明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



『潮騒』の初江役は熟孝の末、このブログにもよく顔を出す人物の長女Aちゃんに決まる。父親はイニシャルで通しているが、それでもイメージが悪くなってもいけないので黙っておく。実際血がつながっているというのを信じたくないような娘である。といっても、ここのところ出ずっぱりのS運輸を定年のKさんでないことだけはいっておかなければならない。 始めに母親から打診してもらうと、やっても良い、という返事であった。しかし海女の格好をし、濡れて多少透けることを覚悟してもらわないとならない。さらに問題は父親である。彼は長女を我が恋人と公言してはばからないような男である。結婚は絶対させないといっているし、酒を飲んだおり、その辺を突いて彼を涙ぐませては面白がっている私である。そこで母親だけで話しを進ませても、と“○家の親御様へ”と冗談めかしながらも制作意図と潮騒のあらすじをメールした。すると父親はまったく問題ないという。記念にもなるし、とすこぶる物分りが良い。といいつつ図書館から『潮騒』を即借りてきていた。一応内容をチェックということであろう。先日飲んだ折には、娘にちゃんと納得させるからと気前の良いことをいって、その場で携帯を取り出し、「ヌードもありだから」。などと余計なことまでいう。「いやなにもそこまで」。『あっ、協力してるように見せかけて邪魔してやがるな!』  そうこうして、直接Aちゃんからメールをもらった。焚き火を越えて来い、で有名な嵐の晩をどこまで描けるか、など細かな部分はさておいて、とにかくやってくれることになった。父親の手前、撮影の時には海女姿のAちゃんが乾かぬよう水をかける役で、母親に立ち会ってもらうつもりでいる。撮影後に飲むたび絡まれるようになっても困る。

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14:07 from web
プランタン銀座人形展 本館6階アートギャラリー
会期: 6月7日[火]-6月13日[月] 7日間 ※最終日18:30閉場
出品 小津安二郎 マルコムX ジャン・コクトー
写真 小津安二郎 宮沢賢治 太宰 治 九代目市川團十郎 古今亭志ん生
15:44 from web
あらためてこう見ると滅茶苦茶なラインナップ。
by k_ishizuka on Twitter

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出品作は、小津安二郎、マルコムX、ジャン・コクトーという、縁もゆかりもない妙なラインナップである。マルコムXは大きめで半身だけ。コクトーも撮影用に作ったため半身だけである。これはたまたまだが、2人とも右手の人差し指を突き出すお得意のポーズである。 コクトーの後ろの薔薇の精。パリオペラ座のバンジャマン・ペッシュは、当時はおそらく相撲でいえば前頭クラスだったはずだが、今ではエトワールである。横を当時のエトワール、マニュエル・ルグリが笑いながら、コクトーを捧げ持った私の肘をかすって通った。ファインダー内ではこう見えているが、はたから見ればおかしな撮影である。リハーサルを近くで見ていて(バレエ初体験) 合間に見せる「あらヤダ、オホホ」的しぐさにモリモリした筋肉の青年が、おかしな衣装で、ゼイゼイいいながら飛び回るのを見て、オリジナルのニジンスキーに興味を持った。翌年大胆にも、以後バレエを一つも観ずにニジンスキーで個展をやってしまった。 マルコムXは震災時、棚の上で宮武外骨と“人”という形に支え合い難を逃れた。我が家の棚では普通のことであるが、手術台の上のミシンとこうもり傘なみの出会いである。マルコムXを出品するとメールを送ったらライターのMさんから返事。『いま、時期だと思いますよ。そういえば6月11日には大規模な原発デモがあるそうです。(なにが、そういえばなのかわかりませんが)』。

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太宰  


太宰 治は本来、酒煙草で無頼的に描きたいところであったが使えない。そこで女性を登場させることにした。予算はまったく無い。そこでアダージョの関係者の人脈からということになったが、なにしろ太宰の横に立たせて、発行部数15万部の表紙に使おうというのだから、誰でも良いという訳にはいかない。自薦他薦と集まったがピンとくる人材が現れない。第一シロウトの場合、会ってみてイメージではない、と断わるのも気が引ける。結局私の知人の中から選ぶことにした。肝心なのは着物を調達でき、さらに自分で着られる、もしくは着せてもらえる人でないとならない。そこでKさんにお願いすることにした。着物は確かお母さんの持ち物であった。丁度発行直後に結婚するということで、良い記念になったのではないだろうか。今回写真を展示するのでメールで知らせたところ、只今四国をお遍路中で35日目。台風のため今治あたりで足止め中とのことであった。帰りは中旬で、残念ながら会期には間に合わないらしい。

