明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



今年は人形制作に身が入ったとはいえない1年であったが、10年ぶりにオイルプリントの制作を再開したことが大きい。2000年にこの技法を知ってもらいたいとHPを立ち上げたが、今とはネットの環境も違い、画像はなるべく軽く、といわれていた時代なので、ただでさえ伝わりにくいプリントの味も見せることはできなかった。試みようとする方がもっとも知りたいのはブラシの使い方だろうが、その動画をアップできたのも今年のことである。 先日、田村写真のワークショップに顔を出した。石塚式などといっていただいているが、違いといえばゼラチンを厚く塗布したに過ぎない。しかし格段に画が出やすいことは間違いがなく、初心者の方も立派な画を出していて驚いた。本来自製しなければならないゼラチン紙を田村写真制作のゼラチン紙を使うことによりハードルが低くなり、従来の写真のイメージとは異なるプリントを楽しんでおられたようである。来年オイルプリントの個展を予定しているが、今までのように自作の人物像を被写体にし、ホントのことなどどうでもよい、などといいながら制作した作品とは違い、生身の女性が被写体なので、判りやすいだろう。 ところで世間が休日の間は、私の場合仕事がはかどる。それにしても正月早々、黒人を制作することになった。どれぐらい久しぶりといって、なんと18年ぶりである。

オイルプリント制作法

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http://youtu.be/kZozcEqgKsE 

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一日  


久しぶりに谷崎潤一郎の首が出て来た。唯一首を二種類作った作家である。澁澤についで作ったのは乱歩か谷崎であったが、澁澤とならび小さい。澁澤は植物園などに妖精のように配置するつもりでいたし、谷崎は女体に配置することだけ決めていたので、小さ目ということもあった。それから随分立ち、フリーペーパーの表紙で谷崎を特集することになり、人間大として人間と並んでもらうことにしたので、それには少々デイテール不足、と改めて初代より大きく作った。ここの所、飽きる程ヌードを見ていて、丁度私が中学生にして谷崎にはまる原因になった大映の“谷崎物”を思い出していたところであった。 今だったら谷崎作品に参加してみたいという奇特な女性もいるし、『痴人の愛』や『瘋癲老人日記』がリアルに可能であろう。谷崎も名場面だけやる分には面白いに違いない。 そんなことを考えていたら、『貝の穴』以前、本物の猫を使って内田百間の『ノラや』をやるつもりでいたのも思い出した。百間の仏頂面を号泣させてみたかった。本物の金魚を着流しの室生犀星の首筋や懐からヌルリと顔を出させて作ろうと考えていた『蜜のあはれ』。今はどこへ行ったか、金魚みたいな顔をした女の子にも目星を付けていたのだが。挿絵程度の作品数なら可能な気がしないでもない。可能である。と書きそうになり慌ててハンドルを切る。 午後、三ヶ月サボった定期健診。さぞかし数値が悪くなっていると思ったら、何もしてないわりにそれほど悪くなっていない。と薬減る。色々気を付けてましたか?「勿論ですとも」。

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印象派絵画の影響を大きく受けたであろうピクトリアリズムは、ソフトフォーカスレンズも長く使用された。私も数本所有しているが、肝心のオイルプリントにしよう、となると敬遠してしまう。今回も選んだデータの中にはソフトフォーカスな作品は1カットしかない。オイルプリントのような曖昧な技法には、せめてネガは曖昧ではなく、くっきりしていて欲しい、というところであろうか。 そういえばピクトリアリズムで印象派、さらにヌードなどというと私がルノワールを好きだと思う人もいるが、最も好きな裸体画はクラナッハであり、大嫌いなのが、血色の良い水死体のようなルノワールなのである。 子供の頃、近所で揉め事があると、その輪の中に前掛けしたまま必ず混ざっている乾物屋がいた。どうやって揉め事を嗅ぎ付けて来るのか、その鮫のような嗅覚が子供の私には謎であった。近所といっても揉め事が聴こえる程ではなく、角が邪魔して店から見える場所ではない。揉め事の主は過剰な正義感の持ち主の某オヤジと決まっていて、乾物屋はその横で重要な会議に出席している調子で、オヤジの参謀のような顔して加勢していた「あんたそりゃ道理が通らないぜ」。道理ということばを始めて聞いた。 その乾物屋の店の奥にぶら下がっていたのがルノワールのカレンダーであった。乾物屋としては乾物でくすんだ店内を少しでも華やかにしようと思ったのであろうが、子供の私にはルノワールのせいでよけいくすんで見えた。

