徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

現世太極伝(第十六話 気の滅入る話)

2006-02-19 16:38:54 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 相変わらず出席だけは満点の化学の講義を聴きながら亮はチラッと斜め前の席の高木ノエルの方を見た。
 ちゃんと講義を聴いてノートを取っている。
人間じゃないのなら…学生じゃないのなら…そんな必要ないじゃないか…?
どう見ても…どう考えても…ノエルがそんな御大層な存在であるとは思えない。

 終了の合図と共に学生たちが我先にと講義室を出て行ってしまうと講義室は急に静かになった。

 亮は窓の外を見た。今日は良く晴れている。あの講義室に陽だまりができる。
二階の端の講義室…。
ノエルは必ずそこに居ると…亮はなぜか確信していた。

 「亮くん…話があるんだ…。 」

 直行があたりを憚るように見回しながら部室に来て欲しいと言った。
亮はノエルの存在を確認することを諦めて、直行の後について行った。



 夕紀が滅多に同好会に参加しなくなって女性会員が清水ひとりになると、やはり男ばかりの部室では居場所がないらしく清水も滅多に来なくなってしまった。
 それでも他の連中は何かにつけて部室に入り浸ってはいたが、今日は誰の姿も無かった。

 直行が黙ってテーブルの上に置いた手帳…。促されるままに開いて見ると、長老衆から聞き出した話がぎっしりと記録されている。
よくぞこれだけ調べたと感心するほどに…。

 「輝さんから聞いていると思うけど、僕はこの冬、島田を初め宮原の長老たちを巡って話を聞いてきた。
 それだけじゃない。
他の地域の有力な一族の長老衆を訪ね回ったりもした。

 だけど何処の誰に訊ねてみても、大戦からこっち、名のある一族はみんな鳴りを潜めていて、宗教関係を除いては特殊能力者同士の勢力争いや組織対立は起こっていない。
 勿論、ちょっとした小競り合いやお家騒動みたいなものはあるらしいが、能力者の間で大きく取り沙汰されるような族間の闘争はほとんど見受けられない。

 だから…おそらく夕紀を誑かした組織は能力者の関係する組織じゃない。
僕の聞いたところでは、どの一族もすでに何人かの若手や学生を洗脳されている。
まだ洗脳されていない同族の子供たちをどう護るかの対策に苦慮していた。
何しろ相手の正体が掴めないんだから…。 」

 直行はそこで大きく息をついた。 
話を聞きながら亮は手帳の記録を読んでいたが手帳に記載されているひとつの名前に眼を留めた。

 木之内…有…。

 それは亮の父親の名前。亮の父親が西沢と同族だという話は以前西沢に聞いた。
亮にはいつも…超能力など存在しない…そんなことを言っていると病院送りになるぞ…という態度で接してきたくせに実際には父親自身もその血を受け継いでいる。

 「その人はね…僕に言わせれば…重要な鍵となる人物なんだ。 」

直行の言葉に亮は目を見張った。まさか…親父が…?

 「ずっと昔に…能力者の裁定人として存在した一族があったんだけれど、時代の流れでその所在が分からなくなってしまった。
 今でも存在することは確かで…古い家系の族長や最長老級の能力者だけがその居場所を知っている。

 その一族の宗主なら…夕紀たちのマインドコントロールを解くことができるかもしれないと聞いたんだ。

 きみは知らないだろうけれど…木之内家は西沢家と同族であるとともに…裁きの一族とは遠縁にあたる。
 少し前の時代のことだから今となってはそれほどの付き合いはないだろうけれど連絡先くらいは分かるかもしれない。

