明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



地デジ対応TVをネットで注文した。TVは目の前に置くつもりだったので小さいTVを選んだ。私は子供の頃からTVは離れて観ろ、と口うるさくいわれたが、裏番組が気になるのでチャンネルに手が届く所で見ていた。そのせいではないだろうが、パソコンのモニターを一日中観ていても目が疲れることがない。むしろ大きな画面を近くで見ることによって、視線を動かすのが面倒である。よって小型画面で充分なのだが本棚の上を見ると空きスペースがある。ここには以前、母方の祖母が関東大震災の翌年に購入したというガラスケースが置いてあり、100年以上前の古典レンズを入れていたのだが、今回の地震で床に落ちて壊れてしまった。そこが丁度空いているので、多少見上げることになるがTVを置くことにした。予定より数インチ大きいTVを注文した。
中学生や高校生ならまだしも、Kさんはある日妙な計画を思い付いた。ガムテープで某女性の名前を自分に貼って陽に焼くことである。結論からいえばそれは失敗に終った。同行した元同僚のSさんの前で、そんな馬鹿なことをするわけにも行かず、Sさんが途中で帰ってからは天候に恵まれなかった。それにガムテープが思いの外紫外線を透過してしまうのである。計画を聞いてみると、服を着ても見えるところにプリント?するので、何も房総まで行ってライフセーバーに熱中症に気をつけるよう、注意されながらやるまでのこともないのである。成功の暁には、普段はその部分を包帯で隠すつもりだっらしい。「わざわざ包帯巻かなくてもトクホンでも貼っとけば?」アドバイスしている私も私である。 私は日陰でシャッターチャンスを待ちながら、一見日光浴をしているように見えるKさんを写メに撮り、前回房総でKさんに会っているSに、この初老の人物が何を企んでいるかを書き添えて送った。SからはKさんの通夜か葬式があったら是非出席したいからその際は教えてくれ、とすぐに返事がきた。

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三島由紀夫の戯曲『船の挨拶』にはどう考えても船が登場しないことには成り立たないが、今回波が高く、海を行く船はまったく撮影できなかった。主人公が銃撃を受ける黒い密航船はイメージが決まっており模型を使う予定だが、波をかき分けての航跡の部分は走る船を撮影しないとならないだろう。いざとなったら墨田川で代用するつもりである。私はすでに太平洋と浜名湖をつなげてしまっている。どうということはない。“富士の高嶺に降る雪も、京都先斗町に降る雪も”雪にかわりはないと先人もいう。塩分濃度は見ても判らない。
今回房総にはKさんの同僚で同じS運輸を定年のSさんも一緒だったが、来週には青森に帰るので、本日はT千穂にて、常連集めてSさん主催の飲み会である。話に散々聞かされていたKさんの元彼女も登場。自分と齢の変わらぬ親に挨拶までいって浮気がばれて解消ということであったが、その点に関して全く実のない人なので、結婚などとても無理である。そのあとも同じようなことを繰り返したようだが、未だ“女には夢を持っている”などといっており、今日も楽しそうに笑っていたが、おかげで毎日寂しい々と私にメールをよこす有様である。もうそっちの運は使い果たしたから今後良いことないよ、と本日もいっておいた。 明日には青森に帰るSさんと二次会を軽く済ませ、Kさんと錦糸町のサウナに泊まるというのを見送って別れた。私には定年もなければ第一も第二の人生もないので気持ちは良く判らないのだが。 明日はKさんのガムテープの件に触れないとならないだろう。

