徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

現世太極伝(第十一話 ―声― )

2006-02-09 17:40:01 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 クリスマスプレゼントの包みを開けた時西沢はなんとも複雑な表情を浮かべた。
使い心地のよさそうな小さめの旅行鞄…ここから旅立てと言わんばかりの…。
西沢は嬉しそうに…けれど寂しそうに笑った。

 「持ってなかったんだ…ひとつも…嬉しいよ。 有難う…亮くん…。 」

 真新しい鞄の感触を楽しむかのように西沢は鞄の表面をそっと撫でた。
もう何年も前に捨ててしまった…鞄。
失ってしまった両の翼…。
西沢は過去を懐かしむように切なく微笑んだ。

 「温泉…行こうか…? せっかく鞄…貰ったんだし…。
僕も久々に遠出がしたくなった…。 バイト…休み…取れない? 」

 ふと…思いついたように西沢は訊いた。
休みは何とかなっても、この時期は予約で満室だろうからもう旅館の部屋の方が空いてないよ…と亮は答えた。

 「ひとつだけ…。 毎年養父が僕のためにとっておいてくれる部屋があるんだ。
僕は一度も利用したことはないけど…いつもは代わりに友だちや相庭に行って貰ってるから…。
 そこでよければ…大晦日から正月にかけて利用できるよ。
結構いい旅館らしい…相庭の話ではね…。 」

 亮がプレゼントしてくれた鞄…だもの…使わないままじゃ申し訳ない。
この際…伯父の息のかかったところでも仕方ない…な。

 亮は早速仕事仲間の木戸とパートさんに大晦日の勤務を代わって貰えるかどうか確認した。
 パートさんは主婦なので大晦日は忙しくて無理だったが木戸が代わってくれた。
元旦は店自体が半日で店長とその弟の副店長が当番なので問題ない。
何とか一泊二日は確保した。
後はこのまま何事も起らず周りがみな平穏無事であることを願うだけだった。
 


 「ねえ…夕紀…。 頼むから少しは僕の話を聞いてくれよ。
きみの命に関わるんだよ…。 
このままあの男と関わり続ければ争いに巻き込まれて死ぬかもしれないんだよ。」

 分かってるわ…そんなこと…と夕紀はあからさまに不機嫌な顔をした。
久しぶりに夕紀とふたりきりなのに…なんでこんな話をしなきゃいけないんだ…と直行は情けなくなった。

 「妬いてるわけじゃないんだ…。 心配なんだよ…。 
もしきみに何かあったらと思うと…生きた心地がしないんだ…。 」

 それは直行の本音だった。
ノエルから事情を聞くまではあのイケメンの導師さまとやらにかぶれた夕紀が心変わりして直行から離れていっただけのことだと考えていた。

 直行にとってそれはつらいことだけれど、それならそれで仕方がないんだとも思っていた。
 夕紀のような華やかな女性がいつまでも自分の傍に居てくれるわけがない…。
夕紀が本心を話してくれたなら…諦めよう…。
そんなふうに心に決めていたのだった。

 だが…今は事情が違ってきた。
イケメンにかぶれたんではなく何かに洗脳されて危険な目に遭おうとしている…。
助け出さなきゃ…そんな危険な組織からは抜けさせなきゃ…。  
直行は必死に説得を始めたのだった。

 「あのね直行…。 いまこの世界は大変なことになっているのよ。
ほっておいたら人類どころかすべてが絶滅しかねない危機にあるの。
誰もそのことには気付いていない。 気付かない方がいいかもしれないわ…。
 その危機的状態を少しでも改善させるために私たちが働いているの。
だから私ひとりの命なんて惜しいものじゃないわ…。 」

