明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



秋に某文学館が作家の展覧会をひらくにあたり、作家像を作ることになった。完成後は収蔵される予定である。明治生まれの人物だが、生家の住所から調べると、我が家から目と鼻の先。区画整理のため、多少のずれがあるかもしれないが、産科クリニックのあたりのようである。先日その話をK本ですると、横にそこで出産した人がいた。 作家の画像データを送ってもらったが、作るのは晩年でなく、苦みばしった中年期に決めた。晩年にかけていた眼鏡が面倒臭いから、というわけではないが。いやなくはない。 眼鏡の度が強く、実際より目が拡大されている。それを正確に描こうとすれば、レンズに工夫するしかない。しかし私は良くここまで作った。なんて感心されるのはまっぴらである。“素顔”でいきたい。 昔、大阪に活き人形展を観にいったことがある。かつての職人の超絶な技巧に感動したが、中には“木を見て森を見ず”的な職人もいて、リアルな死体になっていた。こういうのが一番避けたいところである。肝心なところさえクリアしていれば、それ以上の技術は邪魔だと考えている。  煮込みのK本に入店する時、なんとなくのニュアンスだが、登場しました。という感じに入ってくる常連がいる。そして常連席を見ているようでピントをはずしている。私などはそっと入って常連の顔しか見ない。あれはなんだろう、と以前から思っていたが、登場したのを皆に一挙に知らしめたほうが、照れもあって後が楽だ、ということなのかもしれない。などと、酒場で感じたこんな爪の先のことを、私は後々必ず制作に利用することであろう。

オイルプリント制作法

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私の家がただいま差し障りのある状態なので、麻布十番の田村写真にて飯沢耕太郎さんの取材を受ける。大正時代でさえ手がけた人が少なかった、このいささか冴えないネーミングのオイルプリント法が、活字になること自体が珍しい。『芸術写真とその時代』の著者の前でプリントするのは少々緊張したが、どちらかというと縁日で怪しい実演をするオジサンと、それに見入る少年という趣であった。 このあいだの個展のDMに村山槐多を使ったが、私がオイルプリントを手がけるきっかけになった野島康三は、数えるほどしか画廊が存在しなかった時代に『兜屋画堂』を作った。そこで村山槐多の遺作展を開催していたことを伺って驚いた。

作者名を伏せて読んでも、誰が書いた文章なのかわかる。それが文体だ。と『虚無への供物』を書いた中井英夫はいった。写真の場合も同様であろう。文体さえあれば、書いた文字が例えたどたどしく下手糞であろうとかまうことはない、と私は考えている。もっとも最近は道具が便利になり、最低限の文字は誰にでも書ける。より文体にこだわれる時代になったということになろう。

オイルプリント制作法

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4月25日~5月10日に、先日アド街に出たらしい、清澄白河の『深川江戸資料館』での個展が決まった。個人としては初めてらしい。初期のジャズ・ブルース時代の作品から、出品できるものは写真作品を含めすべて展示しよう、という趣向である。もっともそうでもしないとスペースが埋まらない。  回転台の上に立つ制作中の人物を前に、どうしてよいか判らず呆然としている。そんな夢をよく見たものだが、最近はもう見ない。作り物でないとできない作品を、と始めた作家シリーズも、どうしても、という作家は少なくなった。オイルプリントも当てずっぽうの域は脱した。回顧するには早いが“中締め”の個展にできれば、と考えている。 田村写真の田村さんと飯沢耕太郎さんの『めぐたま食堂』へでかける。食事をし、棚にならんだ写真集を眺める。飯沢さんが現れる。30年近く前、オイルプリントがまともな画像が出ず苦闘していたころ、図書館で講座かなにかで見えられたのを自転車ででかけ、窓から顔だけ見て帰った。私は20代だし飯沢さんは30代の始めであろう。それが先日の個展でようやくお会いした、と思ったので拍子抜けであった。 私にとってはた迷惑な写真という用語がどうやって生まれたか、など伺う。飯沢さんには、私の突っ走り方凄いよね。といわれた。他人と比較することなくいるせいでこういうことになる。比較しようがなかった昔の日本の写真史には変な人物がいくらでも出てくるし、妙なギターの弾き方をする黒人ブルースマンを見るとそう思う。 

