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明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



『乞食大燈像』を作ってみて、今後について2つの選択肢。A 脱俗超凡の世界を描いていく。B 可視化されたことのない、あるいは私ならではの解釈が可能な場面を描いていく。 どちらに行こうと違いはなさそうではあるのだが。 今のところ禅宗も臨済宗の人物に限られているが、それは臨済宗にはリアルな頂相を残す習慣があり、制作可能な解像度が得られることが大きい。ならばAとBにかかっているが、他宗派の場合どうするのか?A 残された時間が限られているから作る。B 残された時間が限られているから作らない。残された時間が限られている、と思っていた方が良いのでいってるだけである。途中挫折を避けるため長期の予定は立てない方が良い。



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一日  


最近は何か作るたび、目の前に二叉路、三叉路と選択すべき道が現れる。選ぶ道によって結末が違って来るであろうことをつい考えてしまうが、ここに至れば、どの道を行こうと不正解ではないだろう。仕上げを進めながら大燈国師を眺めていると、こんな状態の私を作っといて、何をぶつぶついっておる。といわれそうである。 このまま行くと、何をどうした人物ではなく、人間の種々相を描くモチーフとして羅漢像をぽつりぽつりと作っている様子が浮かぶ。 二十代の初めに、小学校の図工の先生に、今こんな粘土がある、と教えられ、一個140円で、ベランダにぶら下がっている物干しを溶接しながら、架空の黒人ブルースマンを、資料など何も参考にせず、特に物語など考えず、作り始めた頃に戻るんじゃないか?という気がしている。



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陰影のない手法は、重ね塗りしていた肌が、撮影したら目で見るのと違い、ただの汚れになってしまい、慌てて一色のベタ塗りに塗り直して撮影した。そうなる、ということが判っていれば良いので、何故そうなのかは面倒なので考えない。 また作品が粘土感丸出しなので、プリントを拡大するとアラも拡大されるか、というと拡大するほどリアル感が増し、制作意図がより鮮明になる。展示会場では、そこまで育てたつもりはないのに、と思う。実をいうと半分ぐらいしか理由が判っていない。そうなる、ということが判っていれば、とりあえずは良い。 二十代までの私は考えてばかりいた。それは想いを可視化する手段を持っていなかったからで、手に入れたならば、“考えるな感じろ“などは禅に教わるまでもなかった。危惧すべきことがあるとすれば、高校生の時、鉄骨運びをして予見した〝人生夏休みのアルバイトの如し。コツが判った頃夏休みは終わる?“くらいである。



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手に鉢とマクワウリを持ってボロな着物にムシロを背負った太った人物を作ろうとしているが、なぜそれがこれほど嬉しいのかよく判らない。 通常はロクロ台に立った状態で固定して作るが、たまたま膝から下を最後に作ることにして、手に持ったまま作っている。なので寝る時は幼い少女のように枕元に置いている。置いてるのは一見日系悪役レスラーのようだけれど。 これで仕上げを残して膝から上はおおよそ形になった。この人物がいったという。「衣類や食物のために修行するな、理屈ではない。ひたすらに打ち込め。野外でたった一人、ボロ小屋で野菜を煮て過ごしたとしても、自分とは何かを明らかにする者こそが私の弟子である。」修行を創作に置き換えれば、そのまま私のようではある。自分とは何か?毎日ただただ作っている。


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矢沢永吉が自分は頑固で他人のレコードを聴かないといっていた。私は独学我流者のくせに、一度入った物は出て行かないことを恐れ続けて来た。矢沢永吉も勉強不足ということになるかもしれないが、といっているが。人間は実際はこうなってはいないかもしれないが、私がそう思いこむには理由があるあるはずだ、と思っており、幼い頃から写生、デッサン嫌いだったので、実在者を作るようになり、写真を参考にすれば本当のことが入ってしまい、もう後戻りはできないと覚悟した。それでも私の勘は人形は人形から、写真は写真から学んではならないといっていた。この情報過多の時代、自分を守るためには、キョロキョロよそ見をしないことである。私は外出時キョロキョロしている人間がそばにいるだけでイライラしてくる。 おかげで良いのか悪いのかはともかく、臨済宗中興の祖白隠禅師の『乞食大燈像』とはだいぶ趣の異なる大燈国師こと宗峰妙超が目の前にある。



