明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



撮影に関することで、平井憲太郎さんにお願いしたいことがあり、お電話する。ただし江戸川乱歩とは関係なく、ご専門の鉄道に関することである。2、3当たっていただけるとのこと。憲太郎さんにお願いして無理であれば打つ手はなく、諦めもつく。 大晦日から、先日K本の常連といったばかりの南房総に母と行くことになっている。初日の出でも拝んでくることにする。数日前入手したばかりのペンタ67を持っていくつもりだが、ブローニーサイズのカメラを使うのは何年ぶりだろうか。おそらくドイツ移民がNYはロチェスターで作ったレンズ工房の製品であろう、ネーリングという2群2枚のレンズを装着した。3本あるうちの一番短焦点のレンズがピッタリ。ヘリコイドを回して距離を変えても、さほど変化が感じられず、どこを見てもピントが合っているように見える。また、どこを見ても合っていないようでもある。 先日、地元の友人の形見分けということで、ギターを貰いに行ったら、私の憶えているギターではなく、しかもフォークギターだったので貰わずに帰ってきたが、カメラもあるので探しておくということであった。今日、出てきたというカメラがペンタ67であった。2台あったってかまわないわけだが、こんなこともある。

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3時に大崎シンクパーク。展示場所に照明がうまく当たらないので、いったん休止することになり撤去に向う。その足で銀座の東京画廊へ。私は昔、陶芸家を目指していた時期があり、茨城の常磐炭鉱近く廃村で、男三人で暮らしていたことがある。岐阜の陶器工場にいたところを専門学校時代の先輩に誘われたのだが、そのMさんから昨日20年ぶりに連絡があり、個展をやっているというのででかけた。Mさん、黒人は作ってないの?というから、ホントに久しぶりである。プリミティブなイメージの焼き締めた、炭化による作品であった。そういえば当時、野焼きなどの燻しを試していたのを思い出した。焼き物は、ロクロをしながら、他の作品の乾燥具合を気にかけたり、全体に気をくばりながら進める仕事である。私にはまったく向いていなかった。 その足でK本に向かう。今年最後の営業日である。常連席は埋まっていた。ここではいい大人が、駄菓子屋に集まった子供のようになるから面白い。すぐそこの川でSさんが釣ったハゼを持って来ていた、しばらく水槽で飼い、泥を吐かせて、見るからに綺麗になっている。ひとしきり飲んだ後、有志と共にT屋へ。SさんがT屋にハゼを持っていったので、ハゼの天婦羅食い放題だと向ったのだが、泥酔状態の店主は、あればやるけど、届いてないよという。泥酔状態の店主を見て、Sさん持って帰ったらしい。さきほどまでK本に居られた森下賢一さん差し入れの、なんとも形容のしがたい香りの強烈な焼酎で夜更けまで。

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前例がないということで、撮影許可が下りなかった某所だが、どうやら無事撮影できることになりそうである。できるだけ前例のないことをしなければならない私は、おそらくイメージ通りの作品を作ることができるであろう。佐世保銃乱射事件について、知人から続報が入る。それは普通の新聞では報道しないのではないだろうか?ドンデンガエシとはこのことである。 5時に昨日の喫茶店にて、世田谷文学館の学芸員の方と、来年2/16(土)―4/6(日)永井荷風のシングル・シンプルライフ展(仮称)の展示について打ち合わせる。写真を撮り、人形も展示することに。私自身が見飽きてきたので、間に合えば荷風の新作を。昨日もこの喫茶店にて、荷風関連の打ち合わせをしたばかりである。

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一日  


木場の喫茶店で打ち合わせていると、そのちょっとした間にフラワーホーンが産卵していた。メスの輸卵官が伸びていたので、ひょっとしてと思っていたが、突然であった。その前に壮絶なバトルを展開する事はよくあることだが、そのあげくに仲が良くなり産卵にいたるのが普通である。しかし今回は、つい今しがたまで戦っていた様子で、互いの唇が、噛みあったせいで酷い状態である。とても房事の後の2匹という感じではない。卵の数も少なく、孵化にいたる可能性は低いであろう。 先日、ブローニーサイズのペンタックスの6×7、TTL付きを入手した。手放す人が多いらしく、実に安い。田村写真の田村氏が、買い物ついでに買ってきてくれたものだが、某新聞社、写真部の放出品で、綺麗に仕舞われていたものより、かえって良い。ついでにテスト撮影までお願いしたが、まったく問題がなかった。レンズは着いていないが、そんなものは、初めから使うつもりはなく、ヘリコイドに穴を開けたキャップを着け、古典レンズを着けようというわけである。100年以上前のレンズをTTLで、というのは楽しい。

