伊集院静氏は野球ボールを持ってもらうつもりで、ボールとそれを握っている手を作っているが、利き手がどちらか確かめもしないで左手に持たせてしまった。いつもはそういうことを気にするのだが。 写真資料は裏焼きしたまま書籍、雑誌に掲載されていることが多い。何版も重ねても修正されないままであることも、たまにあることである。そのために服のボタンや、時には髪の分け目でさえ注意するのだが、つい注意をおこたった。画像を検索してみたら、右手でペンを持っているカットがあった。私としたことが。 ボールを持ってもらうのを止めれば済むことである。しかし私の作品は、できるだけ何もしないでただ立たせるため、ポケットに片手、両手突っ込み立っている像が多い。ボールを持っているなど、正岡子規でも作らない限り作る機会はないだろう。それにピッチャーズマウンドに立っている訳ではなく、私服で立っているだけだから、左手にボールを持っていてもおかしくはない。せっかくだから持ってもらうことにした。しかしだったら鷲づかみで良かったのに、いかにも直球を投げるような握りにしてしまったのが少々気になるが、まあ、たまたまそういうこともあるだろう、ということで。
深川の人形作家 石塚公昭の世界展
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『タウン誌深川』“常連席にて日が暮れる”第4回