明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

転写  


オイルプリントその物を版とし、用紙に転写すれば、今の感覚でいえば写真ではなく版画ということになり、面倒もなくなるかもしれない。 大正時代の技法書によれば、プレス機がなくても、湯飲み茶碗の尻の部分でこすれば充分などと書いてある。もともと昔の人にできて、私にできない訳がない、と奮闘していたので、茶碗でもかまわなかったが、何しろすべては手作りの手探り。不確実なことが多すぎ、せめてプレス機は入手することにした。 ヤフオクで落札したのは木枠に入ったままのデッドストックで、届いてみるとローラー部分は約50センチ。木枠には『内田洋行』とあった。こんな物も作っていたのか。板が欠けていたのでアルミ板で自作し、厚いフェルトも用意した。技法書には三回インキングを繰り返し、プレスせよ。とあったが、石塚式は厚いゼラチン層がたっぷり水を含み、その上にリトグラフ用インクが乗っているせいであろう。一回で充分転写された。

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白石さんの手掛ける『雑巾がけ』はモノクロプリントに油性絵具を塗布し、調子を整えながら不要な絵具を拭うという技法である。私同様“ピグメント(絵具)派”といえるが、ご本人はあくまで修正技法だという。修正技法としての雑巾がけは、昔のプリントを見ても絵具を塗ったようには見えない。煙ったような作品もあるが、白石さんの作品はどちらでもない。 何しろ黒い。近くでじっとディテールを眺めることになる。新刊『島影』は、印刷が難しそうな作品を上手く再現している。 私が手掛けるオイルプリントは、プラチナやカーボンプリントと比べて有り難味に欠けるネーミングであるが、雑巾がけとはまた可哀想に、といったら、白石さんはそれが気に入っている。といっていた。確かにインパクトはある。 先日友人と話していて、石塚さんがリンクしていた白石さんていう人、新聞に紹介されてましたよ“掃きそうじ”でしたっけ?惜しい。

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日本カメラ172Pに飯沢耕太郎さんによる、オイルプリント制作の取材記事を載せていただいた。『次はピクトリアリズム?』作品は江戸川乱歩と黒蜥蜴である。 HPのトップには長らく“ピクトリアリスト石塚公昭のHP”としていたが、通じそうにないので止めたが、いずれリオニューアルの際には復活させることも考えよう。そもそも最初はオイルプリント技法の公開を主な目的として立ち上げている。 様々な技法が淘汰され、写真といえば銀塩という時代に、油性絵具で印画されたオイルプリントを写真と称すのには無理があった。制作した方からすれば、まず感じて欲しいところであるが、“成分”がなんなのか解らず眼に灯りがともらない人達を個展会場で随分見てきた。ならば成分を明かしておこう、という訳である。もっとも読んでもわからないとはいわれるが。 この技法の最初のハードルは紙にゼラチンを塗ることである。それは私も使用している田村写真製ゼラチン紙を使う方法もある。あとは子供でも画が出せる。しかしそれはピアノは鍵盤叩けば誰でも音が出る、ということであり、弾けるようになるには修練を要する。他の技法とは少々使う所が違い、向き不向きはあろう。 ブロムオイルの場合、海外には横着というか合理的というのか、ジグソーを改良し、ブラシでズドドドとインキングする人がいて笑ったが、特にゼラチン層を厚くした石塚式ではゼラチンが壊れてしまう。オイルプリントはむしろ手首の柔らかさがものをいうだろう。そんな技法である。

※6月27日には田村写真にてワークショップがあり私がお待ちしています。

※6月28日まで鵜の木のハスノハナに3点出品中

個展『ピクトリアリズムⅡ』のレビュー artscape

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ここのところK本の女将さんが体調を崩し休業中である。店は閉めているが、女将さんが寂しがる、ということで常連席の連中だけ顔を出している。以前常連みんなで旅行に行ったとき、臨時休業させてしまった穴埋めにもなろう。 つまみは持込であるし、焼酎はもちろん、炭酸やホッピーの栓を抜いて注ぐこともセルフサーヴィスである。女将さんには申し訳ないが、この時とばかり女将さんの聖域に入りこみ、嬉々として注いでいるように見えなくもない。 休業の貼紙にカーテンを閉めきって、余計な電灯を消してはいるが、戦時中の灯火管制のようにはいかないし、中で楽しそうな声がすれば覗く人はいるので、その度断ることになる。たまにしか来ない客まで面倒をみることはできない。なにしろこちらもただの客である。 小学生の時に手伝って以来、店に出ている女将さんとしては、お客を放って、というのが気になるだろうし、楽しそうな声がすれば無理をおして顔を出すことになる。薬が多いのが可哀想ではあるが、顔色も良いし、もうまもなく再開ということになるだろう。その時は黄色いハンカチをズラリと掲げることになっているので、K本ファンはそれを目印に入ってくると良いであろう。というのだけ冗談である。