神奈川近代文学館 谷崎潤一郎展終了しました。

オイルプリント制作法

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オイルプリントは罪悪感にかられながらも人形制作を放って熱中した。ただやりたかっただけなので、1カット納得したら止めると決め、実際止めた。再開したのは、自分の作品を撮影し発表するようになった後のことである。熱といえばひどかったのが、イベントでバレエを一回観ただけで、ロシアバレエの天才ダンサー、ニジンスキー、コクトー、ディアギレフでしかもオイルプリントで個展をしてしまったことである。過ぎたことだから良いようなものの、冷や汗ものである。 ギャラリーに色々な意味で断られた『三島由紀夫へのオマージュ展 男の死』も今となればやってよかった。どこからか、何が来たところで、未発表とはいえ、三島本人が死の一週間前まで、腹に出刃包丁刺して死んでる魚屋などを自ら演じて撮影させていたのを知っていたからどうということはない。 熱が原因で多少冷静さにかけてしまったとしても、やれてしまえば結構なことである。 来年、某所での個展の話がある。今まで隅田川の東側ではほとんどお呼びがかからなかったが、そこは場所柄、ハラワタはみださせた三島などは展示できないが、展示可能な作品は写真も含め、できるだけ展示しよう、という企画である。架空のジャズマンから熱に浮かされた物を並べて披露する機会はそうないであろう。頭部しか残っていない作品は胴体を作らなければならないし、谷崎潤一郎で個展を、というのも土俵際で捨てきれないでいるが、週末には決めることにしたい。

没後50年『谷崎潤一郎展』谷崎像出品

神奈川近代文学館 4月4日~5月24日

 

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BBキングの何が凄いといって晩年まで衰えを知らなかったことである。 昔ジャパン・ツアーのポスター用にBBを作ったことがある。この時、自分の性質がよく判った出来事があった。当時は、参考資料を見て、実在の人などあまり作ったことがなかった頃である。何故なら何かを見ながら作るというより頭の中のイメージで、架空の人ばかり作っていたからである。デッサンなどまったく苦手で、未だにアイデスケッチすら描かない。制作の資料に当時のライブのビデオ、写真をもらい、それを参考に制作を始めた。当然愛器ルシールも。 ブルースブームが起きたのは私が高校生の頃だが、それまでロック雑誌でブルースミュージシャンといえばBBくらいしか見かけなかった。はたして完成したのは当時のBBでなく、もっと昔のロック雑誌の頃のBBキングなのである。それが人に指摘されるまで気がつかなかった。目で見たものより頭の中のイメージが勝ってしまっていたのである。荒俣宏氏が、白人の大きな船がある島に到着したが、原住民は、そんなものはイメージに無いので、白人が歩いているのに気がつかない。というような話を書かれていたが。おおいにありえる。見えているものがすべてとはいえず、写真になどにそもそも写らない。あの時、すでに私のそういう所は始まっていたのであろう。 そのBB像は御本人に差し上げたが、ステービー・ワンダーにも差し上げる機会があり、後はジェームス・ブラウンとマイルス・デイヴィスだぜ、と思っていたらどちらも亡くなってしまった。

 左右が逆!

没後50年『谷崎潤一郎展』谷崎像出品

神奈川近代文学館 4月4日~5月24日

 

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好きなことばかりをしていられればいうことはないが、なかなかそういう訳にはいかない。苦手なことといえば部屋の片付けである。部屋を片付けなければ、と頭のすみによぎっただけで、たちどころに創作意欲がわき、ニューアイディアに満ちてくる。先日、人は頭に浮かんだ物を作らずにいられない、という仕組みに幼い頃から苦しめられている。と書いたが、おかげかどうかは判らないが、先日終了した個展も、私にとって現時点ではこれ以上は無理。という作品を制作できた。その集中力は、やはり幼い頃から衰えることはない。始業のチャイムが鳴っているのに本から目が話せず、図書館への出入り禁止を申し渡されたのは小学校3年の頃だったか。私の集中力を、それは逃避力だろと失礼なことをいう奴もいる。なんだその逃避力というのは。聞いたことがない。ゴミ屋敷のオジサンをニュースでやっていたが、家からはみ出したらいけないだろう。逃避にも程というものがある。  創業者の“髪が後退したんじゃない。私が前進したんだ”というセリフは非常に面白かったが、携帯電話のトラブル続きである。アドレス変えたばかりだが、乗換えを検討中である。

没後50年『谷崎潤一郎展』谷崎像出品

神奈川近代文学館 4月4日~5月24日

 

