明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


個展の会場に、と考えた場所は、普段使っていないスペースだそうで、今年の三島の命日11月25日近辺も空いているようである。そこは昨年知人が写真展を開き、何かやるときは借りられる、と人づてに聞いていたのだが、ギャラリーというわけではなく、ただスペースなので、什器も会場に常駐の担当者もいない。さらにやるとしたら三島で、と考えていたが、どう考えても三島が合うような場所ではなく論外、とすっかり忘れていた。 昨年暮れにアダージョ終刊が決まり、久しぶりに個展開催を考えたのだが、三島に関しては以前から構想だけはあったので、田中角栄を制作しながら、アイディアを詰めるため調べ物をしていた。そして前述の場所に、三島が大変な因縁があることを知った。これは呼ばれたとしか思えない。 そんなわけで私は現場も見ずに気分はもうその場所なのだが、とりあえずは近日中に担当の方とお会いしてからである。私はオカルト的なこと、超自然的なことは好きなわりに信じていないが、こと創作に関していえば、集中した時に限り妙なことが起きることは知っている。

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遅ればせながら今頃観る。これが予想以上に良く出来ており、面白く観ることができた。意外なほど事実に忠実に描かれ、劇中劇の『金閣寺』『鏡子の家』『奔馬』の選択が良く、市川雷蔵を思い出させる坂東八十助、佐藤浩一、沢田研二、永島敏行も良かった。美術の石岡瑛子もフィリップ・グラスの音楽も良い。 三島由紀夫役の緒方拳は、観る前は四角い顔が気になるだろうと思ったが、体格が大きすぎることを別にすれば気にならなかった。今だったら似ているといえば筧利夫がやるべきだと思っていたが、緒方拳のようにはいきそうにない。気になったところは二つ。市ヶ谷のバルコニーの演説シーン。実物より役者的に必死に説得しすぎである。あそこは一人でも自衛官が立ち上がったら台無しになったシーンで、説得及ばず無念、と踵を返し、というのが三島が用意したシナリオだったはずである。ニュース映像を観た中学生の私は、なんで拡声器を持っていかなかったのだろうと思ったが(当時、ああいう場合は使ったものである)用意周到な三島が持っていかなかった理由は一つであろう。いや、確かに武士に拡声器は似合わないのだが。 森田必勝役の塩野谷正幸が全くのミスキャスト。何故使ったか理由が判らず。森田こそ体格、顔が似ている人間を使うべきであった。私だったら下手でも良いから、気持ち悪いほど似ている人間を使いたいところである。

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昨日は八重洲にて『中央公論Adagio』の打ち上げがあった。4年はあっという間である。おかげで腕力のようなものが付いたと感じている。あれだけ面倒なことをしている表紙はそうないだろう。“私の代わりは誰にもさせない”というわけで、そのための私の最大の武器は、馬鹿々しくてもかまわずやる。というところである。これは存外難しく、計算が苦手、方向音痴、止めたり咎める人がそばにいない。等々ブレーキが機能しないための諸条件が揃っていないとならない。
T屋で遅めの朝食。そのまま木場公園に散歩に出かける。1時間ほどして帰ろうと近所で信号を待っていると、向かいのK本の前を、紫のスーツにソフトをかぶったオスマン・サンコンが通る。この辺りに住んでいるらしい。 帰宅直後、宅急便が届く。むき出しの箱に“大日本帝国軍刀”と書いてある。『恥ずかしいわ!』大日本帝國と書かれた長い物を受け取る身になって欲しいものである。止めたり咎めたりする人がそばにいないから良いようなものの。  ジョニー・ウィンターがついに来日するらしい。以前、あと観たいのは春風亭昇太とジョニー・ウィンターだけ、と書いたことがある。昇太はすでに観ている。ジョニー・ウィンターの初来日が中止になって20年は経つであろう。これは行かねば、と知人にメール。しかし最近のジョニー・ウィンターの様子を聞いて凹む。イメージの中にいてもらうことにした。

