徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

現世太極伝(第十八話 封印された紫苑)

2006-02-23 00:52:29 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 薄暗闇の中…左手で額を押さえながら紫苑は身を起こした。
頭の芯がずきずきする…背中も…。
 急に痛みを覚えて口に手をやると手のひらについてきた渇きかけた血が黒々と見えた。
 大きく溜息をついてもう一度額を押さえた。
どうにも頭痛がして…。

 『ごめんね…シオン…ごめんね…。 痛かったよね…。 シオン…ごめんね…。』

頭の中で英武の半泣きの声が木魂した。

 急に部屋の明かりがついて、あたりの惨状をはっきりと映し出した。
大風が吹いたように何もかもが吹っ飛んでいる。
驚いて言葉を失っている滝川の顔が見えた。

 「紫苑…大丈夫か…? 」

 そう訊かれて西沢は黙って頷いた。
滝川は急いで傍に駆け寄ると西沢の顎を手で支え、唇や口の中の切れたところを調べながら手当てしていった。

 「紫苑…すぐにここを出よう…。 おまえにこんなひどいことをするなんて…。
ここを出て僕の家へ来ればいい。 僕が絶対に護ってやるから…。 」

 滝川は紫苑が西沢家の仕打ちに堪え続けていくのも限界だと思った。
西沢は微かに笑みを浮かべながら首を横に振った。

 「ひどいことなんて…されてないよ…。 
はずみで…英武の手が当たっちゃったんだ。 血を見たら英武がパニックを起こして…収拾が付かなくなっただけで…。」
 
 どう見てもそれだけとは思えない。それだけのはずがない。
滝川は西沢の手首に残る暴力の痕を見つめた。

 「いつまで我慢するつもりなんだ…? 
何年も何年も閉じ込められたままで…これは立派な虐待なんだぞ…。 
 ここはおまえをいつまでも鎖で繋いで怜雄や英武の玩具にしておくために西沢家が用意した檻だ。」

違う…!と西沢は叫んだ。

 「伯父はそんなひどい人じゃない。 怜雄も英武も酷いことなんかしない。
いつだって僕に優しいよ。 
ここを出て行かないのは僕の意思なんだ。 だって…置いていけない…。」

何を…?と滝川は訝しげに西沢を見た。 

 「英武は…病気…仕方ないんだ…。 僕のせいなんだ…。
母が僕を殺そうとするところ…母が自殺するところ…英武は見てしまった。
  
 同じ年で僕等は仲が良かったから幼なかった英武は心に大きな衝撃をうけた。
思い出すたびにパニックを起こしてシオンが死んじゃう…シオンが死んじゃうって叫びまくった。

 僕が病院から帰ってくるとそれ以来…僕の傍から離れようとはしなくなった。
少しでも眼を離したら僕が死んでしまうと思い込んでた…。 

 成長に従って少しずつ治まっては来てたんだけれど…まだ時々…。 」

 愛する人の死に対する恐怖…紫苑を失うことへの極度の不安…。
滝川にもその思いはあった。

 二度と埋められない空白と喪失の痛み…さっきまでそこに存在したはずの人がいきなり消えてしまう恐怖…理不尽ににすべてを強奪される口惜しさ…それが死の齎すもの…。

滝川は紫苑に向けられた英武の異常なまでの執着心の正体を知った。

 「英武は確かめたいんだ…ここに僕がちゃんと生きて存在することを…。
怜雄も僕の母の死んだ様を覚えている。
 ふたりとも僕に触れることで安心する…触れるだけだもの…僕にとっては多少煩わしくはあるけれど…もう慣れてしまったし…どうということはない…。
 
 今日はたまたま血を見たから英武…ぶち切れちゃったんだ。
シオン…死なないで…死なないでって…僕を…離さまいとするから…手首が…さ。
ちょっと痛かったけどね…。

でも…虐待なんかじゃない…誤解しないでくれ…。 」

 虐待じゃない…と西沢は言いきったが…滝川はどうにも納得できなった。
仮に英武と怜雄が心の病に罹っていたとして…なんで紫苑が犠牲にならなければいけないんだ…?
 紫苑には何の責任もないじゃないか…。
それを黙って何年も見て見ぬ振りしている養父母…紫苑の優しさをいいことにいつまでも好き放題する義理の兄弟たち…歴とした虐待だぜ…。
滝川はおおいに憤慨した。
 
 

 紫苑に促されて英武を連れ帰ってきた怜雄は、英武がようよう落ち着いてきたことにほっと胸を撫で下ろした。

 怜雄のトラウマは重症ではないから時々紫苑の髪を撫でるくらいのことで不安は解消するが、英武の場合は現場を何もかも見てしまっているだけに自分では抑えられないほどのパニックを起こす。

 普段は何ということもないからちゃんと仕事もして普通に生活しているのに、何かのきっかけで突然ヒステリックに紫苑の姿を求める。
 幸いというべきか、英武の発作は部屋にひとりきりで居る時や家族と過ごしている時に起きるので、ほとんど外部の者には気付かれていない。  

 「怜雄…どうしよう…シオンに怪我させちゃった。 シオン…怒ったかな…?
ひどいことしちゃった…殴るつもりなんてなかったんだ…。
シオンの顔に傷つけちゃった…。 どうしよう…仕事できないよね…。 」

