明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



小津の戦前の無声映画『青春の夢いまいづこ』(1932)を観る。主演は“一に草人、二に宇礼雄、三、四がなくて五が馬”の江川宇礼雄。私の世代では『ウルトラQ』一の谷博士である。ドイツ人だかの血が入っていたと思うが、この時代はジャン・コクトーとルー大柴を混ぜたような顔である。就職難の時代、昭和恐慌を背景にした青春喜劇。大晦日の午前中に観るにはちょうどよい。
私はどちらかというと、より小津的と思われる戦後のカラー作品が好きである。例のセリフまわしも、戦前作品より、さらに特徴的である。アグファのカラーは美しいが、よく誤解されているのが、小津が好きな赤を、より美しく再現するからアグファを選んだ、ということである。実は、いくらか朱に傾く赤を、小津は気に入っておらず、むしろ青すぎる空を嫌い、コダックを使わなかった、というのが本当のところのようである。しかし、アグファの煙ったような青空が美しいと思えないが、小津の、自身の美学にのっとっていれば、不自然であろうとお構いなし、というところが私は気に入っているのだから良いのである。そういえば小津のおかげで、私の好きな監督1位から2位に降格してしまった大映の増村保造も、小津とは趣向が違えど、自身の美学にのっとっていれば、不自然であろうと、物凄くお構いなしな監督である。私にしても、お構いなしで、来年も捏造、創作を続けることであろう。2009年第一作は小津安二郎ということになる。

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一日  


古石場文化センターに行き、小津のDVDを数十本借りてくる。暮れから正月にかけて、小津にドップリ浸かろうというわけである。帰ると階下のYさんからK本を開けてもらうから来ないか、という誘い。最終日に来られなかったKさんとHさんの総勢4人。Yさんは『エドはるみ物語』にスタッフで参加していたが、通行人役で出てたのをたまたま見てしまったので、ただの通行人にあるまじき演技をからかうのだが、Yさんがプロデュースした浅田次郎の『プリズンホテル』(1997)が正月に放送されるそうで、これもまた出演までしていて笑わせてくれそうである。 舞台俳優のKさんは、先日奇声を発しながら走る自転車にぶつかり、止まったところで注意すると、泥酔したモンゴル出身の女子レスラーで、道端で大乱闘になったそうである。Kさんは空手2段で古武術の心得もあるのだが、相手はやたら強かったそうで、警察まで駆けつける始末だったそうである。そういえば、最近来日したと聞いた覚えがあるが、モンゴルからは、ちゃんと躾されたものを輸入すべきであろう。 帰ると織田裕二版『椿三十郎』と市川崑 が自身の作品をリメイクした『犬神家の一族』をやっていた。『椿三十郎』は、なぜこんなものを作ったか不明である。TV時代劇ではしかたがないが、どんな蛍光灯がぶらさがっているのだという安っぽいライティング。最近小津映画の、隅々まで気を使った画面にはまっている最中なので観ていられない。その点市川崑 の画面は昔から美しく大好きな監督なのだが、横溝がいけない。誰がどうのと面倒な話にどうでもよくなり、何度観ても、ストーリーは覚えていない。美輪明宏が、乱歩の世界は黒のサテンに無造作に宝石がころがっているが、横溝は肥溜めのにおいがしてウンコ臭いといっているが、それはともかく。 『椿三十郎』は最後がオリジナルと違うと聞いていたので、そこを観ると、オリジナルでは三十郎がどう切ったか一度では解からず、2本立てを2回観るハメになったものだが、今回はどれだけつまらないか、スロモーションで解説する馬鹿らしさ。織田裕二は決して嫌いではなく、むしろTVは結構観ているのだが、持っていないものを出そうとしても無理がある。

