明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

制作  


深川図書館に行く。百間、北一輝関連書など読む。数人平行して作るなら、北一輝も、と押さえがたいものがあるのだが、発表の予定のない物は作ってはならないと戒めている。自分の作った物に刺激されて、ということは有りがちであり、頭山満や大川周明、はては孫文まで、などということになったらどうするんだ、ということである。これは丁度、それまでブルース・ジャズマンを作っていたのに急に江戸川乱歩を作り出して周囲を呆れさせた時と似ているが、江戸川乱歩は椅子や屋根裏に潜んでいるイメージなど、いくらでもわいて出てきたが、北一輝や大杉栄ではそうもいかず、だったら作るわけにはいかないのである。 図書館の帰りに日曜大工センターに寄り、普段は熱帯魚売り場だけで避けていた犬猫のコーナーに寄ってしまう。2日目である。毛並みは百間の飼ったノラというわけにはいかないが、まったく子猫の可愛さはふざけるな、といいたいくらいで実に目の毒である。
文豪アンケートは、日本人に限れば漱石、鴎外、谷崎、など多かったが、やはり文豪の豪の字の重々しさのためか、明治の作家が多かった。幸田露伴、正岡子規、坪内逍遥、旧いところでは滝沢馬琴、新しい所では吉川栄治、安部公房。小泉八雲もいただいた。子規やハーンは正面の顔で本人に見えるか、という問題があるが。ハーンについては実現はしなかったが鏡花とともに幽霊を登場させたいばかりに、アダージョでも随分押してみたものである。 お答えいただいたのは12名。有難う御座いました。6名様を、近所に住む額にへの字の人物に選んでもらいます。おってご住所、ご希望の号を伺います。



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川端康成を作ろうと思いながら、資料を集め始めたところで止まっている。しばらく一人作っては次の人物を作ることが続いたが、数人分の頭部を平行して作ったほうが効率が良い。それは一人にかかりっきりでいると目が慣れてしまい、それを防ぐために本を読んだりテレビを見たりして気分転換をはかるのだが、複数の人物を作っていれば、別の人物に換えるだけで目が慣れるのを防ぐことができ、作り続けることができる。ちょっと気になることが起き、その理由が判らない時など、考え込むより別な人物に換え、しばらくして戻ると問題点に気づく場合が多いのである。4年間、アダージョで一人づつ作ってきたので忘れていた。誰を作ろうかと文豪アンケートなどやってみているのもそのためである。 文豪という感じでもないが内田百間を作ることに決めた。作家シリーズを始めた当初作ることを考えたが、最初の6人の中に、乱歩とタルホがすでに入っていたので止めた。特に似ているわけではないが、丸っこい顔に眼鏡が多すぎてしまうからである。百間の顔は様々なシチュエーションに応えてくれる顔である。完成の暁には久しぶりに人形を携え、列車に乗って撮影に出かけてみたい気もする。

文豪アンケート31日中にお願いします。http://blog.goo.ne.jp/diaghilev/e/664ab1eb93f6a5035e3c97b2022af356



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掛け軸のように表装されていないものを、ただ丸めておいては台無しにしてしまうので、掛け軸に巻き込んで仕舞うことにした。竹筆で書かれた頭山満の軸には、内田良平と松井石根(いわね)の書が巻き込んである。なんとも大亜細亜な濃い太巻きである。松井といえば、いい加減な極東国際軍事裁判で、南京事件の責任を取らされ、東條等A級戦犯とともに絞首刑になった人物である。しかし実際は関与はしておらず、日本軍の蛮行を歎き、泣いて諌めた人物である。巣鴨プリズンに収容される前夜「かりそめにも親愛なる中国人を虐殺云々ではなんとしても浮かばれないナァ」といった。反省するのも良いが、中には本気で白人から亜細亜を開放しようとした人物もいる。正しく評価されていないのはなんとも残念である。 
先日、布団から出て台所まで行くのが面倒で、電気ポットを買った。昔の電気ポットと違って沸くのが早いは、沸騰すれば勝手に止まるは実に具合が良い。そこで抹茶を飲むことにした。普段は冷凍庫に保存しているが、いつまでももつ物ではないし、普通にしているとなかなか減らない。そこで一番気に入っている萩茶碗で飲んでいる。もっとも、作法も何もあったものでなく、山賊がドブロクを飲み干しているが如きの調子で、茶碗をワシつかんでゴクリとやっている。

文豪アンケートは今月末まで。メールにてお願いします。

 