英武は怯えた子供のように震えながら言った。
 
 「大丈夫…紫苑にはちゃんと分かっているよ…。 わざとじゃないって…。
心配ない…恭介がついているから…怪我の手当てくらいはして貰える…。
英武…落ち着くんだよ。 早くいつもの英武に戻らないと…紫苑が悲しむよ。 」

 怜雄にそう宥められて英武は力なく頷いた。
ごめんね…シオン…。

 英武がやっと気を取り直したかしないうちに、廊下をこちらへ向かってくる怒りに満ちた声と足音が聞こえた。 
部屋の扉が開くや否や鬼の形相をした父親祥(しょう)が姿を現した。

 「英武! あれほど紫苑を怒らせるな…泣かせるなと言っておいたのに…。
おまえは私の言いつけを何だと思っているんだ! 」

 いきなり祥に怒鳴りつけられた英武は思わず身を縮めた。
怜雄が間に入った。

 「お父さん…英武は発作を起こしただけです。 怒っても仕方ありませんよ。」

英武を庇おうとする怜雄に祥はさらに怒りを増した。

 「発作だと言うのなら…その場に居合わせた兄のおまえがすぐにでも抑えこむべきではないか? 
こいつが紫苑に手をあげる前になぜ止めなかった?

 おまえたちには事の重大さが分かっているのか?
紫苑を極限に追い込むようなことは絶対にしてはならんのだ!
幼かった英武はともかくおまえまで忘れたわけではあるまいな?  」
 
 怜雄はうっ…と言葉に詰まった。
父親が思うほど鮮明な記憶ではないが…確かにそれは大変な出来事だった。
とても4歳の紫苑が引き起こしたこととは思えないほどの…。


 
 紫苑の首を締めようとしたところを怜雄に見られた絵里は、方法を変えて飴だと偽って紫苑に薬を飲ませようとした。
 泣き出した紫苑の様子に子供ながら不穏なものを感じた怜雄は絵里の手から紫苑を引き離し、飲めない錠剤でどうしようもなくなっている紫苑を助け出した。

 口の中にいっぱいに詰まった錠剤を吐き出させるために怜雄は必死で紫苑の手を引いて母美郷のところへ走った。
 英武はその場に取り残されて絵里が狂ったようにビンの中の錠剤を飲み下すのを見ていた。

 紫苑がお菓子と間違えて薬を口にしてしまったと思った美郷が、紫苑の口に指を突っ込んで薬をかき出し吐かせた後、怜雄に何があったのかを問い質した時には、絵里は既に致死量の薬を飲んでしまった後だった。

 紫苑を連れて絵里の部屋へ戻った頃には絵里の意識はなく、容態の悪化する絵里を見つめながら何が何だか分からずに怖くて震えている英武がそこに居た。
 口の中で溶け出した錠剤の成分が効いたらしく紫苑も絵里の傍で倒れ、英武は紫苑が死んでしまうのではないかという恐怖に襲われた。

 病院へ運ばれたものの結局絵里は助からなかった。
紫苑は病院から帰宅すると絵里の姿を捜したが…見つけたのは動かなくなった冷たい母の姿だった。
 葬式が終わるまでは家中が騒がしく、大勢の人が出入りして紫苑に慰めの言葉をかけていった。
喧騒の中で紫苑はぼんやりと母親を見つめていた。

 何もかも終わってすべてが静寂の中にあり、紫苑がただひとり母の部屋に取り残された時に…それは起った。

 紫苑が突然叫び声をあげた。 
その途端、まるで地震のように大地が震え、屋敷全体が軋みだし、ガラスというガラスが弾けとんだ。
 家中の者が何事かと驚いて揺れる床を転がるようにして紫苑の傍へ駆けつけた。
紫苑がさらに叫ぶともはや立ち上がることすら困難なくらいになった。

 祥がしっかりと紫苑を抱きしめ懸命に声をかけた。
『紫苑…大丈夫だよ。 お養父さんが傍にいてやるから…。 怖くないよ…。 』
紫苑がその声に反応するようになると次第にこの屋敷だけの地震も遠退いた。
『いい子だね…紫苑…大丈夫…大丈夫だよ…。 』

 

 怜雄の記憶に残る凄まじい紫苑の力…。たった4歳の紫苑の…。
あの後…西沢の屋敷は建てかえを余儀なくされた。

 「紫苑の力は出来得る限り封じておかなければならん。 西沢家のためにも…。
今後は何があっても怒らせるな! 絶対に泣かせるな! 

 好きなことをさせて穏やかに過ごさせておけば良いんだ。
紫苑の中にある裁きの一族の血…主流でなくても…ごくごく稀に恐るべき力を持って生まれてくる子供がいる。

 万が一…紫苑がその力を我が一族の長老衆に示した上で木之内家に戻ると言い出せば…木之内家が再び実権を握ることも考えられる。
だが…紫苑はあくまで西沢の子…西沢の後継のひとりだ。
もし…トップに立つようなことがあっても西沢家の主流として立たせるのだ。

 私は…紫苑を我が子と思って育ててきた。 紫苑の父親は私だ。
今更手放すことなどできん。

 おまえたちも肝に銘じておけ。 愚かな行為に走って紫苑の封印を解くな。
怜雄…必ず英武を抑えろ。 英武…おまえも出来得る限り自制しろ…。
紫苑を追い詰めるな! 分かったな! 」

 有無を言わさぬ父親の厳しい態度に怜雄も英武もただ素直に頷くしかなかった。
それが父と西沢一族のためである以上は…。






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