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6月7日からのプランタン銀座の人形展だが、未だにDM届かず。パソコンが壊れて制作が遅れているとかなんだか良く判らない。 人形は新作の小津安二郎以外は、何を出品するか決めていないが、プリントは『中央公論Adagio』で制作した中から5作品を選んだ。『小津安二郎』『太宰治』『宮沢賢治』『古今亭志ん生』『九代目市川團十郎』。プリントとしては初披露である。いずれも入稿ギリギリまで粘った作品ばかりだが、そのせいもあり、今だったらここはこうしたい、というのが出てくる。『小津安二郎』は空が無表情で少々愛想がないので表情のある空に変更。『宮沢賢治』は十字架を覆う光の輪が中心からずれていたので修正。『太宰 治』は発行時期は秋だったが、二ヶ月ごとの制作で、背景を先に撮影する都合上、どうしても季節にずれが出る。撮影したのは実は紅葉などしていない、あまりにも青々とした時期であった。今回はオリジナル版を選んだ。『古今亭志ん生』といえば、コップにお銚子と決まっているが、入稿後に飲酒表現はNGという交通局からのお達しで湯呑みに変えた、という曰くつきの作品。当然、こちらもオリジナル版を出品する。ちなみに背景はK本である。

プリントを銀座のラボに頼んで帰りにK越屋へ。K本からの流れかFさん他テーブルに3人。先日定年を迎えたFさん、Kさん同様、60歳すぎてサラリーマン生活から野に放たれ、いつでも好きなだけ飲める状況に慣れていない。親仁を怒らせ出入り禁止。2人帰ったのに場の空気を読めない男が一人残る。親仁が一緒に帰るもんだ、といっているのに気付かず、もったいないからと残った酒をグズグズ飲み、K越屋の親父さらにヒートアップ。こういうのを盆が読めない盆暗(ボンクラ)という。おかげでそのトバッチリで私が親仁の相手をさせられ遅くまで。

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一日  


伊集院静さんの『作家の遊び方』をさっそく読んだ近所の飲み屋のYちゃんからメールをもらった。飲む打つの男っぷりに魅かれる、と。確かに同じ飲んべえでも、この近所をフラフラヨロヨロしているのとは大分趣がちがう。彼女は駄目男に魅かれるタイプで、“私がいなければこの人は”という、私にいわせれば典型的な駄目男製造器である。それをいうと、そういえば、ウチの旦那も含めみんなだんだん駄目になっていく、と笑っていた。本人も、下手すると周囲もただ献身的な女と思い込んでいるところがタチが悪い。近所でフラフラといえば、 先日怪我をしたKさんから飲みに行こうと電話があったけどロレツが回ってないので断わった、といっていた。男にとっての酒は母乳の代わりともいうが、Kさんの場合の飲み屋通いは、あきらかに母乳求めての保育園通いである。隣の女性の胸元に懸命に手を突っ込もうとしているところなど、どうみても保育園児である。身体のことを考えて、いっそ幼児プレイの店を勧めてみるつもりでいる。 一体目の小津安二郎は江東区の財団に購入され、古石場文化センターの小津コーナーに展示しているが、地震でガラスケースによっかかった状態になってしまい、外してあると連絡があったので夜行ってみると、台に立てた金属棒を釘の頭をカットした物で代用していたのを思いだした。それが抜けそうになっただけだったので棒を換えることに。そこへ1週間は飲みに行けない、といいながら二日後にはロレツが回っていなかったこと、私にばれていること知らないKさんから久しぶりに飲みに行きます、とメールが着た。行ってみるとほとんど傷が治っていた。たいした回復力である。留守電に入っていた怪我した直後の泣きそうな声を、しょうがない爺だ、と腹立てて捨ててしまったが、取っておいて事あるごとに聞かせてやるべきであった。

