今作っている二人の禅師がネット上はともかく、発表出来るかどうか判らないので、誰を作っているか書かないまま制作している。駄目であれば作品自体の発表は別の機会になるか、友人だけに見せて「どう?良いだろ?」ということになるかもしれない。しかしそれでも、創作の快楽だけは味わっている。 快楽のために制作している、なんていうのは勿論、当ブログ内だけの話であり、よそではそんなことは聞かれたって言わない。 私は以前、そんな状況でなんで笑っていられるのだ?と言われたことがあるが、最低限、創作の快楽だけは味わっているのでとりあえず笑ってしまう訳である。仕事でストレスを感じたのは、多分たった一度、最近亡くなった高橋幸宏さんのレコードジャケット『EGO』の制作で、アートディレクターの説明が抽象的で理解できず追い詰められた。多分あれぐらいだろう。 それにしても、作っても展示出来ないかもしれない物に向かっている。これがまた快感を高めている原因なのは間違いない。三島由紀夫がただ死んでいるだけの個展を二度に渡って開き、唯一やり尽くした、と言っている私である。『寒山拾得』に至ったのは自然な流れとしかいえない。