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今でいうホームレス状態の大燈国師を作っていて、つい一遍上人を思い浮かべてしまう。以前建長寺の蘭渓道隆と面識があった説を知り、一瞬その気になったが、実際は会見の事実はなかったそうである。小学生ではないのだから、作りたいから作っちゃった、という訳にはいかない。一昨日、YouTubeで天王寺を観た。どうも行った記憶がある。大阪は2回しか行ったことがなく、そのうち一回は吉本工業の社長を作り、背景はこれで、と届いた写真が使い物にならない。あらためて撮ることになり、早朝編集者と向かった。せっかくなので帰りに何か食べて、と思ったのだが、早く帰って取りかかれ、ということだろう。鶏が小屋に追い込まれるように、気がついたら改札にいて午前中に帰宅。となると残る一回しかない。通天閣に登り、タバコの煙でモウモウたる映画館で坂妻の『無法松の一生』を観た。本日、一遍上人が天王寺からお札を配り始めたと知った。よしこれで作れる、とはさすがにならない。

                      



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時代は惜しくもずれているが、五条橋の下で、物乞いと共に20年という国師を一休は尊敬した。外見だけで使い物にならない、と僧侶を皮肉って中身が木剣である大太刀を引きずって堺の街を歩いた。一休にすれば、大燈国師はその朱鞘の太刀と正反対の存在だったのだろう。外見はみすぼらしくも、中身は厳格で厳しい真剣である。ただ汚いという訳にはいかない。 エピソードとしては花園天皇の命で役人が探そうにも物乞いの集団に紛れて見つからない。そこで国師好物のマクワウリでおびき出す。その表情に対し、手にするマクワウリにギャップが。  



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本当のことはどうでも良い、夜の夢こそまことだ、という一方で妙に律儀なこだわりがあり、我が渡世上のルールが、などといってみたり。創作なんだから気にすることはないではないか、といわれることもある。それもこれも私という人間の性質であり、様々な矛盾など、それ等も含め、私の作品に彩りや特徴を与えているはずである。 かといって私の場合カメラ持って出かけてパチパチやるようなものではなく、1カットのために被写体を作らなければならない。つまり制作時間がかかる。だからこそ、この期に及ぶと、何を作って何を作らないか、が大事ともいえるし、ああだこうだ考えず、当たるを幸い作るべきである。とどっちともいえるのが悩ましいところである。

 



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大燈国師の頂相のメッセージはともかくとして、やはりそのままの表情では、あまりにも意味ありげで応用が難しい。表情を作らず、見る人の解釈に任せるべきである。普段からこんな顔をしている人物である、という程度にしておきたい。あとは撮り方である。 一人作るたび、新たな二叉路三叉路が目の前に現れる。道それぞれに様々な人脈、物語が存在する。どこを選ぶかによってたどり着く先が変わる。 過去のジャズ・ブルース、作家シリーズは客観的な取組が可能だったが、現在のモチーフはとてつもなく昔の人物達であるのに関わらず、制作しながら私自身が問われ続けるような気がするのが大いに違う。

 



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臨済宗のリアルな頂相にこだわっていると、その習慣が失われていたらしい江戸時代の白隠禅師などは手掛けられないことになる。解像度が低い自画像から実像を想像して作ったらどうだろう? 散々「これのどこが◯◯◯なんだ?」といって来た。それは本人の賛が書かれている生前に描かれた頂相や、門弟が描いた肖像が存在しているのに勝手なイメージで創作をしているからである。私がいうのもなんだが、没後に描かれたものは信用できない。 冒頭に書いたような試みはAIに任せるべきかもしれないが、AIが描く日本人はこんな奴をゼロ戦に乗せるな、という昔のハリウッド映画の日本人臭がする。 私が作る立体の白隠に興味がないことはないが、大燈国師を作りながら考えることではない。