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アダージョ最終号。今回は諸々の事情で東京タワーが背景に入ることが条件である。そこから人選、特集場所が決まっていった。ところが東京タワー と縁がある人物というと、案外決定まで時間がかかった。22号の円谷英二は、本来東京タワー周辺が特集になった場合に、と考えたアイディアであった。最終号となる今号は、あまり地味でも具合が悪い。そこで東京タワー建設決定に係わったという田中角 栄に決まった。 想えばアダージョの表紙で毎号頭を悩ませたのは、名所とはいえない都営地下鉄駅周辺の風景に、いかに人物を配するか、ということに尽きる。今号も大門に角栄をただ立たせても、違和感だけが気になるだろう。そこで列島改造と“コンピ ューター付きブルドーザー”のイメージで、そのまんまブルドーザーを配することにした。中古の重機が置かれているという神奈川県の某所に撮影にでかけた。残念ながら排ガス規制により、角栄時代のブルドーザーはすでになかったが、あまりの台数に、当 初一台だけのつもりのブルドーザーを、ブルドーザー群として配することにした。暑がりの角栄には扇子を持たせることにして、実物を合成したのだが、せっかく作ったネクタイ周辺が隠れてしまった。角度や大きさ変えても無理であった。入稿寸前、角栄の手相が百握り、ますかけなどという、横に一本だけの天下を取るといわれている手相だと知り、なんとか修正。入稿後、着けるつもりの議員バッチを忘れていたのに気付く。すでに遅いがチェックしたら、ちょうどその辺りも扇子に隠れていた。 最終号は派 手に行きたい。青空を強調し、角栄お得意のポーズ。そうなるとブルドーザーが静かに置かれていては愛想がない。排気口から煙を出し、キャタピラには土埃を立てた。 結局ブルドーザーだらけで、肝心の大門は何処へいったか、東京タワーが取って付けた ように頭を出すという結果になった。編集長に伺いを立てると、インパクト重視で、とのこと。想えば、やりすぎることが多いと自覚している私は、この4年間、この言葉に随分助けられたものである。

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撮影用の小物を探す場合、富岡八幡の骨董市、知人の骨董商、ネットオークションを利用することが多いが、制作の合間に、居ながらにして入手できるオークションは大変助かる。しかもおおよそ骨董市より安く、こんな物はまさかないだろう、という少々怪しげな物も見つかるから驚くのだが、本日届いたのは、検索したら一つだけヒットした、デッドストックの古い水中メガネである。800円。戦前物ということだが、ゴムの部分は今は見かけない、おそらく川端康成が最後にくわえたであろう、かつてガス管等に使われていた、古くなったニンジンみたいな色のゴムである。ゴムは経年で劣化してしまうものだから、どこにもヒビ割れがなく、紐の部分の柔軟性を考えると、戦前物というのは信じられないのだが、未使用は間違いのない、素朴で趣のあるものである。ポイントはやはりゴムの色であろう。
場所があれば三島由紀夫で個展をやってみたいと考えている。ただ少々血なま臭いことになりそうで、江戸川乱歩の時のように、どれだけ切断死体が並んでいようとも、どこか笑えるような調子というわけにはいかない。よって場所を選ぶことになるだろう。 三島で水中メガネといえば『潮騒』ということになる。

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一日  


知人と三島について話していると、作品は好きだがその人となり、特にスキャンダラスな面については、顔をしかめられるばかりで、こちらが話したいことに至らないことが多い。プロレス嫌いな人に、プロレスの味わいを伝えるくらい厄介なことである。 私は作家の作品世界を挿絵のように創作しているわけではなく、むしろその人となりを描くために作品世界を利用しているようなところがある。だから例えば江戸川乱歩を制作した時も、過激に表現することは、むしろ望む所であったが、乱歩自身が自作について、エロやグロが過ぎた、といって悩むような人であったから、それを踏まえて制作した。そして登場いただく御本人に、作品を見てもらってウケたいと夢想するのである。すでに亡くなった人物に対して奇妙なことのようだが、ウケるように喜ばれるように、と常に考えていると、作者、作品との間に、独特の空気が生まれるような気がしている。 私は三島作品を読むのが高校生になってから、と遅れた。それは小説とは別な世界、決して上手とはいえない演技の映画『からっ風野郎』『黒蜥蜴』。それにあの市ヶ谷での最後のせいである。しかしここに至ると、生前世間から失笑を買ったであろうことさえも、今の私には魅力に思えている。 失笑といえば、あまりに明快にしてあからさまな怪作。かつて偽名まで使い、わざわざ下手糞に書き、同性愛誌に掲載された『愛の処刑』がある。あれを読んで元某会の会員はどう思うのだろう。もっとも三島作品の傑作の一つ『憂国』は、『愛の処刑』の改作といえるのだろう。

