明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

落語  


朝ドラ『ちりとてちん』は関東では歴代最低の視聴率だったそうである。早起きに変身して、小学生以来、ほとんど毎日観た私には面白かったのだが。ただ、主人公が、出産を機に引退という結末は、今どきがっかりであった。よく集めたというキャスティングが見事だったが、あの渡瀬恒彦にして、落語に関しては、流暢に喋ろうとするあまりか、講談にしか聞こえなかったから、つくづく難しいものである。 落語が人気だが、私も大好きだった金原亭馬生が懐かしくなり、DVDを探している。CDでも良いが、出てきて座布団に座るまでがまず観たいし、昔、1年間禁酒したとき、ドラマや映画で、どんな飲酒のシーンが出てきてもなんとも思わなかったが、唯一、耐えられずに観ないようにしていた、馬生のだんだん酔っていく様は映像で観たい。目の前に酒を用意しておいて、呑みながら見たらどんな心持のものか試してみたいのである。上方の松鶴も見事であったが、置いていかれそうで、一緒に呑もうという気にはなれない。

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30年も前、未来の陶芸家を目指し、岐阜県の瑞浪市に住んでいた頃、毎日のように通ったラーメン屋があった。田んぼの中を1・5キロ歩くのだが、何しろ回りに何もないのでしかたがない。ドテ煮という赤味噌を使った煮込みが美味しい店で、手を拭くにはこれが一番と、新聞紙とともに出される豚足には毛が残っていた。若者など周りにいないし、話す相手は陶器工場のオジサンなどであった。私は学生時代の飲み方のまま、酔っ払って田んぼに落ち、オジサン等に助けられたりしたが、すぐ村中に知られてしまうので、酔っぱらう人は、ほとんどいなかったように思う。そういえば、一升瓶の焼酎をボトルキープしていたのは私だけであった。あのころは毎日が懸命だった分、自覚はしていなかったが、私はきっと寂しかったのであろう。以前、雑記に書いている『四メートルくらいのカウンターがある小屋であった。御主人は元々ラーメンの屋台を引いていたが、その場所に落ち着く事に決め、材木をつぎ足しつぎ足しして、鉄骨にビニール張りの小屋にしてしまった。床を張り、しまいには大きなゲーム機まで設置していたが、そこまでして何故かタイヤはついたままというのが可笑しい。新メニューの平仮名が一文字逆に書いてあり、云ってあげようか迷ったあげく云えなかった私だが、御主人に酒器に春画の絵付けをする、内緒の仕事を持ちかけられた事がある。その時は岐阜を去る事が決まっていたので断ったが、是非私のキャリアに加えたかったと未だに残念なのである。』インターネットとは便利なもので、思い出して検索してみたら、今では店舗を構えているらしく、煮込みが美味しいと書かれている。こんな懐かしいことはない。機会があれば行ってみたいが、未だに店内にタイヤが付いていたらと想像して可笑しくなった。

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中央公論アダージョ4月号用の作品完成。手塚治虫、宮沢賢治と、少々無茶な設定が続いたので、今回はリアリズムをテーマとした。活き人形ではないが、人形自体にデジタル処理を加えず、どれだけリアルに作れるか試してみたのである。もっとも、これなら本人の写真を使えばいいじゃないか、となっては意味がないわけで、十分妙なことはしてもらった。フランケンシュタイン博士は怪物を作り出し、「イッツ・アライブ!」と狂喜したわけだが、狂喜こそしないが、作った私にも人間にしか見えない。

