明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



『ニコラ・バタイユさん(仏演出家)が28日、パリでがんのため死去、82歳。 イヨネスコの「はげの女歌手」などの演出で知られ、パリのユシェット座では57年から現在まで上演されている。ルイ・マル監督の「死刑台のエレベーター」など映画にも出演した。日本でも「15の未来派の作品」などを演出し、69年、紀伊国屋演劇賞個人賞を受賞。NHKテレビのフランス語講座を担当した。』(asahi・com ) 2002年渋谷のギャラリー美蕾樹で、ニジンスキー/ディアギレフ/コクトーをテーマのオイルプリントの個展を開いた時、来日中の氏が来てくれた。芳名帳にbravo!と書いてくれたのが嬉しかった。合掌。
夕方、久しぶりに麻布十番の田村写真に顔を出す。田村写真の女性プリンターHさん、本日が29歳の誕生日とのこと。そういえば、初めて会ったのが、美蕾樹の個展に来てくれた日大の写真学科の学生の時であり、私のサイトを見てオイルプリントを始めたといっていた。そんな縁で、今は田村写真なのだが、私を知ったきっかけが、オイルプリントではなく、『突飛な芸人伝』だったと知ったのは、随分後のことである。 ニコラ・バタイユは寺山修司とも交流があったが、田村さん、某写真家の依頼で、寺山修司のプリントを制作中とのこと、近々展覧があるそうなので実に楽しみである。
 
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アメリカ人のホームメイド、手作り好きは呆れるほどである。写真の古典技法に関しても、流行り廃れに左右され、なんでも捨ててしまう日本人と違って、好きかってに続けている。 YouTubeを観ていると、シガーボックスや、何かの缶カラに棹をつけ、手製のギターを作る連中がいる。トレーラーと思しき室内に大男。背景には、ノコギリから何からあらゆる道具がぶら下がっていて、画面だけ観ていると、子供の頃に虐待を受けた母親を、これからバラバラにせんとする南部生まれの変態男にみえるが、そんな連中が粗製のギターにマイクをつけて、アンプにつなげて大音量でブルースを奏でている。それがまたいかにも嬉しそうで、観ている方も楽しくなる。私は子供の頃から、日曜大工好きの父の姿を見ていたせいか、一人工作するアマチュアな男の姿にシミジミしてしまうのだが、連中にはそれは感じない。肝心な、人知れず、というところが欠けているせいであろう。

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心中事件を繰り返し、一度は相手の女性だけ死なせた、というイメージも悪かったのだが、少年時代の私に、思いっきり嫌われてしまった作家である。以来、嫌いというと太宰を挙げていた私であったが、太宰の没年齢をとっくに越してしまい、見え方も違うだろう、きっかけさえあれば、ちゃんと読んでみるのだが、と内心思っていた。なにしろ嫌い嫌いといい続けてきたので、自分からは読めない。しかし、仕事となれば仕方が無いとばかりに、改めて読んだ一冊目が『お伽草紙』だったのも良く、やっぱり面白いのである。こうなると“乃木大将とステッセル”というわけで、面白くてしょうがない。だいたい、どこをとって称されたかは知らないが、無頼でもなんでもないではないか。 撮影場所は旧島津公爵邸、現清泉女子大である。太宰は、当時分譲された土地に建つ借家に3ヶ月住んだだけなので、まるで『風と共に去りぬ』の舞台のような女子大正面ではなく、ひっそりとした一角を選んで背景とした。三島由紀夫の号で、実物の人間を横に配するのは、その素材感の違いから避けるべきだと学んだはずなのだが、太宰に酒も煙草も駄目となると、女性に登場してもらうほかはない。だがやはり、すぐ横の女性に比べて太宰の髪があまりにも粘土。ベランダから突き出した自分の頭を撮影し、急遽私の髪を貼り付けたのは、入稿の朝であった。

