明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



出版が急遽決まり、ノンビリしている雰囲気ではなくなってしまった。今年も特に大掃除などせず。私は時間や日にちでケジメを付けられるような人間ではないのである。 暮れのデパートやスーパーの、慌しいのに寂しいという感じは、この時期ならではの味わいであるが、昔と違って何か買いそびれたところで店は開いてるせいであろうか?慌しさ寂しさ両方とも、年々薄くなってきている。 実家の母がパソコンをやりたいということで、ノート型パソコンが届いたので教えることになっている。母からの携帯メールは相変わらずチンパンジーの電報の如しであるが、パソコンなら年寄りにも大きい分やり易いであろう。 資料の本を神田にて入手して帰り、千葉より届いた『寿萬亀』を飲みながら格闘技番組でも。しかし、簡単に一年が経ってしまう気がするのは、もう放っておくしかない。

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プリンターを破壊。相変わらず思ったように作動せず、文書だけプリントできればと使っていたが、訳のわからない暗号のようなものを、チョロット印刷しては延々と給紙を続ける。しばらく横目で見ながら別な作業をしていたが、ついにプッツリ。まだズーズー動いてるウチに、小脇に抱え、プラスチックのカバーやら何やら、手でむしれるものはすべてむしり、電源を外し放る。2台目もこうして壊したのであった。とにかくこいつとは相性が悪い。 今日は作品集の打ち合わせがあるが、どうせ飲むだろうし、今年最後の営業ということで、煮込み屋で軽く飲り、女将さんや常連に挨拶。その後本郷3丁目まで出かける。たまたま『乱歩 夜の夢こそマコト』のパロル舎も同じ本郷であり、一年ぶりで、すでに懐かしい。F社社長とデザイナーの北村さんと、作品集について話し合う。私は例によって、作品ができてしまった後のことは、ほとんど頭が働かないので、北村さんにお任せすることに。いぜれにせよ、正月も何もなくなりそうである。

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私がジャズ・ブルースの人形を制作していた頃、スティービー・ワンダーとBBキングに人形を作り、本人に手渡したので、あとはマイルス・ディビスと、ジェームス・ブラウンだなどと考えていたものだが、マイルスが亡くなり、その計画も頓挫してしまった。ジェームス・ブラウン。晩年は刑務所に入ったりしていたようだが、彼の功績を考えると、人の一人や二人殺していたってかまわないくらいの話である。 今日は朝から冷たい雨。先日三島に持たせる白鞘の材料を買いそびれたので出かける。大きめの朴の版木を神田の文房堂で購入。暮れも押し迫り雨に濡れながら、そんなものを買いに出かけなくてもと思うのだが、こんな時だからこそ、心はずむ私なのである。だいたい三島を作って、持たせる刀は来年にしようなどと言っていられるものであろうか? 彫刻刀を滑らせ、血に染めたりしながら削る。あとは持たせるだけである。 

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朝日新聞、夕刊文化面のエッセイに添えられる写真用に荷風を撮影。(第1回1/4 第2回1/9 第3回1/10 第4回1/11予定) 荷風の持つ籠に以前大根を入れたが、探しても出てこないので昨晩作り直す。少々寂しいので長ネギもついでに作る。編集者を待つ間、足元の地面の砂を擦り付けておいた。 とりあえず永代橋に行くが、時間的に逆光なので、後まわしにして浅草に向う。浅草に荷風は似合いすぎて、とも思うが、イメージカットということなので人ごみの中歩いて廻る。コートに全財産入りバックを抱える荷風。私は人形もカメラも手持ち、しかも絞って撮る。日が短いのでノンビリとはしていられない。次の上野公園へ。 ここからは買い物籠にコウモリ傘の荷風に換える。大根に加え、生活感をかもし出す長ネギ。さらに清澄庭園近くの、看板建築がならぶ一角へ。ここは時間的に光線の具合が悪かったのと、他社新聞販売所が写るので、そこそこにして永代橋に戻ると日暮れの良い感じ。 一日、ハイヤー付き撮影というのも、なかなかオツなものであった。