 夕紀は自分の言葉にうっとりと酔いしれているようだった。
直行は天を仰いだ。ここまで洗脳されているとは…。

 「馬鹿言っちゃいけない。 誰の命であろうと惜しくない命なんてないんだ。 
ひとりの命を粗末にするようなやつらにこの世界が護れようはずがない。 」

 どうあっても僕はやつらに取り込まれるわけにはいかない。
夕紀を救うためには僕が正気でいなければ…。

 もはや夕紀には何を言っても無駄と悟った。
まるでアニメかゲームの勇者気取り…人間であることさえ忘れているようだ。

 しばらく夕紀とは距離を置こう…捜せば…必ず何か夕紀を正気に戻す方法があるはずだ。
 待っていて夕紀…必ず救い出してあげるから…。
他人の意見を聞こうともしない夕紀に直行は心の中でそう語りかけた。 



 「いいなあ…温泉かぁ…。 俺も行きてぇ…。 」

 木戸が羨ましげに言った。
客が読み散らかした本や雑誌を傷になっていないか確認しながら、亮はそれらが元々置かれてあった場所に戻していった。 

 「年明けてからスキー行くって言ってたじゃない? 」

 そう言って笑うと、そうなんだけど~と木戸は頭を掻いた。
静かにドアが開いて女の子が入ってきた。

 「あ~居たぁ。 亮くん…おはよ~。 」

 亮くん…? 亮が振り返ると、そこに立っていたのはあの千春だった。
あの子に…名前なんて話したっけ? 
亮は不審に思いながら…おはようと答えた。

 「ねえ…明日…映画とか行かない? 年末で忙しいかも知んないけど…。 」

 ふわっとした頬の可愛らしい顔でにっこりと微笑んだ。
思わずドキッとしたがなぜか不安の方が先に立った。

 「ごめん…。 前からの先約があるんだ。 」

本当は明後日なんだけどね…と内心思いながら申し訳なさそうに断った。

 「亮くんさ。 いい人と…温泉行くんだって。 」

 千春を彼女と誤解した木戸が思わせぶりにそう言った。
千春はえぇっ…?と声を上げて亮の顔を見た。

 「そっかぁ。 亮くん彼女いたんだ。 誘っちゃってごめん…。
お兄さん…その彼女に内緒にしといてね…。 」

 真面目に受け取った千春は木戸にそう頼んだ。
木戸は慌てた。悪い…ごめんな…というような顔をして亮を見た。

 「じゃあ…亮くん…また空いてる時一緒に遊ぼうね…。 」

がっかりしたようにそう言って千春は帰って行った。

 「亮くん…ごめん…まさか本気にすると思わなかったから…。
せっかく可愛い子から誘ってもらったのに…。 」

木戸は必死で謝った。

 「別に…いいよ。 付き合ってるわけじゃないんだし…。 」

 亮は木戸の悪戯に腹が立つよりむしろほっとしていた。
僕は名乗った覚えがない…千春の名前は確かに聞いたけれど…。
 千春が誰から亮の名前を聞き出したのか…そのことが心に引っ掛かった。
取り敢えず危機は免れた…そんな気持ちにさえなっていた。



 西沢家が毎年予約を入れるという老舗の旅館はいくつかの離れを持っていて、それぞれが趣向を凝らした造りになっていた。
 養父である伯父は顔を知られている西沢が人目を気にせず落ち着いて過ごせるようにと本館ではなくわざわざ離れを予約しているようだ。 

 車寄せで車を降りて係員にキーを預けた瞬間から、周りに居合わせた人々の視線が例外なく西沢の方に向けられていくのを亮は感じていた。

 何しろ西沢は目立つ。
メンズのファッション誌や映画のパンフレットからそのまま飛び出てきたような秀麗な容姿は黙っていても人目を惹く。
 
 特に西沢のことを知っているわけじゃなくても自然と眼が行ってしまうくらいだから、あたりの人から紫苑だ…紫苑じゃない…?などという囁きが聞こえるようになると人だかりができるのは必至で、旅館の方も気を利かせてそうなる前に早々に部屋に案内してくれた。
 
