明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



5時過ぎに風濤社のSが製本された『貝の穴に河童の居る事』を、とりあえず10数冊もっていく、というので、いつも打ち合わせで使うビジネスホテルの1Fで待ち合わせる。サインや為書きを書く筆ペンと、昔、自分で彫ったハンコをもっていく。 初対面。できるだけ完成作をイメージできるよう、色々作って見せてもらっていたので、思ったとおりの本になっていた。一冊目と二冊目は、物語のダイジェストであったり、過去に制作した12人の作家をまとめた物であったが、今回は一作まるごとなので収まってる感がある。 先日も書いたがSは出版社は違うが一冊目の『乱歩 夜の夢こそまこと』(パロル舎)の編集者でもある。当時完成近い原稿をパラパラめくりながら「なに思いっきりやってんだよ、という感じですね」。といったが、今日もほとんど同じようなことをう。“及ばざるくらいなら過ぎたる方がマシ”な私が作るのであるから結果的にそうなる。数冊にサインとハンコを押す。 私のイメージからすると、写真絵本というのが近いのだが、絵本というと自動的に子供向けということになるのだろうか?ベタベタと生臭い河童が主人公のわりにスッキリとした出来映えである。これはSのおかげといえよう。本は腐るほどあるが、類書はおそらくない。そんな本に関われるなんて編集者として幸せだろ?といってやったら、ビールで赤い顔して一応うなずいていた。今日は売れるか売れないかは別にして、と余計なことはいわなかった。 帰りに撮影に協力していただいた『鳥のいるカフェ』に進呈しT千穂へ。旅館の番頭役をやってもらったTさん他いたが、本を見るのは7日まで我慢してもらうことにしている。

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10時にS社の編集者と待ちあわせ背景の撮影。画としては体格の良い男が怒っている図である。背景には男の怒りの矛先である悪い連中がいる建物を配しようというわけだが、特定の建物では具合が悪いし、案外見た目がただのビルで、画としてはどうもピンとこない。そこでいっそのこと誰でも判る建物に決めた。決めたのは良いが陽の向きが良くない。午後もう一度撮りに来ることにして編集者と別れる。 風濤社に行き製本前の印刷された物を見る。編集者が印刷に立ち会った効果がでていて安心する。明日、いよいよ製本された物が届く。一ヶ所用事を済ませ、食事の後、ふたたび撮影場所に戻る。撮影ポイントはどうしても横断歩道の途中しかないので、青信号のたび、いったり来たりして撮影する。終了後、例によって来た道を戻るつもりが違う道をいってしまう。しかしおかげでもっと良い撮影ポイントを見つけた。方向音痴も100回に一度くらいは良いことがある。あとは主役を完成させ撮影し合成する。安心して飲酒に耽る。 当ブログ常連の酔っぱらいエピソードもあったが、出版に向け、差し障りのある人物のことは書かない。まだ明るい永代通りをヨロヨロ蛇行する様を、携帯のムービーで撮影したので、後日思い知らせてやろう。

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出版に際して近所の方々に集まっていただくのは9月7日である。いただいた出欠のメールを見ると出版祝賀会、祝う会、お祝いの会等々名称は適当である。できれば本が店頭にならぶ前に出演者、協力者の皆さんに本を渡したかったが、会場を探していて店頭に並ぶ当日になってしまった。もっとも幸か不幸かこの辺りの書店に並ぶはずもないので、先に書店で見てしまった、ということにはならない。 K本で良く顔を合わせるMさんは、作家の墓を訪ね歩くという風流な趣味をもっている。お誘いのメールを送ったら、その日は鏡花の命日ですね。という。エッ? 昨年『貝の穴に河童の居る事』の出版が決まった後、ツイッターで妙に鏡花が話題になっているな、と思ったら今年が生誕百四十周年だという。良いタイミングではないか。きっとそのために企画したと思う人が多いであろう。知っていて決めたことにしておこう、とブログに書いた覚えがあるが、それにしても店頭にならぶ日が鏡花の命日とは。Mさんも私が知っていてそうしたと思っていたようだが、当初の6日から7日になったのは印刷の都合だし、借りた施設も発売の前に、と思うと、その日しか空いていなかった。 今年はようやく母の誕生日を覚えたと思ったら10日間違えていた有様で、日にちに限ったことではないが、私の脳が数字を拒絶するようで、先天的な不調ではないか、と思わないでもないが、携帯の修理が終わって書類に日付とサインするときも、今年が何年だったか、うっかり忘れた芝居をすれば良いし、いっているほどには困ってはいない。限られた容量の我がハードデイスク。数字の分、空いた領域には、例えば幼稚園児以来プロレス中継で蓄積された男達の肉体のイメージが格納されていると思えば、残念な気はまったくしないのである。