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酔鯨  


午前中に10何年ぶりかに、岡山で焼き物を作るNさんより電話。先日TVで、坂東英二が、もらった花にケシが混ざっていて、警察がきて大騒ぎになったという話をしていたが、Nさんも、お袋さんが買ってきたポピーにケシが混ざっていて、庭に植えたのを警察が引っこ抜きにきたというのを、思い出したばかりであった。抜いても抜いても生えるそうで、私が遊びにいったとき、まだ盛んに生えていた。(シャレにならないのでいっておくが、20年以上前の話である)Nさん、私が数十年ぶりにお会いした作家に、数十年ぶりに会い、私がぜんぜん変ってないと聞いて電話をくれたらしい。人は年月とともに変ることになっているので、こんな話になると、いちおう私は恥かしそうにするようにしている。 初個展のDMのタイトルは、筆や墨を自作していたNさんに書いてもらった。お互い、近いうちに会えるような気がしたのであった。 先日K本で、舞台俳優の今さんから、『篤姫』に山内容堂役で出ると聞いていたので、初めて最初から最後まで観る。先週、鯨海酔侯とチューハイを飲んだというわけである。

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一日  


先日、アダージョの12月配布号のロケハンをした。背景の候補は2箇所。街歩きの散歩コースになっているので、事前にネットで画像を検索していたので、おおよその雰囲気は掴んでいるつもりであったが、実際いってみると、第一候補地は、ごく最近、周辺が建てかえられたようで、風情が損なわれていた。第2候補地は、保存に関しては奇跡のような状態で残っている。画面構成的に、少々平面的で難しそうだが、帰宅後、デジカメ画像をチェックの結果、第2候補地を背景に決める。ある意味では、年の瀬にぴったりの場所といえるかもしれない。 今回制作するのは第2号の向田邦子以来の女性である。人間、生きてるだけで哀しくも可笑しいところが面白いので、私にとって笑える要素が皆無な女性は、めったに作ることがない。すでに制作中の女性も、やはり、どこも笑えるところがない。しかしそれならばと、すでにイメージは決まった。

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夜中にYouTubeを観ているとキリがない。よく把握していないのだが、次々観ていくうち、あらぬ方向にいってしまう。トム・ジョーンズとジャニス・ジョプリンの予想外の共演や、ジェフ・ベックのライブを観ているうち、海外のどこの誰か知らない一般人が、ジェフ・ベックのジェフズ・ブギーを、一人カメラに向かい、自室で演奏している映像が沢山あった。昔から、高校の学園祭でも、誰かしらやっていた曲である。考えることが、皆同じ、というところが面白い。
どこをどう彷徨ったか、気がついたら、渥美マリの『可愛い悪魔』を聴いていた。渥美マリといえば、大映のいわゆる“軟体動物シリーズ”などで知られる、70年代のセックスシンボルだが、あれだけ妄想を搔き立てたシリーズも、今のTVでノーカット放映も可能な程度のハレンチさであろう。無性に他の曲も聴いてみたくなり、夜中にアマゾンにCDを注文。本日昼前に届いた。便利になったものである。内容はというとアルバム『夜のためいき』に6曲足したものらしい。カバー曲が多く、ムード歌謡のオンパレードである。昔8トラックテープというものがあったのを思い出すが、和製ブリジット・バルドーと称されたコケティッシュな魅力では『可愛い悪魔』が突出しており、残念ながらこれを超える曲はなかった。アナログ・シングル盤の『可愛い悪魔 c/w 真夜中のテラス』 (1970年) は日本初のヌードジャケットレコードとして話題になったらしいが、当然私は持っているのであった。