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房総  


房総に滞在中、波が常に高く天気も安定せず、雲の間から陽が出るたびに繰り返し撮影に出かけるという状態であった。二度目ということもあり、いつがいつだか区別も付かず、思いだしたところを書くことにする。 特に後半は常に曇っており、思った通りの撮影は出来なかった。それでも『潮騒』の背景はなんとか撮れたように思う。南房総では未だに海女がおり、半裸の娘さんが気軽に記念撮影に応じてくれる ということはない。『船の挨拶』の舞台に、と考えた野島埼灯台は都合二回行ってみたが、いずれも曇天。よほど滞在を延して、とも思ったが、週間予報は連日曇りなので諦めることにした。 今日は朝から野島埼灯台を、無理矢理晴天の風景に変える作業に費やした。私は無い物は撮れない、という写真に常々ムカついており、二度も出かけた私に撮らせないとは何事か、と少々意地になっているわけだが、実は多少の目論みもあった。三島作品の風景はいささかワザとらしい方が三島的ではないか、と考えたからである。うっとりさせられる見事な風景描写ではあるが、描かれた絵のようなところがある。それを私に気付かせるために曇天にしていたとは知らなかった。というわけで、なんだか妙な味わいの風景が一つ出来上がった。後は肝心の『汝の安航を祈る』の信号旗を立てるだけである。ここまできたら灯台にしても、元の場所にスマして立っている、などということを私は許さない。 しかし、調子に乗ることは禁物である。見学者がいないところを撮影したつもりで選んだ灯台を調整していたら、大分進んだところで上でアベックが抱き合っていることに気付いた。 続く

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一日  


ヨーカドーの家電売り場を通りかかったら、原田芳雄の葬儀の様子が中継されていた。石橋蓮司の弔辞にウルっとくる。クレイジーキャッツの時も思ったが、私のように一人で作っている人間には、こういう戦友的な関係が皆無なので、うらやましく感ずる。 K本の煮込みの脂が白く固まって驚く。先日までの猛暑を思って驚いた。隣のIさんとは久しぶりなのでもう一軒と思ったが、ご隠居のTさんが外で待っているので諦めてT屋へ。Tさんは昔の話ばかりである。そう思うと定年を迎えたとはいえ、Kさんは日々戦っていると思えてしまう。しかし三軒目にT千穂に顔を出すと来ていない。電話をすると具合が悪く寝ているという。ガムテープの“版”制作に根をつめ過ぎたのではないのか?K本で会ったTさんは当ブログをご覧で、昔ニベアを塗って陽に焼いたら物凄く焼けたので、それで字を書いたら上手く焼けるのではないか、というアドバイスをもらった。ついでに実験してみよう。どうせ他人の身体である。もちろん仮にそれが上手くいくようでも、ガムテープよりニベアの方が良いよ、などとはいわない。なぜならニベアを塗っているより、ガムテープを貼って日光浴している61の男のほうが面白いからである。

というわけでKさんと再び房総へ行くことになった。私は『潮騒』『船の挨拶』の背景を完成させるためだが、旅には様々な楽しみがあった方が良いと思う。

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サンフランシスコから帰ってきている妹と息子二人と母と錦糸町で食事。パフェが食べたいというので不二家へ。ここまで来てそんな物を、と思うが、向こうでは老若男女みんな食べるらしい。中学生なのか、小さいと思っていた弟が大きくなっていた。雨後の筍の如し。兄の方はサンフランシスコ・シンフォニー・ユース・オーケストラでクラリネットをやっていて、今度ヨーロッパへ行くそうである。妹にしたら大学受験に有利だという理由で、続けさせているようだが。二人とも態度など、ほとんど日本人なところが良い。妹がうるさくしてるのが効いているのだろう。年に2回、食事をして小遣を渡して終る。そこにKさんよりメール。 今朝、後輩で定年になったSさんが善光寺に日帰りで行くのに付き合って帰ってきたらしい。退屈で時間潰すのが大変である。 T千穂へ行くと一人で飲んでいる。「何か御用ですか?」用などあるわけない。一人でいられないだけである。善光寺で鴨南蛮蕎麦が美味かった話など聞く。閉店となるが、まだ帰りたくないKさんともう一軒。10月からは難しいが、今はまだ大丈夫だというレバ刺しで飲む。そしてKさんにガムテープにカッターで、すでに文字を切り抜いた物を用意したことを聞く。「ホントに?!」。恐るべしである。文字だけを切り取って貼るならまだ良いが(どこも良くない)、私が昨日、ガムテープにただ文字を切り抜いたもの貼ったら、千社札みたいになる、といったのを覚えているだろうか。一度いったからもういわない。はたしてKさんの頭の中の構想はどうなのであろう。逆さ文字になどしないだろうか。私は最近、これほど楽しみな“プリント作品”はない。

