徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

現世太極伝(第七話 忠告)

2006-02-02 16:05:41 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 ソファの背もたれに身を預けながら西沢はじっと天井の方を睨みつけていた。
いろいろなことが頭に浮かんでは消え…浮かんでは消え…考えがまとまらない。
帰宅してからずっとあの写真の揺らぐ光のことを考えていた。

 宇宙がまだ混沌としていて天も地も無かった頃、渾然としたものがひとつに集まって太極(気)となった。
 太極が動くと陽となり天ができ…静まると陰となり地ができた。
陰と陽とは結合と分裂を繰り返して、金・水・木・火・土の五つの気…五行を生み出した。
 この五つの気が絡み合ってこの世のすべてを創り出した。
五つの気は互いに生み出す…相生する関係であり、また互いに剋し合う…相剋する関係でもある。
 金は水を…水は木を…木は火を…火は土を…土は金を生ずる関係にあり、金は木を…木は土を…土は水を…水は火を…火は金を剋す関係にある。

 太極思想とは…西沢が覚えている限りでは、そのような内容であったと思う。
だが…この中国の易経など古い文献に見られるような古代の思想がいったい今の時代にどう関わってくるというのだろう…。

 意思を持つエナジーが実際に存在するとして…それらはこの太極思想を以っていったい何をしようとしているのか?

 亮をやつらに近づけてはならない…絶対に…。
相手が人間じゃなければなおさら…この先どうなるか予想もつかないんだから…。

 西沢はふうっと大きくひとつ溜息をつくと立ち上がり、いつもと変わりない様子で仕事部屋に向かった。



 終了のベルが鳴って前期の試験がようやく終わった。
高得点の自信はないが…落第することは無いだろう…。
亮は直行と連れ立って学生食堂へ向かった。

 出入り口のところで夕紀とすれ違った。
夕紀は何事も無かったかのように笑って平然とふたりに手を振った。

 この間ふらっと帰ってきたんだ…と直行が呟いた。
何も変わったところはなくて、まるで旅行にでも行って戻ってきた感じ…。
でも…知らない男がついてた。

 直行は完全に諦めモードだった。
外を覗くと10歳は年上と思われるイケ面のお兄さんが来ていた。
 なんだよそれ…ひどくねぇ? 亮は憤慨した。
仮にも婚約者の前で別の男と…その神経がわかんねぇ。
 
 夕紀は何か男と親しげに話した後、男に手を振ってから何食わぬ顔で学食の方へと戻ってきた。 

 「おまえってさ…最低だな。 直行ほっといて別の男に乗り換えてさ。 
超美少女なんて言われて調子に乗ってんじゃないの? 」

 亮は思わず夕紀にきついことを言った。
夕紀は何言ってんのよ…とばかりにつんと顎を突き出して亮をにらみつけた。

 「下衆の勘ぐりだわよ。 あの人とはそんな関係じゃないわ。
万物創世に関しての崇高な理論を教えてもらってるの。 導師さまのひとりよ。
馬鹿なこと言ってないであなたも一緒に来て勉強しなさい。 」

 亮と直行は思わず顔を見合わせた。
夕紀は何かの新興宗教にかぶれたに違いない。これは大変だ…。

 ふたりが困惑している間に夕紀は仲の良い女友達を見つけて一緒に何処かへ行ってしまった。

 亮はふと…自分に向けられている視線を感じた。
あの視線かと思って一瞬ドキッとしたが、亮を見ていたのは高木ノエルだった。
ノエルは亮が気付いたのを知るとすぐに視線を逸らせ、講義室のある校舎の方へと出て行った。

 食券の引き換えを直行に頼んでおいて亮は高木ノエルの後を追った。
ノエルが何か知っていそうな気がした。



 試験が終わった後の講義室は人気が無く、しんと静まり返っていた。
その中央あたりの陽だまりの中にノエルはいた。

 「きみ…何か知ってるの? 夕紀が何処に居たのか…何をしていたのか…? 」

 ノエルは瞑想中のようで静かに目を閉じていたが、亮に問いかけられて薄っすらと眼を開き穏やかな声で窘めた。

 「関わるな…。 関わればおまえも否応なしに巻き込まれる…。 」

 この声…女の子の声じゃない…。亮は驚いて訝しげにノエルを見た。
今まではっきりとノエルの声を聞いたことが無かった。
如来像のような優しい顔立ちから女の子だとばかり思っていた。

 「きみ…男…? 」

亮がそう訊ねるとノエルは気持ち微笑んだ。

 「関わるな…。 何も訊くな…。 何も考えず…何も知らず…おまえは楽しく学生生活を送っていればいい。
おまえを護るために必死になっている…あの男のためにも…。 」

 西沢さんのこと…?
まさか…ノエルが西沢さんを知っているはずがない…。
そりゃぁ有名人だけど…僕との関わりまで…分かるわけがない…。

 「…ほっとけないんだよ。 夕紀も直行も友だちだから…。 」

ノエルは少し表情を強張らせた。 

 「その首のチェーンに込められたあの男の気持ちを無にするのか…?
おまえを危険から遠ざけ…おまえの命を護るために…途切れることなく力を使い続けている…。
 それは魔法ではない。 呪詛でもない。
あの男が自分の体力を削り続けながらおまえをガードしているから、おまえは平穏に毎日を過ごせているのだ…。 」

 えっ…? どういうこと…? これは…これはただの御守じゃないの…?