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一日  


フラワーホーンは人の手により作られ、人工的な繁殖をくり返してきた種であるため、子育てするという概念を忘れている、という人がいる。本来シクリッドという種類は、時にペアが協力して子育てをするのだが、私の経験では、フラワーホンも例外ではなく、オスは当てにはできないものの、メスは常に卵が黴ないよう、新鮮な水がいきわたるようにヒレで扇ぎ続ける。しかし今回のメスは、当てにならないオスから卵を守るよう、いつも卵の上に常駐しているものの、一切扇ごうとしない。白く濁ってしまった卵をどかし、判りにくいような場所に隠すように移動させているのだが、今のところ孵化にまで至っていない。
頭部が完成すれば、もう出来たも同然なのだが、そんな時、頭を持って歩くことがクセになった。放っておいて、印象が変るのを恐れているのかもしれない。正月中も制作していようと思っているので、御茶ノ水に材料を買いに行く。ついでにテキサスのブルースマン、ホップ・ウイルソンのCDを買う。どうしてもLPで、すでに持ってるものを買ってしまう。スチールギターを弾くウィルソンは、明るい曲調のわりに陰鬱なトーンの歌が魅力である。ジャケット写真も歯が痛いような、梅干を口に含んでいるような、嬉しくない表情をしている。木場に着くとすでに5時過ぎ。本日はK本の本年最終日である。御常連はすでに到底追いつけない域に達していた。松竹の矢島プロデューサーと元木監督が来たので、“松竹”の小津安二郎の頭を披露したのであった。

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蕃茄山人氏のお誘いで、嵐山光三郎プロデュース『中村誠一X'MASジャズコンサート』へ出かける。麻布区民センター。『ジングルベル』からスタート。ファンキージャズの『シスターセイディ』では吉岡秀晃のピアノがやたらとカッコがよい。前回も思ったが、心なしかホレス・シルバーに顔が似ている。『イフユー・クッド・シーミー』中村さんのテナーによるバラードは、なんといってもである。さらに秀逸だったのは、中村さんと遠縁だという琴の萩岡松韻との共演。『松、竹、梅 セニョール・ブルース』松竹梅は江戸時代の曲だそうだが、それが再びホレス・シルバーへ。違和感まったくなく、しばし陶然となる。中村さんの教え子であろうか、女性の歌う『君の瞳に恋してる』。会場が歌にあわせて、事前に教わったフリをする。隅田川のこっち側だったら絶対にしない私なのだが。アメリカからの飛行機が大寒波とかで遅れ、何とか間に合った中村さんの娘のSARIさんは、学生時代に聴いたときからくらべて、格段に進歩しており驚く。最後は『津軽海峡冬景色』。選曲その他、事前に何度も打ち合わせしたことが、嵐山さんにより語られたが、実に濃厚なコンサートであった。タクシーに分乗し、新宿の2次会場へ。昨日、樋口一葉のコスプレをしたと書いたばかりの南伸坊さんの姿。私の前には、国立の大御所木彫、画家、関頑亭先生。おかげで愉快に話を伺えた。嵐山さんと中村さんにはアダージョ志ん生号。坂崎重盛さんには三島号を差し上げる。帰りに丸の内線に乗ろうとしたら、前を、未知の生物、オリバー君、アリ対猪木、ネッシー探検隊、『血と薔薇』『家畜人ヤプー』出版などの康芳夫。その横にはギャラリー美蕾樹をやっていた生越さん。3年ぶりであろうか、しばし懐かしく話した。康芳夫と生越さんでは、あまりにも違和感がなかったが、たまたま同時に乗っただけだったようである。
木場に着いて、すでに店を閉め、片付け中のT屋をノックしたのがいけなかった。気がついたら朝。旦那と交代に起きてきた奥さんの朝定食を食べて帰ったのは8時であった。私は勧められた酒を断わることができない。今度T屋にいったら、私がわんこ蕎麦のように、グラスを手で塞いだら、もう注がないこと、と決めてこよう。

