明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



展覧会には、特に会期が長いと期日を間違える人がいるものである。6月の銀座青木画廊でも、DMを持って飾り付け中の前日にみえた方がいた。本日、陶芸学校時代の友人が来てくれるというので、予定の1時間前にリコーに着き、エレベーターに乗ると8階に止まらない。では9階。それも駄目。1階に戻って置いてあるチラシを見ると火曜日は休みではないか。そういえばそうだったかもしれない。そこから電話すると友人は伊東屋で買い物中であった。私がブログにちゃんと書かなかったのが悪い。未だに個展の飾り付けを人任せの私だが、待ち合わせた友人は、学内の発表会のおり、18歳の私に「お前はもう少し見せ方考えろよ」。といった男で、現在、某大学やタイで陶芸を教えていて、つまり私よりしっかりしているのは間違いがなく、彼が休廊日に来るとは考えもしなかった。訊くとリコーのページには期間は書いてあったが休みが書いていなかったという。さらにメールその他で、他にも今日来ていただいた方がいた。この暑い中、大変失礼しました。 友人とは、あれから40年、随分長い間、よく続けて来たな、とつくづく話す。すでに3人死んでいるし、居抜きで工房を譲って引退を、なんていう連中もでてきた。しかし私の場合、子供はいないし、教え子もいない。部下もいなけりゃ何もない。もともと他人と自分を比較する習慣がないところに、そんな物差しがない。そのせいだと思うのだが、ようやくイメージした物が形になるようになったばかりで、この期に及んでまだ始まった感がない、というのはかなりバカに見えるだろうから口にしないことにしている。

石塚公昭幻想写真展-生き続ける作家たち- 2018年7月25日(水)~9月2日(日)(火休)

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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載9回『牡丹灯籠 木場のお露』

展評銀座青木画廊『ピクトリアリズムⅢ』

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食の好みは年齢とともに変化するが、もともと好きでなかった物だからきっかけが必要である。子供の頃から酢が苦手で、なんのためにある、と思っていたが、たまたまラジオで深田恭子が酢だけで餃子を食べるといったのを訊いた。そこでつい試して以来、酢が平気なことに気付き、今は餃子は酢だけかプラス胡椒であるし、薄味の醤油ラーメンやタンメンなどにコントラストを付けるため入れたりする。私に勧めてくれたのが?深田恭子嬢だったからこそであろう。 子供の頃からあまり甘い物を好まず、特にアンコなどの和菓子系は苦手で、どら焼きなどもらっても、皆が食べてるので悔しいのでアンコを捨ててがわだけ食べた。子供の頃母の友人の鎌倉のざあますおばさんが買って来てくれるエクレアで始めて生クリームを食べたが、これだけは別で、天国の味わいがあったが、こればかりは食べたくてもチャンスがない。ながらくそんなであったが、大人になり区から無料の健康診断の知らせが来るようになったが、そこに行くと、かっての同級生とパンツ一丁で出くわし並ばされると思い込んでおり、行く事は無かったが、誤解だったことを知って受けてみたら、意外な高得点をたたき出し、そんなはずはない、とある時、普段は口にしない甘い物を食べたら美味かった。なにしろ免疫がないものだからコンビニの甘い物が驚くほど美味しい。これに関しては冗談でもよけいなことをしてしまったと後悔している。 珈琲といえば私にはコーヒー牛乳のことであり、ミルクを多く入れれば飲めたが、ブラックを空きっ腹に飲んだら一日辛い。ところがこの猛暑の中、その異常さに自動販売機の冷たいブラックをなにげに飲んでしまったらサッパリとし、空腹でなかったせいか案外いけて、翌日も飲んだ。リコーの個展会場はエスプレッソマシンがあり、紅茶も自分で入れて飲める。エスプレッソがなんなのか知らないが、すでに4杯飲んでいる。人生において初のことである。人生は一度きり、苦手な物などないにこしたことはない。

