寒山拾得がいつから私の中に巣食っていたのかは不明だが、森鴎外の『寒山拾得』を読んだのは中学の時だったが、寒山と拾得が笑いながら何処かに行ってしまい、二度と戻ってこなかったという。実に唐突な終わり方で、作中の人物と同様に、放りっぱなしに取り残され立ち尽くした。この終わり方がずっと巣食い続けて来た理由であることは間違いない。その思いが醸され続け、良きところで、ということだろう。 唯一最初から決めていたのは癖毛のボサボサ頭で、古来からの寒山拾図でも見た覚えはない。それより大きな特徴は絵でなく写真であることだろう。しかしあれだけ写真という用語を蛇蝎の如く嫌い続けた私が以降、これは写真である、といいつのる羽目に陥ったのは皮肉というしかない。