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一日  


Kさんは前の晩に飲んで、酔いが覚めぬまま朝からT屋で飲んでしまうので、数日おきに体調を崩す。以前は夜勤明けで飲んでいたから良かったが、定年後も頻繁に顔を出している。判っちゃいるけど止められない事や物は、男だったら一つや二つあるものなので、頭から馬鹿じゃないの?とはいいにくい。少なくても私はいえない。一応止めてはいるが、どうせ聞かないし、60過ぎて好きでやっているのだから、それで死んでしまっても良いのだと思う。 本日は二日ぶりで休養充分ということで機嫌が良い。あれほど日焼けしておきながら、大分さめてしまったので、また追加で焼きたいそうだが、その際ある女性の名前を焼き付けたい、という。とても61のオジサンの考えることではない。方法としてガムテープに名前を書き、字の部分を切り抜いて貼って焼くのだという。人のアドバイスを聞かない人だし、面白いので黙っていても良かったが「それだと表札や千社札みたいにガムテープの形が付いちゃうよ」。「あっそうか」。『あっそうかじゃないよ』。止めるべきだろうが、面白そうなので中間をとって、せいぜいイニシャルにしておけば、といっておいた。その後それをどこに焼き、どういう効果を狙っているか、Kさんの思い付きを聞かされた。あまりにも馬鹿々しく、とても詳細は書けない。横で会話を耳にした常連の女性が笑いをこらえている。しょうがない人だという演技をし忘れ、真顔で相手をしていたこちらが恥ずかしい。とはいうものの、馬鹿々しいゆえに、本日イメージ作りに一日頭を悩ませ、冷や汗をかく思いをしていたことを、すっかり忘れられた私であった。

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もう、がっかりである。俳優、役者というと、どこかスカしているものだが、そんなところが微塵も感じられない、いかにも東京出身の俳優であった。『龍馬暗殺』他印象深い映画は数多いが、私にとってATGといえば高校時代から通った今はない銀座並木座で、特に『祭りの準備』が印象深い。当時三本立には、だいたいどれか併映された『旅の重さ』『八月の濡れた砂』『青春の蹉跌』には悩まされたものだが。門番の制止を聞かずくわえ煙草で、福島原発の敷地内に入っていってしまう『原子力戦争』など今観たら相当面白いだろう。 倉本聡脚本の桃井かおり主演のマリリン・モンローを下敷きにしたドラマ『祭りが終ったとき』の主題歌『レィジー・レディ・ブルース』は探せばシングル盤レコードがまだ在るはずだが、赤面物の、すぐ港でバーボン飲んでしまう日本人のブルースの中で、黒人のブルースばかり聞いていた私にも、第一級の歌唱に感じられた。合掌。

『船の挨拶』には信号旗がはためく旗竿が不可欠である。しかし撮影を予定している場所に旗竿はない。そういえばマンションの屋上に、なかなか立派な旗竿が立っているのを思いだした。 『コクリコ坂から』の予告編を見ると女の子は『貴船の安航を祈る』の意味のU・Wを掲げているが、舞台は昭和38年だそうで、そうなると、三島が『船の挨拶』で書くように当時はW・A・Yだったはずなのだが。手書き風の画を見ると、その返答として少年の乗る船が1・U・Wを掲げているが、これもU・W・1ではないだろうか?私はつい最近、『船の挨拶』のために調べたから妙に見えるだけだが。私は個展に来た女の子が、私の作ったピアノの鍵盤を数えている光景が未だに焼きついている。

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私は昔から世界レベルにあるスポーツにしか興味がなく、野球も野茂が大リーグに挑戦してからようやく観るようになった。高校野球など未だ興味がない。 それにしても大快挙である。また勝ち方が良い。負けた方としては、あんな悔しい負け方はあるまい。PK戦の前に、緊張でこわばっていたアメリカチームに比して、監督はもとより笑顔を見せていた日本チーム。あの時点で勝負は決まっていたということであろう。国民栄誉賞モノである。 『世界に一つだけの花』という虫唾が走る歌があるが、No.1にならなくてもいい、などと蓮舫にでも歌わせておけば良い。