 きみが嫌でなければ…お父さんに訊いてみて欲しいんだ。
勿論…お父さんが何も知らない可能性もあるから…期待はしていないけど…。 」

 直行は藁にでも縋りたい気持ちなんだろう…。それは分かるけれど…。
父親との関係が上手くいっていない亮としては口をきくのさえ億劫だった。

 それに…何か知っていることがあったとしても親父が僕に話すかどうか…?
それも甚だ疑問だった。

 「話してはみるけどさ…。 親父…多分何も言わないぜ…。 
眼の前で見たはずの僕の力のことでさえずっと否定し続けてきたやつだから…。」

 それでもいい…と直行は言った。
直行にこれほど真剣な眼差しを向けられると…親父が家に戻ってきたら聞いておくよ…とでも答えるしかなかった。



 マンションの玄関先で亮は戻ってきた滝川にばったり出会った。
ケースやら何やら抱えているものが重そうでつい運ぶのを手伝ってしまった。
 
 「滝川先生…どこへお出かけだったんですか? 」

亮がそう訊くと滝川は苦笑した。

 「やだな…僕のスタジオだよ…仕事に決まってるだろ…。 
いくら僕でも四六時中紫苑だけに張り付いているほど暇じゃないぜ…。
他にもやらなきゃならない仕事がいっぱいあるんだよ。

 それに今日は紫苑も仕事で出てるしさ。
ここに居ても意味ないだろ…仕事の邪魔はするなって言われてるし…な。 

 亮くんこそえらく早いお帰りじゃないか…? バイトは…? 」

滝川が亮に訊き返した。

 「今日は夜番なんで7時からです。 西沢さんに買い物頼まれてたから…。 」

 亮は買ってきた物を冷蔵庫や棚に収めながら答えた。
滝川は時計を見た。

 「4時過ぎか…まだまだだな。 何か作ってやるよ。 食っといた方がいい。」

 そう言うと亮が驚くほど手早く具を刻んで、あっという間に炒飯をこしらえた。
西沢もいろいろと料理を作るが、まさか滝川が台所に立つとは思っていなかった。

向かい合って食べ始めた時、滝川の手に指輪があることに亮は初めて気付いた。

 「先生…結婚してたんですか? 」

亮があまりにも意外そうな顔をしたので滝川はまた苦笑した。

 「してた…よ。 たった二ヶ月…。 かみさんはすぐに死んじゃったけどな。」

悪いことを訊いた…と亮は思った。次の言葉が出なかった。

 「何年も前のことだよ。 修行時代の僕をずっと支えててくれた人だった。
優しくて綺麗で…逞しい人だったけど…病気には勝てなかったね。

 もうだめだって分かって…紫苑に立ち会ってもらって式を挙げた…。
葬式にも家族の他は…紫苑だけに来てもらった。
かみさん…和と紫苑は元モデル仲間でさ…結構気があってた。 」

 黙り込んでしまった亮の気持ちを察したのか滝川は笑顔のまま話し始めた。

 「僕が結婚してたことも…和が死んだことも…紫苑しか知らないんだ。
まだ…金も名前もない頃だったから…僕は和に何にもしてやれなくてさ…。
 ずっと働いて支えてきてくれたのに…僕にできたことといえば時々こうやって飯を作ってやることくらい…で。 」

 顔は笑ってはいるけれども滝川は寂しげだった。
ブラックジョークが服を着て立っているような男に見えた滝川にも背負っているものがあるんだ…と思うと亮は何だか切なかった。

 「…先生は西沢さんのことが好きなんだと思ってた…。 」

亮がぽつり呟いた。

 「好きさ…食べちゃいたいね…。 あいつ可愛いだろ。
僕がどうしようもなく寂しい時に和の代わりに傍にいてくれたりするんだ…。
和の代わりだなんて…僕も随分な男さ…。 紫苑は…紫苑なのに…。 」

 自嘲するかのように滝川は鼻先で笑った。
少しむっとしたように亮が唇を尖らせた。

 「変なことしてないでしょうね? 僕の兄貴に…。 」

滝川がいつものにやけた表情を浮かべた。

 「してないよぉ…殺されちゃうぜ。
抱き寄せて…ちょっとキスして…たいがいそこで反撃を食らう。
何しろ紫苑は僕より強い…あんな綺麗な顔をして喧嘩じゃ負けたことがない。

