知人が日本最○端の島にいると聞いて、そこでは私が陶芸家を目指していた二十歳の頃の友人が、御主人と焼き物を作っているはず、とメールをしたら、さすがに狭い島のことで、もうすでに何度も会っているという。東京に生まれてわざわざ島に移住している人だし、と思ったらメールのアドレスを持っているというので、さっそくメールをしたらすぐに返事が着た。 何十年も会っていない彼女に、風呂場でジーパン穿いたままオシッコしてみたいけど、なかなかできない、といっていたのを覚えているといったら、そういう下らないことを覚えていてはいけない、と叱られてしまったが、読書家の彼女とは、実のある話を沢山したはずなのに、覚えているのは、そんなどうでもいいことばかりである。私の場合、それは誰に、何に対してもそうであって、そんな記憶が、人物を作るにあたっての私の造形に、重要な特徴を与えているはず?である。 離島に住むにも、なかなかシビアな問題があるようだが、いまさら東京には住めないという。私も地方に生まれたら、絶対東京には出てこないであろう性質なのでよく解る。しかし、4キロ四方誰も住まない廃村などに住んだこともあるが、ただノンビリとしてしまって、だんだん何かを作ろうという気が失せていった。作るということは、必ずしも素晴らしいことではなく、ただ塵芥の類を増やすだけになりかねないわけだが、私の特徴を生かそうと思うと、何かを作るべきだと思っていた。なにより好きなことをしていると、努力の必用がない、もしくは努力の自覚をしないで済む、というのが何よりである。 東京に住むといってもスタイルは様々で、私の出不精も極まってきた感がある。離島の定期便船ではないが、深川から月に数度しか外に出ない。通う店は決まっているし、もっぱら近所の中年から老年の連中とばかり飲んでいる。展覧会など気持ちはあるが足が向かない。今からこんなことではいけないと思うのだが、自分のなかにどんな物が在り、それをいかに形にするかしか興味がなくなってしまった。NYに行った時、中国人街やイタリヤ人街、そのほんのせまい区域から一歩も出ないで死んでいく人がいると聞いて、バカじゃないかと思った私がこの有様である。こんな住まい方ができるのも、また東京なのであろう。 そういえば昔、彼女を含む陶芸家の卵等と、山に遊びに行ったことがある。視界が開けた場所でのんびり景色を眺めたが、たいして標高が高いわけでもないのに、地平線が地球の丸みを示して湾曲しているので、「地球って案外ちいせえなァ」といったら、皆は私と逆なことを考えている場面だったらしく、「ここで何でそんなこというの」と彼女に叱られたのであった。
過去の雑記
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