本日はKさんのS運輸の後輩Sさんの、T千穂の常連による定年のお祝いである。門前仲町の宮崎地鶏の店に集合。どことなくアンソニー・クィン似のSさん。初めて花をもらったと嬉しそうである。その後カラオケへ。Kさんの定年の時と流れは同じである。Sさんは演歌ばかりかと思っていたらグループサウンズが好きだと、盛り上がっていた。そこで私もパープル・シャドウズを。相変わらず演歌専門のKさんであったが、こんなに嬉しく楽しい、と無防備に全身で表現する人を私は知らない。見ているこっちも楽しくなる。お祝いということもあり、愉快なカラオケであった。

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最近Kさんからヨーカドーからのメールが来る。避暑のため、ほとんど一日中店内でブラブラしているらしい。 アパートに窓用のクーラーを買い、自分で取り付けられないと業者を頼んだが、何日も待たされ、ようやく明日来てくれるという日に断わってしまった。前日の晩耐えられなくなり、部屋の中で着けてみたら涼しかったので、台所との境に置いて、段ボールで上を塞いで使えば良い、と断わったという。つまり排気は台所に溜まるわけだが、トイレに行く時だけ我慢すれば良いのだ、という。そんな馬鹿な、といっても例によって人の話は聞かない。Kさんは消えてなくなるものにしか金を使わないのである。 その後相変わらずヨーカドーからメールが来ると思ったら、やはり台所を熱しているのが駄目だと判ったらしく、自分で窓に付ける事にしたが、窓の何かが合わないので、針金やガムテープを買ってきて付けることにしたという。だから業者を頼めば良かったのだ、と私を含め、各方面からもいわれているに違いない。しかし今さら頼む気にもならないようで、昨日自分で取り付けるといっていた。 本日上手く付けられた?とメールしてみたら、暑いのでヨーカドーにいます。という返事。「クーラー効かないの?」。「効くけど暑いので、ヨーカドーに来てます」。だからそれは効いてないってことだろ!

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『潮騒』の初江役をお願いするAちゃんが実家に帰ると聞いたので、入手していた撮影用シミーズを選んでもらうため袋に入れて持っていく。父親がいて、中を見ようとする。「お父様フケツ!!」。まずAちゃんに見てもらわないとならない。そうこうしてAちゃん帰宅。ところが同級生が集まるということで女の子がゾロゾロと。そこでAちゃんと母親が袋から出そうとするので、それは勘弁してもらい、とっとと退散した。 来月某作家の全集発刊記念のオマージュ展に出品する予定だが、弱ったことに若くして事故死した作家は、肖像写真の類が極端に少ない。よってイメージ写真の出品になるかもしれない。この作家の作品は独特の味わいのあるものだが、舞台が外国だったり、極普通の日常だったり、どこをどう画にするか、なかなか難しい。今のところ短編しか読んでいないので、長編も読んでみたい。そうこうして田村写真の田村さんから、ゼラチン紙の試作が一枚できたと連絡もらったので麻布十番へ。一見私の制作した物よりゼラチン層が薄く見えるが、ゼラチンの量は充分のようで、水に浸していると水を吸いかなり厚くなる。写真用のゼラチンは普通のゼラチンより固まりやすいとはいえ、さすがにこの気温では乾燥に時間がかかったという。おりを見てプリントしてみることにする。 田村写真にも放射能計測機があった。昔は怪獣映画でしか見なかったものだが。カメラのレンズには、その成分から一部放射能を発するものがある。アメリカなどは大昔に製造中止になったが、日本はこんなことも遅れていて、ペンタックスの明るいレンズには後年まで使用されていたようである。これが最強というレンズの後ろ玉に計測器をあてがうと、ピーヒャララとやかましく、たちまち“DANGER”の表示。いやはや。