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中学生になりはまったのは、ともに没後50年を迎えた大人向け乱歩と谷崎である。谷崎の場合は大映の増村保造や市川崑のいわゆる谷崎モノである。当時のスターは脱ぐことはなくすべて吹き替えで、バスタオルがはらりと落ちたり鏡に映るたび体格が変わったが、中学生は気にしない。谷崎で1作といったら未だに『春琴抄』だが衝撃的だったのは、老人の性を始めて描いたといわれる『瘋癲老人日記』である。教科書に名前の載る作家が、と唖然としたがこんな濃厚な日本人がいたのかと感心して尊敬した。 先日、神奈川近代文学館の谷崎潤一郎展を見に行って、亡くなる前に、次回作の構想を練っていたことを知った。それは老人が妻や子供たちと離れ若い女と暮らし、過度の淫蕩の果てに狭心症で死ぬ。つまり腹上死であろうか(通常ほとんど腹下死だと聞いたことがあるが)。さすがとしかいいようがない。しかも誕生日の晩餐を存分に愉しんだのが原因で、腎不全を起こして亡くなったというからイメージ通りである。 私はかつて三島由紀夫が様々な形で死んでいるところを制作したが、作家が亡くなっていようと、本人に見せてウケたい、という妄想にもとづいている。谷崎も同様であり、昨日書いた展覧が実現しなければ谷崎かな、とも考えるのだが。乱歩の場合はたとえ盲目の殺人鬼『盲獣』を演じてもらっても、とぼけた表情で人事みたいな顔をさせて切り抜けたが、谷崎の場合はそうもいかないのが難しいところである。

没後50年『谷崎潤一郎展』谷崎像出品

神奈川近代文学館 4月4日~5月24日

 

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やるとなると来年のGWを含めた期間になるのだが、人形から写真作品まで、展示可能な作品をすべて展示する話がある。会場を見に行く。広さは広いくらいで充分。在庫の額もチェック。僅かに残っている初期の、架空のジャズ、ブルースミュージシャンの作品から、作家シリーズまで。一回の個展で終わった、天才バレエダンサー、ニジンスキーのハイジャンプを披露することも可能であろう。舞踏評論家の鈴木晶先生に個展に来ていただき思い出していた。本にまでした河童も披露する機会がないままである。 写真はモノクロ、カラー、当然オイルプリントまで。ということだが、問題は隔月で4年続いた都営地下鉄のフリーペーパー『中央公論Adagio』以降の作品である。毎号、特集場所と特集人物を組み合わせるのだが、後発の鉄道、周辺に名所があることは少なく、商店街しか見当たらないことさえある。そこに人物を立たせるわけで、頓知を効かせないとならない場合も多かった。頭部がおおよそ出来た時点でネットで検索した場所で背景を撮影し、それにあわせて身体を造形した。肝心の頭部に時間をかけたいこともあり、写らないところまで作らない。よって展示できる状態ではなく、頭部を残して廃棄したものも多い。それをすべて作り直すとしたら大変なことである。即決できない理由はこれである。そこにはホールが併設されているので、乱歩作品や鏡花の『貝の穴に河童のいる事』の朗読会も可能である。GW中来場者は1000人超えたというから悩ましい事ではある。

没後50年『谷崎潤一郎展』谷崎像出品

神奈川近代文学館 4月4日~5月24日

 

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油井昌由樹さん来廊。高校一年の時、まだどこにも売っていなかったバンダナを、油井さん経営の『スポーツトレイン』に買いにいった。金属探知機で遊んでいると「UFOの写真見せてやるよ」。コールマンの部品を放り投げた写真であったが。後に油井さんは大学出て間がない頃と聞いた。その10年ほど後だろうか。油井さんが司会の美術番組に出ることになり、その時の話をしようとしたら直前に、黒澤明『影武者』のオーディションに受かって徳川家康になってしまった。再会したのはさらにずっと後である。 司会を代わったのは榎本了壱さんであったが、その番組のおかげで『ブルータス』のジャズ特集の表紙に使われ、撮影していただいたのが長濱治さんである。当時写真に対して撮影者は誰?と気にしたこともなく、愛蔵する写真集『地獄の天使たち ヘルズエンジェルス』を撮った方とは露知らず。それがオイルプリントの個展に来ていただくことに。嬉しい言葉もいただいたが減ってしまうので書かない。 写真という“まことを写す”という用語を蛇蝎の如く嫌い、画面からまことを排除することに努める私は、人形を作りデジタル処理。場合によってはさらにオイルプリントへ。虚構に虚構を重ね、一周して私なりのまことになれば。と考えている。今後この傾向はエスカレートするであろう。“及ばざるくらいなら過ぎたるほうがマシ”これは当ブログタイトルの第2候補であった。

没後50年『谷崎潤一郎展』谷崎像出品

神奈川近代文学館 4月4日~5月24日

 