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一日  


某人物を某所に立たせての撮影を考えていたが、撮影許可が下りない。散々考えたイメージであり、簡単に諦められず交渉中ではあるが、使えない場合を考えると人形を作り始めるわけにはいかない。だったらいっそのこと、背景からなにから全部作るか、ということになってしまい、写真である必要があるんだか、ないんだか。私の場合、しばしばそんなことになる。被写体に依存しなければならない写真は不自由なものである。 先日の一泊旅行の写真を持ってK本に行くと、すでにYさん赤い顔。ほどなくダブルのスーツのMさん。青梅から、今電車乗ったから帰らないでくれと電話をよこすFさん。旅行の話で盛り上がる。これではまるで、遠足の翌日の小学生である。帰りにホッピービバレッジの営業が持ってきた、夏川純の水着カレンダーをいただいて帰る。『中央公論adajio第5号 手塚治虫と新宿を歩く』配布開始。歩かずに飛んでいる。

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一日  


ウインドウズXPからビスタへ、LANケーブルを使ってデータを移している。XPマシンはUSBがいかれてデータを取り出すことができず、保存していた作品の画像をプリントしたくてもできなかった。ハードディスクをを取り出し、外付けハードディスクとして、という方法もあったが、まずとりあえず、というわけである。なれない作業で遅々として進まず。前のマシンは、やっかいな作業に入ると、遠くで軍楽隊のドラムロールが鳴っているような音がしたが、こんどのマシンは音がしないのが良い。液晶モニターは買ったばかりで、いらなかったが、セットで買わないとバカバカしいように設定されている。一つはマック用に使うことにする。 以前も書いたことだが、日ごろ使っているものが、カメラやパソコンなどという、大嫌だったものばかりというのが不思議であり、もともと好きだったのは、粘土をこねくることくらいであろうか。そう思うと、何かを見て描いたり作ったりすることが子供の頃から嫌いで、写生嫌いでデッサン嫌い。そのせいで実在の人物をほとんど作らずきたのに、最近は実在の人物ばかり作っている。何が起こるか解らないところに生きる面白さがあり、私の将来への展望ほど、当てにならないものはない。

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帰宅  


皆が寝ている間にMさんが車で朝食を買ってきてくれる。昨日美味しかったということで、江見駅前の豆腐屋で、湯気が立っている木綿豆腐、厚揚げなどで朝食。片付けの後、名勝地・仁右衛門島に向う。強風に揺れる渡し舟。頼朝の隠れた穴といわれる場所その他、見て回る。昼食に鯨のメンチカレーを食べ、土産などを買い、再び海ほたるにて帰る。休日だというのに、K本に寄り女将さんにさらし鯨など、土産を渡す。飲んでいく?という女将さんの御好意で2杯ほどいただき解散。男同士の旅というのも、独特の楽しさがある。

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午前10時に、階下に住むフリーの映画プロデューサーのYさん。大手建設会社部長Mさん。何の仕事かよく知らないサラリーマンFさんのK本の常連4人で、親戚の南房総の別荘に向う。人形を作っている私を含め、手術台の上のミシンとこうもり傘の如く、ひどく脈絡の無いメンバーである。Mさん運転の車で海ほたるを利用し、早めに和田浦に到着。昼食にカネシチ水産の金目鯛の煮付け定食。昭和のオヤジどもは魚の食べ方が上手い。言葉少なに平らげる。 飲み会用に金目鯛の刺身を頼む。前回これでしゃぶしゃぶをやったところ絶品であった。待っている間に買出し。町の小さな魚屋魚総にて約1キロのツチ鯨の冷凍ブロック、鰺の刺身、背黒イワシを酢締めにしようと買う。江見のスーパーに寄り、野菜その他、房総の名酒寿萬亀など入手。 別荘に着くと、とりあえず乾杯ということで、準備もそそくさと進み、3時から鍋を囲んで宴会が始まる。ここまで来て外は雨が降っているが、我々にはどうでも良いことであった。金目のしゃぶしゃぶ、鯨の刺身、鯨鍋と続く。実にバカバカしい話題、オフレコの業界話などで深夜まで続く。結局布団に入って寝たのは私とYさんだけであった。