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K本  


昨日は、久しぶりに煮込み屋K本店内で撮影。荷風の撮影やCDジャケット、拙著の猫写真など撮影させていただいているが、店ごと煮込んだような風情は作ろうとして作れるものではない。あまりに気に入ってしまい、寸法を測って、どこか地方でK本に似せた店を作った人までいるという。階下のフリーの映像プロデューサーYさんが手伝ってくれるというので、閉店8時の30分前に出かける。息を止めたままでも行ける近所なので準備は楽である。Yさんはすでに赤い顔をしているし、時間があるので1杯だけいただく。 こんなことは初めてなのだが、人形をどちらから撮るかが決まらず、店内の2方向から撮ることに。Yさんの仕事仲間のIさんにもライトを持ってもらう。女将さんのMさんもお疲れのことと、とっとと済まそうと進めていたが.、随分シャッターを切っている気がして、ふとカメラを見ると・・・。「ここで一回土下座してもいいでしょうか?」ということで最初から。そんなこともあったが、無事終了し、本日お礼かたがた早めに行くと、知らない顔で一杯。何を見てくるのか知らないが、最近土曜はいつもこの調子である。常連席をジッと観察されるのも迷惑だが、携帯で撮影し、ネットに載せている連中までいる。あまりに躾のなってない客は女将さんに追い出されることになるが、それもまた常連の密かな楽しみなのである。


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浅草  


撮影用の小物を調達するため、雨の中浅草を行く。昔と違い、風情に物足りなさを感じるようになってしまった浅草も、小雨交じりの侘しさが加わると、まだそれなりの味はある。商店街を歩いていると、若い女性が、片手を高く上げ、真剣な表情でこちらに念を送っている。女性の周りには人が集まってしまっている。暖かくなると、この辺りには変調をきたしたオジサンをよく見かけるが。と思ったら、何かの撮影で、通行人を止めているスタッフであった。通りすがりに眺めると田中邦衛。良いものを観た。 江戸川乱歩や永井荷風の撮影では、よく歩いた浅草だが、ところどころなじみのない店ができていた。それがなんだか、お江戸調の、日光江戸村のようなおかしな店ばかりで、勘違いもはなはだしい。客観性を失い、止める人もいないだろう。しかし東京に生まれ育つと、残念などという感情はまるで起きない。私にとっては、煮込みの大鍋が湯気を立てている、あの一角さえあれば結構である。と例によって少々飲みすぎ。方向音痴のおかげで、かならず最後に寄る、先客がいたためしがなく、途中で客が来ることもないバーに行き着くことができなかったのは幸いであった。

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悪癖  


人形に楽器などを持たせる場合、頭部を完成させ、次にそれにあわせて楽器をつくり、その後、全体にとりかかる。今回もここで、私の悪い癖が出た。はやくとりかかればいいものを、頭部と楽器という、面倒なものが終わり、あとは一挙に作るというところで、作り惜しみをするのである。TVを観たり、雑誌を眺めたりしてダラダラしてしまう。内心、作りたくてたまらないのに、わざと自分を焦らすのである。ほとんどマゾヒズムであるが、我慢の限界が来て始めてからは、大変な集中力で制作に没頭する。こんな快感を、私は他に知らないのである。もちろん、今書いているこの雑記も、焦らし作業に他ならず、こんなもの書いていないで、いい加減はやく始めろと、内心思いながら書いているのである。その場合、書いているものが駄文であればあるほど、快感が増すのだろうと、考えるむきもあろうが、そこまでは計算していない。

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土砂降りの中、T屋に飲みにいく。カウンターで主人と馬鹿話していると女性客。石塚さんですか?と訊かれる。初対面だが、どうやら常連に、あることないこと吹き込まれているようである。どんな粘土を使ってるんですか?から「いつも赤い電気着けてるんですか?」あそこに住んでいると教えられ、窓を見上げてそう思ったらしい。 私は蛍光灯が寒々しく感じ、子供の頃から苦手である。引っ越すと、まず蛍光灯をはずす。常用するのが100Wの電球だが、それが赤く見えたらしい。切れると別室の60Wで代用するから、よけい赤く見えたかもしれない。室内に赤い電灯を点し、人形を作る男。江戸川乱歩じゃあるまいし、ただ気持ち悪いではないか。普通の電球ですよと言っておいた。 学生時代、近所で飲んでると店の奥から、OL風の女性が、洗濯物が頻繁に盗まれると大きな声で話しているのが聞こえた。何処の奥のアパートで、2階のどこそこでと、訊かれるまま答えていたが、どうやら私の上に住んでいる女性で、彼女は顔を合わせたこともない私が下手人だとふんでいるようである。横にでもいれば釈明もできるが、離れた席では、彼女の推理する犯人像を(つまり私なのだが)黙って訊いているほかなかった。 そういえば焼き鳥のK越屋の親父も、二十年以上通いながら、向うが訊かないから、私も余計なことを話さなかっただけだが、私をとんでもない人物だと思い込んでいたのには呆れた。“男は黙って~”というTVCMも昔のことのようで、ただ黙っていてもロクことはなさそうである。