石塚公昭幻想写真展-生き続ける作家たち- 2018年7月25日(水)~9月2日(日)

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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載9回『牡丹灯籠 木場のお露』

展評銀座青木画廊『ピクトリアリズムⅢ』

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昨日、中止になった平井憲太郎さん×山前譲さんのトークショーは、日を改めることになった。  会場に行き、今まで長い間、様々企んで来たものだ、と振り返っている。写真は在る物、居る人を撮るもので、ほとんどの人がそうしているので、私は無い物、居ない人を撮っている。面白いのは、私以上にリアルな造形をする人はいくらでもいるが、写真に撮って面白いかというとおそらく別の話である。私がもっとも大事にしているのは佇まいであり、表面のリアル感ではなく、その点は粘土感丸出しで良い。いやむしろだからこそではないかと思う。神は細部に宿る、といわれるが、肝腎なのは、その存在感であり、そのためにはそんな所にそんな物を宿らせる必要はない。引き延ばされた細部に対し、良く出来てますね、と感心されても私が大工の棟梁だったら喜ぶだろうが。そういえばジャズの人形を制作していた頃、作った楽器を褒められているうちに、そんなことはどうでも良いのだ、と次第に不機嫌になってしまった私である。私も若かった。自分のイメージを人に伝える本当の難しさを知るのはその後である。 などと、それを目指し、やってきたというような顔をしたがる私だが、行き当たりばったりの結果を、知ったかぶりしていっているに過ぎない。そんなことをつらつら考えるのに、冷房が効いてる個展会場ほど最適な場所はない。

石塚公昭幻想写真展-生き続ける作家たち- 2018年7月25日(水)~9月2日(日)

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吉祥寺の焼肉店の店長Kさんから短いムービーを送ってもらった。それはかつてのホッピーと煮込みの名店で、常連で女将の真寿美さんの誕生日をケーキにキャンドル立てて祝っている。私は30年以上通って最後の一年は許可を貰って写真を撮りまくったが、ムービーはというと猫のオシマの死んだときと、いつだったかのお酉様をガラケーで撮っただけである。それに比べるとスマホのムービーは鮮明である。この時期、真寿美さんが体調くずし、本来休業するはずが、同じく体調が悪かった厨房担当の弟さんに常連は来て良いけど、後は店に出られないので断って欲しいといわれた。しかたないので、自分たちで冷蔵庫から炭酸やホッピーを取り出し、栓を抜いて、飲んで支払い、片付けて帰った。声を聴いてたまに真寿美さんも顔を出してくれたし。私達は責任者である弟さんにいわれてやっていたのだが、それを快く思っていなかったらしい人物からある日、1年有り難う御座いましたの貼り紙とともに出入り禁止になってしまった。信じられない仕打ちである。もっとも私達は女将の真寿美さんと煮込み目当てに通ったので、真寿美さん亡き後、通う理由がない。それにしてもその短いムービーには、常連達と女将の、最後の輝きが収められていた。 28日のリコービル個展会場、平井憲太郎さんと山前譲さんのトークショーは大事を取って中止と決まりました。


石塚公昭幻想写真展-生き続ける作家たち- 2018年7月25日(水)~9月2日(日)

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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載9回『牡丹灯籠 木場のお露』

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2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtub