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木場のヨーカドーで話題の『パシフィック・リム』を観る。席を決める時、3Dの仕組みが判らないが、真ん中の方が正確に立体感が出るような気がして、できるだけ真ん中を取る。そう思う人が多いのか、両サイドはガラガラであった。 巨大な生物が猛スピードで動く昨今の傾向はどうなんだろう、と思っているが、観ると、いったいどうやって撮っているのか、まったく判らず迫力はある。ただカメラの視点がどうも今1つである。ひいた画がまったくといって良いほど出てこない。以前、浅草の花火を真近で観られるところに知り合いがいたので毎年、首が痛くなるような距離で観ていたが、迫力はあるが花火の形が判らなかった。あんな感じ。素早い動きも手伝って、結局怪獣のフォルムを掴めずじまいであった。怪獣の醜さは良かったが、そのあたりを舐めるようにみせて欲しかった。私が始めて観た怪獣映画は『キングコング対ゴジラ』で新聞のチラシを見て父にせがんで観に行ったが、キングコングの大顔面のアップでギブアップ。しばらく夢にでてきたが、その初体験のイメージが大きいのかもしれない。 3Dは『アバター』以来で、あの時は飛んでくる木っ端を思わず避けてしまったが、当然遠景になるほど効果は薄く、たまに眼鏡をはずすと、戦闘シーンなどこちらの方がかえって良い感じである。近景は立体感が強調されるが、人間が話し合っている場面に立体感は必用ない。 一方の人間のパートはなかなか良かった。きりっとしたウエス・モンゴメリーみたいな司令官はかっこが良いし、芦田愛菜ちゃんには杉村春子を目指してもらいたい。監督は怪獣オタクらしいが、間違いなく私より年下である。怪獣はウルトラセブンまで、仮面ライダーの第一回を観てもう駄目だ、と卒業した私にはもの足りなかった。

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制作中のヒーローは筋肉隆々に変身する。私はプロレス好きの父のおかげで物心ついてから、つまり力道山時代から半裸の様々な状態の男達を毎週、穴の開くほど見続けたせいで、資料を参考にせず凡そ作れる。小学校の同級生がマッチ棒で作った案山子のような絵を描いている時に、すでに筋肉を描いていた。女の子は目の中に星を描いていた。海女のアキちゃんは黒目にやたら星が点在しキラキラしているが、あれは眼球の曲率の案配で周囲の光を写すせいであろうか。

小雨の中、今拓哉さんと待ち合わせ、朗読の録音をお願いしている『貝の穴に河童の居る事』の打ち合わせ。原稿にたくさんの書き込みがあり恐縮してしまう。セリフの不明な点など話し合う。鏡花は多少のことなら目をつぶり、リズムを優先するところがある。文字だけ追うとどうなんだろう、という点もあるが、岩波の解説でも首をかしげる解釈をしているくらいなので、多少のことは気にせず、あくまでリズムを最優先して読んでもらうようお願いした。 鏡花は生前、作風が時代遅れとなり、一時期仕事がなかったようだが、それでも自分の作風を守り通した。結局当時新しかったものは、現在読まれることも少なく、一方これ以上古くなりようがない鏡花は未だに芝居に映画に、さらに漫画へと生きている。そしてついにマイナーな『貝の穴に河童の居る事』をビジュアル化しようなどという私まで現れる始末である。“新”がついたとたん、翌日から古び始めるものであるが、そう考えると、ちっとも新しくないのに今までない。これが一番良いと私は考える。 時間がたち落ち着いてみると、制作中手こずるあまり鏡花に対し意地の悪い気分になり、潔癖性の鏡花の嫌う蠅を河童に止まらせ、鼻水まで垂らしてしまった。あの時は寝不足でクラクラしながら、書生風の私が鏡花先生宅を訪ね、風呂敷包みから取り出した拙著の、蠅がたかった河童を見て先生青ざめる。というシーンを想像しながら蠅をとまらせていた。少々大人気なかったが、もう印刷にまわってしまっているのであった。