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三島がヤクザ者を演じた『からっ風野朗』(大映)私は子供の頃テレビで観て、その演技の下手さに笑った覚えがあったのだが、改めて観てみると下手ではあるが、子供の私に笑われるほど酷くはない。しかし、あきらかに笑った記憶がある。そうしてみると劇中、キャバレーのシーン、水谷良江の『太くて長ァーいバナナの実ィー♪』(ちょっと違うかもしれない)という歌が怪しい。獄中にいた三島の愛人の役なのだが、その幼児向けのようなバカバカしい歌を、半裸のダンサーを従え、ハスキーな低音で、粘るようなスローテンポで歌うのだが、これは子供でも笑えるのではないか。いずれにせよこの映画のせいで三島を読むのが遅くなってしまい、実に惜しいことをした。 しかし面白いと判っていながらあえて近づかない事や物も多い。面白いからと言って手を伸ばすには、人生はあまりにも短いのである。作家シリーズも気がついたらすでに10年。そう簡単に次は○○やろうとは言えない。先日その話をしていたら、私よりそうとう年下の編集者が、(年長者への尊敬の念が足りないところが不満な男だが)私があと10年で還暦?!と、横にいた人物と同時にステレオで、耳がキンキンする音量で大爆笑。言われてみると可笑しいので、一緒に笑ってしまった私も私だが。

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日本橋にてデザイナーの北村武士さんと会う。来年2月下旬出版予定の本の打ち合わせ。作家シリーズも来年で発表から十年なので、良い区切りである。テストでデザインされたページを拝見する。北村さんは作品が切られて気に入らないかもというが、そんなことはなく、私の作品が新鮮に見える。乱歩の本を作ってみて判ったが、他人の手が加わることによって、自分で観て飽きないものになった。すべて自分でやったとしたらこうはいかない。ノートリミングの作品を見せたければ個展で展示すれば済むのである。 私はジャズのシリーズを作っていた頃、影響を受けていたのがブルーノート盤のジャケットである。デザイナーといえば、未だに始めに浮かぶのがこのリード・マイルス。撮影担当のフランシス・ウルフとよくケンかになったらしいが、オデコ辺りや、顔が半分とか物凄いトリミングである。このジャズにまったく興味がなかった男のおかげで、デザイナーには仕事をしてもらうべきだと知った。もちろんおかしな主張したがるヘタクソなのは論外だが。

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三島には白鞘の日本刀を持たすつもりだが(鞘に収めたまま)これは粘土でなく木を削りたい。そう思いついたのは夜中である。始めは見当のため、菜ばしをちょん切って持たせていたが、手持ちの板や棒に使えそうな物がない。しかし、三島が刀を持っているところを見たくてしょうがない。作りたくなったら我慢できない私である。グリーンのダイヤガラスや波打ったガラスを使った古い本棚がある。その中の棚板はどうだ?我慢できないだけならともかく、そういう事を思いついてしまうからいけない。こうやって子供の頃から、様々なものを壊して流用してきた。夜中に本をドサドサ降ろし板を外す。どうも木質が小さな刀にはそぐわない感じ。ネットで検索してみると、白鞘には朴の木を使うらしい。なんだ木版画の版木じゃないか。 ここでようやく”発作”がおさまり、明日画材屋に行くことにしたのであった。

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一日  


三島の頭部には苦労させられた分、私に創作の快楽をもたらせねばならない。すでにイメージも頭の中にあり、こうなれば話しながらでも作れる。第一作目は、かなりカッコ良くなる予定で快調に進んでいる。 もう一つ、さらに苦労したディアギレフだが、先日お会いしたリチャード・バックル『ディアギレフ』の訳者でもある鈴木晶先生から、褒めていただいたので、これ以上心強いことはない。モノクル(片眼鏡)を着け、ステッキまでは前回と一緒だが、タキシードではなく、お得意のエリに毛皮が着いたコートにする予定。このディアギレフはオイルプリントにしてみたい。