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小津安二郎は昨日書いている時点で大分、ソフトに三つ揃いに傾いていたのだが、今回のポーズはローアングルの演出をしているという設定で、かなり前傾している。片腕こそ前に突き出しているが、丁度馬飛びの馬の姿勢である。となるとなんとも三つ揃いでは窮屈。結局トレードマークの白い帽子にセーターかカーディガンということに。
友人が近所に用事があるというので門前仲町の喫茶店で会う。彼は私が作った乱歩を何かで見たというのだが、話を聞いてみると、それは実写の乱歩本人であった。私の母も乱歩に関しては初めから私の作った物か本人の写真か区別がつかない。 考えてみると御本人の写真を見て、これは人形だ、などというのは、私のことを知っている人間に限られているわけで、他所で恥をかかなければ良いとは思うが、私としては、それほどと思ってくれている訳だから、悪い気などしない。一方その逆というのもある。 以前、幼馴染の家に遊びにいったとき、私の作った物を真似している奴がいる、と連れて行かれたのが近所のファンシーグッズの店で、そこで私の作った物とカケラも似ていない黒人のミュージシャンを見せられた。これと私の作った物の区別が付かないとは情けない話であったが、それは付き合いが古いほどそうで、考えてみればその彼など知り合ったのが幼稚園であり、ただ竹馬の友というわけで、創作を始めてから知り合った友人とはどうしても違う。と書いてもどうせ見てないから良いだろう。

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小津安二郎の服装に一日迷う。1白いシャツを腕まくり。白いお馴染み汗取り帽。2シャツにチョッキ、ベレー帽かソフト。3グレーのカーディガンにマフラー。4三つ揃いにソフト帽。この4パターンに迷う。それぞれ小津の代表的な演出時の服装である。色はグレーのバリエーションであれば間違いない、とアダージョの表紙制作中に関係者に確認済である。カラー写真を眼にすることが少ないし、こだわりの人だから、と念のために当時の松竹のプロデューサーで現鎌倉文学館館長の山内静夫さんと、弟の信三氏夫人の小津ハマさんに伺った。知らなければ茶色あたりを使ったに違いなく、あぶなく痛恨の1カットになるところであった。しかしあの時、小津にヤカンを持たせるなど誰も思いつくまい、と一言もいってないのに山内さんが「ヤカンは絶対赤」といったのが不思議である。さすがに小津のヤカンの赤は有名であったが。
山口百恵主演の『潮騒』(75')を観る。当時百恵ちゃんはピンと来なかったのだが。原作通り三重県の神島で撮影されており、焚き火のシーンで有名な監的硝も出てくる。初江は漁師の娘なのだが、魚を刺身にするシーンで小指を立て、ノコギリのようにギコギコと切っていた。こういうことで笑われたくないので、私はつい小津のカーディガンの色を訊きにいってしまうのである。

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Kさんの怪我の状態は、幸い恥ずかしくて外を歩けない、という程度のようである。私といった浜松の自衛隊広報館で買ったパイロットキャップを目深にかぶってコソコソと薬局へいったりしているようである。 K本でも酔っ払ってころんだり階段から落ちたという、オジサンというよりお爺さんに近い人をたまに見るが、決まって顔が悲惨な状態になっている。家に帰っても肩身の狭いことであろう。一度冗談で躾のなってない若者をたしなめたら逆にやられたことにしたら?といってみたが、そういう腫れに見えないし、お父さんが大和田伸也のような正義の使徒でないことは家族中がご存知であろう。 K本のチューハイやホッピーは氷を入れずに亀甲宮の正調であり、そこらの物とちがってアルコール度も高い。KさんがめったにK本に顔を出さないのは、おかげで頭を打って2度ほど救急車に乗ったからであり、ハシゴ酒のKさんとしては最初のK本で終ってしまうからでもある。 Kさんの寂しがりは生い立ちにも原因があるようだが、酒を飲んでも寂しさは増すだけである。私は幸い鎮痛剤をいくら飲んでも虫歯は治らないものだ、と20代の半ばで知ったので、Kさんのような飲み方は一切しない。それにしても、このままでは身体も心配だが、事故死の可能性だって大いにある。いちおう注意はしてみるものの、一方、立派に堅気の会社を勤め上げた61歳の人にたいして、私のような者がいうことでもないな、とも思うのである。可愛いといっても、私の想像力では頭の薄い小さいおじさんにしか見えないし。

