
原因が親子喧嘩だと分かって一先ずはほっとした。

 「心臓止まるかと思ったよ。 」

亮の頬を濡れタオルで冷やしてやりながら西沢は苦笑した。

 「こんな遅い時間に来ちゃって…ごめんなさい…。 」

申し訳なさそうに亮は西沢を見た。

 「いいよ…そんなこと。 僕としては…来てくれた方が安心だよ…。
ひとりで外をうろうろしてたら危ないからね…。 」

西沢は穏やかに笑みを浮かべた。

 あの男は途切れることなく力を使い続けている…自分の体力を削り続けながらおまえをガードしている…。

 ノエルの言葉が亮の中にこだました。
どうして…だろう…。
この人はどうして…そうまでして僕を護ろうとするんだろう。

 知りたい…知りたいけれど…訊けない…訊いたらすべてが終わってしまいそうな気がする。
せっかく繋がりかけた何かの絆が切れてしまいそうで…。

 お腹空いてないかい…などと優しく訊ねる西沢を見つめながら、亮もまた喉まで出掛かっている言葉を飲み込むしかなかった。





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現世太極伝(第六話 意思を持つエナジー)

2006-02-01 17:36:57 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 夏季休暇も終わって間もなく前期試験だという頃、いつものように書店のロッカールームに荷物を置いて、エプロンを掛けながら店に出てきた亮を店長やバイト仲間の木戸が手招きした。

 「亮くん! 亮くん! 見た? 滝川恭介の新しい写真集。 すげぇの!
これ間違いなく西沢さんだよ。 」

 木戸が興奮したように言った。店長が入ったばかりの本を手渡した。
『滝川恭介の遊び心…バーチャル世界の住人』…なんじゃそりゃ…。

 表紙にはまるでゲームの世界から飛び出してきたような…つまり…理想を絵に描いたような男が俯き加減にこちらを見詰めていた。
 メイクと衣装で少しは感じが変わっていたけれど…紛れもなく西沢だった。
ほんとにモデルさんだったんだ…と亮は妙なところに感心した。

 「えっと…世の中がアナログからデジタルに変化していく時代にあって、敢えてデジタルをアナログで表現してみたくなった…ふうん…。 」

帯の紹介文をざっと読むと扉を開けた。

 亮が今まで見たことのない別の顔をした西沢がそこにいた。
扉を開けた途端…まったく別の空間に誘われるような奇妙な感覚に襲われた。

 写真の中の西沢は仮想の世界の住人たちの持つそれぞれの特異なパーソナリティを現実に生あるものとして表現している。
 廃墟の魔物であったり、甦る聖者であったり、神託を受けた戦士であったり、誘惑する妖精であったり…天使…魔女…。
その刹那刹那を滝川が捉えフィルムに焼き付ける。

 取り留めもなく脈絡もない滝川恭介の空想と創造の世界…それを実際に具現化しているのは撮っている滝川なのか被写体の西沢なのか…。
内に火花を散らす写真家とモデルの激しい鬩ぎ合いさえ感じられる。

 際物でありながら滝川恭介の趣味的写真集はそれを眼にした人にどうにも抗い難い不思議な魅力と強烈なインパクトを与えた。

 「何かこう…どきどきしちゃうぜ。 こんな人が身近にいるんだと思うとさ。」

木戸は感動したように言った。
 
 「西沢さんはクォーターだからね。 奇跡的にバランスよく西洋と東洋の美が融合したってところだな…。
血の繋がってる義理の兄弟たちも結構いい男だけどここまでじゃないもんな…。」

