引用もあり少々長くなる。 高村光太郎は『九代目団十郎の首』で浅草公園の「暫」はまるで抜け殻のように硬ばって居り、歌舞伎座にある胸像は似ても似つかぬ腑ぬけの他人であり、昭和十一年の文展で見たものは、浅はかな、力み返った、およそ団十郎とは遠い芸術感のものであった。其他演劇博物館にある石膏せっこうの首は幼穉ようちで話にならない。ラグーザの作というのはまだ見ないでいる。』といっている。浅草寺の新海竹太郎作や歌舞伎座の朝倉文夫作はいずれも“荒事”の團十郎を意識したか、力んで武ばった九代目になっている。私は全国から九代目の写真を収集した『舞臺之團十郎』(舞臺之團十郎』刊行會)大正12年 を見て、一カットも荒事の九代目らしさがなく、むしろ華奢で切なげでさえあり、よって想像で表情を作った。舞臺之團十郎で、坪内逍遥は團十郎の写真には、本来の團十郎の表情は写っていないという。十二代目がいわれたように、当時の感度の低い写真では荒事の九代目はとらえる事はできなかったのであろう。 高村光太郎はさらにこう書いている。「団十郎は決して力まない。力まないで大きい。大根といわれた若年に近い頃の写真を見ると間抜けなくらいおっとりしている。」 『歌舞伎 研究と批評22』特集九代目市川団十郎(歌舞伎学会)写真と沈黙-九代目団十郎の遺産-神山彰には、この人物の写真は、見る側の期待や欲求に応えていないという。本人が写真嫌いなことは有名なのだが、そういうことではなく、ここには“美ならざるもの”がある。という。“美たりえないもの”それまで対象たり得なかった物が呈示されている異様さが感じられる。何も美化されることなく、ただ眼前にあるものがただ写っている。そこにあるものがただ写ってしまっているという不思議な感覚であり、そこから團十郎の写真が持つ独自の迫真性や奇妙な切迫感が生じている。と書かれていた。これはまさに、私が九代目の写真を見たときに感じたことであり、ニジンスキーの写真を始めてみた時に感じたことと似ていた。九代目の写真に対してズバリの表現に、思わず神山彰氏にメ一ルをお送りし、ご丁寧な返信をいただいた。 ところで光太郎がこの時点で未見だといったラグ一ザお玉作の九代目は、男達が荒事の九代目にこだわったのに対し、唯一「団十郎は決して力まない。」「ただ眼前にあるものがただ写っている。」像の制作を試みている。さすが女性である。ただあまり似ていない。そう思うと高村光太郎作の團十郎が決定版になるはずだったろう。ところで、ここでデッサンもろくすっぽやったことがない私がいうのもなんだが、すべてを踏まえて團十郎像を作りなおしている。
青木画廊サイト。小津安二郎像に写真2点出品。
開廊55周年記念「眼展2016Part1〜妄想キャバレー〜」銀座青木画廊
2016.11/05(土)~2016.11/18(金)アートスケープ 展評『深川の人形作家 石塚公昭の世界』
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