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近衛兵一聯隊勤務 武山信二中尉は、新婚間もないという理由から、二月二十六日に決起した仲間から何も知らされずに置いていかれ、鎮圧軍として仲間を打つことはできないと、妻と共に自決する。という話であるが、青年将校の中には、乳飲み子を残して決起した人物もいる。新婚だから知らせずにおこう。というのは不自然な気がする。そんな理由で置いていかれては、残された方がたまらないだろう。第一師団が満州に派兵されることが決まっており、これを昭和維新を妨げるためと判断していた皇道派将校が、渡満までに事をを起こすであろうことは、統制派の中ににも予想する空気があった。仲間から知らされなかったから、というのは呑気すぎないだろうか。79年、当時話題になったNHKのドキュメンタリー番組「戒厳司令『交信ヲ傍受セヨ』」は、戒厳司令部が、敵味方に係わらず関係者の電話を盗聴しており、記録した録音版が発見され、それを元に作られていたが、暗号さえ知っていれば関係者の妻でさえ、事件現場を行き来できた状態である。作中の武山中尉は26日の朝から28日の日暮れまで鎮圧側として警備をし、交代を命じられて、一晩帰宅を許され「おそらく明日にも勅命が下るだらう。奴等は叛乱軍の汚名を着るだらう。俺は部下を指揮して奴らを討たねばならん。・・・・・・俺にはできん。」というわけで“二人がどれほどの至上の歓びを味はつたかは言ふまでもあるまい”という「最後の営み」のあと、二人は自決する。しかしその日の朝にはすでに決起軍は反乱軍となっていたはずで、家に帰ってセックスしている場合ではなかっただろう。 「戒厳司令『交信ヲ傍受セヨ』」でおそらく私を含め、もっとも視聴者を驚かせたのは、北一輝と安藤輝三大尉の会話だったと思うが、当時のプロデューサーが書いた『盗聴二・二六事件』中田整一(文芸春秋)によると、その北が安藤に資金の提供を打診する会話は、北を黒幕にでっち上げるため、戒厳司令部が北に成りすましたものだったことが明らかにされている。

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朝T屋で朝食を、と出掛けにポストを見ると、ネットオークションで落札した、1970年/昭和45年12月26日の朝日新聞が届いていた。三島由紀夫自決の翌日、三島と森田必勝の首が並ぶ現場写真が掲載された新聞である。他にバルコニーで『関の孫六』を見つめる三島の写真など。本日T屋には歴史好きタクシードライバーのTさんが来ているはずである。最近入手した二・二六関連の物を持っていく、とT屋のかみさんに伝えておいてもらったが、夜勤明けのドライバーが7、8人すでに盛り上がっている、というので今日は止めて、新聞だけを持っていくことにした。Tさんは三島のことを“三島先生”と呼ぶ。日大の学生だった頃、楯の会に入会したかったが、規定の身長170センチなかったので諦めたという。楯の会に本当に身長制限があったかどうかは知らない。Tさんの会話には、つねに茶目っ気が含まれており、真面目な顔して冗談をいうからどこまで本当なのか判らない。直球も変化球もモーションが変わらないのである。根っから深川っ子のTさんは会社をいくつか潰し、今はタクシー会社の寮で一人暮らしだが、若い頃の武勇伝は、Tさんのサービス心もあり、聞いていて可笑しくてしょうがない。今朝は以前から酒癖が悪く、ワイワイやっているタクシードライバーの群れに、余計なことをいってくる男を、シとヒの区別がつかない下町言葉丸出しのタンカで追い出したあとらしい。何しろ正義感の人である。 午前中だというのに、すでに全員ベロベロの状態で、Tさんともたいして話すことはできなかったが、財閥から金を貰い、若者をたぶらかした、と北一輝が大嫌いなことだけは判った。