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昔も今も一番質問されるのが、被写体である人形のサイズである。大きさの違う何種類かの人形がある、と思われるようである。『ポーズの違う胴体に、一つの首をただ差し替えているだけである。顔には表情を作らないので、気球にぶら下がっていようと、天井裏に潜んでいようと関係ない。そしてその頭部のサイズはというと、だいたい参考までに会場に展示してある、乱歩と荷風くらいである。何故この大きさか、というと、粘土を手にして掌に収まりやすい。』 どうやらこの点を説明すればおおよそ納得していただけるようである。からくりを理解したいというのは日本人の特徴ではないだろうか、と常々思う。何故なら外国人に訊かれたことがないからだが、まあ訊かれても答えられないから丁度良い。マジックショーは騙されたまま帰るから良いのではないか。親戚に口から火を噴いたり舞台でイリュージョンをするのがいるが、親戚のよしみでなどといっても口を割らない。もっとも舞台用の装置には、秘密を守る的な契約書付きで売られているらしい。私は訊かれれば一つのことを除いて何でもお答えする。大体来月トークショーを東雅夫さんとするハメに陥ったが、私が文学について語ったとしてもしかたないからそんな話でもする他はないだろう。訊かれても口を割らない只一つのこととは眼鏡のレンズに何を使っているかである。湾曲していないと光の反射が眼鏡にならない。展示してある乱歩の眼鏡は出来が悪いし、荷風の眼鏡は前日に作って出来も悪くレンズも今の所入っていないのだが。今回は写真展ということで。

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永井荷風の着彩の禿げたところを塗り直したりしていて、会場に着いたのは2時は過ぎていただろう。久しぶりにまじまじとプリントを見た村山槐多は、私が岐阜の製陶工場に勤めていたころ、街の書店で入手した雑誌で始めて知った。青春のイメージである。 20歳で陶芸学校を出たばかり、先の長さに呆然としながら、それでも工場長のいったことを聞き逃さず、仕事中にノートを取る訳にもいかず、屋根裏部屋に帰ってからノートに書いていた。そこから毎日のように数キロ歩いて屋台を改造した飲み屋に出かけた。歩いて行けるのはそこしかない。そこでは20代の人間など見た事が無く、工場の職人が多かった。向こうからすると、東京からわざわざこんなところで工場に勤める変わった若者という感じであったろう。みんな飲んだくれているかというとそんな人は一人もいない。私が酔っぱらってあぜ道に落ちた時、「あぜ道に落ちたのあんなが始めてだよ」と店の人に言われたが、翌日工場に行くとみんな知っていた。これでは飲んだくれてはいられない。休みの日は工場のおばさん達がドカドカ入って来て部屋を片付け始めるのにも閉口した。なんであんなに飲まずにいられなかったか、私なりに耐えていたのだろう。なにしろ金歯むき出して笑う工場のオバちゃんが、次第に可愛く見えて来るくらいの状況であった。 作家シリーズ最初の6人のラインナップに槐多を加えずにはいられなかった。先日も書いたが、人形以上の大きさにプリントした時、作者の私が込めたつもりがない意志が立ちのぼって見えるのが不思議である。こと槐多に関しては、その表情を見ていて思い出すのはあの頃の自分である。いつか当時のノートが出て来た時、その孤独感を思い出し、陶芸家になりそこなうとも知らずにいる、二十歳の私のいじらしさ?に耐えられずに捨てた。

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個展の図録を見たら『虚無への供物』の中井英夫と『憂國』の三島由紀夫が左右に並んでいた。中井英夫と三島は縁があり、虚無への供物には三島がモデルと思しき人物が出て来るし、私が子供の頃愛読した百科事典のボデイビルの項に三島が使われていて、子供の私は違和感を憶えたが、あれは編纂した中井の依頼によるそうで、三島はあんな嬉しい事はなかった、といっていたらしい。後ろに手をやった上半身は、プロレスファンの私には貧弱に見えた。その辞典は今思うとシャンソンの項が妙に詳しかった。中井の趣味が出ていたのであろう。 さらに言えば、中井は戦時中、市ヶ谷の陸軍参謀本部に所属していたが、後に自衛隊の駐屯地となり、三島はそこで事を起したのだから、中井としては心中穏やかでなかったろう。三島がもっとも好きだったのは、白に金ボタンのエレベーターボーイの制服だった、と中井がいっていたのを知り、その格好で、エレベーターの中で死んでいる三島を作った。なんでそんな物を作ったかというと、三島が喜ぶだろうと思ったからである

石塚公昭幻想写真展-生き続ける作家たち- 2018年7月25日(水)~9月2日(日)