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最近自分の中で、ブルース熱が再燃していたところで、かつてのブルースブームを担った、ウエストロード・ブルースバンドの塩次伸二さんが亡くなった。最近の活躍も聞くし、久しぶりにレコードを引っ張り出してみようか、という時だったので驚いた。HPの日記を観ると、最後の書き込みは6月だが“年輪を重ねて技を磨いて行く職人タイプのプレイヤーは技が磨かれるに連れて仕事が減るという不条理な話になる。”という一文が私には沁みる。
かつて『ブルース・マーケット』という情報誌に、ブルースをテーマに人形を制作していた頃を、私はこう書いている。『 ~二十代から、男達の歌い弾く、その説得力ある世界にあこがれ、そんなところがすこしでも形にできればと作ってきたが、日本などという所で(特殊な)人形を二十年も造っていると、その極道さ加減においては、ちょっとしたブルースマン並みになってしまい、最近は、巨匠を別にすれば、あこがれという感情を持って、ブルースを聞くことはなくなった。ハウンドドッグ・テイラーの、『おれが死んだら、みんなは、「たいしたプレイはできなかったけど、確かにあのサウンドは良かったなあ」って言うだろうな。』という言葉も、あきらかに、昔と違って聞こえる今日この頃なのであった。』 どうりでハウンドドッグと同じギターを入手して、私ははしゃぐはずである。 

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実家に帰ったついでに、未だに咳が止まらないときがあるので医者に行く。風邪で医者にいくのは気が引けたが、しかたがない。ウイスキーが喉に沁みるので、ただ炎症を起しているだけだと思いつつ、レントゲンまで撮られた。注射一本打ってもらい、即治ることをイメージしていたが、錠剤数種、パッチ、トローチなどが出た。中には眠くなる薬もあったが、なにか一つあれば笑い出しそうだが、所詮風邪薬で期待するほうがおかしい。 数年前に亡くなった、近所の幼馴染Nのお袋さんが荷物を整理中で、Nのカメラをはやく持って行って欲しいということで、うかがう。話を聞くと、埼玉に住んだNの持ち物を、友人知人に持って行ってもらったということで、彼のエレキギターは、すでに誰かが持っていったのであろう。大事にしていたバイクもあったし、1メートル以上ある戦艦大和の模型まであったらしい。Nが亡くなったったのが、父が亡くなり間もなくであり、十数年会っていなかったこともあったが、父についで、幼馴染の死に顔を見る気にはなれず、葬式にも出なかった。そして、誰も引き取り手がなく、残ったのがカメラであった。見せてもらうと、すべてアナログで、ペンタックス67、キャノンAE-1×2、国産初の一眼レフ、アサヒフレックス、オリンパスペン-DとEL、国産スプリングカメラ、その他インスタントカメラ数台に各種交換レンズなどであった。いまどき引き取り手がいないのは判るが、私にとっては別で、ありがたくいただく。 お袋さんには、子供の頃、熱が出たNを背負って模型屋に買いに行き、模型を作らせていると熱が下がったという話をきいた。なにしろ機械いじりや工作好きで、そんなところが私とウマが合ったわけだが、私はメカ音痴で、特に幼稚園の頃は、早生まれの私とは1年近く差があり、プラモデルでも、配線部分は彼に作ってもらった覚えがある。洗濯機のモーターで紙粘土でロクロをやろうとして、高速回転でお宅の庭を真っ白にしてしまった話は忘れているようなので、余計な話はしないでおいた。帰り際、「公昭ちゃん、風邪ひいてるのに素足なんかじゃ駄目じゃないの」といわれた。

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数日振りに昼食を食べにT屋に向かうと、K本の常連で70過ぎの、元気なSさん。今年はこの辺にハゼがいないそうだが、釣るときは誘ってくれるようにいう。Sさんがやるのは、ウチのマンションの脇を流れている川なのだが。これから帰ってカアちゃんと昼飯だけど、といいながら一緒にT屋へ行きビール。久しぶりに人と会話らしい会話。秋刀魚定食を食べ、御茶ノ水へ材料を買いに行く。この辺りは楽器屋、レコード/CD屋だらけである。つい入ってしまう。日本の作家など作るようになってから、制作中にジャズ、ブルース、ロックなど聴かなくなっていたが、ギター2本を入手したおかげで、気分が復帰している。ロックは、ポリスのデビューアルバムを最後に急激に興味を失った。ブルースを基調としたロックが衰退していったのは、あの頃からだろう。ロックは、黒人のブルースを聴いて育たないと駄目だと思っていたが、随分前から、黒人自体が、大学入って初めてブルース聴いたなどという時代になってしまった。デュアン・オールマン、アール・フッカー、エルモア・ジェイムス、吾妻光良とスゥインギン・バッパーズを買う。吾妻さんが私の個展に、ジャズ喫茶に配ったDMをみて来てくれたのは2回目の個展だった。メンバーと人形の大きさで賭けていたのを覚えている。ということは私が25で吾妻さんが26の時であろう。 数年前に熱帯魚飼育を再開し、自転車も3台になり、エレキギターである。人生第二周期に入り、また黒人を作り始めたりして。いや楽器作るのが面倒くさい。バッパーズの『齢には勝てないぜ』を繰り返し聴く。