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人形を撮影するだけなら大判カメラ、レンズはもう必要ないのですべて処分しよう、と先日まで考えていた。しかし、久しぶりに8×10インチのフィルムを見ていたら、人形を撮影した物は気に入らないが、被写体に大きなカメラで威圧感を与え、じっとしていることを強いる撮影は、独特な写りである。特に私の場合、素人のモデル相手に大型カメラの操作にああだこうだとドタバタし、しまいには茶筒の蓋や手のひらがシャッター代わり。これも被写体に対する一種の駆け引きと考えていた。ミラーレスのカメラが出て、フランジバックの短いライカのレンズが使えるようになり、早々に処分してしまって悔やんでいる人がいるが、大判カメラもいずれ新たな使い道が現れるかどうか。人物撮影用レンズには、プラズマート、エミール・ブッシュのラピッドアプラナートの焦点距離違いで3本、2群2枚のU・ネーリング3本もあれば充分である。これはたいしたレンズではないが、たいしたレンズと撮りたくなるレンズは違う。 珍しいのでライツの大判用ズマール210ミリ、190ミリも残しておいても良い。ヌードを撮影したとき輪郭線のような物が現れ、そういう描写をするレンズもある、と聞いたが、その女性の35ミリのネガをチェックしていたら、単に濃い産毛がそう見えただけだったことが判り笑った。それにしても最近人形作っていないし、来年は人物で写真展を、といっているし、どうも私の動きが怪しい。表層の脳でないところで何か企んでいないだろうか。

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大判カメラや大判用のレンズは、感度が低く引き延ばしができないために、作品大のネガが必用なオイルプリントのために入手した。その後、印刷用のフィルムを使用することによりその問題は解決したが、それを作る街の施設もなくなり、現在はインクジェットでネガが作れるようになり大判カメラの出番はなくなった。 肝心の人形の撮影も、人形として撮るならまだしも、人間として撮るには不向きと思われ、一度として満足する撮影はでlきなかった。人形を人間として撮るには人形に対して大判カメラは巨大に過ぎることがあろう。さらに動かない人形を前に、三脚に大きなカメラを乗せて、ピントを合わせたり準備をしているうちに、どんどんシャッターチャンスが逃げて行く気がするのである。 自作のジャズマンの像を一眼レフで撮り始めた頃、自分で作った背景の前に人物を立たせ、三脚を使って自然光で撮影した。なかなか面白かったので、明日もう一度撮ろうとそのままにし、翌日同じ時刻、同じ光の元に撮ろうとしたが、どうも面白くない。理由が判らず考え込んでしまったが、結局、人形はピクリとも動かず現場は昨日と同じだとしたら、昨日と変わったのは私自身であろう。つまりシャッターチャンスは自分の中にこそある。以来、カメラを持った私がいきなり被写体と出会った、という気分で撮るようになり、三脚は使わなくなったしレフ板も使わない。また、動かない人形を撮るためには、撮影者は多少オッチョコチョイなくらいの設定のほうが良いようである。

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人間は15歳の時に好きだったった物は一生好きだそうだが、そういう意味では、授業中でも熱中して読んでいた作家は乱歩と谷崎である。 来年、女刺青師と彼女の作品を身体に入れた女性を撮影する予定である。しかし当の刺青師は、客に入れることに熱中したか、自身の墨は未完成である。私はそれでも構わなかったが、本人はそうはいかず、ちゃんと仕上げてからにしたいという。 彼女は私が谷崎作品を制作するなら参加したいという。谷崎作品には『刺青』がある。主人公の刺青師は男であったが、イメージ作品としてなら可能であろう。実際目にした墨は映画やTVのような描いたものとは違う。 市ヶ谷に向かう三島と楯の会の会員を、池部良と高倉健の道行きになぞらえた作品を考えたことは以前書いた。コロナ車中、三島も連想したのであろう。皆で『唐獅子牡丹』を元気良く歌ったという。その後殴り込み先で、名刀関の孫六を構え、三島の背中で泣いてる唐獅子牡丹といきたかったが、それには時間が足りなかった、とも書いた。しかし正確に書くと、粘土製の三島に、肌に入れた墨を表現する方法を手に入れるには時間が足りなかった。というのが正直なところである。あたりを血だらけにする方法は考えたのだが。

