最近は何か作るたび、目の前に二叉路、三叉路と選択すべき道が現れる。選ぶ道によって結末が違って来るであろうことをつい考えてしまうが、ここに至れば、どの道を行こうと不正解ではないだろう。仕上げを進めながら大燈国師を眺めていると、こんな状態の私を作っといて、何をぶつぶついっておる。といわれそうである。 このまま行くと、何をどうした人物ではなく、人間の種々相を描くモチーフとして羅漢像をぽつりぽつりと作っている様子が浮かぶ。 二十代の初めに、小学校の図工の先生に、今こんな粘土がある、と教えられ、一個140円で、ベランダにぶら下がっている物干しを溶接しながら、架空の黒人ブルースマンを、資料など何も参考にせず、特に物語など考えず、作り始めた頃に戻るんじゃないか?という気がしている。