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搬入  


母の退院が決まった。まだいくらかむくみは残っているようだが、これは母由来の体質で、私も椅子に座るとすぐむくんでしまう。医者で母と同じ事をいわれるので嫌になる。母はホームにいればずっとここで良い、入院すればここが一番、というので実に助かっている。そんな老人の話は聞いたことがない。戻るホームもボケ老人ばかりで、結局は職員を相手にしているようである。周囲に食事を食べさせてあげたり、色々手伝って喜ばれていて、その度に野菜ジュースを貰う、と溜め込んで私にくれるが、さすがに職員は母の扱いを心得ている。オットセイに角砂糖。おだてておけば木に登って下りて来ない。 江戸川乱歩像をタクシーで運ぶ。銀座四丁目の交差点のバッテンが、幼い頃、日本のヘソにあたると思い込んでいたのを思い出した。個展会場のレイアウト案はすでに出来上っていたので、それにそって飾り付け専門の業者二人でみるみる飾り付けて行く。キャプション、ライテイング以外、4時間くらいで完成する。私が同じ事をするなら3日はいただきたい。今回も展示に関して一言も発することはなかった。全部で45作品。2メートル超のプリントからプラチナ20パーセントのプラチナプリントまで見事に収まった。製造中止のコダック・エクタルア調の色調を再現出来るなら、手漉き和紙によるインクジェットで再びモノクロプリントを再開しても良い、と思い始めている。

トークショーの情報もアップされました。
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人形2体の内、永井荷風の七輪の上の鍋と眼鏡が見つからないので当日までに作らなければならない。そんなことを放っておいて、Mさんのご招待で越後湯沢のMさんのご友人の別荘に行って来た。当然東京より涼しくはあるが、Mさんに言わせるとこんな暑いのは始めてだという。グランドピアノとドラム、ギターがあり、そんなものを悪戯したりしながら白瀧酒造の湊屋藤助をひたすら。昼はスキー場を見に行ったり露天風呂に入り、帰っては池にぶら下げ冷した物を再びひたすら。おかげで様々忘れて気分転換になった。 明日は個展会場の飾りつけだが、現場を知っている人に任せるのが一番。私の出番はないだろうが、江戸川乱歩だけ持って行くことにする。 今回の個展はアナログ時代の作品が多く出品されるが、思い出したのが2001年に阿佐ヶ谷のジャズバーにより制作されたCD『ASAGAYA FRIENDS』(2001)である。表がバド・パウエル御一行3人が阿佐ヶ谷駅前に着いたという趣向で、裏が商店街を歩く寺山修司という珍妙?な物で、寺山は私の手持ち。御一行は関係者に一人一体持ってもらって駅前で撮影した。オーナーに聞いたらまだ在庫があるというので並べてもらうことにした。音楽監督が演奏もしているベーシストの井野信義。すべてオリジナル録音で山下洋輔の『ぐがん』友部正人の『一本道』池田篤クァルテットの『TOWN』佐野史郎(vo、g)角野卓造(g)の『沼底の街』など。


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展示する人形は2体で良いとリコーより。立体を展示するような場所ではないので、そんなところであろう。被写体がどんな物であるのか伝われば良いだろう。台から立てた棒に差す必要のない、寝転がり妄想中の乱歩と、畳の上に座って七輪に火をおこす荷風にした。これなら円筒形のビルですれ違う人も気を使う必要はないだろう。 玄関を開け放し、七輪の脇に置く炭入れに入れる炭を作っていると、天井近くの壁を、10、4、5センチの緑色の蜥蜴だかが這っていた。家でこんな物を見たのは初めてである。暑さでイカレたのか。吉兆ということに。
多治見で40度を越えたそうだが、陶芸家を目指していた頃、近くの瑞浪の山の工場に一年勤めたことがあるが、実に暑かった。工場にはガス窯があったから、なおさらである。昔の窯焚き職人は腹を熱で炙られるので長生きしなかったと工場長に聞いた。塩舐めながらの窯焚きなんて身体に良いわけがない。たまたま昔のアルバムがバラバラになり、整理していたので思い出した。撮ったのはすべてリコーオートハーフであった。

