明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



今作っている二人の禅師がネット上はともかく、発表出来るかどうか判らないので、誰を作っているか書かないまま制作している。駄目であれば作品自体の発表は別の機会になるか、友人だけに見せて「どう?良いだろ?」ということになるかもしれない。しかしそれでも、創作の快楽だけは味わっている。 快楽のために制作している、なんていうのは勿論、当ブログ内だけの話であり、よそではそんなことは聞かれたって言わない。 私は以前、そんな状況でなんで笑っていられるのだ?と言われたことがあるが、最低限、創作の快楽だけは味わっているのでとりあえず笑ってしまう訳である。仕事でストレスを感じたのは、多分たった一度、最近亡くなった高橋幸宏さんのレコードジャケット『EGO』の制作で、アートディレクターの説明が抽象的で理解できず追い詰められた。多分あれぐらいだろう。 それにしても、作っても展示出来ないかもしれない物に向かっている。これがまた快感を高めている原因なのは間違いない。三島由紀夫がただ死んでいるだけの個展を二度に渡って開き、唯一やり尽くした、と言っている私である。『寒山拾得』に至ったのは自然な流れとしかいえない。



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午前中、エンジェルスホームランのタイミングで、芳香を放つ瓶が届く。ブラジル産スピリッツ。我が家では、どんな酒でも氷も何も入れず生のまま飲る。製造者の思いを考慮し、ということはなく、ただ面倒臭い。せめてショットグラスでいただきます。なんて言っていたのに、エンジェルスを観ている最中で、ついトランペッタースタイルで。 こんな面倒臭がりが、バチとしか思えないが、作品制作は反比例し、一カットのために、益々面倒な方向に向かっている。人生上の皮肉といえよう。しかし陰影を出さない手法は、光やレンズでの誤魔化しが効かないおかげで、人形制作の原点に、いやがおうにも還らされることにもなっている。良く出来たストーリーである。いずれにしても世間でいう連休初日、さる液体のおかげで制作に間違いなく鞭か入った。



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昨晩は、明日は大谷翔平が先発だし、なかなか名文なラブレターを書いたつもりで寝たのだが、朝禅師の首を見て〝投函するのはだいぶ先だ”。四十年以上やっていると、独学我流者の財産といえば、恩師、師匠の教えが無い代わり、膨大な失敗のデータの蓄積があり、失敗をしたとしても、おおよそ同じ過ちの記憶がある。最後の失敗というと、正月に、竹竿にシャレコウベ掲げた一休宗純を作っている最中に、英一蝶の『一休和尚酔臥図』を見て、その晩酔っ払ってシャレコウベ枕に酔い潰れた一休を思いついてしまい。思ったのは良いが、竹竿の一休を作って撮影した後にすれば良いのに我慢が出来ず、開いた目を粘土で潰し、寝ている一休を先に完成させ、後で塞いだ目の下から開いた目を発掘するのに往生した。そして今は展示出来るか判らないのに我慢出来ずに七百年前の禅師を作っている。始業のチャイムが鳴っているのに図書室から出て来ず。大騒ぎになった低学年の頃から何も変わっていないが、治らないならせめてバレないようにフリだけでもしろ、という母の教えのおかげで、どさくさに紛れて今に至っている。結局同じ過ちを繰り返している、という話で終わってしまった。



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一日  


二人目の禅師の頭部を作りながらヤフオクでペーパーナイフを落札。一人目の禅師に、元寇つまりモンゴル兵が突きつける剣を作る予定である。中国の青龍刀にちょっと似ている。モンゴルでは良い鉄を産出し、兵器工場があった、とマルコポーロだかが書いてる。 木像より肖像画の方が実像を伝えている、と判断したが、斜め45度の肖像画を元に立体化を始めると、絵には描かれていない正面顔が立ち現れる。それが、木像の正面像と意外と似ていて、木像の作者は根拠を持って作ったのが判った。レントゲン写真によると、より肖像画に似た垂れ目におちょぼ口が下に埋もれている。つまり何度かの修繕により変化が加えられてしまったのだろう。 本日の大谷翔平、エンジェルスの勝利が決まったと同時にシャドーピッチングの動作。もう頭は明日の先発投球である。この青年は努力家などという以前に、野球する快楽に取り憑かれている、と思う。