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一日  


昼にKさんよりお好み焼き屋から電話。銭湯で倒れて数日大人しかったのだが。いってみるとT屋のHさんとメガチューハイという大ジョッキのチューハイを飲んでいる。床屋で散髪し白髪を染めていた。実に判りやすい。今日鎖骨の骨折の件で医者に行く予定でいたが、そこで20年前に付き合っていた人とバッタリあったので、また会えると準備万端だったわけである。だいたい浮気がばれて別れたのだから、先方としたら嫌な思い出のはずだが、それがKさんには解らない。病院へ行く前、T屋に大ファンのかみさんがいたので朝から飲んでしまい、結局医者には行かずにメガチューハイというわけである。 最初の頃、コルセットをかってに緩めてずれたせいで、肩に血が溜まったとかで、コブのようになってしまっている。深川で神輿かついでこうなったことにしたら、といっている。本日も昼間から絶好調で某所で出会った女性の話で盛り上がっている。Kさんが怪我をすると、見ず知らずの方から見舞いのメールがくるし、先日はこんなコメントいただいたんだぜ、といってもただ喜ぶばかりで効き目なし。 午後は図書館で調べ物。その後久しぶりにK本で8時の閉店まで飲み、T千穂へ。飲みながら本を読もうと思ったらKさん御来店。先日は咳がでるので断わったが、二人からしか入店できないK都へ。ひいきのRさんが相手をしてくれて額の“へ”の字の話題で上機嫌のKさん。最後はK路へ。どこへいってもKさんの“へ”の字の話はみんな知っている。プロレスラーでも額の傷であんなに嬉しそうな顔はしない。



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東京積雪4センチ。6年ぶりだという。この程度しか降らなくなってしまったのか。天気も良くなり、戒厳令下の帝都の撮影には出かけず。 『三島由紀夫「最後の独白」市ヶ谷自決と2・26』前田宏一著(毎日ワンズ)を読む。2005年に出たものだが、まったく知らなかった。著者は元週間ポストの記者である。事件の直前の11月17日、著者にとって最初で最後となったインタビューをしている。三島はスケジュールを調整し、25日以降の約束はしていないことになっているが、三島に写真撮影を頼むと、「そうだねぇ、二十五日はのっぴきならない用があるんだが、二日もあればカタがつくと思うから二十七日、朝のうちにお電話下さい。そのとき時間決めましょう」といったという。そして今でも三島は市ヶ谷から帰るつもりだったと考えており、目的は死することではなく、訴え、真実に気づかせることだったという。二十七日の約束をした著者ならではの感想であろう。 私にはそう思えないし、未だにニュース映像を見ては、自衛隊員の中から、一人でも二人でも「三島先生お供します」という隊員が現れたらどうするつもりだったんだ、とハラハラする。声届かず、もはやこれまで、と武士がきびすを返し自決する。というのが用意されたシナリオだったはずで、三島のあの場での“演技”からは私にはそれが透けて見える気がするのである。よって映画『MISHIMA』における名優緒方拳のバルコニーの必死の訴えかけは納得がいかない。 三島について書かれているのは第一章であり、後の章は2・26事件についてであり、特に先年発見された青年将校等が獄中で書いた遺書がそのまま掲載されている第三章の『血滾る遺書』が嬉しい。
七時に阿佐ヶ谷。『奇譚倶楽部』という店に『中央公論Adagio』全号を展示いただいているという。行く前に中央線が誇るブルースベーシスト谷口さんのお宅で手打ち蕎麦をご馳走になる。湯煎により70パーセントまで煮詰めるという蕎麦汁。思いっきりドロドロの蕎麦湯も堪能し、一緒に『奇譚倶楽部』へ。発行順に壁に額装されて並べられていた。 帰りの中央線。どうにもトイレに行きたくなり、限界で途中下車したのがたまたま市ヶ谷駅。 東京駅からタクシーでT屋に。先日酔って両乳を露出した女性客等とTVでザ・タイガースを観る。サリーがベースを弾いており、学校の先生になっていたピーがドラムを叩いていた。懐かしくは観たが長生きすると伝説にはならない、とつくづく。