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一日  


ある時期から撮影した作品は、頭のすみではすべて最終的にオイルプリントにすることを前提に考えていた。休止していた時期も、デジタルで合成するようになれば、それはそれで超アナログ技法でプリントすることにより面白くなるだろうと考えていた。そんなわけで過去に撮影した作品を掘り起こしてみたが、おかげでデータだけは個展数回分の量になってしまった。時には個展が始まっても制作していた時もあったのに、なんという余裕であろうか。 しかし今後も撮影の予定があるし、ここから外して行かなければならない。 たまたま昔モデルになってもらった友人に出品の可能性を伝えると、他の美しいヌードとバランスが取れないので削除して下さいとのメール。そこで作品を披露したのだが、それが自分だと気づかずとても美しいと思います。とのご意見。これで本人からお墨付きをもらったことになるだろう。 昔は友人知人にモデルになってもらっていたが、撮影者の私と一緒に被写体も歳を取ってしまった。しかし今回出品する事になるに違いないある人は、私が昔撮影した作品が出て来て、久しぶりに見たら綺麗だった、といってくれた。さらに還暦も近いというのに、またご要望あれば、とまでいってくれた。有り難いことである。 近所の酒場のご常連、中でも長老格のGさんやSさんなどは、私の個展など興味があろうはずがなく、お知らせするのも迷惑と遠慮していたが、次回だけは、お二人にこそ是非に、といいたい。 KさんとMさんは年齢こそ近いが水と油ほどの違いがある。しかしこの二人、撮影時レフ板いるなら是非助手に、と同じことをいうのが可笑しい。レフ板かかげるポーズもおおよそ一緒である。

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画像内に布地の色を合成している。布は別珍。光を吸収し、見る角度によって色が変わり厄介である。やったことがない作業というのはスリルがあるし、何かが起きるかもしれないという気もする。実際、ほんの気まぐれだったり、冗談まじりで触った物がヒントになり作品が変化することは往々にしてあることである。オイルプリントを始めた時がそうであったが、例え自分で何でこんな事をしているのか判らなくても、いずれ意味が出て来たりすることもある。私の場合長年の経験上、性能の良くない頭をひねくってもロクなことにならないのは判っているので、難しく考えず、いきあたりバッタリ制作しているが、自分の中で何かが起きた時は、すぐ気が付き逃す事はない。普段のんびりして目だけ出して砂に隠れているアンコウが獲物を捕らえるが如しである。そういったとき、私は思いついた、という顔をするそうである。 来年、人形でなく人物写真で個展をすることと無縁ではないが、最近人形作りから離れている。こういうことは自然とそうなるのだが、しばらくして再開すると、前出来なかったことが出来るようになっていて、何故か上達している気がすることがある。こんな時、真面目に作ってきた褒美だと思うことにしている。ただし当たり前の話しであるが、十年に一度くらいしか起こらないのである。

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古典技法を手掛ける人のモチーフは、それが映え、効果的なためであろう。モシャモシャした景色が多い。オイルプリントにしても同様であろう。人物にしてもツルっとした青年より皺じみたヒゲ面の老人など雰囲気が出る。しかし30年以上男ばかり作って来た私にしてみると、男は作るもので女は撮るもののようである。あえてゴツゴツモシャモシャより、丸みのある物を、ということでヌードで制作してみようと思ったのである。当然野島康三も頭にある。 着衣のポートレイトも一応選んでみたがこれは数は少ない。その数少ない中から20年前くらいに撮影した物を選んでみた。展示することになればモデルを務めてくれた彼女にお知らせしたいが、確かこの人だったはず、という人はいるのだが、面差しがあまりにも変わった。人の形には敏感で、子供の頃から人物のシルエットクイズなど得意中の得意だった私が首を傾げ、確信が持てないのだから、人というものはよっぽど変わるものである。昔、ヌードのモデルを頼んだ友人がいた。なかなか色よい返事をもらえなかったが、何年も経って、心境の変化でもあったか撮ることになった。結果を見て彼女曰く。「なんであの時もっと撮ろうって強引にいってくれなかったの。3回目に引き受けるつもりだったのに」。勝手なこといわれても困るのである。