 まるで見てきたように話すのを聞いて木戸と亮は同時に店長の顔を覗きこんだ。

 「店長…西沢さんとそんなに親しかったんですか? 」

木戸が問いかけると店長はにんまりと笑った。

 「西沢さんとはそれほどじゃないけど…義理の兄さんが僕と同級生なんだ。 」

へえ~店長ってそんなに若かったんだ…と木戸と亮は無言で顔を見合わせた。



 マンションの玄関に足を踏み入れた瞬間、上がり框に柄の大きな男がエプロン姿で立っていてドキッとした。 

 「紫苑(シオン)! 亮くんだ…亮くんが来たぞ! 」

 えっ? 誰? 亮は見知らぬ男から急に名前を言われて驚いた。
中から西沢ともうひとり西沢と同い年くらいの男が現れた。

 「亮くんだって…シオン…ちょうどよかったね…。 」

男は親しげに西沢に声を掛けた。

 「お帰り…亮くん。 このふたりは僕の義理の兄弟…ほんとは従兄弟だけどね。
こっちのでかいのが怜雄(レオ)、こっちが英武(エイブ)…。 」

 ふたりはにっこり笑って小さく頭を下げた。
亮もどぎまぎしながら頭を下げた。

 写真集が出たのを聞きつけて兄弟揃って西沢を冷やかしに来ているという。
横文字読みの名前はどうやら北欧の人だった祖母に分かりやすいようにと祖父が考えたものらしい。

 怜雄と西沢が食事の用意をしている間、英武は亮を相手に滝川恭介の写真集を見ながらあれこれ感想を述べていた。

 「これかなり露出度高いじゃない…シオン…珍しいね…。
でも…いいよなぁ…シオンは綺麗で…どこから見ても絵になるもんね。 
同じお祖母ちゃんの血を引いてるのに僕ら柄がでかいだけだもんなぁ…。 」

 英武はチラッと怜雄を見た。怜雄はちょっと肩を竦めた。

 「子供の頃さ…シオン…女の子の服着せられてたんだ。
おふくろがシオンのこと女の子みたいだからってすごく可愛がっててね。
まるで着せ替え人形みたくとっかえひっかえ可愛い格好させてさ。 

 でも…中学生になるとさすがに背が伸びて男の身体つきに成ってきたんで女物じゃだめで、やっと普通に好きなもの着せてもらえるようになったんだ。 」

 英武がふと思い出したように亮に話した。
西沢さん…ほんとは嫌だったんじゃないのかな…そんなふうに扱われるの…。
亮は西沢の顔を見た。西沢がその視線に気付いて軽く笑って見せた。 

 西沢たちが家族と言えるなら…亮は久々に家族との食事を味わった。
談笑しながら食べたり飲んだり…そんな食卓があることなどずっと忘れていた。
 西沢とふたりで食べるようになった時にさえ、いつもと味が違うように感じられたのに、怜雄と英部が加わっただけで話題も笑いもぐんと増えて、何だか食欲まで増してくるような気がした。

 

 お休み…またね…と亮を送り出した後で西沢は怜雄と英武の待つ居間へ戻った。
英武がちょうど手際よく片づけを済ませたところだった。

 「シオン…亮くんにはまだ何も話していないんだね…? 
何も気付いていないし…まだ完全におまえのことを信じているわけでもない…。」

怜雄に訊かれて西沢は寂しげにうん…と頷いた。
 
 「どうして…? 話してしまえばいいじゃない。 ねえ…レオ…そう思わない?
その方がずっとあの子のこと護りやすくなるよ。 」

英武が不思議そうに言った。

 「あの子がひとりだったら…とっくに話してるよ。 
でも…両親がいるんだ…たとえ両親とも亮に対してネグレクト状態でも…。
 許されるのなら…すぐにでも亮を引き取ってしまいたいくらいのひどい状態なんだけど…金銭的な面倒だけは看てるみたいだし…。 」

 西沢は悲しげに溜息をついた…。そう…できるものならすぐにでも…。
英武がそっと西沢を抱きしめた。

 「悲観しないで…シオン…チャンスはあるよ。 」

怜雄も優しく西沢の手を取った。

 「大丈夫だよ…可愛いお姫さま…僕らも協力するからね。
あの子をしっかり護ってやろうじゃないか…。 」

 西沢は思わず苦笑した。
相変わらず…ふたりとも僕を女の子扱いするんだ…。
英武よりずっと背が高いし…喧嘩も強いのに…。

 中学生になるまで西沢が伯母の着せ替え人形だったこともあって、怜雄にも英武にも姉妹としての紫苑の姿が目に焼きついている。

 その上ふたりは伯父から…可哀想な紫苑を絶対に泣かせるな…みんなで可愛がってやるんだぞ…と厳しく言い聞かされて育っていて未だに西沢には甘い。

 本当はそんなこと望んでいない…伯母にも…怜雄や英武にも…ありのままの…男である紫苑を受け入れて欲しいだけ…。
 だけど…言えない…。
引き取り手のない紫苑を温かく迎え入れてくれた人たちだから…。