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夕方Kさんより昨日銭湯で倒れたと電話。目の前が真っ暗になり、1時間ほど寝ていたそうである。救急車を呼ぶかどうか、ということだったらしい。また洲崎は旧遊郭の中の話である。 その前日、Kさんは非番で飲みに来ていた深川警察の婦警の太股を触った話や、オデコを23針縫ってくれた聖路加病院の美人の女医さんの背中を、痛いにかこつけ抱いていた話を嬉しそうに話していた。婦警といえど、仕事を離れればただの女よ、と本人がそういった、というのだが。60過ぎたKさんの話を黙って聞いていると、まるでアダルトビデオを鵜呑みにした高校生みたいなことをいう。 とにかく常に何か起こるのは、かつて赤線の洲崎パラダイスのアーチがあったところを入ってからに限られている。Kさんのこういった性根がお女郎さんの霊の怒りに触れ、祟られているのだ、といつもいっているのだが。アーチがあった側には、私が昔、川口の鋳物屋に頼まれ、アルバイトで作った銅像がある。いい加減な鋳物屋で、嫌な思いをして、結果恥ずかしい形になってしまっているのだが、水子地蔵のような扱いになっており、お菓子がそなえられていたりしているのを見て嫌なことは忘れた。あれに花でもたむけたらどう?といってみようと思っている。 「だいたい何をしても女は笑って喜んでいるみたいにいうけどさ、去年ビンタされて顔面蒼白になった話し、なんでしないんだよ」。

文豪アンケートは今月末まで。メールにてお願いします。 http://blog.goo.ne.jp/diaghilev/e/664ab1eb93f6a5035e3c97b2022af356



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一日  


『月刊紙の爆弾2月号』で鈴木邦男さんとの対談が掲載されているが、今度は月刊TIMES2月号』に取り上げていただいた。連載/三島由紀夫と野村秋介の軌跡 第77回『三島人形の写真展に魅せられて』鈴木さんの柔道の先生は三島の『にっぽん製』のモデルだそうだが、その先生から『中央公論Adagio』の三島号をもらったそうである。私がお送りした個展の案内に“ここまでやったんだ。お前は必ず見に来るよな”と言われているように感じたそうで、口で言えないことは作品で示すしかないわけだが、一晩かけて金閣寺を炎上させたかいがあった。
夕方T千穂の常連Yさんから、Kさんが来てくれといってます。とメールが着た。酔っ払って自分の部屋で23針の怪我をするのだから、心配してもしょうがない、と私もいくらか突き放し気味である。『三丁目の夕陽』を観るので断わると、今度は二人からの受付で、一人では入れないKに行くから付き合えという。Kには戦闘機好きの娘がいるのだが、未だ咳が出るので遠慮した。『三丁目の夕陽』を映画館で観たとき、物心ついたかつかないかの頃、羽田空港に行ったことがあり、どこまでが本当の記憶だろう、と思っていた光景が、そのまま現れた時はビックリした。 12時過ぎ再び電話。しかたがない。3時までやっているPに行くと、オデコに“へ”の字のKさん。朝のT屋から始まり、パチンコで数時間過ごした以外は5軒ハシゴで一日飲みっぱなしである。そこへMの店長、LのIさん。結局Iさんを触りまくりながら、ケタケタと上機嫌なKさんであった。怪我さえしなければ長生きするであろう。

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東京にも雪が降りそうなことをいっている。2・26事件、戒厳令下の帝都東京を撮影すべく、雪を待っていたのは1年前である。結局思ったようには降ってくれず、昔撮影した雪を合成することになってしまったhttp://www.kimiaki.net/mishima-yukoku-a.htmいっそのこと、雪を求めて地方都市に、と風景を検索してみたが、せっかく事件の中心地まで歩いていけるところに住んでいるのだから、と思い直した。今年はなんとかしたいものである。 写真の最大の欠点は無い物は撮れないということである。せっかくイメージが頭の中にあるのに、その私が何故雪を待たなければならないのか。私が写真嫌いで手掛けるのが遅れたのは、このためである。しかしいずれ外出もままならなくなる事態にそなえ、あらゆる素材を撮影してストックしておくべきだ、と特にデジタルカメラを入手してから意識している。そして足腰も立たない老人になったころ、写真をやっていて良かった、と思うに違いない。ストックのおかげで、相変わらずの調子で制作を続けられるかもしれない。すくなくとも、空と海に関しては、ある程度用意はできている。そして頭の中のイメージが一番。本当のことなどどうだっていいのじゃ、などとあいも変わらずいっていられたら、と夢想しているのである。