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05:58 from web (Re: @senomin
@senomin そうなんですか?それにしても植木等の笑いながら歌うというのは、常人にできるものではありませんね。
by k_ishizuka on Twitter

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昨日は実は先があって、酔っ払って蕎麦屋からパチンコに行ったKさん。2万円すってT屋にいる私に電話がかかってきた。これから蕎麦屋に行こうという。もうほとんど何をいっているか判らない。明るいうちからこれはまずいと迎えにいった。一人寂しそうに憔悴した様子であったが私の顔を観て元気回復。さっきパチンコの前に別の蕎麦屋にいたのを昨日だと思い込んでる。とにかく帰ろう、と店を出て、なじみの店に入ろうとするのを阻止し、アパートがどこにあるか教えてくれないので途中で分かれた。 そして携帯の充電が切れているのに気付いた本日朝、昨晩留守電にKさんより「石塚さんどこにいるの」。とただならぬ様子で入っていた。なかなか携帯がつながらなかったが、何度目かにようやく話すと、あれからどうしたかは覚えていないが、どこかで転んで顔面がヒドイ擦り傷で、しばらく出歩けないという。そういうのをバチが当たったっていうんだよ。それにしても昨日のKさんの「寂しい」は尋常ではなかった。 本日は女性を撮影したのだが、当ブログを見ているという彼女にKさんの話をした。先日、飲み屋の女の子と三人で遅くまで飲んで交差点で判れた。20メートルも行かないうちKさんから携帯に電話。「寂しいから帰りたくない」。暗闇からヨロヨロ引き返してくるKさん。すると彼女が「Kさんて、女の子だったら相当可愛いんじゃない?」「・・・。」人形作家の私の想像力をもって、61歳の小さくて頭の薄いオジサンを可愛い娘へ変換を試みたが、それにはまったく私は実力不足であった。

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昼頃T屋のHさんからKさんと洲崎の蕎麦屋で飲んでるけど来ない?と電話。Kさんは昨日からベロベロだという。そんなこと聞いて行くわけがない。制作中だし。どうもこの連中は、私が四六時中作っているのが理解できないようで、決まってたまには気分転換で、などという。転換などしたくないのである。午後になり、T屋に戻ったHさんから再び電話。Kさんはベロベロのままパチンコにいったといい、今度は先日定年を迎えたFさんが来ているという。私が好きでやっていることも理解されていない。渡す物もあるし、と一段落付け『作家の遊び方』の献呈本を1冊持っていく。「あっ、これ一昨日本屋で見て、立ち読みしたばかり。買わなくて良かったー」。あんたもそういうことをいうか。まだ出てないっていうんだよ。良く見ろ。Hさんが見たのは伊集院さんが人形じゃなくてホンモノだったろ」。いや違う。これだという。どうせシラフでなかったに決まっている。近所の川で川鵜が腹が黄色い天然の大ウナギを丸呑みしたのを見た、といいはるHさんである。まだ店頭に並んでいない本ぐらい見るだろう。大ウナギの時だって明け方の酔っ払った飲み屋帰りである。私は幽霊の目撃談も寝床で見た話は信用しないのである。 隅田川の支流で大ネズミを見た、というときは「ホントだって。ウチのかみさんも一緒に見たんだから」。あそう。あのカッパを見たっていってる奥様ね。