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『タウン誌深川』No.271号 引っ越し時に、生まれた日からの写真アルバムなど忘れて来たが、かえって前しか見ない、ことに拍車をかけることにになったのではないか?という話を書いた。たまたま複写していた母とのお宮参りの写真を使った。最近元気のないという母に少しは刺激になるかもしれない。沢山欲しい、というのでホームに10冊持って行くことに。 道端に人間の指が落ちていたのを小学生が見つけたという。配達員が車のスライドドアに挟んで切断したそうだが、病院にも行かず配達を続けたという。見上げたプロ根性である。そういえば我が小学校の砂場から指が出てきた話を聞いたことがある。名前は変わったが、柔道のウルフアロンも出た小学校である。低学年で周りがマッチ棒のカカシみたいな絵を描いている時、私は筋肉まで描いていたが、常に子供の絵じゃない、とド素人の教師に差別され独学自己流の遠因となり、産休の代理教員の田中先生が人物伝ばかり読み漁る私に『世界偉人伝』をくれ、本日も七百年前の坊様を作っている。



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禅師二人目は始める始めると言いながら1人目を触ってしまって、ようやく二人目に取りかかる。 私はいったい何を作っているのだ?と思う時、言い知れぬ幸福感に満たされる。粘土と竹を削ったヘラとアイスクリームの木のスプーン。実に安上がりな幸福である。しかし今回この幸福感に貢献していると思われるのは、七百数十年前に創建された寺のホームページのトップに掲げられている、中国(宗代)より来日し、寺の開山となった木像に対し、実像はこうだったのではないか?という物を作ろうとしている事になる。これはもう、ひとえに養老孟司氏いうところの〝人間は頭に浮かんだ物を作るように出来ている”という仕組みのせいである。再び礼拝物不敬罪で武装集団に銃口を向けられる夢を見るかもしれない。 たまたま重文である件の木像が、某博物館で公開中と知った。さすがに考えたが、結局見に行かないことにした。大谷翔平は良いことを言った。「憧れるのは止めよう」。独学我流者の勘もそういっている。



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寒山拾得を手掛けて以来、さまざまな道筋を経ながらラインナップを決めて来たが、そもそも禅宗でも臨済宗が詳細な頂相を残すのが特徴と知らなかったせいで、寒山拾得から、子供の頃イメージした一休宗純も同じ臨済宗か。これも縁だ、と一休を作り、その肖像を描いたのが曽我蛇足(じゃそく)で、蛇足が描き、一休が賛を書いた臨済宗の開祖、臨済義玄の激烈な表情が面白くて作ってしまった。 次は日本に禅を持ち込んだ栄西と思ったら、臨済宗も15派に分かれ、そう単純なことではないらしい。展示出来るか判らないが、二人の禅師を作っている。きっかけは坐禅もしたことのない私の行き当たりばったりかもしれないが、すでに流れが生じており、流れには逆らうべきでないことを知っている。寒山と拾得に見えるバカボンのパパとレレレのオジサンを描いた赤塚不二夫も言っている〝これで良いのだ”