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背景は現存する樋口一葉が通った質屋である。年の瀬に質屋ということもあり、あまり寂しくならないよう心がけた。用事を済ませて外へ出たら、先ほどより雪が降っていて、というところか。
一葉をつくることになれば、やや右を向いたバストアップの写真を参考にすることになるが、同じ写真を参考にしながら、両極の結果を示した作品がある。一つは鏑木清方の裁縫仕事の最中に、ふと小説に想いをはせたところを描いた作品である。これは肖像写真とならんで、一葉のイメージを決定していると思われる。なにしろ南伸坊氏まで、おなじ扮装をして写真に納まっているくらいである。清方は顔の角度をわずか右に振っており、さらに目も鼻も口も“創作”してしまっている。にもかかわらず、まさに一葉と思わせるところは、さすが鏑木清方というほかはない。 もう一点はご存知5千円札である。真偽のほどは判らないが、札の肖像には、偽造をしにくくするため、髭や皺のある老人が選ばれるのが通例で、よって一葉決定は難航した、と聞いたことがある。元になった原版はコントラストが高く、ディテールが飛んでしまっている。清方とは反対に、ディテールが無い物は無く、一切創作することなく責任の持てる部分だけを拾った結果が、凍りついたお面のような5千円札なのであろう。一葉は右顔面に自信があったか、残された写真ほとんど右を向いている。私の場合はというと、背景の都合で左を向かせただけで、さらに横を向かせたのは、誰も知らないからいいや、と思ったわけではなく、傘の向きの都合である。

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産卵  


夜中の3時頃から産卵始まる。メスが底面に卵を産み付けると、オスがすぐになぞるように放精をする。それをずっと繰り返す。オスは28センチほどあり、メスは丸々としていたので千個単位で産むかと思われたが、存外すくなく、あっけなかった。粘着力に難があったか、散らばってしまっている卵がみうけられたから、そのせいかもしれない。産卵後、メスは卵の上から動かず、うかつにオスが近寄ろうとすると威嚇している。オスはというと、私の姿を見ては大口あけて餌を欲しがっている。早々に別の水槽に分けたほうが良いかもしれない。産卵前は、オスはメスを追いかけまわし、ボロボロに傷つけることが多いが、そのくらいでないと上手く行かない。何度となく、セパレーターで分けたり、一緒にして刺激してみたりと苦労させられた。散々大きなオスに攻撃を受けていたメスも、母になった今は、数倍大きなオスを平気で攻撃する強さを見せる。 サイズをあわせるため、お互いのメスを交換した友人の飼うペアは、セパレーターで分けて、親戚の法事で出かけている間に産卵して失敗に終ったばかりなので、なんとか孵化までもっていきたい。

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6時に江東区内の上妙寺にて、オンド・マルトノという1920年代に発明された電機楽器の演奏会。知人の重杉さん企画のイベントということである。18:00~としか書いておらず、コクトー研究家の藤沢さんが着くのは8時になると聞き、すっかり8時過ぎまでかかる演奏会だと思い込んでしまった。直線距離にすればたいしたことはなく、昼間なら自転車で行くところだが、バスに適当に乗ったら、どうもややこしい。タクシーに乗り換える。住所を伝えると、おぼつかない手つきでカーナビに入力する運転手。到着地点は狭い路地で、寺などどこにもない。降りて探し回ると、庭一面、足元ににキャンドルを灯した上妙寺に到着。7時を少し過ぎていた。受付に行き1000円を払い、階段を上がり、会場のお堂の障子を開けると、キャンドルの薄明かりの中、女性がソプラノで歌っている。鍵盤楽器からは、不思議な音がしている。『これがオンド・マルトノか。テルミンとはだいぶ違うものだなあ』と思ったと同時に、主催の重杉さんが立ち上り、メンバーの紹介を始めた。そして続いて終演のご挨拶となったのであった。
藤沢さんご夫婦、重杉さん、クイックジャパンなどで書かれている北沢夏音さん、現代音楽の作曲家鈴木治行さんと、喫茶店に移動し、しばらく話す。おかげでオンド・マルトノを聴きそこなったダメージ薄れる。最寄の駅が一緒ということで北沢さんと帰った。帰宅するとフラワーホーンのメスは産卵場所とさだめた底をさかんに掃除をし、メスの輸卵管、オスの輸精管、ともに伸びてきた。おそらく朝までに産卵するはずである。