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縦2メートルのプリントも二枚展示が決まる。江戸川乱歩の『帝都上空』と宮沢賢治の『ニコライ堂と銀河鉄道』である。大きいので二枚合わせで、ということらしい。インパクトはあるだろう。特に乱歩は6、7センチの顔が何倍になったのだろうか。大きなプリントで判ったのは、私の粘土丸出しの質感が引き伸ばして露になるかと思いきや、私のこだわる佇まいばかりが強調されるのが意外で面白く、拡大が可能な写真の特性がいきる。また小さくすればしたで、佇まいが目立つ。 昔、ロバート・ジョンソンをモノクロでクローズアップで撮り、引き伸ばした。帽子の下の顔の部分は五センチくらいだろう。左目の白濁まで入れてはおいたが、拡大してみたら、作者の私がそこまでやったつもりがない、悪魔に魂を売り渡そうと企んだ表情になっており、作った本人が、こんな子に育てたつもりがない、という。創作の不思議について考えさせられた。これは写真作品にしなければ気が付かずに終わったことかもしれない。 人形作品と、それを被写体とした写真作品は全く別の物である。
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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載9回『牡丹灯籠 木場のお露』

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一日  


写真が残っているような近年の人物はもうあまり作ることはないだろうが、絵画しか残っていない時代の人物ならば、写真の呪縛もなく、創造の余地があり、北斎も思った以上に頭部が早くできた。そんなことをいうと、平賀源内はどう?なんて簡単にいう人がいるが、作った後写真作品にしようがあったり、など何か発展する可能性があるのなら良いが、そうでなければ手を出してはならない。北斎の場合はタコに絡まれているところを思い付いてしまったからである。作者を当人の作品から着想した世界に、という本来の趣旨からすると画家ながら上手くいったのではないか。とりあえずは円朝の締めに高座姿をものにしておきたい。せっかく座蒲団に座る泉鏡花がいるのだから、百物語怪談会という設定も考えておきたい。なんなら柳田國男の髪の毛を増やし三人並べても良いだろう。 リコーから会場のレイアウト案が送られて来たが、例によって、すべてお任せします、と返事。あとは縦2メートルのプリントを飾るのかどうか、明日決まるそうである。週末に急遽新潟に行くことになった。日本海側に行くのは三回目である。どうせなら撮影でも、と思うが見事なくらい、私の手掛けた作家とは無縁なのであった。 大台以降、耐え難い眠気に襲われるようになった。それまでは、一度目が覚めると二度寝ができなかったのだが、最近は三度寝すらある。昨晩も眠気に襲われ十秒前後で寝たと思ったら、YouTubeから聴こえるなんとか会の、猿の惑星のオランウータンが黒髪に染めたような男の発育不全なキンキン声に目が覚め、ふざけるな、とひとしきりパソコンの前にいて、また眠くなった。幸いなのは、何度でも眠くなればマッハで寝られることである。

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幕末から明治の高座で円朝に怪談語らせるのを、どうせなら極近所の施設を借りてやれたら面白そうである。三遊亭円朝に関しては、私が手掛けた後にはペンペン草さえ生えないくらいやっておきたい。やれたとして絵画であろう。私だったらこうする、という人間が現れるに違いなく、ペンペン草はまた生えるだろう。それでは面白くない。施設には間接的に打診してみた。昨年、某雑誌のインタビューの場に無駄に広いそこを借りられたのでおそらく大丈夫だろう。展示用に小さな火鉢、 鉄瓶、金屏風はあるが、どうせそんな場所で撮影できるなら、すべて実物を使ってみたいところである。それも某所に打診してみた。ちょっと手続き上時間がかかる、との返事。 さて陰影を出さない撮影であるならば、燭台があることにより夜を表す。当時の寄席をリアルに描くのであれば写真本来の得意分野で陰影を思い切り表現するかおいおい考えよう。日本画の都合の良い所だけ取り入れてもつじつまが合わず、気持ちの悪いことになるのは昨年ジタバタしてみて良くわかった。そこが写真という物である。私はどうやら絵にしか見えない作品を制作してみて、意外なことに、絵画と違い不自由な写真というジャンルを、ようやく愛し始めてしまった気がしている。 せっかく頭部がすでにある、葛飾北斎も作画中の身体をそろそろ制作を始めておきたい。この暑さを耐えるには何か制作するしかない。特にモニターの前なら、扇風機すらなく、例え背中に西日が当たろうと平気である。