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声は多少出るようになってきたが、未だ咳が止まらないときがある。しょうがないのでルゴール液を買ってくる。綿棒で塗るように書いてあるが、物足りない。子供のときは、父に角度がついた金具に綿を巻きつけたものを突っ込まれた覚えがある。綿を買ってきて割り箸を使って喉に塗ったが、以前より美味しくなってる気がする。昔、妹と喧嘩して、咳止め用飲み薬に醤油を入れられた話は一度書いたかもしれない。 今年最後アダージョ12月配布用イメージを思いつく。風邪のせいで、まだ現場に行っていないが、特集に決まった理由からも、その場所しかなく、イメージで検索すると、デジカメで撮った写真がいくらでも出てくるので、位置関係などがおおよそつかむことができた。時代の違う人物を、そこに溶け込ませるために、一つ道具をつくることになりそうである。ターミネーターが現代に現れた時のように、唐突に現代に放っぽり出したら、もともと無理があるところに持ってきて、いかにも私が不親切に見えてしまう。 毎回人知れず何かしら試しているのだが、今回も1つ2つ試してみたいことがある。

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一日  


俳優の峰岸徹さんが亡くなった。階下のプロデューサーYさんと、K本にみえたのは昨年の5月であった。トライアスロンをやっているとかで、その時はまったく病気など感じさせない、元気な様子であった。私は丁度、フンドシ姿の三島を作っていたときであり、映画で観たフンドシ姿といえば、刺青の入った『サード』の峰岸徹だったので、帰りがけにちょっとサードの事を話したが、なにもそんな昔の作品の話をすることもなかったかと、後で思ったが、Yさんによると、好きな作品なので喜んでいたと聞いた。Yさんが見舞いにいったおり、落語好きで、高座にもあがった峰岸さんに、K本で撮影し、Yさんに手伝ってもらった中央公論アダージョの志ん生特集を持っていったら、「なんだ、あの店に志ん生来てたのか」といったと聞いたのは、つい最近のことであった。合掌。
レスリングの女子世界選手権。55キロ級で吉田沙保里が6連覇。五輪2連覇を含めると、8大会連続の世界一となった。力道山の頃から格闘技を観ているが、日本人で、あれほど圧倒的に強い選手は記憶にない。他には“角聖”双葉山あたりを持ってくるしかないが、双葉にしても、69で連勝記録が止まったあとは連敗している。

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ハウンドドッグ・テイラー愛用のギターと同じカワイのエレキを、富岡八幡の骨董市で買ったグヤトーンのアンプにつないでいる。テイラーが弾くと、エフェクターを使わず、何故あれだけ音が歪むのかは謎であるが、太い音が出るピックアップは面白い。 このピックアップには、どうも見覚えがある。特に2本のうちの、ファーストアルバムに写っているギターは、ネックが太く、スライドギターにしか使えないようなシロモノだが、このネックの感触にも覚えがある。 中学生の頃、ガットギターにダンボールをドラムがわりに叩いていた所に、数年前に亡くなった幼馴染のNが、秋葉原で千円で買ったというエレキギターを持って現れた。ボディはラワン材で、ネックは大根のような太さであったが、しかしそれでもエレキであり、大変な快挙であった。私は父方の親戚の納屋に放ってあったボロボロのグヤトーンを貰ってきて、色を塗って使った。(Charが、兄弟のお下がりで、初めて手に入れた機種だと先日知った) その後Nはバイトをして、ちゃんとしたギターを弾いていたが、Nのお袋さんに、形見にもらってくれといわれて、私が懐かしく、手にしてみたかったのは千円のギターであった。行ってみたら、覚えのないフォークギターだったので、カメラを貰うことにしたのだが。 風邪のせいで外にも出ずにテケテケやっている私だが、Nが秋葉原で買ってきたあのギターは、機種こそ、さらに粗悪な物ではあったが、間違いなく、同じカワイ製だと確信するにいたった。人が話してるときはギターを弾くのを止めろ、とよくNに怒ったものである。