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制作中の変身ヒーローは、変身時に体格が一変するが、格好がヒーローの割に垢抜けないところが特徴である。マントを着けているが、これがないとヒーローらしいところはない。マントは怪人二十面相を作った時のように、粘土で作るつもりでいたが、けっきょく布を使うことにした。背景が決まらないうちにマントをある方向になびかせてしまうと、厄介なことになりそうだからである。 案山子から剥いだという河童の着衣も、どうするか考えたが、登場場面が多くて、その度作っていては大変だ、ということもあるが、むしろ乾いた状態の生地ならともかく、濡れて水を含んだ表現が難しいので布を使った。

こうして制作に関することばかり書いていると、面白くない、という人が周囲にいるが、近所の人向けに書いているわけではないので、本来こうしたものである。もっとも出版にそなえ、近所の怪しい人物との交際は控え、身辺を奇麗にしておこうという思惑がないとはいえない。 その近所の方々に出演願った縁で、地元で祝っていただけることになっているが、ただ飲んで本を配るだけでは、とK本の常連である舞台俳優、今拓哉さんに『貝の穴に河童の居る事』の朗読の録音をお願いしている。今さんが常連席に挟まっている状態を、“蛾の中に蝶が一匹”と評した人がいるがまさに。舞台稽古の忙しい中であるが、駄目元でお願いしたら引き受けていただいた。その朗読に合わせてスライドを上映しようという試みである。そんな誘蛾灯の集い、みたいな集まりで、と考えるとあまりにもったいないので、どこかで改めてやれる機会があれば、とも思っている。 出演者の素人役者の皆さんはおそらくそこまで考えが至っていないだろうが、スライド上映とはいえ、レミゼ俳優が自分たちの吹き替えをすることになってしまうわけである。素面で直視は無理であろう。

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昨日長野の印刷所の立ち会いを終えて帰って来た編集者Sさんが、改めて上手くいったと嬉しそうに連絡をくれた。 今回短編とはいえ、一作まるまるビジュアル化するのは初体験であるし、どんな体裁の本になるかイメージできないので、どの程度のボリュームで制作して良いのか判らなかった。簡単にいえば何カット作って良いか判らない。Sさんは忙しがって打ち合わせができないのでなおさらであった。編集サイド(1名であるが)としては大方完成した物を提出してもらわないと編集できない、という。私としては前段階の作業で、何日もかけて作りこんだ風景をずいぶんカットされていた。押し迫って来て無駄な物を作っているわけにいかないので、本当に必用なカットを見極めながら進めたい。最後は編集作業と平行に制作を進めるやり方になったが、これが上手く行った。肝心の異界の者どもを最後の3週間にもってきたことで集中力を持って締めることができた。 私は河童が主人公の作品に携わっているのだから、もっと楽しそうな顔をすべきだろう、といつもいっていた。柳田國男と河童が向かい合っているのだ、驚くか呆れるかしろよ、と。すると「すぐ褒められようとするんだから」。ちょっと待ちなさい。私は子供ではないぞ。こんなオダテがヘタクソな男はいないのである。いや私はただ、かかわったもの同士、楽しく盛り上がって行こうじゃないか。それをいっている。 もっとも編集者としてみれば、あと三週間の予定なのに、主人公のパートがすっからかんでは笑っていられなかったろう。それを思うと、ようやく編集者Sさんの本心の笑い声を聴いた気がした。 私としては心配することなど1つもない、というつもりで常にいたが、慌てたことが1つだけある。正直が売り物の?当ブログでも書かなかったし、誰にもいっていない。よくあれを逆転したものである。T千穂のカウンターで1人、クリント・イーストウッド調で遠くを見る目になる私であった。