 部屋と言っても離れは露天風呂つきの平屋のようなもので、食事をしたり寛いだりする十何畳の部屋の他に、広縁、寝室用の広い部屋、洗面所と室内風呂、踏込みなどがあり、ふたりでは広過ぎて寒いほどのスペースがとってあった。

 旅館に入るまでに近隣の観光名所を見て廻るには廻ったが、何処へ行っても西沢は視線を浴びていてゆっくりとはさせて貰えなかった。   
 
 「亮くん…疲れたろ。 風呂巡りに行ってきたら? 
本館には大露天風呂があるんだって…。いろいろ趣向を凝らしてあるらしいよ。」

 西沢は旅館の案内を見ながらそう勧めた。
ひとりで…西沢さんは…? 亮がそう訊くと西沢は外を指差した。

 「僕は…ここの露天風呂で…。 他人の視線が煩わしいから…ね。
行っておいでよ。 せっかく来たんだし…さ。 」

 ひとりじゃつまらないなぁ…と亮は口を尖らせた。
西沢はくすくす笑いながら…それじゃきみが帰って来るまで待っててあげるから…この部屋の露天風呂に一緒に入ればいいさ…と言った。
それなら…というので亮は本館の風呂巡りに出かけていった。

 亮が出かけてしまうと西沢はスケッチブックを取り出した。
道中、心に留めておいたものを描こうとしたのだが…何も描かないうちにうつらうつらし始めた。
 仕事で以外滅多に遠出しないせいか、鳥籠を出て気が緩んだためか思ったより深い眠りだった。



 どのくらいそうしていたのか…けたたましくなる電話のベルに起こされた。
ふと時計を見ると…それでも一時間は経っていない。 
 
急いで受話器をとると取次ぎの後に、怒ったような男の声が聞こえてきた。

 『紫苑…亮はそこにいるか…? 』

風呂へ行ってる…と西沢は答えた。

 『どういうつもりだ…? この大晦日に亮を連れ出すとは…。 
何を考えているんだ…? 』

 別に…他意はない…と言った。
電話の相手は少し興奮しているようで…その答えには納得しなかった。

 『やたら高級なアクセサリーを買い与えたり…今度は亮のようなこどもに相応しいとは思えない高級旅館へご招待か…。
俺に対する面当てなのか…?  』

 西沢の肩が怒りに震えた。
さんざん亮を無視しておきながら…勝手なことを…。

 「僕が亮を可愛がっちゃいけないのか? 亮と旅を楽しんじゃいけないのかよ?
亮は弟だぞ! 僕らふたりを捨てたあんたにどうこう言われたかないね! 」

 激しい口調で電話の相手に詰め寄った瞬間、西沢は背後に亮の気配を感じて振り返った。
大きく眼を見開いた亮がそこにいた。

 何も言えなくなって西沢は亮に受話器を渡した。
お父さんだ…と。

 「代わった…。 」

亮は比較的落ち着いた声で言った。

 『亮…出かけるなら書置きぐらいしておけ…。 
紫苑に迷惑かけるんじゃないぞ…。 』

 父の声は心なしか元気がなかった。
うん…とだけ亮は答えた。

 「小さな弟…じゃ…なかったんだ…。 」

 受話器を置きながら亮は呟いた。
西沢のマンションに初めて行った時の…あの電話の声…どこかで聞いた声だと思っていたが…道理で聞き覚えがあるはずだ。

 「どこかに…兄弟が居ることは知ってたけど…年上だとは思わなかった。 」

 亮は夢でも見ているような眼差しで西沢を見た。 
明らかに…西沢は動揺していた。
広縁のソファに腰を下ろすとがっくりと肩を落とした。

 「ごめんね…驚いた…? 最初に…全部…話してしまえば…良かった…ね。 」

 西沢は力なく亮に話しかけた。
亮は静かに反対側のソファに腰掛けた。

カチカチという時計の音が広い部屋の中でやたら大きく鳴り響いて聞こえた…。 




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