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二人目の禅師は頂相を元に制作することに決めたが、その迫真性は、宋代に描かれ、来日時に携えて来た、という説が頷ける物である。当時の日本の実力は及ばない。しかし何しろ陰影がない。そのディテールは想像するしかない訳だが、その辺りは、頬がこうなっていたら、ここのラインはこうなっているだろう、などと、散々やってきた(誰も知らないし)。 しかし肖像画と人相が違う木像はかなり厚い補修がなされており、レントゲン写真で、その下には肖像画に近いタレ目とおちょぼ口の正面が確認出来た。さらに、京都の江戸時代に作られた像の中に、何かの事情で破損している面に当たる部分が封じ込められているのが最近発見され、取り出せはしないものの、およそ七百年前のものと確認されている。その細面は、やはり肖像画に似てる。 アバタや鷲鼻を写真師に修正させ、未だに日本国民を騙し続けている夏目漱石のように、本人でさえ嘘をつく場合がある。しかし胃弱の小説家と違って禅師の頂相は、時に耳毛さえ正確に描かせている。



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朝食に人参、牛蒡の糠漬けにネギ入り納豆。それぞれの割合によって微妙に味が変わる、いわゆる口中調味である。イタリア系アメリカ人の妹の旦那が実家に来て、母が丼物を出した。その晩電話が来て、具の部分だけ先に食べてしまい、後からご飯だけを食べた、と言っていた。『噂に聞いていたの本当だったんだ。』 日本人は良くも悪くも特別なのは間違いないが、それには国が小さく(大きな生物(大人物)は縮小し、小さな生物(一般庶民)が発達する説)海に囲まれ、水が良く、四季の刺激がある。なんてことが貢献しているのだろうが、この口中調味により、時に調理者の思惑を超え、無限かつ微妙な味のバリエーションを享受できる神経も貢献しているのではないだろうか?海外からすれば様々な物を口に入れることが品のないことに見えている可能性はあるけれど。 そういえば子供の頃読んだ大人の週刊誌に、白人は大小便を同時に排泄出来ない、と書いてあったのを今思い出した。事実を知らないまま死んでもかまわないので、ご教授は無用です。



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AIにより作られ世界最高峰の写真展でグランプリをとった作品は、わざわざ古典的手法で撮ったかのように作られ、受賞を拒否した作者は、現在の写真の世界に一石を投じようとしたのは明らかである。今後出版される写真の歴史本に、この作品に、一項を設けることになるだろう。〝レンズを外側に向けず、眉間に当てる念写が理想”の私は長い間、実行しているつもりでいたが、人形にまるでそこに居るかのような陰影を与え、それは所詮外の世界の模倣に過ぎなかった。一度だけ、どれだけ実写に見えるか古今亭志ん生で試した事がある。結果私はただの撮影者となり、挙句に「これは私が作った人形です。こんな老人がこんな物担げる訳ないじゃないですか?」2度とすまいと。 写真から陰影を無くせば、光の呪縛から解放され、写真や西洋画になく、東洋画や浮世絵にある自由を獲得できるのではないか?その頃買い物の帰り道、光源のない頭の中のイメージには陰影がないことに気付いてスーパーの袋を落としそうになったのを覚えている。これは私の感慨だが、件の一石が投じられる前に、今の表現に至っていたのは何よりだと思う。今後さらにそう思うことになる気がする。

 

 

 



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頭部が出来た出来たと言いながら〝ラブレターは一晩経ってから投函せよ”または〝アルコールが覚めてから投函せよ”の教訓を守っているうち、投函しないまま日が経ってしまった。昔から良くあるパターンであるが残された木像を参考に作っているが、私が作りたい場面は禅師が来日前のエピソードなので10歳は若くなければいけないことを、うかつにも先日気付き修正をした。 これでもう一人の禅師に取りかかれる。こちらは残された重文の木像より、国宝の肖像画の方が実像に近いと判断した。自ら賛を書いているし、中国(宗)で描かれた物を来日時に携えて来た説も納得の迫真さである。これがなかなか個性的なご面相で、やりがいがある。ご多分に漏れず斜め45度の肖像だが、作ってみて、描かれていない正面からの姿がどうなるか?誰も知らない。立体化のメリットである。