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先日のブログの中野正剛の書には『国は経済によりて滅びず~』と書いてあるように読めてしまうが、あれは有名な中野の言葉であり、届いた物は、何が書いてあるのか解らない漢詩である。そうこうして、本日は皇道派の陸軍大将・真崎甚三郎の額が届いた。二・二六事件の前年、真崎が教育総監職を罷免されたことが、そもそも事件の引き金となった。青年将校達が首相になることを望み、すべてをかけたであろう人物である。 額の裏側には名刺がはりつけてあり、『写真拝受右御礼』と手書きしてある。御礼というのが、この額装された書面なのかもしれないが、写真の御礼にしては仮名まじりの達筆で長々と書いてあり、これがまた名前以外まったく読めない。つい数十年前の日本人の書いた文字が読めないとは情けない限りである。国語改革などよけいなことをしたものである。 真崎は陸軍士官学校で、校長として後の青年将校を指導した立場であったが、将校等を煽り、見て見ぬふりをし、事件に乗じて、政権奪取という腹だったようだが、肝心の天皇の怒りにより、決起軍は反乱軍ということになってしまった。渦中の2月27日、山下奉文少将立会いのもと、真崎を含む軍事参議官が青年将校らと会見しているが、真崎は下を向いて黙っていたようで、頼りにしていた青年将校はさぞ腹がたったであろう。これでもう昭和維新の道は断たれた。というわけである。真崎は後にA級戦犯となる。 ここ数日来、妙な物を集め出しているが、大量に印刷された写真、活字資料にないリアリティを求め、気分を盛り上げるためだけに入手している。よって書の内容は「おハギご馳走様」。だろうと何でも良いのである。仮に血の滴りでもあれば、それはそれで望むところだが。

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反省  


目が覚めると、頭上でアイスクリームが溶けていた。記憶がない。昨日K本からT千穂に行き、パチンコで当てたというSさんに他の常連と一緒に鍋をご馳走になった、ような気がする。ポケットには何故かチョコレート。 携帯を見ると昨晩、雪は撮れました?という内容のメールが二通着ていた。昼過ぎにはYさんより、「昨日雪が凄かったけど撮影した?」と電話。「昨日といったってたいして降らなかったし、目が覚めたらもうかなり解けてましたよ?」。「近所で飲んでたけど随分降ったけどなあ?」???。夕方、昨日体調が悪いといってT千穂に来なかったKさんより、「今T千穂にいます」。とメール。「昨日T千穂にいったんですが、後半覚えてなくて、何か失礼なかったか聞いてくれません?」「別に何もなかったそうだけど?」」安心して出かける。聞いてみると、何も変わらなかったが、プロレスの話しで結構盛り上がった、と思ったら、下向いて寝てた。ということである。常連の御夫婦は「これから雪を撮影するっていってましたけど撮れました?」「雪を撮影?ポケットにチョコレートが入ってたんですけど、ひょっとして?」奥さん「この間の誕生日のケーキと同じで、バレンタインでチョコレートなんて何年ぶりって、開けて匂い嗅いでましたよ?」「・・・。」  私は夢はめったに見ないのだが、どんな変わったシチュエーション、出演者であろうとも、私は、私がしそうなこと、いいそうなことしかいわない、というのが私の夢の特徴なのだが、どうやら記憶が無くなる程飲んでも、たいして私からは逸脱しないようである。それにしても、記憶がなくなるなど久しぶりである。ポケットに入っていたのがチョコレートだから良いようなものの・・・。

