『乞食大燈像』を作ってみて、今後について2つの選択肢。A 脱俗超凡の世界を描いていく。B 可視化されたことのない、あるいは私ならではの解釈が可能な場面を描いていく。 どちらに行こうと違いはなさそうではあるのだが。 今のところ禅宗も臨済宗の人物に限られているが、それは臨済宗にはリアルな頂相を残す習慣があり、制作可能な解像度が得られることが大きい。ならばAとBにかかっているが、他宗派の場合どうするのか?A 残された時間が限られているから作る。B 残された時間が限られているから作らない。残された時間が限られている、と思っていた方が良いのでいってるだけである。途中挫折を避けるため長期の予定は立てない方が良い。