 「おまえの存在は既に知られている…。 
これまでにもおまえに近付こうと試みた者がいたが…そのたびに…その首のチェーンとストラップが強力な障壁を張っておまえの存在を覆い隠した。

 あの男に…感謝するんだな…。 
これ以上鼻を突っ込むとあの男まで巻き込むぞ…。 」 
 
 そう言うとノエルは立ち上がり、振り返りもせずに講義室を出て行った。
陽だまりが揺れた。
ノエルが居なくなった陽だまりを亮はぼんやりと見つめていた。



 木戸の都合で閉店時間まで仕事をしていた亮は、西沢のところには寄らずに真っ直ぐに家へ戻った。
玄関先の門灯が珍しく光を放っていた。

 親父だ…と亮は溜息をついた。話すこともないから顔を合わせるのも億劫だ。
ただいま…と声だけかけて、そのまま二階の自分の部屋に引っ込むつもりだった。

 「亮…。 」

 父親の呼ぶ声が亮を追ってきた。
仕方なく階段のところに荷物を置いて居間へ向かった。

 居間のソファに腰を下ろして父は自分宛の書簡を調べていた。
ほとんどは何処かへ転送されていてめったに自宅へ届く書簡はなかったけれど…。

 「それ…おまえに…だそうだ…。 」

 父…有(たもつ)はキッチンのテーブルを顎で示した。
テーブルの上には海外旅行の土産と思しきチョコレートの箱やTシャツなどがいくつも置かれてあった。
 察するに何処かの誰かさんからの差し入れだ。
前にもそんなことがあった。

 「どうも…。 」

 貰って嬉しいわけもなく亮はお義理で礼を言った。
有はふと…亮の首のチェーンに眼をやった。

 「気障な格好をするようになったな…。 そんな派手なチェーンをつけて…。」

 カチンときた。何つけようと勝手だろ…。
何処かの誰かさんのお義理のTシャツなんかよりずっと心がこもってるんだから。

 「母さんに買ってもらったのか…? こどもが買えるような代物じゃないな。」

 こどもって…いくつだと思ってんだよ…ったく。
これでも少しは稼いでんだぜ…。

 「母さん…? ここ半年ほどお目にかかってないよ。
あんたも同じようなもんだけどね…。
 僕ことより…どこかに居る僕の弟くんのことでも心配したらいいのさ。
ミサ叔母さんが言ってたぜ…小さい男の子がいるんだって? 」

有は何を馬鹿なというような視線をチラッと亮に向けた。

 「弟…? ミサがそんなことを…? 困ったやつだ…。 」

 ふふんと鼻先で笑い飛ばして有は立ち上がった。
すれ違いざまに亮のチェーンに指をかけて持ち上げた。

 「本物だな…。 どうやって手に入れたのかは知らんが…。
ろくでもないやつに引っ掛けられないようによくよく注意することだな…。 」

 ろくでもないやつ…? 亮はカッとなった。
違う…西沢さんは…。

 「ろくでもない女に引っ掛けられてるあんたに言われたかないね。 」

 有の手が亮の頬を思いっきり張り飛ばした。
亮の唇から薄っすらと血が滲み出た。

 亮は父親に一瞥をくれるとものも言わずにそのまま家を飛び出した。
悔しくて涙がこぼれそうになるのをかろうじて堪えた。



 亮が唇の端から血を滴らせて飛び込んできたのを見て西沢は心底驚いた。
誰かに襲われたのかと勘違いするほどに…。
原因が親子喧嘩だと分かって一先ずはほっとした。

 「心臓止まるかと思ったよ。 」

亮の頬を濡れタオルで冷やしてやりながら西沢は苦笑した。

 「こんな遅い時間に来ちゃって…ごめんなさい…。 」

申し訳なさそうに亮は西沢を見た。

 「いいよ…そんなこと。 僕としては…来てくれた方が安心だよ…。
ひとりで外をうろうろしてたら危ないからね…。 」

西沢は穏やかに笑みを浮かべた。

 あの男は途切れることなく力を使い続けている…自分の体力を削り続けながらおまえをガードしている…。

 ノエルの言葉が亮の中にこだました。
どうして…だろう…。
この人はどうして…そうまでして僕を護ろうとするんだろう。

 知りたい…知りたいけれど…訊けない…訊いたらすべてが終わってしまいそうな気がする。
せっかく繋がりかけた何かの絆が切れてしまいそうで…。

 お腹空いてないかい…などと優しく訊ねる西沢を見つめながら、亮もまた喉まで出掛かっている言葉を飲み込むしかなかった。





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