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AI  


13日にAIに触れたばかりだが、AIで制作された作品が、国際的写真展のクリエイティブ部門の最優秀賞を受賞した。これでますます、私が蛇蝎の如く嫌った“まことを写す”という写真という用語の終焉が近づいた。作者にとってまこととは何か?曖昧なままでは、やり難くなるだろう。 現世は夢 夜の夢こそまこと、と言いたいがために人形を被写体にし、それでも足りない、と挙句に陰影まで無くした私にとっては居心地が良い時代になるだろう。これも偶然ではなく、この時代に、こんな表現を、と私も様々な時代的要素が絡みながら変化し今に至っている訳で、時代の方も時代として動いている訳である。 しかしながら、とりあえず現世のことはどうでも良く、もっぱらの興味は七百数十年前の二人の人物に集中している。被写体が上手く作れれば、その分完成に向けて大変な快楽が待っている。果たして発表が可能か?それはとりあえず置いといて。先のことより目の前の欲望である。



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明日はあれを作る、これを作ると言いながら気が変わって他のことをやってしまう。ブログで嘘を書いたことになるので、行き当りばったりの私は、あまり予定を書かない方が良い。フットボールを観た後は赤い色が違って見える。と寺山修司が言っていた気がするが、だとしたら大谷翔平にも責任があるかもしれない。流れには逆らわず“考えるな感じろ“である。一人目の禅師、参考にしているのは亡くなる61の頃の木像であるが、私が作ろうとしているのは来日前の出来事である。計算すると49なので修正する。 先日の夢では武装集団に〝礼拝物不敬罪”で処刑されそうになったが、この人物を手掛けることが、新たな流れを呼ぶかもしれないし、呼ばないかもしれない。それは私の決める事ではない。



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結局一人目の禅師の頭部、仕上げ手前まで持ってきた。明日は相手の元寇を作るか、二人目の禅師に取り掛かるか、気分次第なので書かないことにする。 区長選の選挙カーがやかましいが、選挙カーというと思い出すのは麻原彰晃ともう一つ。幼稚園に通う道すがら、一台の選挙カーが通った。助手席で手を振っていたのは、新東宝の中川信夫の『地獄』の地獄絵に取り憑かれた画家、『東海道四谷怪談』では按摩の宅悦。その他で活躍した悪役俳優というより、どちらかというとメイク要らずの怪奇俳優大友純であった。モジャモジャ髪が風に煽られ乱れながら、笑顔で手を振っていた。朝っぱらから見るような、いや朝だからあの程度に済んだのかもしれない。道行く大人は唖然として凍りついていた。 現在こそ、悪役俳優に限って穏やかな良い人が多く、正義の味方が真逆の場合が多いことを一般人でも知っているが、昭和三十年代はそうではなかったろう。実際大友純もご面相とはイメージが違ったそうである。あれだけ凍り付かせ、応援効果があったのだろうか?

 



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学ぶは真似るから来ている。昔から素直に受け入れられないで来た。日曜美術館で明兆の『蝦蟇鉄拐図』を取り上げていた。作業しながら聞いてただけだが、『寒山拾得図』で有名な中国の顔輝の影響、ということで、衣の表現に独自性が、と解説していたようだが、肝心で最も美味しい所は顔輝そのままで、衣ぐらいが独自でどうする?と思ってしまうのである。明兆自体は素晴らしい絵師だが、この点について狩野派の粉本主義ならずとも、日本の絵師の学びの伝統に度々ブログでも違和感を書いて来た。人間を描くなら、他人がイメージし、表現した物から学ぶのではなく、生の人間から直接学ぶべきだろう。独学自己流者の勘は、人形は人形から学ばず写真は写真から学ぶべきではないとも。私は基礎を学ぶ機会を逸したと思っていたが、算数なんてつまらない物が大人になって必要になる訳がない、と思ったのと同様、石膏デッサンもそう思っていたから、結果は変わらなかったのかもしれない。



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