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小学校の低学年の時の話。漫画『鉄人28号』にでてくる警察所長を紙にエンピツで描こうと思った。いつも読んでるので彼のことは良く知っている。ところが描けない。頭の中に所長が在るはずなのに描けない。頭の中に在るのと、描けるほど在るのとは別なんだ、と子供の私はけっこうビックリした。 一人で色々考えているとき、一人なので、頭に浮かんでいることは誰も知らないわけだが、頭の中に確かに在る“コレ”は、一体どこへ行ってしまうんだろう、と思っていた。 私が何かを作るということは、やっぱり在ったな、と確認する行為なのであろう。目の前に現れ触れるからホントに在るのかどうかというのは、限がないないので、在るということにしておくとして。 私の作ってしまった作品に対する冷たさは、一番の目的である、確認を済ませてしまったからに違いない。震災以来、未だに助け起こされず倒れたままの奴がいる。倒れたお前が悪いといわんばかりである。
『三島由紀夫の来た夏』横山郁代著(扶桑社)を一気に読んだ。毎年夏に訪れた下田での三島の素顔がなんともいえない。下田の菓子店の娘である筆者の目を通した三島は、作家や評論家の書いた物とはまるでちがう。一気に駆け抜けていった三島に、こんな安らいだ時があったことが妙に嬉しい。

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オイルプリントは用紙にゼラチンを塗布したものを使用する。大正時代は市販のゼラチン紙が販売されていたが、現在は自分で制作しなければならない。塗布したゼラチン層が薄いと諧調の幅も薄く、朦朧とした粒子の粗い画は出るが、私が目標とした野島康三の濃厚な画面は得られない。しかし薬品問屋で入手したゼラチンは、室温が高いといつまでも固まらず、厚みのあるゼラチン紙を作るために寒い季節に作りだめをした。これはなかなか厄介な作業で、京都造形大と西武百貨店でおこなったワークショップでも、冬に室内の暖房を切っておこなった。 当時のオイルプリント紙はそれほどゼラチン層は厚くない。そのため、それを転写ししてプリントとする、『オイルプリントトランスファー』に移行していったものと思われる。暗部、中間部、明部と転写して、諧調の不足を補う。しかし、かつて一打一打祈るようにプリントしたことから(絵の具をブラシで叩くようにしてプリントする) 集中力を持って一回で完成させる方法にもこだわってみたい。 田村写真の田村さんによると写真用ゼラチンを使用することにより、室温に関係なくゼラチンを塗布することが出来るということで、さっそくゼラチン紙の試作をお願いした。いずれは号数によりゼラチン層の厚みを選べるようになれば、オイルにとどまらず、様々な古典技法に使用が可能であろう。 写真の一大欠点は製品に依存せざるを得ないところであろう。ああだこうだいっても製造中止になれば終わりである。その点オイルプリントなどのある種の古典技法は、会社員が会議で決めることにあまり左右されない。

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『コクリコ坂から』のCMはの少女のセリフは正確には「返事してるみたい」のようである。 
今年になり某書店で個展を、という話があるのだが、三島のことで頭が一杯で何をしてよいか浮かばず、そう答えていたのだが、本日も打診を受け、相変わらずの答えをしたのだが、せっかくの事でもあるし、と考えていて、ふと『ピクトリアリズム展2』はどうか、と思いついた。 すでに廃れて久しい『オイル“ピグメント”プリント』つまり油性顔料を使う写真の古典技法を主に大正時代の文献を元に、試作を開始したのが91年。一日だけの個展であったが初披露が99年。『ピクトリアリズム展』が00年。ジャズ・ブルースシリーズによる個展が01年。芥川龍之介の写真をスキャンしオイル化した作品が書籍の表紙にも使われた。ジャン・コクトー、ニジンスキー、ディアギレフによる個展が02年。京都造形大でのワークショップ及び展示が03年。そして04年の中井英夫のオマージュ展が最後の出品であったろう。再現に成功し、ある程度自分の物にしたと感じた時点で満足したところがあり、それきりになってしまったが、私としては人物像を制作し、撮影、オイルプリント化、というのはいずれの時代にも、そのような表現をしてきた人物はおらず、荒野にただ1人になれる状態。つまり私の望む“こんな馬鹿々しいことをやっているのは今時地球上に私一人であろう”という状態になれる、という気持ちは常に持っていた。当時、国内に話し相手がおらず、ネットを始めたことで海外の作家が集まるサイトにも一時出入りしたが、懐かしの故郷的な、懐古表現ばかりで嫌になって止めてしまった。 そんなわけでいずれ機会があれば、と考えていた。昨今の写真技術のデジタル化のためであろう、古典技法は世界的にも動きがあるようで、国内でも試みる人が増えてきたようである。今年も写真美術館で『芸術写真の精華 日本のピクトリアリズム 珠玉の名品展』があったばかりである。もっとも今日思いついたことなので、色々クリアーしないとならないこともあり、決定というわけにはいかないのであるが。なにしろ初江ちゃんが履く藁草履が届いて喜んだばかりである。