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浮草  


小津が大映で撮った『浮草』を観る。大映の作品は、子供の頃から音声が入力オーバーのような気がしていた。市川雷蔵や勝新太郎、田宮二郎など、記憶の中ではセリフがすべてバリバリいっている。以前何かのおり、関係者に聞いてみたことがあるが、それは映画館固有の問題だろうということであった。確かに賛同を得たのは、小学生の頃に、大魔神やガメラを、時に舞台の上のムシロに寝転がって、一緒に観た友人だったので、そんなもんかと思ったのだが、このDVDでも他の松竹作品と違ってオーバー気味に音が割れていた。 映画は里見とん原作の作品で、小津には珍しく土砂降りの雨のシーンがあるが、これはカメラの宮川一夫が進言したらしく、結果的にはメリハリが付き良かったように思える。それにしても中村雁治郎と、杉村春子の良さがたまらず、それを観たさに続けて2回観てしまった。まだ垢抜けしていない若尾文子に、お人形のような野添ひとみ。 旅回りの一座の話だが、まさかいないだろうと、適当な役者名の幟を作って立てておいたら、実在して問題になり、小津が気を使って当初のタイトル『大根役者』を替えたという説があるが、いかにもな話である。
産卵まじかと思いながら、一進一退を繰り返していたフラワーホーンのペアだが、いよいよ機が熟した感じである。

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一日  


アダージョのライター藤野さんが、門前仲町近辺を取材するというので、古石場文化センターへお連れし、その後、私の愛用自転車の1台、ワンタッチピクニカで近辺を探索してもらうことにする。 センターに戻り小津の『風の中の牝鶏』(1948)を観る。田中絹代が旦那の出征中に、子供の治療費のために売春をし、数日後に帰ってきた佐野周二が、頭では理解するが苦しむという話しである。開演時間に少々遅れ、着いたときには、田中絹代はすでに身を売った後であった。佐野が築地あたりの売春宿を訪ね、出会った売春婦と隅田川岸に腰掛けるシーンでは、昨日ピクニカで通ったばかりの勝鬨橋が映る。私は開閉していたのを覚えているが、現在開閉可能にするには10億はかかるという。古い映画を観る楽しみの一つは、かつての景色を観られることであるが、川本三郎さんは、東京でも、昭和30年代までは、戦前の風景が撮影できたといっているが、東京オリンピック以前の景色を覚えている人間には、戦前の映画だろうと馴染み深く感じることができる。逆に現在の東京の風景に関しては、私は何がどうなろうと知ったことではなく、佐野にもっとまともな職業に着けといわれ、いまさらもう無理よ、という売春婦なみの諦めようである。上映後、出てきた老人の中には、小津とおなじ白いピケ帽かぶっている人がいた。全国小津ネットワーク会議で副会長だったかをやっておられた方を紹介いただく。ポケットから取り出した小津の頭をご披露したのは、いうまでもない。 取材を終えた藤野さんをK本、K越屋にお連れし痛飲す。常に磁石を携行し、出口でいつも入ったときと逆を行こうとする藤野さんは、方向音痴について、私と互角ではないかと疑う初めての人物である。一回角をまがるだけで駅にというところまで見送る。

