明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


午前中T屋で朝食。Kさんも来る。昨日は御目当てのかみさんが居らず、替わりにご主人のHさんがいたそうで、さぞガッカリだったろう。たまにそういうことがあるので、Kさんは店内を伺いながら、一度通り過ぎて入ってくることがある。店内からは丸見えで、浅草の演芸場で観るコソ泥のコントのようで可笑しい。木場のヨーカドーで『ブラックスワン』でも観ようと思ったがタイミングが合わず帰って小津の制作。 夕方、帝劇からジャベールより、これからK本へ、とのメール。先に行ってみると客は数えるほど。そうこうして今 拓哉さん。楽屋にお邪魔したおり母がお願いしていた手帳に、今さんと岩崎宏美さんのサインをさっそくしていただいた。しかも宏美さんがハートが付いた袋まで用意してくれていた。未だに興奮から醒めない様子の母も喜ぶだろう。それにしても舞台でみたばかりのジャベールなんだなあ、とツクヅクと今さんを眺めてしまう。しかしそれも初めだけで、いつもの調子で会話が弾む。いつもの調子なので、どう弾んだかは書けない。さらに私と母を終演直後の『レミゼ』の舞台に立たせてくれたIさんも。レミゼは今回が最後で、日本だけでなく、海外でも一切やらないそうなので、貴重な体験をさせてもらった。8時の閉店後、今さんIさんを含む常連はT屋に移動。夜、店に顔を出すことのないかみさんがいた。先ほどからKさんから今Tで飲んでます、とか何処にいるの?とかメールがきていたので、かみさんを携帯で撮って、何も書かずに送ると馬鹿でも釣れるといわれるハゼのようにすぐやって来た。この段階で、ほとんど何いってるか判らず。この後Kさんともう一軒行くことになったのだが、あまりに馬鹿々しく、叩くキーボードが哀れなので書かずにおく。

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映画監督、小津安二郎を制作中である。小津は独特のローアングルで有名で、ローアングル用の脚を切り詰めた三脚を特注していた。当の小津も必然的に低い位置で、時にムシロを敷いた低い位置から演出することになる。二体目となる小津は、そんな様子を作る予定である。 東京の深川出身の小津安二郎は9歳で三重県に転居している。その小津と縁のある、三重県は鳥羽市より海女の磯メガネおよび磯着が届いた。磯メガネと呼ばれる水中眼鏡は一目でプロ用とわかる頑丈な作りである。こう見ると私が事前に入手していた戦前の水中眼鏡は、とても仕事に耐える作りではない。 肝心の磯着はというと、以前実際に使われていた物で、着ていた人の名前、何故かクリーニング店の判が押してある。畳んであるのを見ると割烹着のようであるが、開くとまさしく。 他に腰巻状の布着れと、これはブラジャーのように胸に当てるのか、下半身をさらに保護するものか、頭に巻く物かは不明だが、ただ布に紐が付いた物。さらに用途不明なのが大きめな三角巾に紐が付いた物である。紐が両方についていればフンドシのように使うのか、とも思うが短い紐が片側に一本なのである。おそらく文明開化の頃、西洋から入ってきた女性用下着を始めて見た日本人は、今の私のようであったに違いない。 ところで。お婆ちゃんが使っていた物、というのはすでに聞いてしまっている。

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03:30 from web (Re: @hayanyoron
@hayanyoron T・REX武道館公演観ました。鈴木ヒロミツ、加藤和彦、ジュリーもアリーナ席に。マーク・ボランは実に良い人で、アンプの後ろに回ってC席の人だけにギター弾いてくれた。当時はT・REX行ったのを内緒にしてました。わかんないだろうなァ。
11:20 from web (Re: @hayanyoron
@hayanyoron なにしろ72年ですから。
by k_ishizuka on Twitter