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一日  


映画『聨合艦隊司令長官山本五十六』を観ようと思ったが、上映中咳がでたら、と思い止める。三船敏郎が山本をやったのを観たのは小学生の時であった。 散歩がてらトボトボと深川図書館に向かう。昨年の無理が、未だたたっているのであろうか。困ったものである。数日ほとんど家にいてまだボンヤリしているし、歩くのも楽ではない。途中薬局で喉飴を買う。昭和○○史、歌舞伎関連、その他5冊借りる。やはりボケているのか手ぶらで来たので、本を抱えてかえることに。寝床の周りに必用な物をすべてそろえて読書三昧というのは風邪引きの楽しみである。ただ味が判らないので、少々味気ない。 くたびれて食堂に寄り、本を読みながら昼間から燗酒など飲んでしまう。どうせ駄目な時は駄目な調子で行こう。赤いウィンナーソーセージや、焼き魚で飲んでいるうちに、帰る元気が出てくる。 道路わきの掲示板に貼られた、飼い猫の捜索願いを熱心に見る坊主頭の男。少々普通でないのか異様にじっと見ている。その様子が『拝啓天皇陛下様』に出演し掲示板を読む山下清にそっくり。海軍大将山本五十六と裸の大将山下清は、顔が似ている。



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ここの所ところ理由は判らないのだが、マウスによる選択とか、チェックを入れたりができなくなっている。よってリンクは入れられないし、ツイッターでもRTなどがうまくできないので当ブログも少々見苦しい。 鈴木邦男さんのブログhttp://kunyon.com/で、私の年賀状が紹介されており、「三島に叱られた!」とあって笑ってしまった。今年の年賀状は、たまたま『男の死』で竜を作ったので、http://www.kimiaki.net/kamen-c.htmそれにしようと思っていたが、三島はけろっとしているが竜に噛み砕かれて少々出血しているし、、さすがに年賀状には差しさわりがある。そこで数年前に制作した三島の写真を引っ張り出してきて作った。三島は、現在の日本の状況を40年前に“日本はなくなつて、その代わりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東一角に残るであろう”と現在の日本を予言していた。三島は最後の日に、市ヶ谷のバルコニー上から、騒ぐ自衛官に対し、「静聴せい!」といっていたので、こういうセリフにしてみたのだが。 鈴木さんのブログでは今まで出された新書がずらりと紹介されているが。以前から今まで作ってきた人物を一同に集めた画像を作ってみたいと考えていた。例えばビートルズの『サージャントぺパーズ』のジャケット写真のようにである。作るたびに足していくために、それなりの背景を、と考えていたのだが、背景は手狭になったり、気に入らなくなったら換えればいいわけで、とりあえず手持ちの画像を背景に使うことにした。最終的に総勢何人になるのであろうか。



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一日  


咳が収まったと思ったら、連日の乾燥した空気のせいで、こんどははっきり風邪の症状。布団から出ずネット上の『ロンドンハーツ』を見まくる。最近のTVのお笑いはバラエティ番組ばかりといわれる。たしかにそうだが、観ていると、出てきた当初はコンビ名は気にいらないし、くだらなくてついていけない、と思っていた30代を中心とした芸人が実に可笑しい。笑いはタイミングだと思うのだが、いわゆるヒナ壇芸人のコンマ何秒の戦いが凄い。あきらかに重要なのはセンスであり、努力だけではどうにもならない領域の芸人達である。どうやらお笑いに関しては、時代についていけているようである。 『運命の人』を観る。フィクションということで、実名を避けているわけだが、なまじ判っているだけに役名が少々うっとおしい。ロケ地の建物に趣があり当時の感じがでている。新聞社内など実にリアルであった。演技があいかわらずワンパターンの石橋凌。外務省事務官の真木よう子がとても良かった。
粘土を取り出して、という気にならないので、三島由紀夫の『憂国』と『愛の処刑』を混ぜた物を捏造してみる。独身の青年将校のところへ部下の兵隊が自決を促しにやって来る。これにより『憂国あるいは愛の処刑』の制作すべき名場面?が浮かぶはずである。



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文豪アンケートには、まだ2通しかメールは頂いていないが、以前から、ここまで来て川端康成を作らないのはどうか、と考えていたので、アンケート結果を待たずに制作を開始することにした。 そういえば何年か前に、富岡八幡の骨董市で入手した川端の写真があったのを思いだした。それは某新聞社の封筒に入っており、裏に報道部のハンコが押してあったような気がする。探しているのだが出てきていない。おそらくノーベル賞受賞時の写真である。川端邸の座敷に記者やカメラマンが詰め掛けている様子で、バタバタとマイクを設置したり慌しそうな写真であった。5、6枚あったろう。この直後に三島由紀夫がお祝いに駆けつけたのではないか。 澁澤龍子さんに『芸術新潮』の編集者時代に川端担当になった話を伺ったことがある。川端は室内の撮影など、あの鷹のような目で、じっと作業を見ていてやりにくい。そこで龍子さんが、川端の相手をする役目になり、別部屋で二人でいることになるのだが、やはりあの目で黙ったままじっと見つめられ続けた、というようなお話であった。 それにしてもガス管くわえて、という自殺方法は傍迷惑である。