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夜中だったか明け方だったか、点けっぱなしのテレビにボンヤリ目をやると、広い海辺で日本の軍人が、きちっとした姿勢でアメリカの将校に何かを渡している写真が映った。渡しているものはおそらく軍刀であろう。アナウンサーが解説していたのかもしれないが、今上映中の映画『太平洋の奇跡』の実際の写真だろうと思った。ほんの数秒で終わったのか、寝てしまったのかさだかでないくらいボーッとしている状態であった。この映画は観るつもりでいたので、木場のヨーカドーで買い物をしたついでに観た。 最近、映画『明日のジョー』で体脂肪率何パーセントなどと盛んにやっているせいか、状況を考えると兵隊がみんなピチピチしているように見える。こういう映画には、目を背けたくなるようなシーンが必要だと思うのだが出てこない。アメリカ兵は、昔は中途半端な外人俳優が使われたものだが、無名のようだがちゃんとした演技であった。しかし、寝ぼけ眼で見た写真1カットの方が印象に残っているのは何故か。無いものは撮れない、とここのところボヤいていたが、在る物を撮った写真に打たれる。というオチがついた。しかし、こういう映画は作られ続けるべきであろう。 
帰宅後、中野正剛の書が届く。東条英樹と対立し、最後は憲兵が隣りで見張っている部屋で割腹。頚動脈を切断し自決した。『国は経済によりて滅びず,敗戦によりてすら滅びず。指導者が自信を喪失し,国民が帰趨(きすう)に迷ふことによりて滅びるのである。』

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無いものが撮れないのが写真ならば、撮れるように作らねばならない。これがあるとイメージ通りの作品が作れる、という物を思い付いた。ただ作るのには手間がかかるし、少々材料費もかかる。それにあわせて人物を作るわけだから、多少アングルを変えたところで撮れるのは1、2カットであろう。一応ためらってみるのだが、多くの場合、結局作ることになる。 写真を撮るようになり、おかげで思いも寄らないものを作るハメになった。 人は思い付いた物を作るようにできている、といったのは養老孟司だったか。思い付きというのは、だいたい棚からボタモチのように落ちてくるが、そんな時、私はいかにも思い付いた。という顔をするらしい。かつて漫画では、頭上に白熱電球が点いたものである。 子供が口を開けたままボーッと遠くを見ていたら、ロクなことは考えていないので、頭をはハタいて我に返らせるべきであろう。状況と関係なく、必要とされていない事や物に嬉しそうに没頭していると、周囲の人はイライラし、時に怒り出すことを子供の頃から身をもって経験している。よって思い付いたからといって、ハシャグことは慎まなければならない。 K本で飲んでいると、職人と作家はどう違うんだと訊かれたりする。需要が有る無しに関係なく、作り続けているのが作家であろう。もちろん需要があるにこしたことはないが、そんなことにお構いなしに白熱電球は点くわけで、実にやっかいなことではある。

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二・二・六事件当時の戒厳司令官、皇道派の香椎浩平中将の色紙が届く。決起した青年将校に同情的で、事件後裁判にかけられている。そんな日に雪が降る。 このまま積もれば三島由紀夫で二・二・六の戒厳令下の朝でいきたい。午後一時からモツ鍋を誘われていたのだが、明日のロケ場所を考えるためパス。都内で3ヶ所目星を付ける。TVで『沈まぬ太陽』を見るが全くつまらなくて途中でやめる。サラリーマンの社内事情など眺めている気分ではない。 雪といえば『乱歩 夜の夢こそまこと』(パロル舎)の中で『盲獣』を制作したとき、切断された脚をぶら下げた風船が浅草寺上空を浮かんでいるシーン、湯船に浮かぶ沢山の切断死体、“鎌倉ハム”のこれも切断された女性の手首、などとともに、雪の中から覗く足首を撮影したかったが、その年、東京に雪は少なく、たしか掲示板で情報を求め、東武線に乗って鬼怒川方面に、電車から地面に積もる雪をチェックしながら川治温泉まで行った。2某日5 アダージョの樋口一葉の時は薄っすら積もる雪をでっち上げたが、大雪となると難しい。独裁者ムバラクを倒し盛り上がるエジプトのニュースに、明日を期待したが、どうもボタ雪で戒厳令の朝は無理の様子。盲獣の時と違って、雪が積もっていれば良いわけではないので諦める。せっかく頭の中にイメージがあっても、無い物は撮れないのが写真。眉間にレンズを向ける念写が理想なのでイライラする。