 モデルなんかやってるとさ…中高校生くらいだと生意気だってんで先輩や同級生に眼を付けられるわけよ。
 紫苑も普段辛抱しているから…その反動もあって喧嘩となれば大暴れする。
モデルの癖に青あざなんか作ってプロ意識には欠けるけどな…。

 お養母さんによく叱られてたぜ…。
紫苑…紫苑…乱暴なことはいけません…あなたは…レディなのよ…。
…笑っちゃうね。 」

 滝川は輝と同じような眼で紫苑を見ている…と亮は感じた。
紫苑は西沢家のペットだと輝が言っていたが、滝川もそんなふうに思っているに違いない。

 「西沢さん…本当にそんな窮屈な生活を強いられているんですか? 
僕には幸せだって言っていたのに…。 」

亮が不安げに訊ねた。

 「そうだよ…紫苑は籠の鳥さ…。 いや…下手したらもっと悪いかもしれない。
以前はお養母さんの着せ替え人形だったけど…いまやみんなの玩具だね。 」

亮に心配そうな顔を向けられて滝川はちょっと真面目な口調に戻った。

 「輝さんも同じようなことを言っていた…。 」

 紫苑は決して亮には本当のことを言わないだろう…と滝川は思った。
亮には幸せな紫苑をイメージさせておきたいに違いない。

 「亮くん…気が付かなかった? 英武を見ていて…さ。
あいつ…本気で妬いてるんだ…僕と紫苑のこと。 
あんまりあからさまに僕を攻撃すると紫苑に嫌われるから冗談めかしてるけど…。

 もともと僕は怜雄の級友で子供の時から西沢の家にはよく出入りしていた。
怜雄も英武も昔から異常なほど紫苑を可愛がっていて絶対に眼を離さないんだ。
何かと言えば紫苑…紫苑ってね…子供心に不思議だった。

僕にも兄弟はいるけど…あそこまでべたついた関係にはならない。 」

 亮は英武や怜雄の笑顔を思い浮かべた。
ふたりとも紫苑のことをいつも心にかけていて護ってくれようとしている…。
すごく仲の良い兄弟だ…くらいにしか感じなかったけど…。

 「紫苑は僕等だけのもの…そんなふうに考えているんだよ。
英武は明るくて気の良いやつだけど…こと紫苑への執着心は常軌を逸している。
 怜雄はそれほどじゃないが…やっぱり普通じゃないよ。
何処へ行くにも、何をするにも、誰と付き合うってことまで干渉してるんだ…。

 常時…監視されているようなもので鬱陶しいに違いないのに紫苑はただ笑って許している。
 諦めてしまって…もう…逃げ出そうともしない。
輝も…僕も…それが歯痒くって仕方がない…。 」

 滝川はふうっと溜息をついた。
何か重たいものが亮の頭上からずっしりと圧し掛かってくるような気がした。
輝さんの思い過ごしだとばかり…。

 滝川に炒飯の礼を言ってバイトに出てからも重い気持ちを拭い去ることはできなかった。
 優しい家族に囲まれた温かい家庭で、裕福に自由気儘に暮らしてきたとばかり思っていた兄…紫苑。
亮に微笑みかけるその表情からは不幸のかけらひとつ見出せないのに…。

 閉店までの時間をどのように過ごしたのか思い出せないほど、亮の意識は輝と滝川のしてくれた紫苑の話に囚われていた。
 ちゃんと仕事はしてたんだろうけれど…帰り際に店長から今日はなんだか元気ないねえ…と言われた。

 重い足を引き摺って…今夜は早く寝てしまおうと思いながら帰ってくると…門灯が煌々とあたりを照らしていた。

 こんな気の滅入る夜に限って親父が居る…。
さらに気が重くなった。 直行に頼まれたことを聞いてやらなきゃ…。
嫌々開けた玄関の内側に向かって…ただいま…と形だけは呟いた。





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