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朝から来年2月の中央公論アダージョの画を考える。1枚の画のために人形を造形するため、シチュエーションなど、今から考えておかなければならない。それにしても構図が決まらない。必要なものすべてをどう画面に収めるかが思いつかないのである。午後、撮影予定地へ行って考えることにする。出掛けに長崎の方から電話で、佐世保銃乱射事件について、まだ報道されていない事実を伺う。なるほど。妙だと思ってたんですと私。 ようやくパソコンが到着。梱包も解かず玄関にそのままにし、同時に届いたサドルを自転車に装着して出発。ゲル入りなのですこぶる快適。サドルばかりは合わないと悲惨である。現場に着き、撮影はここでと決める。しかし無茶なシチュエーションではあるので構図は相変わらず思いつかず。 7時に麻布十番。写真の古典技法のオフ会である。オフ会は数年前に、昭和プロレスのオフ会に出席して以来。みなさんの様々な工夫を伺う。その最中突然アイディアが沸き、メモ用紙をもらって描く。結局私の場合、本当はそうしたいのにかかわらず、スケッチブックに試行錯誤は向いていないのであった。

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某作家の頭部完成。この人物は有名なポートレイトが1カットあるが、顎のラインが、服の襟の陰により削られているのを完成目前に気付いた。こんなことは私以外の誰も気にする人はいないだろうが、実物サイズとして1センチほど削られていて、私にとっては大問題である。しかし、少年期、青年期、時には幼年期の写真さえ参考にしてきたので、さほどの不都合はなかった。 パロル舎で出した乱歩の作品集などで、けっこう活躍してくれたのが、今はなきヤシカのレンズシャッター機である。電池が切れたらまったく使い物にならず、壊れたら捨てるしかないようなカメラであるが、各社レンズの明るさをを競っていた頃の製品なので、暗いところでもよく写った。場合によっては、三脚を使えない場所があったので、随分助かった。その中でも、いつでも手に入ると思っていた普及機ヤシカスナップをようやく入手。週末に一泊旅行にでかけるのでもって行くことにする。 自転車のブレーキレバーが目に刺さって死んだ人がいる。酔って自転車に乗りながら、もう一台の自転車を引いていて倒れたそうだが、こんな死に方はゴメンである。

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来年1月12日~18日に、近所の江東区古石場文化センターで、第1回KOTOシネマフェステバルというのがある。深川は小津安二郎が生まれたということで、映画関係の催しに力を入れていて、小津作品や深川を描いた作品などが上映されるようである。私も近所のよしみということで、12日~14日の3日間、写真と人形を展示することになっている。人形2体に写真と聞いていたが、先日もらってきたチラシを見ると、“人形展”になっている。展示するのは小さな部屋だが、人形展ともなれば2体というわけにはいかないのではないか?映画にちなんだ人物をということで、澁澤や中井英夫以外は、だいたい映画化された作品を持っているが、いくら大時計に収まっていてウチに置いておくのが邪魔だからといって、夢野久作など深川あたりでは誰も喜ばないだろうし、文芸作品になった人物がよいのであろう。いずれ小津安二郎を作ることになるような気がする。 注文したパソコンがとっくに着いていたようだが、数日宅急便の不在者票に気付かなかった。パソコンが来るといってもワクワク感がまったく無いというのは、前回のパソコンが届いた時も書いたような気がする。これからしなければならないことを考えると、むしろウンザリである。