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小津作品には子供を扱った『生まれてはみたけれど』(1932)という無声映画の傑作があるが、これも他愛のない子供を描いたカラー作品『お早よう』(1959)を観る。何度か観ているが、今回は小津を作っているという事情もあり、以前とは違ったところが気になる。空が青すぎるのを嫌い、コダックではなくアグファのフィルムを使い、おかげで青空が煙ったような色をしているが、この作品も色使いが美しく、デジタルリマスター修復のおかげもあり、その点も楽しい。舞台は5軒並んだ四角いマッチ箱のような建売住宅であるが、外観はもとより障子や窓、チェックの柄のカーテンや着物が多用され、小津作品の中でも、飛び切り縦横の線に溢れ、それは異様なほどである。しかし、自身の美学にのっとっていれば、不自然であろうとお構いなし、というところが、私があらためて小津を見直している点でもある。 小津の画調が変っているのは10代の頃でも一目瞭然ではあるが、そもそもストーリーが娘の縁談や老人の孤独など、子供にはどうでも良いことばかりであり、そのテンポに耐えることはできなかった。しかし、ストーリーがいかに斬新、過激であろうと、その鮮度は短く、“ニュー”と称されたとたん、腐敗は始まるものである。その点小津は、あれ以上古びようのない普遍的なストーリーを選び、そのおかげで磨きこまれ、個性的に演出された画面が、時間を経てますます輝きを帯びているように感ずるのである。 
殿山泰司の、鉛筆、ゴム紐の押し売りが可笑しいが、昭和30年代、コントで押し売りといえば、あのスタイルであった。劇中の子供を見ていて、我が家にセールスマンが来ると、ウチにはすでにあるので間にあってます、という母の背後からきまって「それウチにないよ」と本当のことをいって、日ごろのウップンを晴らしていたのを想い出した。

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朝から小津安二郎の頭を作り、昼過ぎに古石場文化センターに、職員のNさんに借りた『東京暮色』『彼岸花』を持っていく。ついでに制作中の小津の頭を披露すると、職員の皆さん集まる。カラー作品の『お早う』『秋刀魚の味』『秋日和』。『東京物語』を借りる。 夕方、銀座青木画廊へ。来年辺り個展を、というお話。ワインをいただきながら、青木さんと渋澤龍彦、瀧口修造などの話をする。ここ数年個展をやっていないのが気になってはいたが、すぐにあれを、とは浮かばず、考えさせていただくことに。木場に着きK本に直行。閉店までの30分飲む。昨日、その前日と、刻々と変る小津を、そのたび常連に見せている。そんなことをしているうち、間もなく頭部は完成するであろう。頭さえできれば、できたも同然である。 帰宅後『秋刀魚の味』を観る。『彼岸花』の出演者が、役割変えて続編を撮ったようで、セットも使いまわしのように見える。変った着物にカラフルな食器、カラーバケツ、独特の棒読みセリフ。小津映画の中に実際放り込まれたら、宇宙人に乗っ取られた人々のように見えるであろう。なんかヘンだぞ、お前等、というわけだが、この演出法により、娘の縁談など、まったく、どうでもよい話が面白い。佐田啓二の映りの良さは、鶴田浩二と双璧に思えるが、それにしても岩下志麻の美しさ。昔、100万ドルの顎といわれていたのではなかったか。

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小津安二郎の誕生日であり命日。 小津安二郎像は来年2月ごろ、江東区古石場文化センターで展示の予定である。小津を1点だけということもあり、いつもより少々大きめに制作することにした。ざっと作った頭部を久しぶりにK本にもって行き常連に披露する。近所に架かる、小津の一族が作った小型の鉄橋『小津橋』の話になる。このあたりは泉鏡花の『葛飾砂子』の舞台であり、川に囲まれ橋は多い。現在はリベット打ちの鉄橋で、名称が違っていたりするが、作中近所の橋が出てくる。江戸時代はK本は波打ち際であり、近くには、これも作中に出てくる『波除碑』なるものがある。寛政三年の高波で多数の死者が出て、死骸が流れ着いたあたりに碑を建てたらしい。碑は戦災その他で原型を止めていないが、ここから先は永久にに住んではならない、というようなことが書いてあったようである。現在は住んではならないどころか埋め立てられ、家だらけで海岸線は遥か向うである。『葛飾砂子』に出てくるように、鏡花も船に乗ってK本の沖合いを洲崎遊郭に向かったに違いない。それを映画化した谷崎にしても同様であろう。
小津は少年期に深川から三重県に移り住んだが(後年深川に戻る)松坂市には『小津安二郎青春館』というものがあり、小津の脚本を音読する会など催しているらしい。“小津さんの名作を見て脚本も読むと、きれいな日本語が身について、家族や友人との会話がなめらかになってきます。”だそうである。きれいな日本語には違いないが、あくまで標準語と違う東京弁であるから、三重県民があんなもの身につけてもしょうがないだろう。だいいち小津作品の家族は、なめらかに話しているとはいい難い。