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新たなことはせず、より深める方向に行くべき、と20年前から思っている。にもかかわらず、ここ数年でも実在した人物から足を洗うつもりが鎌倉、室町時代の実在者を作り始め、陰影のない手法で行くつもりが、当時は陰影ないのが当たり前だったからと、今年に入り陰影を与え撮り直した。 小学生時代アニメの『巨人の星』を観ていて一人に打たれたからといって各大リーグボールを使い分ければいいのに、と思った。しかし観ていて面白いのは大リーグボールの開発から完成して初披露するところである。 実をいうと長辺150センチ〜2メートルのプリントは、新聞を読むと皺くちゃにしてしまう私は大事をとって、建長寺への搬入時に始めて広げて見たのだが、後楽園球場で新開発の大リーグボールによる初登板の如き気分であった。



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昨日のブログを書いていて改めて思ったが、私の最終的な完成形は写真なので、白隠の禅画調の画風では解像度不足で写真にならない。 写真から陰影を排除することを思いついた時、これなら寒山拾得が描ける、仙人だって好きに手掛けられる、と思った。つまり架空の世界の住人を写真作品にするには陰影があっては辻褄が合わない。簡単にいえばそういうことだろう。 写真を始めた当初から、まことを写す、という意味の写真にあらがい続けて来たが、裏を返せば頭の中のイメージを写真にするにはどうすれば良いのか。そればかりずっと考えて来たことになる。廃れていた古典技技法オイルプリントも、これなら可能ではないか?と考えたのだろう。 そこで白隠などの解像度不足のデータしかない実在者を写真作品ににするにはどうすれば良いか?かつてそんなことは止めろ、と友情を持って止めてくれた連中はどこに消えてしまったのだろう? 



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肖像表現の究極、と思うに至った禅宗の肖像画、頂相だが、臨済宗中興の祖、江戸時代の白隠になるとリアルな描写の頂相は残っていないから、そういう習慣は廃れてしまったのだろう。だとすると、実像にこだわると白隠などは手掛けられないことになる。立体像も残ってはいるが、いかにも仏師が仏像を作る調子で作ったような型式的なもので、これでは写真作品には使えない。葛飾北斎なら自画像から制作できたが、自画像も達磨像も大燈像も区別がつかないような白隠の作風では、同じようにはできない。しかし、もし白隠の自画像から私なりに、写真作品に耐える白隠像が制作可能ならば、とフト思った。だがしかし私の場合、何を作らないか、これも何を作るか、と等しく重要な問題なのである。



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制作する人物が臨済宗に限っているのは数百年前の高僧の詳細な肖像が残っているからで、実在した人物である限り、好き勝手に制作することには抵抗がある。かといってそこに踏みとどまるべきか、ということにもなって来るだろう。先日私の一休和尚の骸骨にまとわりついていた鴉が肩に止まり、それに反応する和尚の数秒のAI動画を見て以来、建長寺の目と鼻まで訪れたものの蘭渓道隆との接触はなかった、と以前制作を断念した一遍上人を踊らせることが出来そうで、やるとしたら私だろう。踊る一遍上人を前に、フランケンシュタイン博士のセリフ「It's Alive!」をいってみるのも悪くない気もする。

 



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97年、最初の作家シリーズの個展に、日本に一台立体をスキャンする機械があり、それで私の作品を映像で動かしたい、という人が来た。当時はワープロすら触ったことがなく興味が持てなかったが、昨今のAIとなると話が違ってくる。私が作った700年前の高僧に説法してもらうことも松尾芭蕉に一句詠んでもらうことも可能だろう。子供の頃観た名場面、雷鳴轟く中It's alive!」と叫ぶフランケンシュタイン博士の気分を味わう日も近いだろう。 年齢と共に一度見た過去には興味がなくなり、見たことのないものしか興味がなくなってきた。引越しの時に、生まれた日から記録された私のアルバムを忘れてきたことも遠因となっている気がする。コレクションを一度処分すると、処分したことを後悔するのが嫌で二度と手を出さない。あの心境に近い。



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