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先週に続き、またやってしまった。今日は3時開廊のところ12時に到着。1時半まで多摩川の土手をブラブラするも間が持たず。まだ仕込み中の焼き鳥屋へ。 飯沢耕太郎さん来廊。私がオイルプリントの試作を始めたのはまだ20代であったが、技術的に参考にした大正、昭和のはじめの文献とは別に、当時の日本の芸術写真の状況を知るに最適だったのは飯沢さんの『芸術写真とその時代』(筑摩書房)であった。リアリズム写真の波に押され、姿形もなくなってしまった世界である。知りたかったことが書かれており夢中になって読んだ。当時住んでいた板橋の図書館に、講座かなにかで見えるのを知り、自転車ででかけ、ドアの丸い窓からご尊顔を拝して帰ってきたことがある。 当時まだたいした画が出ず、相談する人もおらず、一人苦闘していた。当時のことを覚えている友人に今回会うことができたが、感慨深げであった。 人形制作を放って、ただやってみたいというだけで始めたオイルプリント。こんなことをしている場合ではない、と思いながら止められなかった。人は頭に浮かんだことは作らずにはいられない。といったのは脳科学者の養老猛氏だったか。思えば私は幼い頃から、この仕組みに苦しめられ続けている。 長い付き合いの編集者と飲む。私は人形制作を含め、とりあえず必要な技術はおおよそ身につけた。これからだよ。というと呆れて笑っていだが、彼はまだ私のことが良く判っていないようである。会期は9日6時まで。 

石塚公昭個展『ピクトリアリズムⅡ』
2015年4月25日(土)〜5月9日(土)

没後50年『谷崎潤一郎展』谷崎像出品

神奈川近代文学館 4月4日~5月24日

 

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GW中  


フットボールの試合を観たあとは赤い色が違って見える。みたいなことをいったのは寺山修司だったろうか。オイルプリントは手技の要素が多く、データ通りやれば上手くいく類の技法ではない。プリント時の作者のコンデションが反映される。むしろそんなところが面白いと思っているが、細かくデータを取り写真制作をしてきた写真家にとっては勝手が違うかもしれない。 当初大正時代のテキスト通りやっているつもりなのに上手くいかなかった。今にして思うと、文章だけで解説しても、手技の微妙な部分は伝わってこなかったのであろう。それでもなんとか画が出たときには、画用紙を使うとか、ゼラチンを厚くひく、とかすっかり“石塚式” になってしまっていた。よって下部にインキング映像がリンクしてあるが、これも見る人が見ると、かなり変わった様子のはずである。 こういう技法であるが、だからこそ当てずっぽうではいけないだろう。私がかつて目指した陶芸の世界は、窯の中の炎の偶然が作用していたとしても、前提には技術があってこそであった。ここへきてようやく私も“運天まかせ”から脱却しつつあり、撮影の時点で完成作をイメージし、そこまで持っていくこともできた。それでも何故そうなったか、判らない作品もある。水と油の反発作用といえば簡単なのだが、そんな簡単な作用も、解明しきれたとはいえない。しかしそれは頭でなく、むしろ身体が解決する領分であろう。 画廊には連休中も、時間こそ適当ながら毎日顔を出している。人形を出品している県立神奈川近代文学館の『没後50年 谷崎潤一郎展』も鵜の木からだと近い。あわせて是非。

石塚公昭個展『ピクトリアリズムⅡ』
2015年4月25日(土)〜5月9日(土)
 

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女性の刺青師彫S嬢来廊。昨年のグループ展に来てもらったのにハスノハナの前を通過。呼び止める。私も今まで2回通過している。駅前の焼き鳥屋夫婦にいわせると「段ボールでいいから看板書いとけばいいんだよ」。「こんどいってあげようと思ってさ」。大丈夫。看板のかわりにそばに交番を設置してある。 彫Sは若いのに師匠宅に住み込みで修行。和風と古典的な墨を得意とする。刺青といっても、少女マンガのような弁天様など散見する昨今。こうでなくては。と感心している。プロでもあるし彫Sでもないのだが、いずれヌードを撮らせてもらう予定であるし、念のため。 本来彼女を被写体とする予定であったが、自身の背中は未完成で、プロとしてこれを残すわけにはいかない、と、彼女のお客を仕事場で撮影することになった。テーブルの上の物も、床に置いたものも、片付ける必要なし、と撮影した。案の定、なんだか解らない雑物にもオイルプリントならではの味が出た。今回同じネガを使った別バージョンを含めて4点出品しているが、実際の風景からどれだけ変化したかは当事者は面白いであろう。 彫Sはオスの蛇を2匹飼っており、いずれ彼女と共演してもらう予定である。彼女の蛇好きは呆れるばかりで、“結婚したいくらい”と悪戯っぽく笑うのだが。お望みなら、私なら結婚させることも可能である。と蛸に絡まれた女の作品の前で真顔の私。 “写真”はマコトを写すという意味であろうが、ホントのことなどどうでもよい私は画面からできるだけマコトを排除したい。人形を作り、写真に撮り、オイルプリントにする。嘘に嘘を重ね、1周したら私なりのホントになっていた。これが私のイメージしているところである。理由も判らず熱中したあの頃。何故オイルプリントだったのか。今頃になって合点がいっている。

石塚公昭個展『ピクトリアリズムⅡ』
2015年4月25日(土)〜5月9日(土)

没後50年『谷崎潤一郎展』谷崎像出品

神奈川近代文学館 4月4日~5月24日

 

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