祛風止痒の「風(ふう)」とは?
祛風止痒(きょふうしよう)とは平たく言えば風邪(ふうじゃ)を除き、痒みを止めるという意味である。しからば、風(ふう)とは何か?と考え始めるのが常であろう。古代中国人は「六淫」を発病の原因と考えた。六淫とは 風、寒、暑、湿、燥、火の6種の外邪の総称であり、正常時は大気と称するが、発病の原因となる時は六淫であるという概念を創造した。現代医学からして正誤の課題は残るものの、概念の創造は一種の哲学の創造に近い。風邪(ふうじゃ)について「特徴」を伝承あるいは記載した。
簡単にまとめると、風は百病の長であり、風寒 風暑 風湿 風燥の如く、他の邪は風に付随してくる。陰陽論からすれば、形無く、動き有り、の「陽邪」である風邪は毛穴を開く作用(開泄作用)があり、頭、鼻、口、皮膚など陽の部分を冒すことが多い。善行、数変(よく動き、よく変化する)の性質を有し、風による関節痛である痹 症(ひしょう)は善行数変(よく動き、よく変化する)である。風は「動」(症状が動である)であり痙攣、振え、めまい、硬直も内風(ないふう)が惹き起こし、角弓反張(背筋をそらせ首筋を突っ張り、全身が硬直する体位)は典型的内風である肝風内動の症状であるとした。
多彩である。雑多とも言える。 現代医学からすれば、皮膚科、アレルギー科、耳鼻科、整形外科、膠原病内科、感染症内科、神経内科、脳神経外科領域に広がる広域内科の如き様相を呈する。古代中国(日本では卑弥呼時代より前)から延々と医師が考え続けてきた風邪(ふうじゃ)という病因論の概念である。目の前の患者を何とか治療しなければ、或いは斬首されかねない戦乱の世を秘術あるいは秘法として弟子達によって相伝されたものである。「敵に手の内を見せない」という性質を持った。
人間が臨終を迎え死すれば、体温は下がり、脈は弱から無と変化する。戦乱、圧制、飢餓、人権も無視同様、累々と死人を重ねる戦国時代に、古代医師達は何を考えたのか?
ともかくも「生命力=陽気」を保ち、脈を蘇らせ、存命を計らねばならない。と考えたに違いない。そうしなければ己の命すら危ない危機的な状況であったに違いない。そこで生まれたのが「傷寒論」であり、また「生脈飲」の類であったと想像できる。
中国医学がテクノロジーの前提以前に、概念の体系化に至ったのは、そういった時代背景がある。また、時の絶対権力者によって医学が「体系化」された側面が強い。
本来、サイエンスは権力とは相容れないのが本質である。キリスト教的宇宙論とガリレオやコペルニクスの地動説の関係や、同じくC.ダーウィンの進化論を例にとれば理解できる。
生真面目 であるも、全体像を眺めることの苦手な現代日本の漢方医は一字一句「傷寒論」を精読するも、疲れ果てて、そこから先へは思考停止状態になっていることが多い。アトピーに限って論ずれば、大昔と比較して現代に多発しているのは何故なのか?食品、大気、水といった基本的に生存に必要な物質の汚染、環境中の化学物質の増加、人間の遺伝子的な変化など、山ほど考察を深めなくてはならないことがある。思考停止の状態で傷寒論にしがみついてはならないと思う訳である。
効率化、簡便化はよろしくない。
パソコンが発達した影響で、近年、日本の漢方医はキイを一つ叩くだけで、グループ別生薬群を打ち出すようになってきた。瘀 血には○○○、冷えると患者が訴えれば△△△、便秘傾向があれば□□□などという具合だ。問題は「横の繋がりの中での相互関係を無視」する結果になっていることがままあるということだ。アトピー診療の中でも良く見かける。なるほどキイを打てば、漢字で書くよりはるかに簡単で時間もかからず、見栄えがよく、保険の請求も簡単だからである。しかし、これこそ思考停止そのものではないのか?データベースを登録した段階から一歩も思考の発達が無いと危惧される。
パソコン打ち出し?処方箋