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常々、世の中には色々な人がいるものだと思うが、知人が拙著『Object glass12』を人に見せたら、そういわれたらしい。年々面倒な作業に拍車がかかってきたような気がする。只今は、その上に面倒なオイルプリント制作を休んでいるから、まだいいようなものだが。 昔はただ人形を作っていただけなのに、撮影も自分で始め、合成他の画像加工までやっている。以前のように、人形制作以外は人にまかせられればよいが、せっかく手塩にかけて育てた子供を、なんで他人に撮らせなければならない、だいいち、ウチの子のいいところは親の私が一番よく判っている。と思うわけである。もっとも、作り育てた本人には見えないところもあるだろうから、必ずしもそうとは限らないのだが。 先日K本で、常連の建設会社の部長Mさんに「石塚さんの仕事も大変だろうけど、全部自分で思ったように作って、我々の仕事と違っていいよね」といわれた。そこで「Mさん、もし隠しカメラで僕が作ってる生活全般見たら、泣いちゃいますよ」といった。「楽しそうに作ってるところが、また哀れで泣けたりして」。なにも自分でそこまでいうことはない。

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近所の古石場文化センターは、小津安二郎の地元だからだと思うが、映画に力を入れている。しょっちゅう某かの映画を上映しているが、今ロビーでは、区民が持ち寄った映画に関するコレクションが展示されている。私も些細なコレクションを提供しようと思ったが、ラナ・ターナーやキム・ノヴァクのサイン入りポートレイトはともかく、どちらかというと自慢すべきは、○○温泉芸者や尼物や海女物。その他極道系など、小学生がお絵描きしていたりするロビーで展示するのは、ばかれるポスターが大半を占めるので止めておいた。寄贈された撮影機材のアリフレックスを眺めていると、横のモニターでは、各国の映画監督が小津に対する想いを語っているビデオが流されていた。小津が演出している映像が珍しいが、さらに『晩春』の、笠智衆がリンゴを剥くシーンが流れた。磨きに磨かれたような、ほんの短いシーンに、それだけでジンときてしまった。2階から聞こえてくる大勢の主婦達の、下卑たはしゃぎ声がかき消された。

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川並  


午後、母と父の墓参りに親戚の寺のある神楽坂へ。昼食にそばをご馳走になる。最近、体操で減量に成功しつつある母は、体操を近所の知り合いに伝授して喜ばれているそうである。ダイエットの必要のある私と叔母にも教えようとするが、煩さがる叔母と私。母にいわせると私と叔母は性格が似ているらしい。 4時過ぎにK本に行くと、最近は常連席以外は、見たことのない客に入れ替わっている。血を入れ換えて血液型まで換わってしまった団十郎の如し。K本の店内は昭和20年代からそのままだが、深川木場という場所柄、昔は川並と呼ばれる、材木を筏に組んで、川を運んでいく筏師が常連だったそうである。当然そうとう荒っぽい。川並を含め、危険な仕事に携わった人々は、万が一事故に会ったとき、身体の彫り物で身元確認したものらしい。女将さんには未だ、そんな川並に伍して日々焼酎を注いでいた雰囲気が残っている。 私の記憶にも木場といえば、川に浮かんだ材木である。最近深川生まれの小津安二郎の資料を読みふけっているが、大島渚の『青春残酷物語』で筏の上にパンツを干すシーンがあり、筏が聖域である小津は怒っていたそうである。大島渚に解るわけがない。

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