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我がアホヅラはさておいて。肝心なのは制作中の顔である。何度も書いているので詳しくは書かないが、私の制作する人物は特定の表情はつけず、ほとんど無表情である。しかし只今制作中の書籍表紙用変身ヒーローは、特定の感情をあらわにしている。それはタイトルにも関連した表情である。内容はコミカルだが、私がその表情で作るとただシリアスになってしまうところ、ヒーローの装束がとてもカッコイイとはいえないので、そのギャップで目的が果たせるだろうと考えている。そろそろ身体にとりかかりたい。

長野の印刷所の立ち会いにいっていた編集者より連絡。テスト刷りがいささかあっさりしていたので、インクを盛ってもらったそうで、おかげで良い結果になったらしい。“及ばざるくらいなら過ぎたる方がマシ”である。遠慮せず、本の厚みが変るほど盛ってもらいたまえ。その分インクが乾きにくいので、出来上がりを見られるのが一日遅れるというが、ここまで来たら、そんなことはどうでも良い。 今年は集中していたおかげで冷房を使わずに済んだが、入稿と同時に我にかえって、慌てて冷房を入れようとしたらリモコンが不明に。出て来て快適、と思ったら数日でリモコンが再び不明に。リモコンが行方不明になるほどの広さを誇る拙宅である。訳がない。理由は当然他にある。知らないうちに酒類が蒸発するなどの、一連の我が家における怪奇現象の一つと考えて良いだろう。そういえば初代の携帯電話もどこかでひっそりしているはずである。おかげで私に踏みつぶされないですんでいる。

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昨日コンビニで、ペットボトル入りのブラックコーヒーを買ってしまった。私はコーヒーはミルクを多めに入れれば大丈夫だが、そうでないと胃がもたれて、とくに空腹の時は大変である。まったく魔が差したとしかいいようがない。何故か大丈夫な気がして500ccほど飲んでしまい終日気持ち悪かった。そこにプラス、私とリンカーンが同い歳ということが発覚し、ますます胃の奥から苦酢っぱい物がこみ上げてきた。こんな驚きは力道山の年齢を追い越して以来であろう。 昨日はフェイスブックにアップしたせいで、己がツラをつくづく眺めてしまったが、確かに無防備なツラである。おまけに眼鏡は斜めレンズは汚れている。かといって他に良い写真があるわけでもなく、換えたところで、もう一度恥ずかしいだけである。 2冊目の拙著『ObjectGlass12』(風濤社)(ちなみにこのタイトル。デザイナーにお任せしたが、未だに意味が判っていない)。に書いたが、陶芸の専門学校で年上の苦労人と出会い、このままでは生きていけない、我慢を覚えよう。と岐阜の陶器の量産工場に就職したが、ここに現れたのが最近少なくなったが、真ん中分けロングへヤーの年上の女の子である。読めと押し付けて帰ったのが澁澤龍彦であった。万引きしたといっていた。 澁澤曰く“人生に目的などありはしない。信ずべきは曖昧な幸福にあらず、ただ具体的な快楽のみ”。今思うと、私が澁澤に反応したのはこの一点だったのは間違いがない。後に人形を作り出したのは偶然で、単に黒人音楽が好きだったからである。 おかげですっかり目が覚めてしまい、一年で元の木阿弥。気がついたらこんな顔になっていた。というわけであろう。

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フェイスブックのプロフィールを自作の古今亭志ん生から自分の写真に換えた。そうしたものだとは聞いていたが、なかなか我がツラをさらす気にならなかった。 数年前母と食事をして、帰りのタクシーに乗せたのだが、たまたまドライバーが小学校の同級生であった。車中で「石塚君のお母さんですか?」となったという。帰宅後、母からの電話で知った。偶然はあるものだが、聴いた瞬間、私は無表情になり固まった。随分遊んだ仲なので嫌な奴と会ったもんだ。ということは全くなく、むしろ懐かしくてすぐに連絡を取り合ったくらいである。それなのになぜ私は無表情になり、釈然としない気分に陥ったか。 私は一瞬ヘッドライトの前を横切っただけだったのである。50を過ぎてそれで小学校の同級生に判ってしまう。ここに何か良い事はあるのか?私にはまったくそうは思えない。よくも無責任に生きて来たもんだな。といわれている気分である。固まる理由など他にない。『眼鏡かけたのは二十歳過ぎてからなんだけどなあ』。そしてその数年後に、人見知りの私が無理矢理連れて行かれたフィリプンパブで、苦労ガ足リナインジャナイ?と我が面相をフィリピーナに評されることとなる。 “40過ぎたら自分の顔に責任を持て”と余計なことをいったのは、来月映画が公開されるエイブラハム・リンカーンである。と思ったら享年56歳?私と同い歳ではないか。さすが立派に苦労が顔に出ている。というよりウイキペディア間違いじゃないのか?