 電話がせわしなく西沢を呼びたてた。
西沢が受話器を取ると滝川の唐突な声が飛び込んできた。

 『オ~・マイ・スイ~ト・ハ~トお元気~? 』

いつもながらの猫なで声…。癇に障る…。

 「酔っ払ってんのか! 切るぞ! 」

西沢は電話口で怒鳴った。

 『チョイ待ち! 悪かった! ほんの冗談!
例のことで追加の情報が入ったんだ。 明日にでも会えないか…?
ここへ来てくれると有り難いんだけど…。 』

 滝川は慌てて口調を変えた。
追加の…情報…? 西沢の気分が少し和らいだ。

 「分かった…。 」

 今はできる限り沢山の情報を入手する以外にない。
西沢の一族の規模も決して小さくはないが、情報収集にかけては滝川の一族の方が上をいっている。
 滝川の一族はこうした家系には珍しく全国に傍系の族人が散らばっていて他の一族との交流が盛んだからだ。

 世界レベルなんて大組織を相手にするつもりなら、情報通の滝川は西沢にとって力強い味方ということになる。
多少のことには眼を瞑ってやるか…と西沢は思った。 



 あの部屋…にまた西沢が来ている…というのでスタッフたちは色めきたった。
西沢の予想に反して写真集は飛ぶように売れていて、もしかしたら次の仕事の相談か…?などと勝手な予想をたてていた。

 「こんなに受けるとは思ってなかったが…。 」

撮った本人がこの状況に驚いていた。
 滝川はあの写真集の売れ行きについてくどくどと…西沢に言わせればだが…喋り捲った。

 「そっちはどうでもいいんだ…。 聞きたいのは…」

 いい加減じれてきた西沢の目の前に写真が差し出された。
何処かの街角で亮と同じくらいの年格好の男の子が不安そうに立っていた。

 「その写真には男の子がひとりしか写っていないだろ…。
だが…撮影者の目にはその子をどこかへ連れ去ろうとする男と女の姿がはっきりと見えていた。
 シャッターを押した瞬間だけふたりが移動したわけじゃない。
そこに居たにも関わらず写らなかったんだ。 」

 西沢はその写真を見直した。
男の子の外には何処にも人らしきものの姿は見当たらない。

 「このぼんやりと輝くものは…? 」

 男の子の周りに薄らと揺らぐような光が写っていた。
西沢はそれを指差して滝川に訊ねた。

 「最初は…霊体かとも思った。 だが…その筋の能力者は違うという…。 
光が入ったわけでもない。 これを撮ったやつも一応プロなんだ。 」

 腕は確かさ…滝川は答えた。

 「この子は僕と同族の若手で、たまたま通りかかったやはり同族のカメラマンが何かの時の証拠として写したんだ。 
後でフィルムを見て愕然としたわけ…。 」

揺らぐ光…西沢の脳裏を何かがめまぐるしく駆け回った。

 「エナジー…何かのエナジーだ。 
ということは…その男女はエナジーの具現化されたものだということになる。
眼には見えるのに実体がない…。 」

どういうことだ…何が起きているんだ…? 西沢はごくりと唾を飲み込んだ。

 「おいおい…とんでもないぞ。 意思を持つエナジーか…?
やめてくれよ…そんなもの有り得ないぜ。 」

滝川は肩を竦めた。西沢は黙り込んだ。

 「もうひとつな…。 やつらのもとで洗脳された連中はしばらくすると帰って来るんだが…洗脳は解けない。
 そいつらの言葉でよく使われるのが太陽とか月とか…陰…陽…。
最初は…陰陽道かとも思ったんだが…少しタイプが違っていて…よく分からない。
どうやら陰陽師の呪文とか式神とかとはあんまり関係ないみたいなんだ…。 」

 二極思想だ…と西沢は思った。
陰陽道もそれから派生したものだが、宗教めいたことは別として純粋にエネジーだけのことを考えると、そのおおもとになっている太極思想に行き着く。

 なぜなんだろう…なぜ…この時代にそんな古代の思想が復活してきてるんだ…?
しかも世界レベルで…だ。
 自分が立ち向かおうとしているものが、なぜかあまりにも途方もないようなものに感じられて西沢は思わず身震いした。





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