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人形を作って撮影までしていると、自分が思いついたイメージとはいえ、妙な物を作るはめになる。今作っているのはアダージョ次号用の物で、一種の楽器である。ジャズ・ブルースの人形を作っていた頃は、楽器を作るのが苦痛で仕方がなかったものだが、つい本人が、巨大なそれを背負っているところを思いついてしまった。今回はその楽器が古びていなければ意味が無いので、せいぜい汚しているが、部品の一部を、世田谷文学館の荷風の畳でやりそこねた、お茶で煮出すというのをやってみた。例によって佃煮にしないよう気をつけながら。 それにしても、巨大な楽器を背負っていながら、ミュージシャンではないというのだから、次号は果たしていったい誰だ?

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富岡八幡の前に止まっているタクシーの運転手の頭が、制作中の人物の頭にソックリ。 不思議なことだが、制作中の人物の“部品”を持った人物を、見つけることがよくある。それは制作中だから目に付くのだと言われるだろう。もちろん、それはあるだろうが、私も人の形ばかり作ってきた人間である。ちょっとやそっと似ているからといって驚きはしない。頻繁におきることではないが、起きるときは、はなはだしく、このタレントどもを調達してるのは誰だと、辺りを見渡したくなるほどである。凄かったのはディアギレフを作っているときだった。あんな変わったオデコや、目の垂れた人など、そういるものではない。それがもちろん、外国人を含め、あるときは毛の生え際だったり、流れ落ちるような垂れた目だったり、後姿だったりと、それぞれの部位を担当した人物が、私の目の前をうろつくのである。 こんな話をするとお前はノイローゼだよ、と思われるに違いなく、この雑記に書くだけだが。それにしてもタクシーの男。よくぞあの微妙な頭のラインを持って現れたものである。あそこには苦労したから、どれだけ似ていたことか・・・。  10万人の命が奪われた東京大空襲から63年目だそうである。母は家が聖路加病院の近所だったおかげで空襲を免れたが、富岡八幡や深川不動の祭りや縁日に来たいと言うわりに、未だに光景を思い出すらしく、積極的ではない。

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一日  


以前、何度か通った新木場の木工所は、久しぶりに行ったら規模が縮小され、扱っているのが銘木ばかりになっていた。今回必要なものは、塗装をしてしまうので銘木である必要はないし、反りや割れを考えると合板の方が良い。深川は木場などというところに住んでいながら、気軽に木の加工してもらえるところが思いつかず。結局、実家に帰ったついでに、昔からあるホームセンターに頼んだ。 現在制作中の人物について、これをしくじったら、などと妙にプレッシャーを与えてくれた旧知のFさんに制作中の頭部を見せる。若いころ本人を観たことがあるそうだが、お墨付きを。母も独身時代、何度も観ていると知った。私としては、これ以上リアルに作ることは無理なところまで来た。あとは使っている粘土を換えるしかないだろうが、そこまでやる必要は感じず。