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4時に帝国劇場前で母と待ち合わせる。出かける時にすんなり出発できないのは私の母に限ったことではないようだが15分遅れて到着。それでも午前中に美容院には行ってきている。 『レ・ミゼラブル』といえば小学校の低学年の時、図書室で『ああ無情』を読んで以来である。ミュージカルにしても小学校で観にいって以来かもしれない。席は前から5列目のほぼ真ん中。 別所哲也がジャン・バルジャンだが、ミュージカルに出ているのも知らなければ、歌が上手いのも知らなかった。それにしてもジャベールの今 拓哉さんである。なにしろ私はT屋でホッピー飲んでる今さんしか知らない。徹子の部屋に奥さんの岩崎宏美さんと出ているのを観て、理科大を中退して、歌など歌ったことないのに劇団四季に入った話を聞き大胆な人だと知ったが、始めてみる舞台の説得力に感激した。エポニーヌの笹本玲奈も良かったし、テナルディア夫婦の駒田一、阿知波悟美がまた上手い。おそらく子役は加藤清志郎クンだと思うが装置の間を走り回り飛び降りハラハラした。この装置と照明がまた良く出来ている。母も感動のフィナーレを迎え、最後出演者が花を投げるのだが、今さんがこちらを見て投げてくれ、母が見事にキャッチ。 エレベーターで楽屋に向かうとすでに人だらけ。しかしやはりT屋でお馴染みのIさんの手引きで、連中をかきわけ、直後の舞台を見せてもらった。“レミゼの舞台に立つ”母。材木をうずたかくしたような砦も近くで見るとしっかりと作られていた。そして今さんの楽屋におじゃまし、母とのツーショットを撮らせてもらった。 タモリではないが、歌が不自然な翻訳物ミュージカルというけれども、たとえば久保田万太郎原作の舞台で、卓袱台の前で地味に庶民の日常が描かれたとしても、滑舌よく腹から声が出ている時点ですでに不自然である。

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演歌  


先のことは判らない。自分は絶対こうだ、などとできるだけいわない方が良い。 機械音痴で写真に興味がなかったのに今は写真を撮っているし、コンピューターなんて野暮くさい、といっていながら、いつの間にかこうしてモニターの前でキーボードを打ち、画像合成を毎日のようにやっている。本日はT千穂の常連とカラオケだったが、このカラオケにしたってそうである。ついこの間まであれだけ拒んでいたのに、平然と行くようになってしまった。さらに、これだけはなかったはずの演歌もいつの間にか歌っている。本日私が歌った歌といえば覚えているだけでも『サムライニッポン』『土曜の夜何かが起こる』『弁天小僧』『チェッ・チェッ・チェッ』『スーダラ節』『自動車唱歌』『だまって俺についてこい』そして『唐獅子牡丹』である。長年古臭い妙な音楽扱いしていたはずが、どうしたことであろうか。しかも『唐獅子牡丹』を歌った後の満足感たるや、いつか歌ってみたPモデルの『美術館で会った人だろ』の数倍あったと正直にいってしまおう。明治新政府に反発した、攘夷派ラストサムライ達にシンパシーを感じてしまう今日この頃。そんなことも影響しているのかもしれない。 しかし進歩的ロックファンだった私が、突然キャンディーズが好きになり、友人に見つからないようコソコソ隣町まででかけてレコードを買ったのが高一の時である。ようするにもともと、いい加減だったということであろう。

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14:13 from web
幸田露伴と嘉納治五郎、うっかりすると間違える。
by k_ishizuka on Twitter