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夕方アダージョの編集長といつもの木場デイナイス東京の1Fで会い、テスト刷りのチェック。問題なし。そのままK本へ。今号は中景に配した車両群がポイントなのだが、その場所を紹介いただいた大手ゼネコンのMさんに結果を報告。中景というより背景すべてといってもよい。この人物がなんでここに立っているのだ、という違和感にいたる前に本文に入ってもらおうということに毎回頭を悩ませてきた。本文を読めば、特集された意味は判るが、この人といえばここ。という場所ばかりでないところが都営地下鉄駅周辺を背景にしなければならない難しさである。と私は何回ぼやいたことであろう。  閉店時間になり、先日のお店のお祝いに参加させてもらったT千穂へ。常連のKさん、あれ以来来ていないという。数日来ないとすぐ『死んでんじゃないか?』といわれてしまう。電話してみると定年後の遊びすぎ飲みすぎが祟ってか、風邪がなおらないといいながら来た。鼻をグスグスさせているKさんとしばらく飲む。私はどちらかというと一箇所に落ち着いて飲む方であったが、Kさんの影響か、一人T千穂を出てT屋へ。近所の会社の若いサラリーマンで一杯である。終電時間も迫った頃、慌てて帰り支度していたが、中に若いインド人がいて、目がすわってしまっている。みんな出て行ったと思ったら、女の子が走って戻ってきた。インド人と、先輩格の青年がつかみ合いのケンカを始めたとベソをかいている。店主のHさんは、九州男児の正義漢である。最近は酒を控えて体調も良い。私にも来てというが早いが店を出る。いざとなったら助っ人を、という意味かと思ったら、Hさんがケンカを“止め過ぎ”てしまった場合、自分を止めてくれ、という意味だったらしい。なんだそれは。 自転車に乗った警官が通りかかったこともあり、すぐ収まったが、警官に対して「何事もおきてませんよ」というHさんのとっさの雰囲気作りに場数を踏んだ味を感じた。青年と女の子を店につれて帰り、「待ち伏せしてるかもしれないからしばらく居た方が良い」。こういうことに関して実に気が利きテキパキする男である。もっとも、普段は圧倒的に仲裁される側なのだが。

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一日  


携帯電話を大慌てで踏み潰している夢で目が覚める。元魁傑の放駒理事長はあるていどは覚悟していたろうが、最悪の事態に大ファンだった私は見ていられない。春場所中止はしかたがないだろう。  関の孫六の模造刀、鍔を換えたら見違えたので、細かい部品を取り替え絹製の袋も注文した。具合の悪いことに刀身のカーブがなんとなく品に欠けているように見え始め、最終的に別物になってしまうのでないか。だいたいカスタマイズできる物というのはタチが悪い。撮影用なのだから大概にしないといけない。
昨年知人が個展をやったスペースがあり、話は聞いていたが、ギャラリーでもなく、店舗のワンフロアーの極狭いスペースで、そもそも場所からして私の作品には合いそうにない場所であったが、急に気が変わり、もし空いていれば展示してみたいと考えている。普段使われていないようなスペースらしく、知人によると空いているだろうということであるが、狭いのなら点数も少なくて済むだろうし、だったら今年中開催も可能かもしれない。肝心の会場はまだ見ていないのだが。空いていること判ったら観に行ってみよう。 普段私は1日に2ヶ所に用事がある、などというともう面倒になってしまうくらいなのだが、こと作ることになると一変し、気が急いてしょうがない。陶芸の専門学校にいた時、焼き上がりを早く見たくて懐中電灯を持って学校にに忍び込み、窯を開けて急冷させ、釉薬の細かいヒビ(貫入)だらけにした犯人は私である。窯が一杯になるまで作るのを待って焼き上げる陶芸など私には無理であった。 しかしその気になると、酒でも飲んで馬鹿なことでもいっていないと、色々なことを思いついてしまい、結局作ることになってしまうので、懸命に飲酒に励まなければならない。これは満更冗談ではないのである。

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