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再び市ヶ谷へ。法政大市ヶ谷キャンパス、ボアソナード・タワーに舞踊評論、バレエ史研究の鈴木晶先生を訪ねる。ひょんなことから某企画社のIさんを紹介する役目に。お邪魔した部屋は、バレエ、ダンス、ミュージカルのビデオであふれていた。ジョルジュ・バルビエの和紙にプリントされたニジンスキーの揃いを拝見したりしながら、バレエ・リュス発展史など、軽い講演を聴いてるような形に。興味深い話を伺う。私と同様、シド・チャリシー(チャリスと発音された)の写真をオークションで落札されていると訊いて驚いた。私は脚線美といえば彼女である。ディアギレフの頭部を見ていただいたりしながら、無事役目を果たす。 木場に帰り、角の煮込み屋へ自衛隊ロシアンルーレット団子を持っていく。次々お客がつまんでいき、隣りのYさんに。そうとう辛いらしい。しかし同じく当たった女将さんケロリとして美味しいという。Yさん、いかつい顔して味覚が子供なんじゃないの?みんなで笑う。

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先日、防衛庁に見学の予約を入れておいた。午前9時半に受付。本日の見学者は5人。雲ひとつない晴天の下、黄色いコートのガイド嬢について歩く。今は市ヶ谷記念館となり、コンパクトに移築された旧参謀本部のバルコニーが目的である。しかし着いたと思ったら追い立てられるように中に入れられ、ドアを閉められてしまう。中は極東軍事国際裁判法廷。説明を訊いたり、展示品やビデオを観るが、バルコニーのことで気もそぞろ。外観を撮る時間があるか訊いてみると「一瞬なら」 二階は旧陸軍大臣室。三島割腹の部屋である。ドアに残る刀傷、窓外に見えるバルコニー。この窓を越えてバルコニーに立ったわけである。感慨ひとしお。外へ出て、他の見学者が靴を履いたりしている間に、バルコニーを撮っておいた。 休憩時間、スターバックスでお茶を飲み、売店にて自衛隊オリジナル団子『炎の作戦』CODE NAME Mission of Fireを買う。(2/12が激辛) その後は色々な碑を見せられるが興味もなく、目的果たしてスーダラ状態。しかし2時間の見学中、途中離脱は許されないのであった。 帰宅後、三島の身体制作開始。

※『理容若鳩』スポーツ刈り2900円

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先日から電話の調子がおかしい。メールを使うようになり、電話を使うことがホントに少ない。(携帯は持っていない)仕事の話はメールで済むことも多いし、済まなければ会えばよい。母からの電話も母がメールを始めたせいで、いらなくなるかもしれない。(どうでも良い長話に付き合わなくて済む)しかし、そんな時に限って何年も連絡をよこさなかった友人から、連絡するとのメール。電話が使えない事は言っていないが、通じなかったらメールをよこすだろう。 もともと電話は好きではない。相手が今手隙かどうかが気になってしまうからである。(それは自分が、今電話大丈夫ですか。と聞かれれば、大丈夫でなくてもつい大丈夫と言ってしまうタイプだからである)などと言ってる間に買いに行けばよいのだが、いまさら電話を買うというのが、なんとも気分が悪い。