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ある人物を作る場合、写真資料の他に声が聴けるとイメージが膨らむ。西瓜をたたくようなもので、中身を知る手掛かりになる。九代目市川團十郎を制作した時、たまたま九代目直筆の瀑布図の掛け軸を入手した。制作中、常に壁にぶら下げていたが、こんな物を入手して、良い作品ができなければ馬鹿みたいだし、実在した人物なんだという実感を味わえ、後押しになった。 そうこうして直筆の書というものにも興味が湧いた。何を書いてあるのか判らないことがほとんどなのが情けないが、意味がわからずとも味わいがある。子供の頃やった書道をまた習ってみたいと思うくらいである。 そして2・26事件の皇道派の将校等の書を集めだした辺りから、方向がそれはじめた。天誅組というのもあるが、やはり明治9年以降に興味がある。大アジア主義の頭山満、昭和天皇に倫理を教えた杉浦重剛(箱書き頭山満)、黒龍会の内田良平、東條英樹に敵対し自決した中野正剛、血盟団の井上日昭をけしかけた野口日主上人等々。なんでこういうことになったかというと、一つには“あちら”方面の人物は昨今人気がないのか入手しやすいのである。頭山の書を前に、この人が孫文をバックアップした人物か、などと空想するのは、著作を読むのとはまったく別の感慨があり、良いものである。 いや私は決して“民族派”人形作家になろうというわけではなく。たまたまである。



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文豪  



個展会場で二冊目の拙書『Objectglass12』(風涛社)を取り寄せて販売したので、久しぶりに眺めた。私の趣味で選んだ12人の作家を扱っているわけだが、改めてみても少々偏っている。まあそれは知ってて作っていたわけだが、以前から文豪方面のラインナップを充実させたいと考えていた。 普通文豪というと森鴎外、夏目漱石、谷崎潤一郎、川端康成あたりであろうか。三島は入るのか。幸田露伴は?鏡花あたりは入らないのか?そう思うと良く判らない。文豪の豪の字も問題のようである。ネットで検索しても意見は様々だが、それはともかく。当ブログを御覧いただいている方々の御意見を伺ってみたい。そこで久しぶりにプリントプレゼントということで。今回は正解はないので、お答えいただいた方の中から6名の方に、ほとんどが未プリントである『中央公論Adagio』http://www.kimiaki.net/adagio.htmで制作した作品の中から(データ化していないので2号の向田邦子を除く)お好きな1枚(127×180mm)を差上げます。私は存命の人物は依頼がないかぎり作らないので物故作家に限ります。およそ5名ほどお書きいただけると有り難いです。締め切りは今月31日。6名の方には抽選後に送付先を伺いますのでご応募は仮名でかまいません。メールの件名は“文豪”でお願いします。抽選は今日も昼間から酒臭かった人物に。泥酔状態でも数字を指差すくらいはできるでしょう。



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一日  


古石場文化センターのシネマフェスティバルで、弁士、生演奏付き無声映画『豪傑児雷也』(21’)と『非常線の女』(33’)を観る。『豪傑児雷也』は目玉の松ちゃんこと尾上松之助主演。初歩的トリックによる蝦蟇や大蛇登場の活劇。児雷也といえば私の世代は『怪竜大決戦』東映(66’)であろう。大蛇丸といえば大友柳太朗である。 小津安二郎の『非常線の女』は都会的な、ということであったが、ヒロインの田中絹代が素朴で垢抜けず、お多福みたいな顔で興醒め。半分寝てしまった。それに申し訳ないが弁士は男に限る。歌舞伎では老人が娘を演じて時に可愛いが、宝塚の中年男はいくらドスを効かそうとも。 帰宅後うっかり携帯電話を壊す。修理に持っていくが、ショップではアドレスのデータ復元ならず。 阿佐ヶ谷にある『奇譚倶楽部』という居酒屋で、来週火曜日より店内に『中央公論Adagio』全号を展示いただくそうである。店名のわりに怪しいことはなく、シミジミとした店なのだが、看板はないし、入り口に電球が点いていればやっている、といった按配なので、連絡先など詳しいことは書けない。私も全号並べて見たことはないので、一度出かけるつもりでいる。



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