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一日  


某社の風邪薬は、ちょっと喉がいたい程度で飲み始めたのにまったく効かなかった。もう買うのは止めよう。熱や寒気で始まる風邪の場合は、無理して汗をかけば、うまくすれば一晩で治るが、喉から来た場合、これからこうなるな、と判っているのに、一通りの順序を踏まないと治らないようである。佳境に入っている感じではあるが、声を出そうとすれば、未だ喜味こいし調でないと、長くは話せない。 ロス疑惑の三浦元社長が自殺。ロサンゼルスに移送され力尽きたのだろう。本人がやったかどうかに関しては、私なりに感想はあるが、犯罪は割に合わないというのは確かなようである。奥さんのヘリを出迎え、貰い泣きしていた逸見政孝もすでにこの世になく、27年というのは長い。結局コンビニで、店員の様子を見ながら腰をかがめて万引きしている、防犯映像が印象に残ってしまったが、ああいう時は夢中で、脳内には快感物質が湧き出ているのだろう。私もジャンルは違えど、判っちゃいるけど止められないタイプなのでよく解る。

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ここまで出ないのは、小学3年の遠足で、はしゃぎすぎた翌日以来であろう。これではK本に行っても、藤竜也調で飲むしかないし、常連の老人連に風邪をうつすわけにもいかないので遠慮している。 しょうがないので、本を読んだり、ギターをかき鳴らしているのだが、先日買った、スライド奏法用のパイプがどうも面白くない。昔、エスビーの唐辛子のガラス瓶を使っていたのを思い出したが、川口のKに、工場の残材のステンレスパイプに、適当な物はないか訊いてみた。彼が学生時代にバイトして買ったフェンダーのギターは、今は息子が使っているそうである。 仕事中だろうから、携帯ではなく、会社のパソコンにメールしたのだが、間髪をいれず返事がくる。何ミリ径は、俺の指にピッタリだ、などというところを見ると、自分用にも一つ、と考えているに違いなく、もう一台持っているという、rがnに見える古いグレコのギターも、先日ケースを開けて、磨いたのは間違いないだろう。 ギターを下げて遊びに来たポールに、今はもう195○年じゃないんだから、来るときは電話してからにしてくれよな、といってポールを怒らせたジョンだが、あいも変わらない友人というものは大事にしなければならない。と、以前にも書いたような気がした。

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昨日から喉が痛い。最近、風邪というと、喉から始まるのがパターンである。ヨーカドー木場店で風邪薬と喉飴を買い、ついでに『二十世紀少年』を観ることにした。主人公達は、私より2歳ほど若い設定のようである。なかなか面白いのだが、早々にいやな予感がする。3部作だというのは聞いていたので、中途半端なところで終るんじゃないかと。案の定、消化不良である。TVの連続ドラマじゃないのだから、1部だけでも満足できるような作りにすべきであろう。こんなところで終るのを知っていたら観なかった。ビデオになった暁に、3部作を一挙に観るのが一番良いだろう。その昔、武道館で観たT・REXを久しぶりに大音量で聞きたくなる。 そうこうして、みるみる声が出なくなってきた。子供の頃は、こんな時、自分の声を録音して喜んだものだが、日本のロックやソウルシンガーは、無理して喉を潰すという話を聞いたことがある。私も荒川の土手にでも行って、などと、考えなくもない。魅惑のハスキーボイスを手に入れ、晩年をその声で生きるというのも、満更悪くないのではないか。しかし、面白いことを言わない笑福亭になるのが関の山であろう。せいぜい喉飴を舐めることにした。

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