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内田  


Kさんから寂しそうなメールをもらい、3日ぶりだし、と飲みに行くことにした。先日この61のオジサン、もうどうしようもない、と呆れかえることがあって放っておいたのだが、私はどうも男に甘い。出掛けにポストを見たら内田良平の直筆の書が届いていた。『ハチのムサシは死んだのさ』ではなく『BLACK DRAGON SOCIETY』の方である。そのままT千穂へ。置く所がないのでカウンターの上に。何これ、と聞かれるが説明しようがない。  私をはさんで交わされる競馬の話や、パチンコ『フーテンの寅』の話。私は両方やらないのでさっぱり判らないが。Kさんは昨日凄い夢見ちゃった、というので、「あ、そ。その話聞かなくちゃ駄目?」といったら「聞いてくれたって良いじゃない」。どれだけ聞いてるんだ私は。結局某店の某ちゃんと一緒に風呂に入った夢であった。内田良平にも聞こえていただろう。 内田といえば交際中の女性に復縁を迫り脅迫したとして逮捕された内田裕也である。脅迫文の文面は本当であろうか。本当だとしたら恥ずかしい男である。ミュージシャンとして日本酒神鷹のCMソングくらいしか印象に残っていないが、かつて東京の下町では、男は諦めが肝心というのは、小学生の時にすでに学んでいたものである。しつこい男はもっとも嫌われた。未練は捨て、捨てられなければ表に出さず耐えるものである。どこがロックンロールなんだか。二度と口にして欲しくないものである。まったくとんだ爺だが、今までどれだけ女性を殴ってきたか知らないが、ああいう輩には、殴られながら甘えを助長させ、駄目にしている駄目男製造女が必ず側にいるものである。

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帝劇の100周年記念公演『レ・ミゼラブル』に母と行くことになっている。K本で顔を会わすジャベール役の今 拓哉さんにチケットをお願いした。K本から母に電話をかけ、今さんに替わってもらったりしたので母はよけい楽しみにしている。銀座から近い湊町生まれの母は、昔はよく帝劇に通ったというので、最後に観たのはなに?ときくと「ロッパかな」。 確かに亡くなった父というのは愛想のない男で、観劇など思いも付かなかっただろう。結婚前のデート中、映画館に入ったのは携帯ラジオで野球中継を聴きたかったからで、あげくに観たのが『ゴジラの逆襲』(55`)つまりゴジラ対アンギラスである。私が『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のマーティーだったら、この男は止めておいたほうがいいんじゃないか?と母にいってしまいそうである。 そんなわけで私と父は、寝転がってTVを観ながら貧乏ゆすりのポーズがまったく同じだけで、他に共通点はない。唯一といえばプロレス好きなことであろう。武道館も一緒に出かけたものである。入院中も話すことが無くなってしまうのでスポーツ新聞は必ず持っていった。親孝行のつもりで、猪木派の父に話を合わせていたので、私が馬場派なことは知らずに死んでいった。 心残りといえば亡くなる寸前、レフェリーが書いたプロレス暴露本を読ませてしまったことである。しかしこれを認めてしまったら、今までの私との唯一の接点が、と父なりに思ったのであろう。この本に関しては一言も触れなかった。

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01:46 from web
オークションで落札した九代目團十郎の直筆色紙到着。初代河原崎権十郎時代のもので権十郎としか書かれておらず目立たなくてラッキー!俳号紫扇の印。達筆。
01:54 from web
桂太郎の愛妾、安藤お鯉の色紙も。人気芸者で後、目黒の羅漢寺の尼僧 妙照禅尼。これはおそらくご利益あり。 
03:15 from web (Re: @senomin
@senomin  最高ですね。今聴いたところです。
by k_ishizuka on Twitter

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一日  


コーネル・デュプリー亡くなる。テキサス調のギターは最高で、最近ユーチューブで映像を見ていたばかりなのだが。様々なミュージシャンのバック、スタッフでの演奏など名演は数え切れないが、思い出される一枚に『Teasin』がある。 2回目の個展の頃。葛飾の実家近くに私よりいくつか年上の男2人でやっている広告屋があった。商店から広告料をもらってミニコミのような物を作っていた。何かのおりに地元ということで取材を受けた縁で、個展のDMを作るのに、安い印刷屋を紹介してもらった。そのころ印刷のことなど何も知らないので、このジャケットのようなセピア調にしたかったのだが、セピア色のインクを使っていると思いこんでいて、そうじゃなくって、とルーペで網点を見せられたのを思い出す。DMが出来上がる頃印刷屋にいってみると、その人がインクの汚れかなにかを、消しゴムで消している所で、バツの悪い顔をしていた。結局予算の関係で1色のモノクロになったのだが。 この頃は写真にまったく興味がなく、カメラも持っていなかったし、作品を写真に残すことを考えもしなかった。嫌だ嫌いだなんていっていても、何がどうなるか判りはしない。コンピューターもまた然り。
東映のやくざ映画のことを書いたと思ったら元プロデューサーの岡田茂も亡くなった。