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10時に荒川河口集合ということで、10代からの友人H、Kとハゼ釣り。先日、なかなかよいサイズが釣れたので期待していたのだが、今日はあいにくの強風。風上にむけて投げないと、思ったところに行ってくれない。25号のおもりを付けていても、気が付くといつのまにかあさっての方向に行っている。当たりは判らないし、餌を食ってる感じがまったくしない。 昨日、近所の古石場文化センターで小津安二郎の『秋日和』を観た。友人の法事に集まった三人の中年男が、残された娘の司葉子の結婚の面倒をみようと、未亡人の原節子を巻き込んで余計なことをするという話である。我々三人も、ここまで付き合っていると、いずれ誰かの葬式に出て、その死に顔を見ることになるのであろう。そんな話で笑っていられるのも、まだ先の話のような気がしているからであるが、こればかりはは判らない。先日も実家の近所の、幼稚園からの付き合いだった友人の遺品の、思い出のあるエレキギターをもらいに行ったら、私の知らない間に彼はフォークに転向していて、いらないので、もらわずに帰ってきたばかりである。もっとも自転車でハゼ釣りなど小学生のようなことをしている間は大丈夫であろう。夜は忘年会を予定しているので、見渡す限り釣り人がいない中、震えながら4時まで。結局、Kが巨大なエイをひっかけただけで全員坊主。Tさんを交え、東陽町にて忘年会。ハシゴする。

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天気が良ければ日曜日に、友人等と荒川河口にハゼ釣りに行こうと計画している。天婦羅もいいが、正月の甘露煮用にひとつ、という趣向である。東陽町に用事があったので、ついでに明治通りを越して、様子を見に行った。潮が悪いのか時間のせいか、ルアー釣りと、帰り支度の釣り人くらいしかいなかった。 サイクリングロードはただまっすぐなので気持ちが良い。調子に乗ってスピードを出して走ってみる。汗を掻き土手の芝生に寝ころがり、しばらくボンヤリしていると、ボトッという感じで頭に何かが着地。何かと思えば一匹の雀である。 嗚呼、こんなことではいけない。何故かシミジミとした反省の心持になり、帰路につく私であった。 汗かいて、土手っぷちで寝ていたものだから微妙に寒気。

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入ってすぐに、西洋絵画の影響をうけた陰影をつけた、ヘンな肉筆画がならんでいた。緻密で綺麗ではあるがヘン。北斎も版画の方が数十倍いいなと、よけいな物を観てしまった気がしたが、後半に展示された肉筆の大作は一転、素晴らしかった。 今日は北斎展はついでであり、確認したいことがあり、常設展示を観にきたのである。しかし、日が悪く、小学生がウンカかイナゴの如く。踏み潰さないよう進む。まあはしゃぐのは判る。私も科学博物館に閉館後、一人取り残されたら確実にはしゃぐであろう。子供が見ているというのに、触るなと書いてある展示物を触りまくる三婆。確認したい事は一つだったので、しばらく眺めたあと、とっとと自転車で帰る。 可愛がっていたフラワーホーンが死んだと嘆く人物に呼び出され、酒の相手をさせられる。フラワーホーンとはただの熱帯魚である。“ただの”などと書くとクレームが来そうだが、お説によると、水槽に向って合図をすると反応し、意思の疎通もできたそうである。私は日ごろノイローゼじゃないかとからかってきたが、何種もの魚を交配させ、人の手によって作られた魚で、ブレンドの妙なのか、確かにこれほど頭の良い魚は知らない

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昨日面白いことに気付く。数日来、次はどんな画にしようかと頭を悩ませていて、ああだこうだ思いをめぐらせていた。おおよそ決まってきたかと思った矢先、棚からボタ餅のように新しいアイデアが浮かんだ。私の傾向として、練りながら完成に向うイメージより、数秒で浮かんだ場合に、多くは成功する。それは常日頃の傾向なのだが、昨日気付いたのは、何日間にもわたって考え、結局却下になったヴィジョンは、今思うと終始灰色がかってコントラストが低く、いってみれば影が薄かった。その点、棚ボタは、いきなりハイコントラストで色が鮮やかなのである。 以後、イメージが頭に浮かんでも、灰色がかってコントラストが低いようであれば、脈はないということにしよう。無駄な時間が省けるというものである。 ホントか?

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