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アダージョ編集長Hさん、ライターのFさんと、都内某所にロケハンをかねての打ち合わせ。Fさんが地図を手に、目標の地域を歩く人に尋ねながら行く。さすがいつもの取材スタイルなのか、ほどなく目当ての場所が見つかる。もつ焼き屋に入り、いままでよりリアルに作った首を披露。 何年か前、活き人形展というものを大阪まで観に行ったことがある。見世物の出し物として作られた人形だったが、この類の作品は、木を見て森を見ずということか、表面にこだわるあまり、リアルな死体になっていることが多い。しかしやり過ぎてしまった、人も事も大好きな私としては興味深く観た。存外血が通っている表現もあり、昔の日本職人の志の高さに感銘を受けたものである。私の場合はというと、私が欲しいリアル感さえ出れば、実写に間違われるなどという方向は、むしろ避けたいくらいなので、粘土のディテールを残している。しかし手塚治虫、宮沢賢治とSF調が続いたので、背景も含め、意識してリアルにしてみてみようというわけである。もっとも、私が常用する粘土にはパルプの繊維が入っており、ある程度以上の細かい表現はできない。 男3人メートルも上がり、気がついたら方向違いの駅に。そういえば磁石まで携帯するFさん。さすがと思いつつ、実は多少、方向音痴の疑いも。

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13時からDVDを観ようということで階下のYさん宅へ。すでにK本常連のMさんが飲み始めていた。『秋立ちぬ』成瀬巳喜男(1960)は、晴海通りの三原橋あたりが背景のポスターを持っていたような気がするが、観るのは初めて。銀座松坂屋の屋上その他、見覚えのある懐かしい風景に、ああだこうだと盛り上がる。昨日、ちょうど自転車で迷った辺りは、まったく何もない荒涼たる風景。ストーリーは他愛のないものであったが、藤原釜足、賀原夏子他の脇役に味があった。遅れてお土産をもってHさん合流。 続いてYさんが小学3年で、北千住で観たという『自動車泥棒』(1964)若大将と2本立てで封切られたというが、当時の東宝映画とは信じられないアバンギャルドさ。後の東映映画のようである。デビュー作で主演の安岡力也にダビングしてもらったビデオだそうだが、ケン・サンダース、ジョー・山中、真理アンヌがみんな十代で出ている。一瞬であるが平野威馬雄まで出てくる、とんでもない怪作であり、面白い。次にYさんがスタッフでかかわったというノイバウテンの、江東区の工場で撮影したビデオ。しばらく観ていたが、千鳥足のMさん、トイレにいったきり出て行ったと思ったら、どこからかチャック・ベリーのライブDVDを買ってくる。ノイバウテンがいけなかったらしい。結局、帰ると言ってもすぐ上だし、一人減るたび、さびしそうなYさんに付き合い最後まで。

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地図  


ここ数日なかなかいけなかった木の加工を頼みに○○○へ。以前は電車でいったが、自転車で丁度よい距離である。以前迷ったので、自転車用に買ったポケットサイズの地図を持っていく。しかし私は私が思っている以上の方向音痴なのであった。 釣り場所を探しながら、あてもなく出かけるときは何度か通った道だったりするが、まったく学習していない。途中○○○駅があったので、軽く食事をしに入る。しばらく地図を検討するが、一枚に広げられる地図でないとページのつながりが良くわからず。そもそも自分がどちらを向いているかが判らない。結局、しばらく店内で地図を見ていたおかげで、かっこ悪くて店員に尋ねることができず、いつもの遠くから来た人のフリも使えず。 オリンピック村予定地だとか、何とか市場駅だとか、知らないうちに、訳のわからない風景になっている。しまいには東急ハンズの看板まで。東京タワーが見えたからといって、私には何の情報ももたらさない。工場の加工終了時間がせまってきたので、結局、あまりに近い範囲をうろちょろしただけで帰る。(よって何処へ行こうとしたかは書かない) K本で横で飲んでるYさんに、小沢昭一が古今亭志ん生に、お酒はやはり日本酒がお好みなんですか?と聞いたら「ビールは飲んでるとショベンになるだけだけど、酒はウンコになる」と言った話をすると、昔、なにもかも嫌になって数日酒ばかり飲んでたら、ウンコだけは出たからホントの話だと言われた。

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