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先日某中古車販売店でトヨペットコロナを撮影した。車のボディやウインドウなどは映り込みがやっかいで修正に手間がかかる。コロナは三島が中古で入手し、11月25日に自宅から自衛隊に向かった車である。そして車中で最後に歌ったのが『唐獅子牡丹』。殴りこみに向かう池辺良と高倉健に自分達を例え、楽しげに歌ったらしい。 ヤクザ映画といえば、三島は鶴田浩二が好きで『博奕打ち 総長賭博』(68')を絶賛していた。たしかに鶴田の眉間辺りにただよう陰りはただごとではない。一時映画のポスターを収集していたことがあり、仁侠映画も集めたが、鶴田は特別にフォトジェニックであった。先日ネットで『ビージーズ』のドキュメントを見ていてロビン・ギブが耳に手を当てて歌っているのを見て鶴田を思いだした。ついでに女に刺殺された物まね芸人佐々木つとむまでも。 仁侠映画といえば、なんといっても美しかったのが藤純子である。映画をやっていなかったら絶対立ち入りたくない下町の東映系映画館で、中学生の私は顔面の大アップで、その美しさに唖然としたものである。泣いてよし怒りに燃えてよしであった。 三島に着流しを着せ、あの池辺と高倉の道行を再現したらどんなものであろうか。タイトルは当然『昭和残侠伝』ということになろう。

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改装のため半年休んでいた焼き鳥のK越屋が今日から開店というので、改装前に撮影した写真を持って明るいうちに顔を出す。親仁さん、今日は仏滅だけど結婚したのも仏滅だし、俺は仏滅が好きなんだ。と相変わらずである。今は近所がうるさいから、と不釣合いなくらい太い排気ダクトが店内に。客で一杯になってきたので、出直すことに。K本に顔を出しIさんと再び。親仁に焼酎を注ぎ足され、、結局閉店まで。まったく頑固な親仁で、親父あっての、と跡継ぎ息子がいっているのにニコリともせず。これが照れているわけじゃないところが根っからである。孫から送られた暖簾を私が褒めると、親仁は前のを使うともめていたそうで、親仁ようやく納得。奥さんに「今日来てくれて良かった」と礼をいわれる。
若松孝二監督の新作は『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』だそうだが、三島由紀夫演じるARATAが183センチでデカすぎて三島らしくない、といわれているそうである。緒方拳の“四角すぎて三島らしくない”はまだ我慢できたが、183センチでは確かに大きすぎる。顔が四角たって三島にはなっただろうが、クレオパトラの鼻ではないが、三島の背が高かったら、あの三島は作られなかったであろうことは間違いがない。 三島の妻の条件の1つにヒールをはいても自分より背の低い人というのがある。寺島しのぶが妻役らしいが、寺島がすでに三島と同じ163センチというから、寺島しのぶを基準に決めたのではないか。黒蜥蜴のサイズに合わせて明智小五郎が次第に大きくなっていったことを思い出させる。 何度もいっているが三島は筧利夫しかいない。あの顔、全身のバランス、身長は166センチと、三島より3センチ高いだけである。学生時代はたしか拳法をやっていたはずで、制帽から覗く顔を想像しただけで良いと思うのだが。