個展『ピクトリアリズムⅡ』のレビュー artscape

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当初感度が低くて引き延ばしができないオイルプリントのため入手した大判カメラで、人形の撮影を止めてからから随分になる。人形を人間として撮りたい私には、縮尺的にカメラが巨大過ぎるのか、納得できたことがない。 続けていると必要な物とそうでない物が判ってくる。自分のいいたいことを伝えるのが重要であり、よけいなところに力を入れるものではない。たとえば物凄い描写をするレンズを持っていたとして、そのレンズは私が研磨したというならまだしも、そこに感心されても困る訳である。描写が硬くなければ結構、と人形撮影には旧東ドイツ製のスクリューマウントレンズを使用している。数があるので安価である。気に入って使っているのはもちろんであるが、私の意図が放っぽらかしにされ、名レンズの描写に感心されずには済むであろう。 ジャズ、ブルースシリーズを作っていた頃は、人形がもっている楽器を褒められても嬉しくなかったし、そもそも作家シリーズに転向したのは、初めて人形とともに写真を発表した時、ある編集者が写真作品を、人間を撮った実写と勘違いしたことがきっかけであった。そんなつもりで作ったのではない。私が作った、と判る物でなければならない。

個展『ピクトリアリズムⅡ』のレビューを飯沢耕太郎さんに書いていただきました。 artscape

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毎日のように書いていた糠漬けについて書かなくなったら腐らせているし、熱帯魚に触れなくなったら死なせている。そんな調子で頓挫したままになっていたセルゲイ・ディアギレフが出てきた。写真作品としては発表したことはあるが、少々気が変わった。作りかけの長いソファーに座り、垂れた目でニジンスキーの稽古を眺めている。そんな場面を考えていた。 日本ではバレエといえば『くるみわり人形』や『白鳥の湖』になってしまう。と嘆いている方がいるが、確かにディアギレフの認知度は低いようである。 衰退していたフランスのバレエ界に、高水準が保たれたロシアのバレエを持ち込み、前衛の亡命画家、音楽家を起用し成功をおさめる。 驚異的跳躍力を持つ、天才ダンサー、ニジンスキーを愛人にし、スターに育て上げるが、その呪縛から逃れるようにニジンスキーは結婚をし、ディアギレフに見捨てられ、次第に精神を病んでいく。 この辺りの作品も、来年の個展会場の一隅を占めてもらわなくてはならない。ディアギレフには半眼で、ニジンスキーの尻でも眺めてもらおうかと思っていたが、ニジンスキーを高くぶら下げ大ジャンプ。それを見上げるディアギレフ。それもいいかもれない。そういえば、永井荷風が日本に呼び戻されるのがちょっと遅ければ、おそらくシャトレ座の客席からニジンスキーの跳躍に唖然としていたはずである。

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最近のブログは制作の話ばかりで面白くない、とK2さんによくいわれる。制作者として書いているのでしかたがない。 先日の話であるが、年配の男と三十代と思しき男。高校野球の話で盛り上がっている。私は野球には興味がないし、声が大きいので耳障りである。それでも、そこまでは良かったのだが。 居酒屋をやっているという三十代の男。自分の店の話を始めた。魚にはこだわっているらしい。「従業員にはお母さんを大切にしろっていってます」。「お客さんの誕生日にはお祝いをします。お母さんを大切にして下さいっていうと、号泣するお客さんもいるんですよ」。実に嫌な店である。号泣する客も客である。不味い焼酎がよけい不味くなり退散。 K本に行くと、常連席は珍しくピッチャータイプが一人もおらず、日ごろ球を受け続けるキャッチャータイプが揃う。「こういう日もマッタリしていいですね」。球を後ろにそらせ気味で突っ込まれているTさん。 先ほどの店での話をすると「そんな話を酒場でするなっていう話ですよね」。と先日「ウチに洗濯機何台あると思ってるんですか!」といったK村さん。一台は蛸のヌメリ取り専用にでもしているのかと思ったら、年頃の娘を持つお父さんの切ない話であった。そういう話。それなら充分酒の肴になります。 翌日はカウンターの隣で「お父さんはお前の幸せを~」と娘に語っているお父さん。実にシミジミとして小津映画の一場面のようである。しかし役者のことを考えると、私は隣で腕の肉をつねって耐えることになった。ここまでくるともはや肴いらずである。私のブログがつまらないからといってそこまでやってくれなくても。

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神奈川近代文学館より谷崎像帰る。神奈文には夏目漱石の遺品を並べ、書斎を再現しているコーナーがある。あそこを撮影させてくれれば、漱石を文机に向かって座らせることができるのだが、と行くたび思う。返却にみえた方に、1カット収蔵させていただくということでいかがでしょう。といってみた。 押入れを引っ掻きまわしていたら掛け軸類が出てきた。竹を裂いて作った筆による頭山満、黒龍会の内田良平、中野正剛 天誅組の藤本鉄石の画なんてものまで。多少偏っている気がしないでもない。  226事件の青年将校がかつぎ出そうとした皇道派の真崎甚三郎が、本を借りた礼状を額装した物の裏に、真崎の名刺が貼り付けられている。それをはがそうとしていたら、埃のせいでくしゃみが止まらなくなり終了。 今でこそ人形を撮影し、それが最終形となっているが、80年代の初めに架空の黒人ミュージシャンを作っていた頃は写真で残す、など考えもしなかった。カメラ持ってなかったし。個展会場で誰かが私を撮ったサービスサイズの写真が出てきて、そういえば作った気がする。という作品が後ろに写っていた。部屋の片付けといえば身が入るのが読書である。本日はなんとか土俵際で絶えた。禁煙の方がよっぽど楽であった。

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