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老人ホームの母が蜂窩織炎を再発させ、3ヶ月入院していた病院にまた入院した。前回はナースセンターに顔だしたりうろちょろしたせいでコルセットで身動きできないようされたから、今度はうまくやれよ、といっておいた。何しろ外向的なので、入院といっても暗くならないので、その点だけは、あくまでその点だけは、助かる。
幕末、明治期の寄席を再現して、三遊亭円朝や、お露とお米に牡丹灯籠を持たせて前に立たせたが、寄席内部を再現できそうな所が近所にあった。私の場合、どうしようかな、なんて考えて思い付くことはまずなく、必ず頭の上にぼた餅が落ちてくるように突然くる。ただ問題は、その時代の観客までは再現ができない。粘土で後ろ姿を何体か作るか、着物を着て座って貰って、というのも、また1カットのために一大事である。円朝ともなると、客席は大入り満員でなければならない。ならば薄暗い中の高座といこう。大入りの様子は観客のシルエットで表現できるだろう。それにしても、人も場所もなんでも近所で済ますところが私らしい。燭台はまだ撮影に使っていない物があるし、高座上の火鉢も鉄瓶も座蒲団も本物を使おう。そういえば近所の店に羽織を着せれば明治時代の噺家に見えなくもない禿茶びんのマスターがいる。高座に二人は必要ないが、何かに使えないだろうか。そんなことを考えていると、我慢ができなくなってくる。 何かをやらずにはおれない人というものはいる。場合によっては、ある種の犯罪者にも同情的な私である。なにしろやらずにはおれないのだから。そう思うとやらずにおれないのが、たかだか人間みたいな形を作ったり写真撮ったり、とその程度で済んでいる、というのは幸せなことであろう。

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最近ブログが滞りがちである。ウィンドウズのキーボードが突然暴走し、キーボードを替えても、ドライバを入れ直しても駄目である。『貝の穴に河童の居る事』を作ったマックはモニターの接触が悪く、青木画廊の個展まで騙し騙しなんとかやり終えたが、繋がったとしても、何もかも旧く、ネットを見るにも不自由な有り様なのであった。よって携帯で書いてウィンドウズにメールし、それをコピペする、という面倒臭さで、ただでさえ、たいしたことが起きる訳でもなく、書かなければ書かないで、ばがばかしい日常をわざわざお知らせしないで済む、という寸法である。 リコーの個展が始まるまでは、余計なことを始めないよう、新たに粘土の入手を控えていたくらいなのでまあ、いいか、と思っていたが、作りたいものが喉元まで出てきており、それを押さえることが何よりのストレスになるので、そろそろいい加減にしたいところである。もっとも、わざと作り惜しみをして、空腹を演出し、御馳走感を増幅させ、ヨダレを垂らさんばかりに食らいついて快感を倍増させよう、というマゾ的癖が昔からあるので、またやっていやがる、と思うのだが、これは子供の頃、あれをやっちゃ駄目、これをやるな、と散々いわれつづけたゆえに培われた癖に違いがない。そういえば母と同居中にこそこそと、人魂を筆で書いたり円朝や幽霊を制作したりと、あの楽しさは尋常ではなかった。

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