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義太夫三味線の鶴澤寛也師匠から、伊集院 静さんの著書に、人形を作って撮影した私のクレジットがないと思ったら。とメールをいただいた。そうです。それは別な出版社の、御本人の写真です。随分前にどこかで広告を見かけたと聞いてたので、そんなこともあるのかな、と思っていたら、やはり違っていたわけである。店頭に並ぶのは26日あたりらしいし。 以前アダージョで、デジタル修正せずに、できるだけリアルに造形してみようと古今亭志ん生で試みたことがある。あれが一番良かったと未だにいってくれる人もいて、結果には満足しているが、老人が背負うには大きすぎる火焔太鼓を作ったにも係わらず、志ん生本人だと思った人も多く、ところでお前はこの表紙の中の何をしたんだ、という顔をされたことが2回や3回ではない。となると、私が全部作ったといいたがりの私としては複雑である。よってその試みは1回でやめ、自分にとって重要なリアル感がでれば、あとは粘土の質感は残したままである。とくにこれまでと違って存命の人物の場合、何も私に依頼せず、本人を撮影すれば良い、ということにもなりかねない。 しかし世の中をボンヤリとしか見ない人や、オッチョコチョイな人はどこにもいるので、それはもうしかたがない。もちろん寛也師匠はそのどちらでもないから、たまたま間違っちゃったのだろう。

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ある場所を海女小屋に見立てられないかと考えている。このブログにも度々登場する場所である。ゆえに多少無茶をしなければならない。いや多少とはいえないだろう。大改造が必用である。 実際海女小屋は現在残っていたとしても観光用であろうし、実用本位の小屋があったとしても、イメージに合うことはまずないだろう。そこでまず小道具として昔の吊り下げ式ランプを入手した。他にも房総の漁村にでもいって、何かそれらしい雑物を配したいものである。 そういえば近所の工務店のSさんは骨董趣味がある爺さんで、骨董市へ出かけては何かを買ってきていたのを思いだした。しかもどちらかというと民具の類の物を、懐かしい気がするといって集めていた。油断するとウチの婆さんに捨てられちゃうんだ、とこぼしていた。以前ペンキ臭い店先に顔を出した時、竹製の何かを見せられたが、どう?といわれてもコメントに困ったのを覚えている。そもそも本人が何に使う物か判っていなかった。「これなんかいいと思うんだよな」。見せられたのは海に浮かぶ船を描いた油絵で、どう贔屓目にみても、シロウトの下手糞な油絵だったが、一目惚れしたといって書かれたサインを指差し、「もしかしたら有名な絵描きかもしれないと思ってさ、誰だか判んない?」そのわりにペンキ缶が積んである棚の奥に、無造作に挟まっていた。奥さんに捨てらないために隠してあるらしい。可愛気があって好きなお年寄りであったが、常々深酒が過ぎ、尻餅ついて腰を骨折し以来杖をついており、それと同時に次第に愚痴が多くなり、近所の居酒屋でも疎まれていたようである。そういえば最近顔見ないな、と思って近所で聞いたら、病院で寝たきりになってしまったそうである。

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一日  


双葉社より表紙写真を担当した伊集院 静さんの『作家の遊び方』が届く。初版1万部、発売前に重版がかかり、累計15000部でのスタートだそうである。発売日にさらに重版という計画もあるとかないとか。『中央公論Adagio』で、ただ人物がボサッと立っているだけでは表紙として形にならない、と苦肉の策で始めた、背景を先に撮影し、それに合わせて人物を造形する方法が、ここでは上手くいったようである。  制作中の小津安二郎だが、地べたに座り込んでローアングルで演出する小津というのは、始めに手がけた時から作ってみたかったのだが、その前に、片手を膝について身を屈めて演出している小津が作りたくなった。急遽予定変更する。
母が用事で近くまで来るというので食事をすることにした。T屋にも行ってみたいという。主人のHさんも電話で母と話したことがあり、母に一度会いたいといわれていたが、2人で妙な盛り上がり方をするのは目に見えているので止める。またそんなときに限って、ロレツの回らないKさんまで現れるに決まっているのだ。 母と食事した中華の店はウェイトレスが4、5人のチャイナドレスの中国女性である。そこへKさんよりメール『一人寂しく飲んでます』。どうやら常連が顔を出さないらしい。61歳のおじさんの寂しがりにも連日困ったものである。そこで『今、チャイナドレスの娘の店で飲んでます』とメールを返す。何もウソはいっていない。間髪をいれず『えー何処で』と返事。今晩これから何通メールが来るだろうか。一切返事しないことにする。私は常に聞き役である。いつも聞かされている内容を考えれば、このぐらい楽しませてくれてもバチは当たらないであろう。苦しむが良い。

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