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伊勢在住の友人にお願いして探してもらった海女の着る磯着だが、ご主人が釣り好きで、地元の釣具屋には昔ながらの海女の使う水中眼鏡『磯メガネ』を売っていると聞いた。『潮騒』の初江の使う水中眼鏡として戦前製のものを入手済であったが、デザインといい、ゴムの感じといい、明らかに現在の物と違って味があるのだが、ただ海女が仕事に使う物と考えるとどうも脆弱な感じである。さらに気になっていたのは、鼻が外に出るタイプの物だ、ということである。昔の写真を見ると、海女が必ずしも鼻が隠れるタイプのメガネを使っているわけではないのだが、これだと水圧によって顔にメガネが押し付けられるのを、鼻からの息でメガネ内の圧を調節することができない。ゴムでなく金属製だった頃はそうとう痛かったようだが、そのうち革製の小さな風船をメガネに付け、その中の空気をメガネ内に押入れて圧を調節するという工夫がなされたようだが、鼻までメガネ内に収まっていれば、自分の呼吸で圧を調節できるわけで、何故それに気がつかなかったのか不思議な気がする。磯着と一緒に磯メガネも送ってもらうことにした。 『潮騒』といえば有名な焚き火のシーンの観的哨がある。大砲の着弾地点を観察する施設だが、未だに神島には残っているようで、いつか撮影に訪れたいと思っていたが、ただのコンクリートの廃墟で、ジェット戦闘機F-104と違って、わざわざ本物にこだわらず、でっち上げたほうが良いような気がしている。 

『中央公論Adagio』以外では数年ぶりに新作をアップした。

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下駄箱の上の(今は下駄箱といわないのかも?)水槽で飼っている熱帯魚フラワーホーンだが、今まで30センチに到達しようか、という頃に突然体調を崩し死んでしまっていた。飼うのは容易で、水道水でも平気な丈夫な魚である。とにかくガツガツと餌を良く食べる。餌やリが飼育の一番の楽しみだが、長生きさせるために食べ過ぎは禁物、最初の頃は消化不良で死なせていた。 いくら餌をくれとジタバタしても我慢し、場合によってはジタバタしているのを見ないようにして、やりすぎに注意していた。ところが二日前に前触れもなく突然調子を崩した。またか。どうしてもこの壁を越えられない。フラワーホーンは人工的に作られた魚種なので、遺伝的に難しい点がありそうである。朝見るとヒレはボロボロ体中から粘膜を出し、そのせいで水は濁り、目は白濁し腹がふくらみ横倒しに水面に浮かんでいる。どう見ても死んだ魚である。すでに死臭も漂いだしている。それでも良く見ると胸鰭が僅かに動いた。ならばと死ぬ前に水を換えてやろう。多量の『伯方の塩』も投入した。ところが。夕方にはボロボロながら立てになって浮かんでいるではないか。腹にガスが溜まって浮かんでしまい、眼が見えないのであろう、底のありもしない餌を探っている。再び水を換えさらに塩。一夜明け、昼ごろにはガスが抜けたか中層を泳いでいる。ゾンビか?なんという生命力であろう。褒美に生鮭をやる。凄い奴だ。 だがしかし。だったらお前、あんな簡単に具合悪くなるんじゃないよ!

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F104が、こんなに物静かに休ろうているのを見るのははじめてだ。いつもその飛翔の姿に、私はあこがれの目を放った。あの鋭角、あの神速、F104は、それを目にするや否や、たちまち青空をつんざいて消えるのだった。

日常的なもの、地上的なものに、この瞬間から完全に決別し、何らそれらに煩わされぬ世界へ出発するというこの喜びは、市民生活を運搬するにすぎない旅客機の出発時とは比較にならぬ。

何と強く私はこれを求め、なんと熱烈にこの瞬間を待ったことだろう。私のうしろには既知だけがあり、私の前には未知だけがある。ごく薄い剃刀の刃のようなこの瞬間、そういう瞬間が成就されることを、しかもできるだけ純粋厳密な条件下にそういう瞬間を招来することを、私は何と待ちこがれたことだろう。

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