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先週編集者と飲んだ時、次は江戸川乱歩ですか?といったが、そんな挑発に乗るわけにはいかないが、それには理由がある。私の最初の出版『乱歩 夜の夢こそまこと』(パロル舎)は残念ながら出版社の倒産で絶版になってしまったが、その時の編集者と今回の『貝の穴に河童の居る事』の編集者Sは実は同一である。乱歩の時は、ちょうど校正を終えたあたりでパラパラメクリながら“何思いっきりやってんだという感じですね”といっていたが、今回鏡花作品を終えてみて、今乱歩に再チャレンジすれば違った物ができる、おそらく彼もそう思っていることであろう。 Sは鏡花や柳田國男に対してあまり関心がないが、乱歩にしてもそうであった。撮影許可をとって乱歩邸で撮影した時、感激している私のそばで“親戚の叔父さんの家にきたような顔をしている”と当時書いた覚えがある。 今まで作家を作品の主人公に描いてきたが、その縛りを解けば自由になることは、今回鏡花を登場させずに描いたことでも明らかになった。乱歩に椅子の中に潜んでもらうことはできても『芋虫』になってもらうわけにはいかない。 ところで昨日編集者Sが次は◯◯◯◯はどうかなア、と芝居がかった調子でいったのは乱歩ではなかった。それだったら乱歩がいいよ。昨年のように私にいわせるつもりなのかどうなのか。

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6時に風濤社。色校の2回目。インクを厚めに乗せることにより大分改善されていたが、微妙な部分は刷りの段階で微調整するそうである。ここまで来ると、あとは私には判らない領域である。結局、長野の印刷会社まででかけ、刷りの現場でチェックしてくるそうである。 例によって焼酎のロック。たまには音楽でも、とかかったのが妙に落ち着かないギターのメロデイである。それは編集者が友人とやっていたバンドで弾いているギターだそうで、そこから続く、彼がボーカルを担当していたバンド。延々と聴かされる絶叫型ボーカル。オリジナルだそうだが歌詞が全部デタラメで、これでライブまでやったらしい。しかも◯◯バンドと自分の名前をバンド名にしている。実にツラの皮の厚い男である。もっとも私がトラックドライバー2人とやっている音に比べれば段違いではあるのだが。それにしたって、これがようやく終わった。とホッとしている作家に対する仕打ちであろうか。 演奏を聴いた限り、案外古いスタイルで、私の馴染みのある世界に近い。80年代のロックははほとんど興味がない私と話もあう。何年生まれ?聞くと72年だという。なんだそりゃ?もう三島死んじゃっていねえじゃねエか? そうかこういう男に私はこの河童どこでもいいから入れてくれ、と懇願していたのか。 さらにそっぽを向いたまま、次は◯◯◯◯はどうかなあ。という。 これあれだろ?いやそれだったらこれはどう?と私に提案させ、結局私がやりたいっていったから、という体に持ち込むやつ!

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笛吹きの芸人役のMさんと、ご近所の人限定の出版を祝う会の打ち合わせ。打ち合わせといっても、その件は早々に終わり、後はほとんど柔らかいにも程がある話に終始する。 近所のド素人の方々に演じてもらうことについては、集合しやすい、気心が知れている。誰も知らない。ギャラがかからない。ということもあるが、私のコントロール外の要素を入れる、ということも期待していた。これは最近書いたような書いていないような。良く覚えていないので書いてみるが。 河童の三郎は常に霧吹きで濡らしながら撮影したが、その際、目玉にかかりさえしなければ、髪には一切手を加えていない。どんなカットであろうと乱れるにまかせている。編集者が顔に貼付いた髪が気持ち悪いといったのは、そのせいであろう。 手持ちで撮影していた当時は、後ろを偶然人が通るのを期待し、私の意図しない物を画面に入れることを常に考えていた。そうすることによって動かない人形までが生き々してくる。そしてそんな心構えの撮る側が、準備万端で被写体に対していてはおかしいので、カメラは常に手持ちであり、本作でもついに一度も三脚を使わなかった。ついでにいえば、光を反射させて足りない光を補足するレフ版も使わない。 素人の皆さんは、私の意図していない想定外の動きをしたカットをかなり採用した。素人衆の意外な演技も乱れるにまかせた河童の髪も、コントロールの及ばない要素を画面に入れる、という意味では同じである。そして一冊の本ということでいえば、動かない造形物が主役の作品が、素人の皆さんのおかげで生き々して見えていれば成功である。