※しかたなく電話機を購入。FAX無し。パソコンプリンターについで嫌いな機械がファックスである。

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マンションの自転車置き場が一杯になり、使っていない自転車は処分するとの通達。何年も置きっぱなしの私の自転車も、革製サドルはひび割れ、タイヤはぺちゃんこ、ひどい状態である。修理が面倒なのと、ただでさえ運動不足のところ、自転車を使ってはと、ついそのままになっていた。木製三脚積んで撮影にいこうなどと言っていたのも忘れていた。出掛けに自転車屋に修理を頼む。 近所の喫茶店にて打ち合わせの後、拙著にて首を吊ってるTさんと煮込み屋K本で呑む。例によって三島の頭を持っていたので、常連のYさんに見せる。これで主要なご近所の知り合いには一通り見せたことになる。それにしても誰でも知ってるというのはさすが三島である。 常連はそのまま焼き鳥屋K越屋にゾロゾロ移動のようだが、昨日も行ったばかりだし、あそこでは積もる話はできないので、Tさんと洲崎の赤提灯へ。Tさんは世相に対し実にシビアで辛辣な批評家であるが、見える物は信じないわりに、たとえば気などの見えない物は実に素直に信じていて、その子供なみの純朴さが笑えた。別れた後、よせばいいのにK越屋へ。今日も8時間は呑み続け。

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一日  


昨日お会いしたFさんはボリス・コフノに会った事があるそうである。コフノといえば、セルジュ・リファールとともに、ディアギレフの最後を看取った、バレエ・リュスのマネージャー、ディアギレフの私設秘書を務めた人物であり、台本から振り付けまで手がけている、なかなか多才な人物である。私は禿頭の元レスラーのようなポートレイトしか知らない。残念ながら会いに行った時はすでに危篤状態で、二週間後に亡くなったそうである。そう思うと、バレエ・リュス関係の人たちは、1800年代生まれでも、私の高校時代あたりまで生きていた人物は存外いて、それほど昔の出来事でなかったようで不思議な気がする。都内某所にて、資料になりそうなディアギレフ、ストラヴィンスキーの写真のコピーをとってもらう。 出掛け前に、急遽決まったことがあり、やらなければならないことが増えてしまった。年賀状は三島でウケを狙おうと思っていたが、もう間に合わない。

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森村泰昌が三島になってると知人からメール。歩いていけるところなので、さっそく出かける。 広いスペース内にモノクロ写真。右側に『薔薇刑』の三島に扮した写真。薔薇刑は、雑誌に掲載されたもの程度しか見たことがないのだが、知ってるものからすると、かなり近いのだろう。左側の大きな作品は、世界の有名な暗殺シーン。オリジナルの当事者達は、後にこういう形で笑われるとは思いもよらなかっただろうが、思わず笑ってしまう。社会党の浅沼稲次郎は、たしか東大に脳ミソが標本になっていた。ナマの浅沼見たんだよなあと妙な気分に。一番奥には、三島の"バルコニーの場"を演じる映像。大阪城内の旧軍事施設跡のバルコニーだそうだが、制服は実物にくらべてかなりチープなところもなかなか。動かない写真よりはるかに面白い。三島は~になりたい病で、様々なものになろうとしていたが、三島の努力をもってしても実現しない部分はコスチュームプレイをしていたようである。そんな三島が今回は逆に、自分になられているのが愉快である。私のほうは頭部が難航してバルコニーの場をこれから作るわけだが、以外な偶然であった。 三島には思い切り”悲劇的な彼”になってもらおう。

「烈火の季節/なにものかへのレクイエム・その壱」展 シュウゴアーツ 16日まで

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三島は自分の顔について『私の顔は曲がっており、正面から見ると、便所の古草履みたいに、長刀型になっている。』と言っているが、曲がっているというより雑巾を絞ったように捩れている感じである。三島を一度や二度、作ったことのある人には?判ってもらえるだろうが、出来上がった頭部を持って360度ゆっくり動かしていくと、刻々と変化していく表情を楽しめる。左右でも、これだけ違うと撮影のさいは色々表情が描けて面白いであろう。 生身の人物でも、あきらかに左右不対称の人は、その表情に複雑なニュアンスを生じ、なかなか味があり私は好きなのである。

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