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最近撮影したデータと35ミリフィルムからのスキャンデータを合わせ、オイルプリント化候補は60カットを超えている。それを眠い眼をこすりながらゴミの除去から修正を加え、もうやることがなくなり、後はブローニーフィルムと8×10インチフィルムを残すのみとなった。やらなければばらないことがある時、他の事をせずにはいられない人を怠け者という。といったのは遠藤周作だが、私はこ仕組みを利用し、しばしば制作に没頭する。というと肝心な制作が、今やらなくて良い他の事となってしまうが、理由はどうあれ、作品の質が上がるのなら良しとしよう。 来春、我が家に粗大な荷物が運び込まれる予定である。暮れに大掃除などしない私も、いまから片付けを開始しておかないとならないだろう。幸い今日の所は制作に逃避したくとも、やりようがない。フィルムはすでに仕舞った。 ある一角を片付けてみたら、早々にニジンスキーやコクトーのオイルプリントがでてきた。まったく水臭い。こんな近くにいたならグループ展で披露したのに。箱書が頭山満の杉浦重剛の書や“マレーの虎”山下泰文、安藤お鯉こと妙照尼、市川右太衛門の色紙も出て来た。ソフトバンクの犬は北王路欣也がやっているから可笑しいのだが、右太衛門の倅と思うとさらに可笑しい。他にも妙な物がでてきたが、書いている方は結構でも、読んで楽しくはなさそうなので書かないでおく。

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中相作さんより『伊賀一筆』第一号創刊兼終刊号 乱歩生誕120年 奇譚(抄)が届く。 表紙はオイルプリントによるエドガー・アラン・ポーが使われている。ハスノハナでのグループ展が近づいていた頃、オイルプリントの乱歩とアラン・ポーを並べて展示する旨をお知らせした所、中さんより日本酒が届いた。考えてみればグループ展に参加するからといってわざわざお祝いをただく理由はないが、飲んで帰った所に届き、何も考えないでさっそくいただいてしまった。翌日メールを見ていたら、どうも私が中さんからの何かの依頼を断ったようである。覚えがない。送信メールを見たが何もない。酔っぱらって削除したか、と恐る々伺ったところ、表紙にポーを、という依頼の手紙がお酒に同封されていたらしい。そのことには触れず、お酒のお礼しかメールしないものだから、表紙の件は断ったと判断されたようである。しかし依頼書は見当たらず、改めてメールで送っていただいた。 オイルプリントは印刷でデイテールを再現するのが難しい。原板を使っていただいた方が無難か、とも思ったが、オイルプリントが表紙になる、という希少性をとった。わざわざオイルプリントと表示していただいた。 目次には伊賀市地名考 僕の図書館戦争(続・新) 江戸川乱歩著書目録 奇譚と彼と 名張不機嫌評判記 他 そして乱歩が学生時代の探偵小説耽読を振り返りペンで書いた手製本『奇譚』の1ページから168ページまでを活字化した奇譚(抄)。乱歩が団子坂で開いた三人書房で十円(今の四、五千円)で置いていて売れなかったそうである。『伊賀一筆』はアマゾンでも購入可である。 消えた依頼書の行方であるが、玄関に打ち捨てられた包装紙の中から出て来た。届いた荷物のタプタプという液体らしき音を聴くが早いが玄関で包装紙を破り捨て、さっそく飲んでしまった訳で、飢えた強姦魔が破り捨てた下着の如くの包装紙に、一人赤面した私であった。

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写真作品を発表する場合、常に人形が被写体であったが、次回予定の個展では人間が被写体となる。こんなことは最初で最後になるかもしれない。といいながら、二人の撮影を残して、すでに個展が数回開けるくらいのデータ量である。 ところで苦肉の策ながら、人形作りならではという作品が数カットできた。私の被写体はすべて素人である。自分がどんな裸の持ち主だか実は良く判っておらず、ポーズもどうしていいか判らない。そこがとても良いのである。ヌードの場合、顔を入れると意味が生じてしまうので、鼻や首から下をフレームに入れることが多いが、そうでなくとも素人であるからほとんどの場合、顔を入れる訳にはいかない。 日頃発表できない物は作らない、と心がけているはずが、つい忘れてしまうことがある。昔撮ったある日のカットはすべて顔が入っていて、というよりほとんどポートレイトのつもりで撮影している。肝心なところに顔が来ているのでトリミングのしようがないない。そこで顔を変えてみることにした。以前、ビリビリになった古写真を修復したことがある。中年女性の顔は欠け、抱かれた子供も酷い有様であった。それは福笑いをするフランケンシュタイン博士の如き作業であったが、なんとかなった。あれを考えればできなくはないだろう。 結果、日頃人物を造形し続けていることが役にたった。これなら親からいただいた顔を変えるのは忍びないが、写真を撮られるのがめっぽう好きな指名手配犯のニーズにも充分応えられそうである。  某区の職員お二人と会う。来年庁舎内に展示する写真作品について。