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冷房の寒さで目が覚める。書籍表使用の庶民的変身ヒーローの顔を作りながら、今から作る必用はないと判っていながらスライド上映用のデータを作る。老眼で活字が読めない人に対し、というのも一方では本気である。なじみのない鏡花の文体に拒絶反応を示す人もいるだろう。朗読は一応駄目元で某俳優さんに録音での参加をお願いしているが、おそらく気分を込めれば1時間を超えるだろう。まずとりあえず近所の人や、K本の常連席に岸壁のカラス貝のようにへばりついている人達相手にそこまで、という気もする。区内に朗読のボランテイアグループもあるらしい。 風濤社より色校はでたが、不満があったのでやり直しをさせているという。それでも印刷された状態を見たいので向かう。印刷の場合、紙がインクを吸うので、その辺りも考慮する必用がある。やり直しをしたくない印刷会社の営業と、多少のバトルがあったようである。それでも想像したほど酷いわけではなく、金曜に改めて届く色校を見た後に案配すれば済みそうである。安心して社長、編集者と飲みにいく。 昨年この作品のビジュアル化はどうですか、と編集者が持って来た話が海外作品で、挿絵ならともかく丸ごとビジュアル化するには長い。だったらこれはどう?と私がいって決まったのが『貝の穴に河童の居る事』である。その後何かのおりに「石塚さんがやりたいっていったから」。というセリフを私は確かに耳にした。一緒に飛び降りたのに、着地寸前にクルっと私を地面側にしようとしたろ?そして編集者はいう。「次は江戸川乱歩ですかね」。腹に一物あるような笑みである。「冗談じゃないよ。正式に依頼するっていうなら考えてもいいけどさ」。何をいっているんだ私。

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クーラーのリモコンも出て来て、コンビニで電池を買うつもりで別の買い物をし、電池を買わずに2回帰宅。元に戻り過ぎである。 出版披露のご近所の集まりには、k本の常連を中心に声をかけていただいている。ここ一年、K本に顔をだすことが減っていた。営業時間4時~8時のK本では、朝も夜もなく制作していた私にはお昼に飲んでしまうようなものだからである。何しろチューハイだろうとホッピーだろうと氷が入らず、亀甲宮の正調。女将さんが注ぐグラスの表面張力で膨らんだ分焼酎は多い。 作中、漁師がかぶる年期の入った麦わら帽子と、子宝祈願の念のこもったお手製の男根を提供してくれたSさんには、いつもベランダに同じ洗濯物がぶら下がっている。といわれる始末であった。まったく余計なお世話だが、それだけ最近顔を出さないな、と下を通るたびに洗濯物を見上げてくれていたと思うと、本当に有り難いことである。Sさんは80歳をすぎて髪の毛真っ黒すこぶる元気だが、私の作品について感想を聞いたことが一度もない。たとえば4年続いた都営地下鉄のフリーペーパー『中央公論Adagio』などは、出るたびK本の冷蔵庫に表紙を貼ってもらっていたし、店内にはK本で撮影した『古今亭志ん生』や50代だった女将さんが背景に写る『永井荷風』も二十年以上飾ってある。制作中の頭部も何度か見せている。私は内心、私が何をどうしているのか理解してくれていないのではないか。つまり小さな人形が等身大のように写っていること自体で黙ってしまうのではないか。あまり年寄り扱いしてはいけないが、もしそうだとしたらこれを機会に知ってもらいたいと思っている

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