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TVでスタジオジブリの最新作『コクリコ坂から』のCMを見た。国際信号旗を掲げる少女と、やはり旗を掲げた船に乗る少年。一瞬のことで定かではないが少女の「船の挨拶みたいだね」。というセリフがあったかもしれない。 私は先日房総へ出かける前に、この国際信号旗について調べた、と書いた。これは旗の組み合わせにより様々な意味の信号になるというものであるが、何故調べたかというと三島由紀夫に『船の挨拶』という戯曲があり、それを作品化しようと考えたためである。三島が『潮騒』の取材で三重県の神島へ行ったことがきっかけで作られた作品で、凡そこんな話である。 ある灯台の海上保安庁職員。毎日通り過ぎる船をチェックしている。船はそれぞれ信号旗を掲げ、彼はやはり船に向け灯台の庭に信号旗を掲げている。彼はその船からの信号旗による挨拶に倦み果てていた。ある日怪しげな密航船が現れ、銃撃を受けるが、待ち望んだ“熱い火みたいな挨拶”を受けたと感謝して死ぬ。という話である。作中主人公が掲げていたのがW・A・Yの3種の旗で『貴艦ノ愉快ナル航海ヲ祈ル』という意味になる。ちょうどそんなことを考えている時だったので、いきなり少女が信号旗を掲げるシ一ンを見て驚いた、というわけなのである。『コクリコ坂から』はひょっとしたら『船の挨拶』から着想を得ているのかもしれない。 ジブリ作品は背景が益々凄いが、残念ながら人物の造形が趣味に合わないのでちゃんと見た覚えがない。

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一日  


先日房総に行ったおり、鮮やかな田んぼの緑が鮮やかであった。房総の米は水が良いためか美味しい。その田んぼの緑をファインダ一杯に撮影した画像をデスクトップの背景に使っている。パソコンを始めて以来、デスクトップでは常に女性が微笑んでいたり、自然な姿や尋常でない姿でいることが多かったが、これは目にも良さそうであり、しばらくこれでいくことにする。
クーラーを買ったはいいが、取り付け業者に待たされ、寝不足気味のKさんと遅い昼飯から居酒屋で飲んだ。最近飲みすぎで体調が悪いらしく、声は小さいし、珍しく眉間には哲学者風の皺が寄っている。最近猛省を求められることをしでかし、多少反省しているようである。 知りあいの女性とメールをしていてKさんの話になった。会おうと思えばいつでも会える人だというと、「話きいてるだけの方が面白そう」。私というフィルターを通した人物像が、Kさん本人を超えるなら会ってみたいが、たぶん超えないと思う、という。私は決して嘘を書いてはいないが、より可愛らしくみえるよう工夫はしている、と答えた。工夫といっても実は大半を占める、洒落にならないエピソードを書かないというだけのことだが。 先日房総でKさんと会ったSも印象は違ったかもしれない。港のテトラポッドの奥に人骨がある、と一人怯えていたKさん。翌日探索しようかと一瞬考えた私とSだが、炎天下だったこともあり止めておいた。これで本当に人骨が出てくるような人だったらたいしたものだが、残念ながらしょせん流木なKさんである。

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