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数日ブログに間があくと死んでいるんじゃないかとメールが来る。現在ネットが不通である。それはそれで慣れてしまえばどうということはないが、メールは携帯しか使えず。ネットカフェにて数日分を。  私はある人物の影響で何かをしたくなる、ということはほとんどないが、中学生の時、ビートルズの影響でギターを始めたように、野島康三でオイルプリントを始めた。こちらの場合はバンドを作るほどの賛同者はいかなかったが。 単に野島作品が好きで始めたので、他の技法にはあまり興味がないが、暗室作業嫌いの私にもオイルプリントは偶然向いていた。 野島の作品でも特に魅かれたのは女中を撮ったというF像である。なんとも逞しく野性的で、資産家の家に生まれた野島からすれば異次元の魅力であったろう。今時あんな顔は何処かアジアの秘境でも探すしかないだろう。 黒人ばかり作っていた私は、97年。一年で作家シリーズに転向した。その時、改めて作品を読まずとも制作できる6人の作家を選んだが、その中に、大正時代の早世の画家で詩人、村山槐多がいた。槐多は年上の女性から同性まで、好きとなったら見境がなく、作品には、彼が愛したモデルの女性がしばしば登場する。生活感に溢れるいかにも大正時代のモデルである。私はそんな裸を登場させたくて、友人の紹介で槐多の後ろに立ってもらったのがSさんである。彼女は私の意図を理解し、絵画教室を借りて撮影したさいには、急ごしらえで当時風の髪にしてくれたりした。Sさんとは野島やFの話しをしながら8×10インチや35ミリで撮影したが、ようやくSさんを、本来の目的であるオイルプリント化することになった。彼女は数年前に郷に帰ってしまったというが、なんとか見てもらいたいものである。

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今まで撮影して来たネガ、ポジをスキャニングしていると、懐かしいカットに遭遇する。裸で奇妙なポーズのこの人。いったい何しているんだろ?と良く見ると、それは江戸川乱歩の『盲獣』用に、バラバラに切断される死体を演じてもらった場面であった。こちらがお願いしておいて何してる?とは失礼な話である。 『盲獣』は余りなグロテスクさに、乱歩自身が辟易とし、一部書き直したような作品であるが、私はとっくに亡くなっている作者であろうと、本人に見せてウケたいという妄想のもと制作している。よって乱歩に盲目の殺人鬼役を演じてもらっても、人ごとの様な顔をしているだけであるし、切断死体も、切り口はリアルにはせず、それこそハムを切ったようである。その分、死体役の女性には、奇妙なポーズをお願いすることになった。そういえば、雪の中から発見される足は不可欠であったが、そのころ東京にはすで雪がなく、雪を求め電車で某温泉地までいってしまった。足役の女性に道路沿いに残る雪に足を突っ込んでもらい撮影した。二人で温泉に浸かるなどという色っぽい場面もなくとっとと帰ったが、様々な場面が作れたのも、自分の切断されたパーツが浅草寺の上空を風船に結ばれて飛んでいたり、ショーウインドウに飾られたり、湯船に浮かんでいたりを面白がってくれる女性連のおかげであった。そして私は“だって乱歩がそう書いているから”仕方がない、とばかりに、すべて乱歩のせいにしている訳である。

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12月  


毎年暮れになると、昨年の私が思いつかなかったことができたか、昨年できなかったことができるようになったか、と考えるのだが、ここにきて、人形ではなく人間の、しかもヌードでオイルプリントによる個展を考えることになるとは思いもしなかった。黒人の人形から始めて、と考えると不思議な気もするが、30年以上の間のことである。何があってもおかしくはない。 私は急にジャンプするようなことはしないので、枝葉を伸ばす様に変化してきただけである。写真好きでもないのに、突然オイルプリントを始めた件だけが突拍子もなかったが、そう思うとあの時のことはシナリオライターが、こいつは写真が嫌いだといっているが、ここでオイルプリントでもさせておかないと、後半の展開がつまらなくなる、と急遽書き足したような感じであった。出演者の私としてもこの展開は無理があると感じており、画が出たらすぐ止めよう、と思っていたことは何度も書いた。例えば植木等は物凄く真面目な人で、映画の撮影中、なんでここで突然大笑いするんだろう、と思いながらシナリオどおり演じていたといっていたが、あれはそれに近い違和感であった。 それにしても、あれだけホントのことなどどうでも良いといっていた私が、最終的にオイルプリントにするにせよ、普通に撮影した物を素直に出品するのであろうか。こういうところは自分ながら信用できない気がする。

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